”‐『言論マトリックス』におぼれる自称「民主家・人権屋」たち(欧米の報道管制に対する考察)‐” | midori itouの尹浩睦研究所

”‐『言論マトリックス』におぼれる自称「民主家・人権屋」たち(欧米の報道管制に対する考察)‐”

テーマ:ぷーくん

この国に生きる者として、こういう言説を見ると情けなくなってくる

 

中国への「見舞い国」

 

現地の医療陣や、政府関係者の方々ふくめ、問題に必死に対応している「中国へのお見舞い」が先だろうに、口を開けば、やれ人権だの政府の強権ガーと、ブツブツ念仏を唱えるありさまだ。そういう人たちに限って、参考資料もなしに、自分は「意識が高い」と思っており、誰よりも人権や民主主義について考えていると推測するが、フタを開ければ、大手マスコミから垂れ流される認識の「コピペ」だったりする。

 

とてもじゃないが、私はそういうことはできない。

 

中共が必死に対応してるか?お見舞いが先?お前は意識が高く人権や民主主義について考えているのか?

 

殊に「海外ニュース」においては、このガラパゴスな国に生きる無知でモノリンガルな自分にとって、様々な知見を提供してくださる、英語ブロガーの方々の存在は大きい。そういう識者らの記事を読んで、必死に考えてブログを書くことなど、当たり前の習慣だし、じゃなきゃ公に情報を発信する「資格」はないと考える

これらの文章を「すべて理解」するには、あらゆる知識や情報を必要とする。

 

じゃ、お前には資格がないな。

 

拙ブログでは、今までそれに関係する記事を書かせていただきましたが、この「複雑すぎる世界情勢」を叙述するに、数多くのスキル不足も否めない。

 

だからもうやめろよ。

 

ゆえに、どうしても難しい説明になってしまうし、「ある事柄」を文章にするときに、関係する「膨大な事柄」がセットになるのは避けられない(短くまとめたいのも山々ですが・・・)。

 

引用だらけだからだろ。それを取ったら何も残らないが。

 

‐手に余る「世界情勢」を知る態度-

 

私たち大多数の人間にとって、扱える言語が「ひとつしかない」から、その言語の認識がすべてとなり、文化や思考様式、考えられるありとあらゆる人間的営みを拘束されます。無論ニュースについても、常に「日本語の味付けが施されたモノ」しか接種することができず、BSで「海外ニュース」を見ようとも、ほんの一部の情報であり、それは放送者の采配に基づくもので、厳密な意味での世界情報とは言えません。

 

これは非常に不幸な出来事であり、どんなに頑張っても日本語のみで世界のすべてを知ることは、ほぼほぼ不可能に近いことなのです。

 

事態を打破するためには何が必要なのか、それは言うまでもなく「日本語以外」の他言語に通じること以外、手段はありません。

 

だから、お前には資格がない。

 

幸い、私たちの身近な英語が国際語であり、何とかそれをマスターしさえすれば、世界と繋がれるチャンスは往々にあるわけです。つまり、そうした世界とリンクできる言語を通じて、各国が発信するニュースを理解するツールを得て、そこではじめて、マイナー言語の支配から解かれて、体制から情報を「もらう立場」ではなく、より主体的に情報を偏りなく摂取することが可能となるわけです。

 

その詳細ついて、英語ブロガーのMchikoさんにわかりやすくまとめて頂いたので、ここに載せておきたいと思います。

 

まず英語の場合は、

 

①アメリカやヨーロッパの国の大メディアが報道している内容

 

②それらの国でのインディペンデント(独立系)メディアが細々と伝えている内容

 

③ロシアや中国が伝えている内容(RT紙やグローバルタイムズなど)

 

この①~③までのすべての情報を、ほぼキャッチすることが可能となります。

 

特にMichikoさんが特筆されていたことは、で、どれだけ違う内容の報道がなされているかを知るということに驚きがあるわけで、そこに放り込まれたら、頼れるのは「自分」しかいなくなります

 

つまり、情報を受動的に考えるのではなく、己の思考を駆使して、今ある知識や認識を総動員して、哲学的にいうなら「自らの足で立って」物事に取り組まなくてはなりません。

 

何が事実に近いのか、一方の認識に偏ることなく「主体的」な状況に自らを追い込むことよって、日本における右左にありがちな「量産タイプの思考」から脱却することが可能とします。

 

正直なところ、私もこれが出来ていないので、あまり大きなことが言えないのが現実ですが、少なくとも、こうした目標に向かって、努力する必要があります。

 

そんなことを何年も言ってないか?