昭和30年代のことです。「僕が常盤家(ときわや)でチーフをやってたときに、当時まだ青年代議士だった山中貞則さんが、60人くらいのお客様を連れてきて河豚を注文されたんですよ。そしてさらにおかわりって注文されて・・・」河豚60人分の仕事はちょっとやそっとではありません。さてどうしたものかと考えた末に、この「肝ぽん」が生まれました。
「白菜の芯の柔らかいところをぶつ切りにして、身皮とかとうとうみとか、河豚をぶつ切りにして、あさつき、ポン酢おろしで和えて。それで、それでだけじゃあれなんで、その時ちょうど鮟肝があったんでそれを刻んで出したんですよ。当時は和に生野菜って珍しかった。」
1993年10月。初めて「料理の鉄人」に出場した時、フォアグラ対決でこの料理をアレンジした「フォアグラの肝ぽん」を披露して勝利しています。対戦相手は服部幸應氏。フォアグラに良く似た日本の食材は何かと考え鮟肝を使ったのですが、逆にこのとき日本料理に縛られていてはだめだと強く感じたそうです。そういう意味では確かに料理の鉄人は道場流の転換期だったのかも知れません。
でも昔から、それも少年の頃から今も尚変わらない道場流もあります。この常盤家の伝説が伝える、逆境に立ち向かう強さや想像力、機転、それから闘争心の源は?それは「商売魂」なんじゃないかなと、それもセンスの良い。お客様に満足していただく料理を出すという「道場流ビジネス」に私たちは圧倒されている気がします。そういえば、子供の頃からリンゴを仕入れてきて売ったり、かつては店のコーナーにエレクトーンを置いて客が歌えるようにしたりと、いろんなユニークなエピソードが線のように、、、やっぱり繋がりますね。