「いや、俺も地下で生活してたから、昔の記憶と
つむぎの今の状況が重なっちゃって」
つむぎの今の状況が重なっちゃって」
「シドニアの騎士」で星白閑は、対話不能とされ、死闘を繰り返す人外の敵ガウナと人間の間を、姿を換え代を重ねて、縫い針のように行ったり来たりしながら、取り持ち、つなぎ合わせる役目を負った存在である。
彼女は、人類を脅かす仇敵の怪物に対して、端(はな)から一般とは異なる、正統ではない意見を持っていた。主人公の谷風長道(ながて)と二人で孤立して漂流する中で、谷風から、なぜ操縦士になったのかと問われて、忘れてしまった、と答えをはぐらかすが、その後で、彼らは人間と関係したがっているのではないか、異質すぎるので仕方が分からないだだけなのではないか、と独りごちる。穏やかで優しい性格で、およそ兵士には向いていないようにみえる彼女が、前線に出たことの、秘められた意図がそこにあることを、読者には明かす。
「私ね‥‥奇居子(ガウナ)は本当は人類の友人になりたがっているんじゃないかと思うことがあるの‥‥あまりにお互いが異質過ぎて正しい方法が分からないだけなのかもしれないでしょ。どうかして彼らに伝えることができれば‥‥」(#7「星白閑の捜索」)
ここから、彼女は、シドニアの公式の前提とは対立し、非武装主義者のような反体制派に通じる、公にはしにくい心情を抱いていることがわかる。彼女は、心性においては、シドニア社会における「アウトサイダー」に近い。主人公の谷風長道は、その彼女に惹かれていくが、彼もまたアウトサイダーである。
谷風は、シドニアの初代の「撃墜王」斎藤ヒロキの強化クローンであり、孫として彼に養育されることで、彼の技術と感性を受け継ぐ。斎藤は、百年前のガウナとの激闘の後、指導部の方針に反発して袂を分かち、船内の探索不能な地下部に逃走して、さらってきた幼い長道とそこで暮らす。長道が表社会に再び姿を現すのは、斎藤の死後、飢えて食糧を盗んだ泥棒としてである。こうして、反主流どころか、非合法な一種の「無国籍者」として成長した長道は、いちばん外側から物事を見る視点を持ち続けている。特別に取り立てられて操縦士として活躍するようになってからも、他の人々とは違って、非武装主義者たちの主張を頭から馬鹿にしたりはしないし、自分でも「ガウナと対話できるのではないか」と漏らして不見識を窘められたりする。こちらも内面において、星白閑と相似であり、表立っては許されない考えを抱く中で、互いに親近感を感じるのも当然といえる。
その後、彼女は味方の策略に陥れられた谷風を救おうとして戦死し、谷風の胸に深い喪失感を残すが、ガウナに取り込まれることで、複数のコピー、エナ(胞衣)星白と「紅天蛾(べにすずめ)」として、今度は敵方の所属に生まれ変わる。星白閑の能力と情報を引き継いだ紅天蛾は、最強の敵としてシドニア軍に立ち塞がり、再三にわたって苦しめ続けるが、谷風の呼びかけには反応して動きを止めることがあり、最後の決戦では、星白の姿をとって操縦席に侵入し、長道を殺すことなく口づけして果てる。
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「人間かどうかなんて関係ないんだ!そのままでいいんだよ!大きさなんか大した問題じゃない!身長差だってたったの十五メートルだ!」
「シドニアの騎士」で、読者に最も大きな驚きを与えているのは、主人公のヒーローと人外の異生物(つむぎはふだん船員たちと会うときには、ミミズのような触手の格好である)の間の、異種間の「恋愛」だろう。特に、はじめに見たように、異形の怪物に対する断絶の深さを、現実の反戦主義者を蔑むための心情的な梃子として受け取っているような、表面的な読み方であれば、両者の間に突然出現する深い交感と、とりわけ主人公の谷風長道の、それを向けての一途さと迷いのなさに対して、驚きと困惑は大きいはずだ(まるで肝心の主人公が突如脱線して敵側と内通をはじめ、節操を売ったように感じるかもしれない)。しかし、ここまで追ってきたことからすれば、そこには物語として当然の必然性があり、そうなっても不思議がないように前振りが作り込まれていることが理解される。上に見たように、谷風ははじめからシドニア社会の最も辺縁に身を置いた、生まれながらのアウトサイダーであり、突然輪の中心に放り込まれるようになってからも、所作を弁えないために始終いじめられたり痴漢に間違えられたりして、居場所のない、居心地の悪い状態にあり続ける。姿形の違いをものともせずに、つむぎに真っ直ぐに向かっていくとき、彼の疎外感と、同じような境遇にいる者への共感が、どれほど深くて強いものだったかもまた露わになるのである。
こうして星白閑は、いわば自分の身をそのための生贄に捧げ、何度も転生と消滅を繰り返すことで、かつて願った、対話不能の異存在との交流を、双方を行き来して強引に縫い合わせるような形で、自身の死の残響の中に作りあげていくことになる。
しかし、それでは、彼女の一身を賭したその犠牲と尽力によって、彼女やあるいは非武装主義者たちが望んだような、対話と和解の側に、希望の途が開け、軍配が上がることになるのだろうか。対人間の闘争をなぞらえて揶揄したものとの見方さえ取られうる、人外の異生物の間ですら、それが可能になったのか。実は、話はそう単純ではなく、この物語には、入念にもさらにもう一段下の受け皿がある、というのが自分の見立てである。人々を戦争へと誘(いざな)い、逃げようもなく引きずり込んでいく戦争機械は、その本能の赴くところに従って、隠微に捩じれた、複相的な構造を持っており、われわれは自分の国の歴史として、それを詳しく追い直すことができる。そして、ここまでの前段を経たうえで、この物語について自分が最も指摘したかったことは、ある種の「復古=維新(re-storetion)」の趣を持つこの物語が、それ自身コピー機能を持つ半無意識な怪物(ガウナ)として、その内容をも、この現代に再現しているのではないか、ということである。
それを次で述べよう。
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シドニアの騎士 六 [DVD] 逢坂良太 (出演), 洲崎綾 (出演), 静野孔文 (監督) キングレコード |