”‐この国にいると無自覚にバカになっていく‐”
テーマ:ぷーくん
残念ながら、今の日本人を眺めていると、そのような評価が適当だと思われる。
もちろん、私自身のブログも完璧ではない。
だれが完璧だと言っているんだ?
しかし、昨年の浦和駅におけるれいわ・山本太郎代表のお言葉借りれば(1時間5分35秒)「私自身の表現がつたなくて伝わらないことがあっても、みんなが聴こうという姿勢を持たなければ、何も理解できない」と感じます。
お前は全否定か全肯定しかできないのか?
話のベクトルがまったく変わりますが、在日コリアンの友人が制作するイラストについてお話をさせていただきたいと思います。
落書きのことか?
もし彼が、今まで「模写」や尊敬する作品の「読書」を通じてなければ、今よりも「もっと酷い状況」にあって、とても皆さまにお見せする画に到達できていなかったことがあります。
今もお見せする画に到達できていない。
ひとつ一つの絵を描くときも、キャラの表情や、人工物・自然物のパーツ含め、「少しでも良いもの」を取り入れるために、実写や他作家のイラストから「素材」を抽出し、それを自分なりにリビルド(再構築)して、より良い作品に仕上げていく。
仕上がってない。
あるいは、好きな音楽を聴いて、インスピレーションを高めることも該当するでしょう。
つまり、世の中にある『事物(客観)』を無数に吸収して、ある種の作品づくりの「栄養」に変えることによって、自分の頭にある錆びついた陳腐な妄想よりも、「はるかに良いもの」が生まれることに、また「そのための行動」こそが、何よりも重要なのだと私は感じる。
おまえには出来てないな。
無論、これは絵に限った話ではなく、「世の中のあらゆる物事」に通じます。
ある商品販売のマーケティングを展開するときに、季節ごとの「天気」や「気温」を用いて、統計データを作り、その時の消費者行動の予測を立て、今の時期だと、早朝と夕暮れに気温が下がるから、お店で中華まんを多く展開するだとか、つまり、気象庁やテレビが出した「天気」だとか「気温」が、『素材』となり、それらを目的に沿って再構築することで、売ることに繋げている。
はたまた学術分野にしても、古今東西の知見や技術などの『理論』を限りなく吸収した人が、研究を通じたある段階で「飛躍」を遂げ、新理論の構築や発明をして、それもまた『理論』となり、時代が降るごとに素材も充実してくるから、私たちの暮らす文明もさらに発展していくのです。
そうやって、人類全体が、先人たちが長い時間をかけて蓄えてきた「膨大なアーカイブス」を引用して、新たな作品づくりやビジネス、研究に繋げて社会を動かしてます。
とりわけ、Michikoさんの場合は『海外ニュースや人々との交流』が挙げられるでしょう。
これはとても重要なことで、私を含めた多くのモノリンガルがいる日本において、ましてや米国の多大な影響力の中で、大手マスコミや御用論壇にしろ、数々のシガラミがある「偏った情報」しか解読できない環境下で、能動的に世界中の情報や、生の外国人たちの「認識」を捉えることによって、ある種の『究極の客観』を手に入れ、より確からしい「世界認識の描写」に繋げる素材として、私たちには霧ががった目先が、驚くほどクリアな風景として、はるか彼方の地平線まで見渡せる「鳥の目」を得ることになる。
お前の結論のどこが客観的だ?