ビジネスマンの見た「狼と香辛料」

人気作になったこの作品を見てみたいと思ったのは、それが商業、商行為そのものを中心のテーマに据えた、アニメ・漫画作品では珍しいタイプの作品だからである。

事業やビジネス、その中の仕事を素材にした漫画作品は、青年誌によくあるような、荒んだ、下卑た、みみっちい内容のものが多く、子どもが野球漫画を見て自分も野球選手になりたいと思うような、華のある、上質な作品が少ない。なによりそれは職場の人間関係、男女関係が中心で、仕事そのものは奥に引っ込んだ背景画にすぎないし、それも「大人の社会の汚い、どろどろした裏側を見せるもの」というのが定番で、わざわざ自分で自分を狭い枠に閉じ込めて、固定観念で縛っていることには少し不満を持っていた。

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思うにそれは、このテーマ自体が、漫画(あるいはアニメ)という容れ物にうまく納めるのが最も難しい分野のひとつということもあるのだろう。手塚治虫がブラックジャックというただひとつの作品を書かなかったなら、いまだにおそらく医療というものが漫画にとってそうであり続けていたであろうのと同じように、そうであればこそ、それは今もってなお挑戦しがいのある数少ない分野だと思うし、特に少年誌や子ども向きの作品で、このテーマを取りあげたものは、そのことだけで自分は評価するが、作品としてうまくいったものにまでなるときわめて稀少である。ところがこの作品は、そこをかなりのところまで野心的に掘り進みながら、物語としても充分に魅力的なものに仕上がっているし、人気という点でも、実際に広く支持を集めた。そこが画期的だと思ったのである。

中世ヨーロッパに擬したその架空の物語舞台の中で展開されているのは、商行為がまだ詐欺や賭博といった似て非なる隣接物ときれいに分かれていなかった頃の、無邪気で牧歌的な幼年時代の姿である。それは原始的で原形的なものであるために、かえって現代の高度に発達し、細分化された仕事の中では見えにくくなっている、市場と商取引の原点のありよう、とりわけそこにこの場所でもずっと論じてきた「情報」が持つ意義を、目の前に広げみせてくれる。脚本と台詞回しは、ところどころかなりぎくしゃくしていて生煮えの感もないわけではないが、それも上記のような困難な課題に果敢に挑戦したがゆえの瑕疵と好意的に受けとった。


「旅する人」と地域通貨

中でも個人的に特に余韻に残ったのは、商人のひとつの原形が「旅する人」にあるという見立てである。商人はある土地の、そこではありふれた産品を、それが寡少で物珍しい別の土地まで運んでいって、元より高い値で売ることで、その地の人々に恵みをもたらし、自分もその対価を得る。商人が利用するのはそれらの「差異」であり、商人であることのひとつの楽しみとは、そういう異境の風変わりな文物や習俗、時にはその中にある危険に先んじて触れて驚く楽しみである。商人が「旅する人」であるとすれば、狩猟者や遊牧者は「縄張りを持つ人」であり、農耕者は「停まる人」であるだろう。商人はそれらの人々が構成する定常的なコロニーとコロニーの間を行き来して情報とモノの橋渡しをし、それらをつなぐ。外観だけとっても既に、きわめて人間的(他の動物にない)で社会化された機能のひとつだといえよう。

また、もう一つ印象的だったのは、通貨に対する、登場するひとびとの醒めた視線である。この世界の中では、通貨もまた当然に商品のひとつであり、他のすべての商品と同じに、相対的なものとして厳しく値踏みされ、綱引きされる。地方の小領主がそれぞれ勝手に発行している何種類ものまちまちな通貨は、領主の財政状態によって、貴金属の含有量をこっそり増減され、ぼんやりしているとグレシャムの法則どおりにたちまち「悪貨が良貨を駆逐する」状態になって、少しも安定しない。人々はみなそのことを当然のこととしていて、はじめからそういう半ば信用ならないものとして、眉に唾をつけながら通貨に接している。計る前には計りの長さがまず調べられる。常に小舟のうえを飛び移りながらどうにか水に落ちずに水上の身を保っているようなもので、それを保有していれば経済価値を絶対的に保存しておけるような安泰な媒体物はなにも存在せず、通貨もその例外ではない。そこでは人々は現代よりもずっと通貨に頼ることも愛することもできないし、発行する側もはじめからそれをあてにしていない。その時価的な浮動する相対価値を見抜くためには「両替商」の役割がとりわけ重要で、金融だけでなく政治や経済の微妙な情勢が集約される情報通として社会的にも一目おかれる存在だ。

翻って現代の自分たちの社会の通貨発行主体を考えるなら、欧州にも日本にもあったような、はるか昔のそうした時代の、脆弱で頼りない発行主よりも、それははるかに強大で洗練された存在である。しかるに、そのような発行通貨に対する、ずっと堅固なはずの信頼と愛着が、今やその巨大な財政的失墜と、企業ポイントや各種の商品券に代表されるような他の発行主体からの疑似通貨の急増に由来するコントロール能力の浸食によって、両挟みに揺るがされはじめている現状を思うと、これらの描写にはいっそう深く胸に迫ってくるものがある。通貨ですら信頼に値せず、自分の足と才覚で立つほかは何にも寄り掛かることのできない世界と、実態は既に根を堀り崩されているものにまだ信じてすがろうとし、愛するに値しないものへの愛をいいように手玉にとられている世界と、どちらがより不幸せか。現代においてもその発行主体である国家が、民衆の信任を無視して無理に相場を固定しようとすれば、価格の肉離れとしての通貨の「ヤミ相場」が不可避に生ずる。現代の国家もまた、通貨の流通価値を自分の望むままに社会に押しつけることはできないし、その膂力は、経済全体の全地球的な統合過程の中で、もう一度小領主程度のちっぽけなところにまで縮まろうとしているかのようでもある。以前取り上げた統合ドイツと隣国の事例をもう一度以下に引いておこう。

第1のミスは1990年7月の通貨統合で生じた。通貨交換は統一の第一歩となる事業だったが、「旧西ドイツの1ドイツマルク=旧東ドイツの2マルク」という非現実的な比率で行ったのだ(個人については、貯蓄の一部を1対1で交換することも可能だった)。ちなみに、1989年当時の闇市場では、1対10で交換されていた。この通貨交換は当初、旧東ドイツ地域の消費を押し上げたが、同地域の企業の競争力は一夜にして失われてしまった。また、旧西ドイツ地域の労働組合が旧東ドイツ地域の賃金水準を西並みに引き上げようと運動したため、数百万人が職を失う羽目になった。


北朝鮮当局は今回の措置について「貧富の格差を防ぎ、平等社会を建設するという金総書記の構想によるものだ」と宣伝しているという。「富の再分配」を狙った措置だということを示唆している。実際、北朝鮮が旧貨幣から新貨幣への交換を一人当たりどれくらい認めているのか確認されていないが、交換限度額を超えた金は一瞬で紙切れになってしまう。従って、「市場で金を稼いだ人に対する事実上の没収措置」(チョ・ヨンギ高麗大教授)ということになる。「結果的に、今回の措置で“全員が貧しい社会”に後退すれば、以前の経済統制が再び効果的になるのではないかと期待しているのでは」との分析もある。


通貨の価値が相対化し、そこに貴金属その他の兌換的な現物価値も再参入してくる世界では、それらの相対的な価値同士の計量・交換行為の役割もふたたび高まってくるだろう。われわれの身の回りでは、今のところ金券ショップや最近急に増えてきた貴金属の買取商がそうした役割を根毛のように慎ましく果たしているようにみえる。現代の買取商は、どんなふうに買取物品の価値を判定しているのかとあたってみると、売られている装置等からみて、昔ながらのアルキメデスの原理を利用した測定装置を使って貴金属の含有量を調べているようだ。装置はもちろんはるかに機械化、電化しているが、大元の原理は大昔からあまり変わっていないところがとても面白い。

貴金属比重測定機
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また、最近では似たような話でこんな記事もあった。

業界団体「宝石鑑別団体協議会」(東京都)は21日、全宝協が鑑定したダイヤ1052個について、複数の鑑定会社で再鑑定した結果、27個のカラーの等級が2ランク落ちた、とホームページで公表した。協議会は、不正の有無については言及していない。協議会の土居芳子会長は「再鑑定で20個以上も等級を落としたのは問題。協議会の信頼を傷つけた」とし、すでに協議会を自主退会している全宝協に対し、2年間の再入会禁止を決めた。協議会によると、再鑑定したのは、不正鑑定疑惑が発覚後、6月1日~17日の間に、業者や消費者から寄せられた1052個。今後も、全宝協が鑑定したダイヤの再鑑定を無料で続ける。


こうした事例がわれわれの耳に掻き立てるのはまだまだ小さな羽音だけれども、その音響きは上にあげたこの物語にあるものと既にどこか似てきていないだろうか。そしてそのことは何を意味し、またこれからどこまではっきりとわれわれの耳に聞こえるものにまで高まっていくだろうか。

最後になるが、本作もOP/EDの曲は、第一作・第二作ともに、それぞれたいへん素晴らしいものだった。丁寧に作り込まれた叙情的な舞台装置とともに、そのこともこの作品を美しく、見て心地よいものにしている。



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2010/10/13 | TrackBack(0) | 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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