シドニアの夜

「ガウナが人間の形だけじゃなく人格や記憶も完全に再現したとしたら、
そのエナと元の人間の違いはなんですか」


白羽衣つむぎには、前世紀前半によく似た造形と位置どりをもつ前例がいる。その前例とは、「支那の夜」という人気映画のヒロイン桂蘭である。この配役は、中国生まれの日本人女優で先頃亡くなった李香蘭こと山口淑子が演じ、たいへんな反響を呼んで、彼女の名をを代表する作品になった。

李香蘭 私の半生
この映画の筋立てはおおよそ以下のようなものである。東映の大スター長谷川一夫扮する主人公は、軍の輸送を請け負う船会社の船員で、上海の雑踏で日本人に絡まれていた桂蘭を助け出す。彼女は抗日抵抗組織(匪賊と呼ばれていた)の端に連なる、汚らしい身なりをした中国人の戦争孤児で、戦火で両親も家も失って日本をひどく恨んでおり、はじめはとりつくしまもなく反発していたが、気の毒な身の上を知った主人公や周りの日本人たちの厚情に絆(ほだ)されて徐々に心を開いていき、軍需物資の輸送日程を聴き出そうと組織に誘拐された主人公の命を救ったのを機に恋仲になって、二人は結婚する。その後、新婚の夫が命を受けて乗り込んだ輸送船が組織の襲撃を受け、夫は亡くなったと伝えられた桂蘭は絶望して後を追おうとするが、そこに生き延びていた夫が戻り着いて、感激の中、再会を祝う――そういった内容である。

分かるように、敵方に属する妙麗の女性が、偶然の機縁を通して相手の「真実の」姿を知ってこちらに靡(なび)き、最後には完全に逆の立場にまわって、共にかつての同胞に立ち向かう、という流れで、今からみれば、日本の占領統治を宣撫し、正当化するための、プロパガンダ臭の際立つ作りになっている。基本的な構造は、対立陣営を二つに色分けしたうえで、一方は交渉不能の敵として突き放し、一方を一種の「名誉同胞」として身内に取り込むことで、異質な敵対者との間で自分たちにとってのあるべき宥和の形を示す、というものである。李香蘭が所属していた満州映画協会(満映)は、彼女を主演にして、日本を憎んでいた中国人娘が、打ち解けて最後は日本人男性と懇ろになるという、同じような作品を、手を変え品を変え、何本も繰り返し撮っている。

山口氏が歩んだ李香蘭としての前半生は、エキゾチックな美貌と、日中両国語の完璧な話者という2つの条件を抜きに語れない。だが、大陸生まれの日本人少女を中国人と偽って「五族協和」「日満親善」の宣伝塔に押し上げたのは、甘粕正彦理事長ら満映による文化戦略だった。旧満州国の首都新京(現吉林省長春市)に建設された満映スタジオは、「大陸文化の生産工場として東洋一の威容を誇る」(1939年版「新京案内」)とされた。映画は現在でいうソフトパワー獲得のために最も重視される存在だった。李香蘭は、日満合作の「白蘭の歌」(39年)をはじめ、「支那の夜」(40年)などの国策映画で日本人ファンを魅了する一方、ラジオを通じて流れる中国語の歌声で、抗戦下にあった重慶など中国内陸でも中国人の心を引きつけた。

Film idol Yoshiko Yamaguchi, who was known as Rikoran and symbolized Japan’s dreams of Asian conquest, has died at the age of 94. Known as Shirley Yamaguchi in the United States and one of the biggest Japanese film stars during and after World War II, ... Born to Japanese parents in northern China in 1920 and raised in Japan’s wartime puppet state of Manchukuo,


主演した当の李香蘭/山口氏も、あとから振り返って同様の話を述べている。彼女の言葉は、さらに直接的で、悲痛である。

日本は強い男。中国は従順な女。中国が日本を頼るなら、日本はこのような中国を守ってやろう。それが大陸三部作に込められた密かなメッセージだった。


上の追悼記事にもあるように、当時、李香蘭は中国人の女優として世に通っていたため、終戦後、反逆行為のかどで中国で捕えられ、裁判にかけられた(漢奸裁判)。自伝によれば、山口氏は、日本から日本国籍の戸籍を取り寄せて、日本人であることを証し、ようやく解放されたという。同氏の後日談には、百八十度逆転した戦後社会を生き延びるために、戦中の自分を切断する操作(自分もなにも知らされていない受け身の被害者だったといったような)も含まれている可能性は割り引いて考える必要はあるものの、自分で直接それを演じ、一時は処刑さえ取り沙汰された「中の人」の言葉には、生々しく、重いものがある(一連の裁判で、清朝王族の出身で李香蘭とも親しかった川島芳子は処刑されている)。このように、李香蘭/山口淑子は、外貌は敵国人(中国人)で、中身は日本人だった。彼女は双方の立場を巧みに切り替えることで戦中戦後の激動をしたたかに生き抜いたが、一方で戦争が終われば中国から指弾され、戦中の日本では逆に中国人として蔑まれた。まるで外見をみてシドニアの乗員から石を投げつけられる白羽衣つむぎのように。

「私は日本人?中国人?」と聞かれたことがある。無論、質問の形を借りた自問だった。

「北京語も日本語もできて、歌も歌えた。満州という複雑な国にとって、私は便利な人間だったのでしょう」


興味深いのは、この作品について、国策映画との定評の一方で、華美で浮ついた商業映画で、戦意高揚といった意味での、純然たる「国策映画」とはいえず、むしろ軍当局や一般の市民からも、戦時下の風紀を乱し、国益を損ねるものだとして、眉をひそめたり、抗議する向きすらあったという指摘があることである。大正・昭和初期のモダンな都市文化の隆盛と入れ違いに、軍国主義に一気に雪崩込もうとしていた当時の世相を考えれば、これはあってもおかしくない動きであり、それらの人々からすれば、スター俳優演ずる日本男性が、れっきとした同国人の想い人がありながら、植民地の現地民、それもこともあろうに反日組織の女にうつつをぬかして妻にまでしてしまうことや、彼らが受けた被害と苦しみに、観客ごと巻き込んでいたずらに深入りしすぎているところなどは、容認しがたい、不届きなものに映っても不思議ではない。

しかし、それではこれらの作品が、日中両国民が浮世の諍いを忘れて相楽しみ、あるいは共に考えた、単なる娯楽作品、社会派作品でしかなかったのかといえば、無論そんな簡単な話ではない。一連の作品が、現地感情にも譲歩し、娯楽色も多分に盛り込んだものになったのは、プロパガンダ性、国策的性格を弱めたものではなく、手法を鍛えて実効性を高めることで、むしろいっそう強めたものだと考えられる。異質な社会・文化に対する支配の浸透において、真に有効なプロパガンダは、まさにそのような、中心点をあえてずらした、むしろ辺縁的で、いったん水割りに薄めたものでなければならないことは、有能な戦略家であれば、常に探り当てられなければならないものである。すなわちそれは、いわば「従うことによって支配する」、入り口では半身以上相手の懐に深く入り込んでその共感を取り込みながら、最後にはこちら側に引き込んで、完全にくるめとる、という様態のものである。

異質な背景をもつ敵対者、占領民に対し、統治者の価値観を剥き出しに熱せられたまま、純粋な形でいきなり押し付ければ、自陣の教導者たちからのお覚えこそめでたいにしても、当の相手からは反感と嫌悪以外の何も引き出せないのは当然である。そこで真に有効な組織化は、自分たちの中核価値観からは距離のある、むしろ「アウトサイダー」的な、とはいえこちらの中心とも完全に紐が切れているわけではなく情が通じている、当方と相手の中間あたりでふらふらしているような道化役(パペット)を、巧みに用意しなければならない。外からみれば、彼は統治者の価値システムの中では最辺縁に位置する、むしろ外れ者であり、いちばん外側で外部と接していることで、こちらの事情にも通じ、理解がある。そのため、彼はそのような曖昧な態度を取らない純粋な同胞人との間で、争いになることすらあり、こちらの肩を持ってくれさえするほどである。そのようなどっちつかずの中間者が、新しい統治者の論理の案内役、仲介役として、熱い匙を吹いて冷まし、少しづつ含ませて体に慣らしながら、最後は手をつないでこちらに連れてきて、気がついたときには同化、一体化が完全に完了している――このような、一歩づつ着実に手順を踏んだ段取りが、最も理想的で、効果の高い教化の姿である。映画の内容でいうなら、はじめは主人公の日本人婚約者から教わった、中日混交風の満州の流行り歌(映画の主題歌)を好んでいた桂蘭が、束の間のハネムーンで夫となった船員から日本本土の高雅な詩歌を教えられ、最後の場面でそれを口ずさんで、唄の心とともに彼との思い出を懐かしむ、という推移は、同化への深化を、必然的、意識的な形で完璧に組み上げて呈示したものといえるだろう。

だとすれば、相手の抵抗を麻痺させ、引き下げるこのエスコート役の道化に対して、統治者の価値と純粋な形で一体化しているような石頭の中枢部から、教理上の憂うべき逸脱がみられる、思想的成分が不足で娯楽色が強すぎる、などの抗議が上がるような状況は、プロパガンダ首謀者が宣撫の有効性を確かめるうえで、むしろ願ってもない賛辞であり、むしろ目指すべき最重要の指標であるとさえ言いうる。この点からみれば、上記の映画作品が、常道を踏み外した邪道の異端であるどころか、むしろ定石に則って巧妙に調整された、最も完全な形態のプロパガンダの精華であることが、あらためて確認されるだろう。女優・歌手としての傑出した能力で日本だけでなく占領地下の東アジアの民衆を魅了し、のちにニセモノとして憤慨させた李香蘭もさることながら、真に恐るべきは、軍中枢の懸念も無視してそれを設計し、お膳立てした者の方である。また、当然ながらそれは、「五族共和」という建て前の裏での支配という、満州国と日本本土の特殊なフィクションにもぴったりと嵌まっており、相手と対等な立場にたった理解ある指導民族、という自己像に基づいた自尊心をくすぐり、それを正当づけるものでもあった。宣撫色の希釈化、隠蔽は、「支配される」側の心理的抵抗をかいくぐるものであったのと同時に、「支配する」側の後ろめたさを解除し、いっそう前のめりに突き進ませるうえでも、一石二鳥の効果を持つものでもあったのだ。

満映代表の日満親善女優として、初めて祖国日本の土を踏んだとき、入管係官に呼び止められ吐き捨てられる。「一等国民の日本人が三等国のシナの服を着て、シナ語などしゃべって恥ずかしくないのか。それでも日本人か!」


以上の分析は、李香蘭を擁していた満州映画協会の運営史をたどることで、史実としても精確に追跡できる。クーデターを起こした軍部がまず放送局を占領しようとするのと同様に、満映は満州国の統治の中で要となる最重要の組織のひとつだったが、設立当初に制作した作品群は、あまりに教宣色が表に出すぎていて、現地の中国人住民から相手にしてもらえず、満映は設立の目的を達成することができなかった。

新聞,ラジオ,映画は 2 0世紀前半の3大メディアであり,満洲国情報宣伝当局もこれを宣伝道具として重視した。しかし,当時満洲の中国人は一般的に教育水準が低く,新聞購読は現実性に乏しかったし,ラジオ受信機も普及していない状況であった。ただ映画のみは,被宣伝対象である大衆には何の準備も必要とせずなおかつ娯楽性に富んでいて受け入れられやすかった。都市部はさておき,農村地域における新聞や放送による大衆への宣撫教化があまり期待できない状況を踏まえて,満洲国情報宣伝当局は映画を恰好の宣伝道具として,これによる宣撫工作を特段に重視した。

1935年8月(もしくは9月)に関東軍参謀部第4課から出されたとみられる「満洲国映画演劇協会組織の要旨と必要性」という文書は,建国精神に相反する中国映画が満洲国民衆の間で人気を集めている現状を憂い,映画および演劇の無統制・無指導の状態を是正して,満洲国独自の映画および演劇の振興をはかるべきことを強調した。

以上の設立経緯からわかるように,満映は映画芸術の発展あるいは興業による利益の追求を期して創られたものでなければ,映画人の考案により計画されたものでもない。満映は明らかに宣撫教化という国策の施行を目的として設立されたのである。「満洲国建国精神の普及と国民思想の建設,満洲国の国情の宣伝,日満一体の国策にしたがって日本文化の輸入と紹介,学術・技芸などの向上に貢献し,有事の際には全力で思想戦と宣伝戦を繰り広げて,国策の貫徹に協力する」ことを,満映は自社の使命とした[満洲映画協会 1938]

この時期の満映劇映画の特徴は,第1は劇映画の宣伝性重視である。すなわち大衆宣伝に用いる目的で,当局の政治的意図をストレートに盛り込んだ劇映画を作った。たとえば『壮志燭天』,『鉄血慧心』などがその類である。第2は日本人の独善的な傾向が強いものである。たとえば,『白蘭の歌』や『東遊記』などは,日本人の優秀さと日本の先進性を示唆する反面,中国人の愚昧さと中国の立ち遅れを嘲弄している。(略)こうした内容の映画であったため,前期に満映が製作した劇映画はまったく人気がなかった。


このため、早くも運営に行き詰まった満映は、機構を抜本的に改革し、幹部人事も一新して方針を大転換することを試みた。そこから世に送り出されたのが、上の「大陸三部作」をはじめとする諸作品である。

1939 (康徳 6)年「満州国」での「王道楽土」を実現するために、「満州国」は「国民精神総動員強化方策」の貫徹を目指し、「満映」の改革を断行した。(略)「満州国」建国後は、甘粕正彦は初代民生部警務司長(「満州国」における警察機構のトップ)、「満州協和会」総務部長を歴任した。「満州国」では「昼の支配者は関東軍、夜の支配者は甘粕正彦」と言われていたようだがそれは甘粕正彦の影響力の大きさばかりでなく、「満州国」における映画文化の地位の重要性を示すものであろう。

軍事優先時代に映画などは緊急の必要がないという経済部官僚に,甘粕は人心を捉える点からいえば,映画は軍備より大切だと主張し,外国為替を取得してヨーロッパ諸国から映画機材と設備を取り入れた。

前期における満映の国策宣伝一点張りを修正しようと,甘粕は「満人による満人が楽しめる」映画作りの方針を打ち出した。国策を無理に劇映画に盛り込むことは観客を失うばかりで,国家観念の育成を妨げる。中国人にみせる映画を作り,映画を通じて大衆に娯楽を与えること,日常生活を楽しくすることによって,中国人に満洲国を好かせることこそ国策に適うことだと武藤と甘粕は認識していた。(略)1940年12月,甘粕は従来の製作部を廃し,娯民映画部と啓民映画部を新設した。(略)また,この改革で従来の俳優訓練所を養成所と改称し,映画全般の人材を養成する学院並みのものにした

その中には、李香蘭(山口淑子)という日本人女優がいた。李は日本語も中国語も堪能だったことから、奉天放送局の「新満州歌曲」の歌手に抜擢され、「日中戦争」( 1937年)の翌年には「満映」から満人の専属映画女優李香蘭としてデビューした。映画の主題歌も歌って大ヒットさせ、女優として歌手として、日本や「満州国」で大人気となった。そして、流暢な北京語とエキゾチックな容貌から、日本でも「満州国」でも多くの人々から満人スターと信じられていた。いわば「満映」随一の女優李香蘭は他の「満映」の俳優と共に「満映」における外来文化伝播の協力者であった。

戦時下の東京を訪れた甘粕は、国民精神総動員を批判して、こうも語っています。「日の丸の下に国民精神総動員などという文字を書いたポスターを到るところに貼ってありますが、こんなことで精神が総動員されると思っているのがまちがいです。宮城の前を電車が通るとき、帽子を脱いで頭を下げさせることになったようですが、こんな馬鹿なことをさせる指導者は、人間の心持がわからない人たちです。」甘粕が人々の心をつかむためにやったのは、宣伝活動。甘い美声とロマンがあふれる作品群によって、満州国に一体感を与えようとする策略でした。つまり甘粕の発想は、戦時体制の一歩先を歩む、いわば戦後の日本を先取りするようなメディア戦略だったと言えます。終戦ちかくに自決した彼の言葉を、戦後の識者の発言だと言っても、違和感はありません。


以上の記録からも、彼らが取り替えたのは、単に外側の衣裳と手法だけであって、それによって国策宣伝の使命を諦めたり、手綱を弛めたりしていたわけでは毛頭なく、むしろいっそう深く課題に沈潜することでそれを貫徹しようとしていたのであり、以降の一見「脱-国策的」な作品群が、その強力な磁場の下で製作されたことは明白だろう。


「市ヶ谷テルル」の役割

ところで、作品の比較に戻ると、この手引き役を担うあいまいな中間者が、同化の媒介者として物語の中で有効に機能するためには、他意がなく、自分の役柄に無邪気、無自覚でなければならないが、そうすると今度は、「やじろべえ」のように不安定なこの者が、深入りしすぎてバランスを失い、相手側の手に落ちてしまう危険もかなりの程度で存在することになる。映画でいえば、桂蘭に入れ込みすぎた船員が、逆に相手に寝返って、いっしょに抗日ゲリラの闘士になってしまうような状況である。そこで、物語の構造においては、主人公が肩入れしすぎて相手側に行ってしまうのを防ぐ歯止めとなるような、もうひとりの指南役が用意されていると、いっそううってつけである。「シドニアの騎士」において、典型的な形でこの役割を果しているのが、非武装主義者が残した忘れ形見のアンドロイド「市ヶ谷テルル」である。

シドニアの騎士(11) (アフタヌーンKC)

このもうひとりの道化役は、仲介役の主人公に、どれだけ共感を覚えたとしても相手に肩入れしすぎないように教え込み、向こう側に引っ張りこまれないように強く楔(くさび)を打たなければならない。さしづめそれは、仲介者が異質な相手と交感する際に、同期しすぎてミイラ取りがミイラにならないよう引き止めておく命綱のような役割である。このことを念頭に二つの作品を比べ合わせると、桂蘭を導く船員の方の動機が「日本人としての誇り」や義侠心、すなわち自己を同一化する集団への帰属意識そのものであるのに対して(当時の演出としては、そこまでがぎりぎりの踏み込みだったろう)、「シドニア」の谷風長道の場合は、自分自身のアウトサイダー性である。船員とは対照的に、谷風は軍規も無視してばかりおり、クローンで養育者の斎藤ヒロキの気質そのままに、なにかにつけ勝手に飛び出していって、シドニアとの糸がヒロキのようにまた切れてしまうのではないか、いつか彼と同じにこちらに刃向かうようになるのではないか、と指揮官をはらはらさせ通しである(谷風の「愛国心」の心情告白が、いわゆる「愛郷心」、人々や生活に対するものにとどまっていて、「民族」や「政府」に対するものではないことも、注目される点だろう)。いわば桂蘭の夫の方は、帰還分の充分な燃料を自分自身の中に積んでいるが、谷風は遠心力ばかり目立って、それが甚だ心もとない。従って、自分自身も価値体系の中心から半分剥がれて離反しかかっている谷風の方が、いっそう切実に、そのような引き止め手を、演出上必要としている。

「谷風、お前はまだ戻らなくていい。紅天蛾に対するお前の行動には問題がある」


先にみてきたように、非武装主義者たちの主張は、大方においては正しいのであるが、機密によって情報が隠されていることからその輪郭はぼけている。ロボットのテルルは、生みの親の非武装主義者よりもさらに「頭が硬い」という設定によって、その輪郭部分のあいまいさを、滑稽な誤謬として取り出して最大倍率で拡大し、ある種の「燻製ニシン(red herring)」として、作中人物たちと読者に強烈に印象づける役目を負っている。さらに彼女は、そのことで、狭く、外側にまったく逃げ場のないシドニア船内社会の中で完全に仲間外れになり、職業も住み処も身分戸籍すらも失って「非国民」の状況になり、そのことがどんなに惨めなことであるかも、これでもかとばかりに強調される。

「仕事をすれば一般船員になれますか」「お仕事をお探しですか」
「船員証が確認できませんね。お忘れですか?」「持ってません」
「では船員番号をお教えください」「だから船員証を持っていないんで番号もありません」
「お名前を伺ってもよろしいですか」「市ヶ谷テルルです」
「‥‥戸籍課によると、市ヶ谷テルルという人間はシドニアには存在していないようなのですが」

シュエさんは最近、あるレストランで働き口を見つけた。ここでは身分証明証がないことに目をつぶってくれるという。 「生まれて初めて、私の実力、つまり身分ではなく能力に基づいて判断してもらえた。最高の気分」と語ったシュエさん。そして 「でもこれは一時的な仕事です。将来ですか?想像もできません」


そして最後の駄目押しとして、彼女は、最も忌み嫌っていた主人公のパイロットに助けを請うて、身のふりを頼る他なくなり、自分の体自体も軍需企業で作られ、そこで修理しなければいけないことも知らされて、精神的にも完全に転覆し、屈伏する。彼女が繊細で純真な心を持ちながら、体はロボットで耐久力充分であることは、気遣いを感じさせず少々手荒に痛めつけるうえで、この点でも格好の特性といえる。単行本一巻(「市ヶ谷テルルの転向」)をまるまる使ってこれらのエピソードにあてているのは、それだけ彼女の役柄が重要だからであり、これらにはすべて、反面教師となる見せしめを呈示することで、主人公が辺縁の媒介者として異質な敵との交感の糸を探る際のひとつの有力な経路を、彼自身と読者に対してあらかじめ遮断しておく狙いがある。主人公のアウトサイダーとしての中間的な、不安定な配置は、彼自身が向こう側に転落してしまうのではなく、あくまでこちらに内応者をひき連れてくる形で、役立つのでなければならない。念入りにも彼女もまた、二人目の桂蘭、人造人間の桂蘭として、主人公に靡く。凭(もた)れることによってその体重で主人公を支え、シドニアの側に押しとどめ、つなぎとめる。危なっかしい彼がまかり間違って、自分で向こうに、非武装主義者や紅天蛾の方に行ってしまうことのないように(そちら側に落ちてしまったもう一人の谷風、谷風の影が、科学者落合=融合固体かなたである)。何に化けようと、どんな形で手を差し伸べてこようと、敵は敵、匪賊は匪賊であり、斟酌は不要であり、問答無用に蹴散らし、撃滅しなければならないのだ。たとえその目的が、同胞を虫けらのように殺害し、桂蘭のような悲惨な孤児を山と生む敵の武器弾薬の輸送をなんとしても阻止したいという、相手の立場からみれば、しごくもっともなものだったとしても。


忘れるための物語

以上見合わせてきたように、ともに戦争を舞台にした、世紀を隔てた二つの物語は、男女の力関係と役割分担が一部当世風に入れ替わっているだけで、奇遇というには不自然なほどに、ほぼ同一の骨格を共有、使い回している。自分の思うに、これは作者がそれを知った上で意識的に下敷きにしたというよりは、それらを取り巻く社会状況と、それに呼応して狙いとするところが、それだけ重なってきていることの現れだろう。四半世紀前の作品は、作者は存在すら知らないかもしれない。というのは、知っていればもう少し加工なり手心なりが加えられていてもいいはずだからで、こういうものは、知らないからこそ、あたかも夢遊症者の動作のように、あからさまに似てくるのである。そしてまた、その同じ要請にともに根を持ち、そこから起算するがゆえに、最後の最後のところでその行き先は大きく分岐することになる。何が違うかというと、戦争の(時間的な)位置が違う。

前世紀の物語においては、両国民にきっと近い将来に待っている望ましい姿を照らし出すというその根幹からして、戦争はまだ緒についたばかりであり、重なり合う危機の狭間をくぐり抜けて二人がどうにか無事結ばれることを通して、個人的なその成就の向こうに、民族と計画全体の明るい未来をも合わせ写そうとするものだった。しかし、片や現代のわれわれは、その企てがそのあと実際にどうなったか、その無残な破綻と結末を、もはや変えることのかなわない重い過去として背後に置き残し、知っている。われわれは、民族精神の根城を巨大な怪物に一刀両断され、その祖地をほうほうの体で追い出されて、出口のない棺桶に封印されたまま、百年になんなんとする長い時間、冥い辺獄の中を幽鬼のようにあとどなく、ただ彷徨ってきたのだった。この国の民族主義者たちがいまだに鬱々と根に持っているところの見方に従えば。

その打ちのめされた根無し草のわれわれに、新しい物語、続きの物語は、今一度、失地を挽回するチャンスを与える。その時、新たな教えがわれわれに指し示して奮い立たせんとする「希望」は、もはや単に個人の成就だけでは済まない。計画全体の完遂であり、敵の完全なる打破にまで、奥行きが深く届いていなければならない。そうでなければ、古い物語の失敗を既に経験しているわれわれは、そこに自らの希望を重ねることができないからである。そこで、個人の成就、すなわち国民の勇敢なる英雄と、彼に魅せられ、引き込まれた異民族の姫との幸福な結合は、今度は戦争の途中ではなく、必然的に、全戦闘の終結後に置かれる。それは未達の希望の象徴から、納品と検収の象徴になる。言い換えれば、新しい物語は、民族の失敗した生、歴史の「イフ(なかりせば)」を、創作の中で仮想的にやり直し、克服する、「生まれ直し」の物語になる。それはいわば、いまだに癒えることのない歴史の古傷に苦しむわれわれが、自分で自分に施す心理的施術(セラピー)である。

その堅固で論理的な構造を前提に、作者は分岐した新しい物語の結末で、どのような締めくくりを与えただろうか。前回の戦争ではそれが間に合わなくて切歯扼腕したのと違って、今度はわれわれは、絶体絶命の危機の中、敵の大帝国の中核を撃ち抜いて戦局を一挙にひっくり返す、一撃必殺の奇跡の超兵器を所有していた。迷いなく振り降ろされたその鉄槌によって、われわれではなく今度は敵が、完膚無きまでに屈伏し、後に残された魂のない腑抜けの状態になった身体(エナ)だけが、豊かな資源として、植民星での生活を潤すことになる。無謀な戦略も莫大な犠牲も最後には報われ、なんとなく全部水に流されて、なんら咎められることなく、司令部は気の抜けたように、ちょっと決まり悪げに皆から祝福される。忌むべき東京裁判はもう、存在しない。これらはすべてみな、いわば本当はそうあって欲しかった昭和史、あるいはこれから未来にもう一度やり直したい昭和史といってよいものであり、それを生き直すことで、われわれは苦しかった過去を塗り直し、それを忘却のかなたに置き去って、もう過去の単なる繰り言でない、自分自身の真の未来に向かって歩き出すことができる――はずである。

目立たないように慎重にぼかされてはいるけれども、向こう側からもわれわれを知って、われわれとの交感に近づこうとしているかに見えた「匪賊=ガウナ」が、結局は自らの意思を抜き取られて、単なる素材、単なる魚肉としてのみ、こちらの側に取り込まれたということは、小林艦長の思想が最終的にはそれを凌駕し、星白閑の願いは挫かれた、ほぼ無に帰したということを意味している。植民地の現住民族は、すべて宗主国からただ使役されるだけの、膨大な意思なき奴隷となった。「ネオ・満州国」の獲得は、今度は手放すことなしに成功し、「つむぎ=桂蘭」のような、恭順の意を表し、同化された帰化者だけが、存在することを認められ、こちら岸に「包摂」されたのだ。


とはいえ、書を伏せて我に返ってみれば、それらはまだ、物語にどうにかうまくまとめてみたというだけのものである。魂の指令書にそう書いたからといって、実際の現実がそのとおりに結実するわけではないことは、前回の首尾となんら変わるところはない。象徴としての主人公たちの婚儀を、戦争の途中に置こうが終わりに置こうが、それは虚構の創作とそれがわれわれに与える心象の辻褄だけの問題であって、現実の成否にはなにも影響しない。むしろ、もともとの出発点自体が、筋を違えた、どだい無理な相談であるのなら、願望の南京錠の数字がきれいに揃ってしまう方が、現実との乖離も、またそれが埋め合わせることになる幻滅も、大きくなってしまいかねないという点では、前回とそう違うところはないかもしれない。



「李香蘭」を生きて (私の履歴書) 「李香蘭」を生きて (私の履歴書)
山口 淑子
日本経済新聞社

甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫) 甘粕正彦 乱心の曠野 (新潮文庫)
佐野 眞一
新潮社




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2015/12/29 | TrackBack(0) | 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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