第217話 緊急の報告
六月三十日のことだった。
俺が王城の執務室で事務作業をこなしていると、秘書の女性がドアをノックし、
「ソイム・ハオ様がお越しになっておりますが」
と言った。
その時点で、かなり嫌な予感がした。
ソイムはずっと北のほうにいるはずだからだ。
「通してくれ」
俺がそう言って筆を置くと、軍服姿のソイムが秘書に通されて現れた。
戦塵にまみれており、戦場から直に来たというようないでたちだ。
「頭領殿、ご報告を」
畏まって、びしっと立礼している。
きっちり軍務に服しているとこうなるのだろう。
ソイムが、例の選り抜きの騎兵と合流し、出発してからまだ八日しか経っていない。
通常であれば、俺が言った任務に服している最中のはずで、ここに来る理由はない。
ここに来たということは、何ごとか不慮の事態が起きたということだ。
「話せ」
「バーべトス・ノレー率いる隊は、攻撃によって部隊の四割を損耗。バーベトス・ノレー自身も戦死し、部隊は撤退している状況にございます」
「なにがあった」
バーべトス・ノレーというのは、ホウ家の優秀な陣爵で、千人の隊を率い、ソイムの小隊と連携してチャンスがあれば大規模な伏撃をすることになっていた。
敵大軍団の頭をぺったりと抑えてプレッシャーを与えつつ、のらりくらりと戦わないというのは、なかなかに難しい仕事だ。
「敵は、我が隊が三度斥候を潰しても、まったく足が衰えるところがございませんでした。まるで待ち伏せを恐れておらぬ様子でしたので、早速バーベトス殿と協働し、伏撃をいたすことにしました」
早速やったのか。
バーベトスには、敵が伏撃を警戒しないようであれば、一発かましてやれと言っておいた。
軍歴と実際に会った感想を重ね合わせれば、決して無能とは思えなかったし、功に焦って無駄な突撃をするようなタチには思えなかった。
彼とソイムが協議して伏撃を決めたのだから、それは正しい判断だったのだろう。
敵は垂涎の脇腹を晒していたので、噛みつかないではいられなかった、という感じだったのだろうか。
「一度目の伏撃は完璧に成功したと言ってよいでしょう。二度目の伏撃も、悪いものではございませんでした。ですが、残念ながらバーべトス殿は戦死してしまいました」
「むぅ……」
伏撃は完全に成功したのに、四割損耗して指揮官が死んだのか。
「二度目の伏撃は、なぜ行ったんだ」
「一度目の伏撃が成功し、敵先鋒を壊乱状態に陥らせてもなお、進軍の足が止まらなかったからです。バーベトス殿は絶好の機会を見逃すまいとし、二度目の伏撃を決行しましたが、一度目と比べると少々強兵でしたので……報告によりますと、相手にも
「その口ぶりだと、どちらも成功はしたんだろ?」
待ち伏せての攻撃が成功したのなら、相手が鉄砲を持ってるとかの要素は関係なくなる。
つまり装備の優劣はなくなり、白刃を煌めかせての戦いとなる。
バーベトス・ノレーの軍は精鋭と言っても良いくらいの練度なので、悪い戦いをしたはずはない。
敵をめちゃくちゃ斃したが、こちらも損害を負ったということだろうか。
「敵の損害は」
「損害比でいえば、こちらの三倍から四倍の敵は斃したはずです。大戦果と言ってよろしいでしょう。ですが――」
俺は手でソイムの言を遮った。
「わかっている。千名程度では足らなかったわけだな」
「……その通りでございます」
「俺の読み違えだな。あいつには、すまないことをした」
三千とか四千預けといたほうが正解だったわけだ。
そのような伏撃のチャンスはそうそうあるまい、と思い、千名でも少し多いくらいと思っていた。
まさか、作戦に従事して数日のうちに、一度ならず二度までも攻撃することになるとはな。
「つまりは、十字軍の全軍意思としては、伏撃の危険を排することなどお構いなしに迅速な行軍をおこなっているということだな」
「はい。連中は拙速を尊んでおるようにございます」
なるほど。
連中も馬鹿じゃないわけだ。
ダラダラと行軍していたら、王都に来るまでの間に力尽きてしまうことを理解したのだろう。
あそこまでの大所帯で、そういった果断な行動を取れるのは凄い。
連合軍ということで結束を侮っていたが、エピタフ・パラッツォというやつは、それなりに掌握できているらしいな。
敵もなかなかやる。
「――バーベトス・ノレーの残兵は、何者かが統括できているのか」
「ハッ! 息子が掌握しております」
「では、コツラハに入らせる」
俺がそう言うと、ソイムの顔色が若干変わった。
コツラハに入らせるということは、玉砕を意味している。
「それは……」
やはり、渋っているようだ。
「安心しろ。報告を聞く限り、状況は変わった。恐らく十字軍はコツラハを攻めんよ」
「はっ――? というと……」
「コツラハの市門に幾らかの兵を張り付けて、軍主力は素通りするだろう」
相手がなりふり構わない迅速な解決を挑んできたというのは、厄介だ。
敵は空っぽになったミタルを見ているのだから、まず素通りするだろうが、攻略することにして、数日そこで過ごしてくれたらそれはそれで御の字だ。
「敵は偵察騎兵を出すのをやめているのか?」
「いえ、やめてはおりません」
「では、騎兵をもう百騎送る。合流して任務を続行しろ」
「ハッ! 了解いたしました」
「バーベトスの代わりになる軍は手配する。だが、コツラハ以南での合流となるだろう」
ミタルは既に失陥している。
ルベ家の連中は、来る戦いに備えて大型の弩弓、バリスタを製造し、城壁の上に据え付けていた。
苦労して用意したものなので、それを使いたかったのだろうが、やはり守備兵の数が大したことがないので、昼夜徹しての攻撃には敵わず、一週間足らずで陥落してしまった。
城壁の一部を予め用意していた火薬で破壊し、厳重に包囲されていた城門ではなく壊れた城壁を乗り越え、夜間襲撃した騎兵と協働して脱出したらしい。
俺はさらさらと命令書をしたためると、ソイムに渡した。
「百騎は今日出発させる。お前の所に到着するまで、四日くらいはかかるか。合流地点はどこがいい」
俺がそう言うと、ソイムは壁に寄り、壁にかけてある地図を見た。
「オルトニーがよかろうかと存じます」
「分かった。では四日後オルトニーで合流し、指揮下に編入しろ。他に報告は?」
「ありませぬ」
ソイムは、青年将校のように、体をうずうずさせている。
戦場に帰りたくて仕方がないといった感じだ。
「バーベトスの息子にはくれぐれもよろしく頼む」
俺はそう言いながら、命令書に軍令を書き、印章を押した。
ソイムに渡す。
「では、行け」
俺がそう言うと、ソイムは「ハッ! 失礼します!」と敬礼をし、部屋から出ていった。
俺の方も、新しく仕事が出来てしまった。
*****
ルベ家軍は、王都近郊、とある小さな都市に滞在している。
住民の多くが一時避難した都市だったが、万に達する軍団は家には入り切らず、外に天幕を張って駐留している。
俺は白暮に乗ってその街に赴くと、代官の屋敷に翼を降ろした。
「ユーリ閣下! ようこそいらっしゃいました」
ルベ家の兵が出迎えてくる。
やはり家ごとの特色なのか、ホウ家より肩肘が張っている感じがする。
「キエン・ルベ殿に会いたい。いるか?」
「ハッ! 只今確認をとって参ります!」
応対した兵はすぐさま駆け出し、屋敷の中に入っていった。
だが、その必要もないようだ。
屋敷の二階の窓が開き、キエンがこいこいと手招きをしている。
俺は屋敷のほうに歩き出す。
玄関を越え、二階に上がったところで、報告を受けて俺を案内するため帰ってきた兵と会った。
「えっ!?」
「いいよ、案内してくれ」
「は、はい」
戸惑いながらも踵を返した兵に、七歩くらい歩いて、部屋まで案内された。
「ユ、ユーリ閣下がお越しです」
「入れ」
ドアを開けて貰って、部屋に入った。
「失礼する」
「ユーリ殿、いかが致した」
後ろで、「失礼します」という声とともに、ドアが締まる。
「少し長い話になる。座らせてもらって構わんか」
「ああ、もちろん」
俺は応対用のソファに腰を降ろした。
元々は、魔女の一族が代官として暮らしていた家なのだろう。
魔女の連中は、王都にいることにこだわり、領地を任されることにはあまり興味を示さなかったので、こういった土地は領地運営を任された代官が支配していた。
場合によっては近衛の高官に領地として与えられていることもある。
部屋のインテリアがどこか魔女っぽい。
「ソイム・ハオという男を知っているか?」
「ああ、
何度聞いてもサブイボの立つ通り名だ
考えたのは第二軍の奴ららしいが、頭がおかしいだろ。
当人がちょっと気に入ってるっぽいのが更にやばい。
「そのソイムに騎兵をいくらか任せて、送り出したんだ。それがさっき報告を持って帰ってきた。内容は――」
と、俺はかいつまんでソイムの報告した内容を伝えた。
「ほう……敵はそんなに急いでいるのか」
キエンの目が、睨むように細くなる。
「まったく足が衰えないようだと困る。もう少し時間がほしい。まあ、敵も苦しんでの強行軍なのだろうがな」
「なるほど。奴らにとっては千人程度の伏撃で五千ほど兵を失っても、大したことではないわけだ」
大したことはないってわけではないのだろうが、茨の道だろうが突貫しなければいけないという決断をしたのだろう。
こちらの策が効いている証左だが、判断が早い。
恐らくはミタルで数日拘束されているうちに、何か重大な意思決定があったのだろう。
「伏撃は、森林中に伏せって行うことになる。雑兵をかき集めた軍では行えない質の作戦だ。王都近郊で、それがこなせるのは貴殿の軍くらいしかいない」
ホウ家でやってもよいのだが、それをこなせる精鋭の大部隊となると、そいつらはホウ家領のほうにいるので、王都に来るまで時間がかかってしまう。
今日の今日で出発できるのはキエンの軍だけだ。
「うけたまわろう。それで、どれくらい軍を出せばよい?」
「役目に耐える軍は全てだ」
奇襲攻撃が必ず成功するとなれば、それは野戦で使うよりも余程良い交換になる。
交換する量は多ければ多いほど良い。
「そうすると、およそ五千ほどになる」
「五千か……」
けっこう少ない。
「少ないなら、もう少し増やせはするが……」
キエンは渋い顔をしている。
「何か問題があるのか?」
「ホット橋で戦った分、三千なのだ。彼らは一昨日ここに到着したばかりでな。行軍続きで戻ってきて、また同じ道を引き返すのでは、士気は落ちよう。疲労も抜けておらぬし、あまり良い戦いは期待できない」
「そういうことか。それなら、出すのは五千でいい」
ここで静養して、会戦で使ったほうが良いだろう。
「それとな、ミタルから撤退している軍がいるだろう」
「いるな。歩兵が千六百と、騎兵が五百いる。だが、それらは――」
「分かっている」
今、コツラハ以北にいる軍は、ミタルからの撤退部隊、ソイムの率いている独立騎兵部隊、そしてバーベトス・ノレーの残兵しかいない。
コツラハは、最小限の決死隊を例の重厚な市門で防備させるだけで、明け渡すつもりだったので、三百名の兵しか入っていない。
「コツラハに入れてほしい。籠城用の食料と矢、弾薬のたぐいは、なんとか手配しよう」
「コツラハに……?」
キエンはまたしても訝しんだ目をしている。
「もちろん、騎兵はシビャクに戻せ。籠城するのは歩兵だけだ」
「彼らはそれほど戦えない。コツラハに入れば玉砕することになる」
キエンは難しい顔をしていた。
反対なのだろう。
「連中は急いでいる。短期間のうちに黙って二度伏撃を食らうほどにな。恐らく、決戦地がシビャクであることは薄々感じているだろう」
「……まあ、そうかも知れぬな」
「コツラハにそれなりの兵がいたら、奴らは戦おうとするだろうか。包囲の準備には、ミタル同様二日くらいはかかる。攻城兵器などは持ってきてさえいないかもしれない。そうするくらいなら、一万ほど兵を置いて門を閉ざさせ、背後の憂いをなくし、軍主力は先行するだろう」
俺でも、コツラハを一目見た時は、電撃的に一日にして落としてやるとは思わなかった。
あの市門にはそれほどの存在感がある。
コツラハの城壁には欠陥があるが、城門を破られたとしても、コツラハには市門の両脇に塔がある。
あれは独立して籠もることができるし、やはり一日二日で攻略できるものとは思えない。
「バーベトス・ノレーの残兵もコツラハに入れる。それで二千と五百人……悪くはないだろう」
「しかし、ミタルは包囲攻略された。なぜコツラハではそれをしないと言い切れる」
「言い切れはしないさ」
包囲するかもしれない。
ただ、じっくり腰を据えて包囲してくれるなら、しめたものだ。
いや、やはり、それはありえないだろう。
そのように時間をかけたくないからこそ、連中は進軍を急いでいるのだから。
「俺の勘だ。ただ、必ず当たるだろう」
そういった複雑な判断をなぜしたのか、他人に理解してもらうのは骨の折れることだった。
それがなくとも行動して貰えるのなら、結果で示したほうが易い。
「やれやれ……まあ、ユーリ殿がそこまで言うのなら、従おう」
「助かる。こちらもホウ家領より呼び出し、王都の北のあたりでもう一度伏撃をかけよう」
「了解した。しかし、敵が急ぐとなると、ノザ家領のほうは大丈夫なのか」
大丈夫なのか、というのは、王都近傍への招集が間に合うのか、ということだろう。
距離的には、ノザ家領が一番遠い。
「抜かりない。とっくに通達を出し、既に移動を始めている。連中が幾ら急いでも、一週間前には結集できている」
「それならばよい――っさて」
キエンは、膝をパンと叩き、椅子から立ち上がった。
「早速、兵を集めるとするか」
「頼んだ」
俺も立ち上がった。
今日中にカラクモへ行き、ディミトリに相談して、精鋭部隊の手配をしなければならない。
大忙しだ。