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徹子の部屋 松下洸平[字]…の番組内容解析まとめ
2021/03/25 18:32

出典:EPGの番組情報


徹子の部屋 松下洸平[字]

~朝ドラで大ブレイク!画家の母の影響で…~松下洸平さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
朝ドラ『スカーレット』で大ブレイクし“八郎沼”なる社会現象を巻き起こした松下洸平さんがゲスト。
◇番組内容
21歳の時、歌手としてデビューした松下さん。画家である母の影響で、自身も美術の高校に進学。周囲も美術の道に進むものとばかり思っていたが、突然歌手を志し、母を驚かせた。そんな松下さんに今日は母から手紙が…。あらためて当時の母の想いを知り感極まる姿も…。ボディビルダーをしていたという母は超アグレッシブ!筋トレの相談にも乗ってくれると語る。また、突然海外へ一人旅に出て、松下さんを驚かせているというが…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/


ジャンル :
バラエティ - トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 - インタビュー・討論
福祉 - 文字(字幕)


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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気のVOD(ビデオオンデマンド)サービスで、見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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朝ドラ 『スカーレット』で

大ブレークをなさって

社会現象を巻き起こした方が

今日のお客様です。

松下洸平さん。

どうぞ こちらへ おいでください。

俳優業だけでなく

シンガー・ソングライターとしても
ご活躍です。

さらに
絵やダンスもお得意だそうで

とにかく楽しみでございます。
よくいらしてくださいました。

よろしくお願い致します。
松下と申します。

どうも。 現在 30…。
34です。

34歳。
はい。

一昨年は読売演劇大賞で
杉村春子賞を受賞なさいました

実力派の俳優さんで
いらっしゃいます。

去年まで放送されていた
朝ドラ 『スカーレット』の

ヒロインの夫を演じて大ブレーク
という事だったんですけど。

あの役は どんな感じがしました?
僕はですね…

信楽が舞台の
作品だったんですけれども

大阪から荷物一つで
信楽にやって来て

陶芸家を目指す青年の役を
やらせて頂いたんです。

ちなみに 役の名前が
八郎っていうんだけど。

八郎沼っていう言葉が
生まれる現象って…

それは 強力にはまって
身動きができない

という事だそうですけど
そんな感じ?

大阪で7カ月ほど撮影を…。
あっ そんな…。

はい。
させて頂いたんですけれども

大阪の街を歩いてると
皆さん「八郎さん 八郎さん」って。

あっ そう。
僕の本名ではなくて

役名で
皆さん 呼んでくださるんですね。

それは初めての事?
初めてでしたね。

ねえ。 うれしかったでしょ?
うれしかったですね。

やっぱり 大阪で暮らしていると

八郎さんのイメージが とても…
やはり強かったみたいで

例えば 喫茶店に行って

コーヒーを注文した事が
あるんですけど。

僕はSサイズを
注文したんですけれども。

小さいのをね。
はい。

なぜかLサイズが出てきまして。

「僕 Sで大丈夫なんです」
って言ったら

「八郎さんやからL持っていき」
って言って頂いて。

すごく温かい環境の中で
撮影させて頂きました。

でも よかったですよね。
そういう役が…

ご自分でも気に入ってらっしゃる
役柄でしょうけど

それを皆さんがね
好きでいてくださった

っていう事がね。
すごくうれしいですね。

でも 朝ドラの
オーディションっていうのは

随分 何回も
挑戦なすったんですって?

はい。 僕は『スカーレット』が
4回目のオーディションで。

それまでは 本当に
一次審査で落ちてしまう事や

あとは書類審査で
落ちてしまう事もありました。

でも 朝ドラに合格なすった時は
ご家族も喜んだんですって?

はい。 実家に帰る度に 親から
「朝ドラには いつ出るんだ」と。

そうか。 その前からね。
はい。 せかされ せかされ。

念願だったので
すごく喜んでくれましたね。

そうですか。
でも 陶芸家の役だと

陶芸も少し勉強なさったの?
やりました。

僕自身
陶芸が大好きになってしまって。

あっ 本当に。
はい。

撮影中や撮影の合間なんかには

自分で こうやって
自分の器を作ったりとか

そういった事を
させて頂きましたね。

これ あなたが
お作りになったもの?

はい。 そうです。
あら 奇麗。

はい。
これが 僕が大阪にいた頃に

自分で
個人的に作っていた器でして。

これは実際 自宅に持って帰って

今でも この器で ご飯食べてます。

作って 使ってらっしゃるのね。
はい。

自宅で自分が作った器で
ご飯を食べると

なんて事ないご飯も
すごくおいしく感じるというか。

そりゃそうでしょうね。

でもね いい格好ね とってもね。
ありがとうございます。

でも 最初
あなたは俳優ではなくて

歌手デビューだったんですって?
歌手デビュー。

それは何歳の時?
僕が21歳の頃です。

へえー。
で なんか 絵を描きながら

歌ったりしてらしたんですって?
はい。

僕は小さい頃から

絵を描くのが
すごく好きだったんですね。

で デビューをする
ってなった時に

やっぱり 歌が歌えるだけでは
何か こう 物足りないというか

もう一つ 何か面白い事
できるんじゃないかという事で

絵が描けるんだったら
歌を歌いながら

絵も一緒に描いてしまえば
いいんじゃないかっていう

そういう発想が生まれたんです。
ええ。

それで 実際に
ペインティング・シンガー・ソングライターって…

ちょっと長い名前なんですけど。
すごいわね でもね。

それで デビューをしたんです。

なんか
デパートの屋上なんですかね?

どこだか ステージでも
歌ってらしたって。

歌いました。 ライブハウスで
ライブをやるとなると

僕 当時のライブのやり方として
絵の具を使ったり

スプレー缶で
絵を描いたりするので

なかなか
換気の行き届いた所でないと

ライブができなかったんですね。

なので 土曜日とか日曜日の
デパートの屋上だったりとか

小さな特設ステージみたいな所を
お借りして

そこで
ライブをやっていたんですね。

なんですけど
やっぱり 土曜日 日曜日は

ファミリーの方が すごく…。
子供… フフフフ…。

お子さんとかも
すごく多かったので

やっぱり 子供が見ると
お絵描きしてるお兄さんが

楽しそうに歌ってると。

なので 子供たちが僕のステージに
上がってきちゃうんですよね。

ぞろぞろ。

僕は一生懸命 絵描いたり
歌ったりしてるんですけど

僕の足元で 子供が
寝ちゃったりするんですね。

そう。 面白いわね。

そういう経験はありました。
あっ そうなの。 そうですか。

でも 現在でも俳優さんだけど
絵も歌手活動も

両立
させてらっしゃるんですってね。

やってます。

?~「逢いに行くよ 未来の僕」

?~「どこにいるんだろう」

?~「このストーリーの
主役は僕さ」

?~「誰にも譲れない」

?~「貴方の夢叶う頃 逢えたら」

?~「握手をしよう」

ありがとうございます。
いい声。

いやー うれしいです。
本当 いい声。

でも この時は
絵 描いてなかったのね。

ハハハハ…。 そうですね。
この時は歌だけで。

でも 本当に いい声。
ありがとうございます。

でも ミュージカルにも
挑戦なさったり…。

はい。 元々
俳優としてデビューするつもりは

なかったんです。
あっ そうなの。

ミュージシャンとして
なんとか成功させる事を夢見て

デビューしたんですけれども

やはり なかなか
うまくいかない時期が

長かったんですね。
ええ。

で 途方に暮れていた時に

ミュージカルの
オーディションの話が

僕のところに
舞い込んできたんです。

で 僕は俳優になるつもりは
なかったんですが

記念受験のような思いで
受けたところ 拾って頂いて

そこから ミュージカルの方に
何度か出させて頂いたんです。

それが こう
すごく楽しかったんです。

ミュージカルは
芝居も歌もありますもんね。

はい。 すごく楽しくて。

こんなに楽しい仕事が
まだあったのかと思って。

やらないうちから諦めかけてた…。
はい。

続けたいなと思って続けました。

でも あなたの若さで
朝ドラ ご出演まで

10年かかったんですって?
はい。 かかりました。

大変でしたね。
そうですね。

ただ この10年間の間に
すごく多くの経験をさせて頂いて。

僕は舞台というもので
お芝居というものを

10年間 みっちり
修業させて頂いたので

今思えば その10年間は
全く無駄ではなかったなと…。

絵を
お描きになるようになったのは

お母様の影響なんだけども
美術の高校をお出になった?

はい。 高校までは美術科の高校に
通わせて頂きました。

ふーん。

お母様の絵は どうですか?
あなた ご覧になって。

僕にとっては
本当に 物心ついた頃から

見てる作品なので
今 自分で絵を描いていても

あっ このタッチ
母親に似てるなとか思う事は

多々ありますね。
あっ そうなの。

これは?
これはですね

アクリル絵の具を使って

描いた
作品なんですけれども。

ある音楽に合わせて
その曲を聴いて

その曲のイメージで
そこにインスパイアされて

描いた作品なんですね。

これは僕の自画像ですね。
自画像。 フフフフ…。

やっぱり こう 細かいタッチで
描くのが好きなんですね。

あっ そうなんですか。

これは 僕が
今 連載させて頂いている…。

この あそこにいる猿みたいな…。
ハハハ…。

そうなんですか?
はい。 これも僕が描いて。

母親が細かい絵を描くんですよ。
あっ そうなの。

すごく写実的な作品が
多くてですね

そのDNAは
引き継いでる感じはしますね。

そうなの。
はい。

でも やっぱりね

どんな絵もそうかもしれないけど
描くものを よーく見てね

観察しなきゃならない
って事ではね…。

そうですね。 はい。

うちの母親は 僕が子供の頃から
ずっと絵を描いていて。

時々 そばで見てると
僕も描きたくなってしまって

母親の絵を手伝ったりとか
してたんですね。

ええー どういうとこ?
手伝うって。

細かい絵を描くんですけど

どうしても 僕も筆を持って
塗りたくなってしまって。

僕にとっては…
当時は5歳とか6歳の頃。

塗り絵感覚で。
可愛い。 塗り絵感覚。

母親としては
すごくハラハラしたと思いますね。

すごく細かい絵を
描いてるところに

5歳の筆が入るわけですから

ドキドキしたとは思うんですけど

それでも なんか 好奇心が
すごく旺盛な幼少期だったので

そんな僕に
率先して筆を持たせてくれた。

あっ そうなの。
それは よかったですよね。

すごくオープンな母親なので…。
あっ そう。

うれしかったでしょ 参加できて。

フフフフ…。
うれしかったですね。

ねえ。 それで まあ 高校…

そういう美術の高校
いらっしゃいまして。

それで卒業後は

今度 音楽の専門学校
いらしたの? あなた。

これは どういう事で?
これはですね

高校3年生の時に
いよいよ 進学を

真剣に考えなくてはいけない
タイミングで。

僕は美術の大学に進学すると…
僕も思っていたんですが

高校3年生の頃に

『天使にラブ・ソングを…』
っていう…。

あっ ウーピー・ゴールドバーグの。
はい。

あの映画が もう衝撃的すぎて。

僕 2の方だったんですけども。

高校生たちがゴスペルを歌う。

ねえ。
はい。

あれに感動してしまって

突然 歌が
歌いたくなってしまったんです。

フフフフ…。
で もう あの映画を見て

次の日には母親に頭を下げて

「美術の道をやめて歌手になる」と。

フフフフ…。

まあ 猛反対されたんですけど
最初は。

ああ そう。
はい。

でも 最終的には
やっぱり 母親も

自分のやりたい事を
仕事にしてきた人だったので

僕の思いを尊重してくれて
音楽の学校に進学する事を

許してくれたんですね。
でも 大変ですよね。

絵 描いて暮らしていくのも
大変だけど

歌 歌って
暮らしていくっていうのも

大変ですもんね。
もう 本当に

ひっくり返ってましたね。
そうでしょ。 ねえ。

お母様は
今でも 絵 描いてらっしゃる?

描いてますね。
そう。

なので 僕も 仕事柄

時々 画材屋さんに行ったりとか
する事があるんですけれども

画材屋さんに行くと
画材屋さんの匂いが

うちの実家の匂いなんですよ。
フフフフ…。 ちょっと油っぽい。

はい。 うちの母は
油絵を描くんですけど

なんか こう 画材屋さんに行くと
実家に帰ってきたみたいな。

なるほどね。

お母様とは よくお話しします?

はい。 しますね。
実家に帰ると それこそ

母親が今 描いてる絵を
見せてもらったりとか…。

僕が おこがましくも

ここの色は
もっと こうした方がいいとか。

「いや でも
私は こうしたいんだ」って。

「いや でも ここ もうちょっと
はっきり描いた方が…」。

ちょっと言い合いになったりとか
するぐらい

やっぱり
僕と母をつなぐものとして

絵を描くって事が

すごく大切なものに
なってる気がします。

ちょっとね お母様からのお手紙。
えっ?

これ 内緒で…。
うわー 本当ですか?

いやー
ちょっと それ 知らなかった。

いい? ちょっと
読ませて頂きますね。

いやー びっくり。 はい。
読みますよ。

ええー。

ありがとうございます。
いいお手紙。 お母様のお手紙。

あとで お渡しします。
どんな感じ?

いや ちょっと…。

この景色…
僕の母が書いた手紙を

徹子さんが読んでくださる
っていう この事に

今 ちょっと 胸がいっぱいで…。
フフフ… そう。

続けてよかったなと 今…。
あっ 仕事ね。

思いました。

いや ちょっと すごい…
すごい時間でした 今。

そう? 本当に? よかった でも。

お母様へは
何か お言葉あります?

やっぱり
手紙にもありましたけども…。

母は 自分のやりたい事を
仕事にしてきた母なんです。

その母が
自分の腕だけで子を育て

人生を謳歌してきた人なので

僕が そういう芸能の仕事に
行くってなった時に

より一層
不安だったと思いますし。

まあね。
はい。 ただ うちの母が

最終的に
僕に進学を許してくれた時に

「一つだけ
約束してほしい事がある」と。

それは
「嫌いになるまでやりなさい」と。

それの意味が この10年間の間に
何度も思い出されて。

当時 全く
意味がわからなかったんです。

そうですよね。
嫌いになるまでやりなさいってね。

好きな事を仕事にするって
幸せな事なはずだし

楽しい人生が待ってるとばかり
思っていたんですけども

続けていくと
うまくいかない事や

やめたくなる時もあって。

その時に それでも続けたいと
思えた仕事こそが

自分の天職なんだという事を
あとになって…。

だから 母の「嫌いになるまで
やりなさい」って言葉が

僕の 今 仕事 続けていく上での

とても大切なキーワードに
なってるんですね。

今 あなた 背が高くて
とてもお元気そうですけど

子供の時は なんか 食が細くて
弱々しい子だったんだって?

お母様 心配。
心配してましたね。

なので 僕に空手の道場に
通わせてくれたりとか。

あっ そうなの。
空手… あっ 本当だ。 可愛い。

空手は かなり やりましたか?

僕はですね 空手に行って

一生懸命 練習するというよりも
空手に行って

友達とワイワイする事の方が
楽しくなってしまって。

そういうのもありますよね。
はい。

でも 元気になったのね それで。

はい。 なんとか。
でも 私 びっくりしたんですけど

お母様 ボディービル
やってらっしゃるんですって?

ねえ。
はい。

すごくアグレッシブな母なので。
すごいわね

ボディービル おやりになるって。
はい。

で こういうふうに…
こういうふうにやって?

やってました。 バッキバキでした。
本当に。

でも あなた ご自分で

ここのとこ ちょっと
増やしたいとかっていう時

お母様に
「ここを増やしたいんだけど

どこを どうすればいいの?」とか
色々 お聞きになるんだって?

相談してましたね。

役柄的に体を大きくしたい時は
電話して

どういうトレーニングがいいか

母に聞いてましたね。
お母様 教えてくれる?

はい。
いいわね。

でも そういうお母様って
いいなと思うんだけど

ある日 突然 今 マサイ族と
一緒にいるからとかって

そういう連絡が
あったりするんですって?

アグレッシブな母なので
アフリカとか

そういう行った事のない土地に
すごく興味があるみたいで。

突然 「ちょっと来週から
アフリカに行ってくる」と。

「もちろん ちゃんと
しっかりワクチンも打ったから

心配しないでくれ」と。

で 本当に1人で行くんです。
1人で?

本当に1人で行くんですよ。
すごいね それは。

そうなんですよ。
もう 息子としては

本当に
不安でしかないんですけど。

で 一応ね 連絡とかは
取れるようにしてくれてるので

「大丈夫?」なんて連絡すると

「今 マサイ族と一緒だから」
って言って。

マサイ族との3ショットとか

僕に送ってきたりするんです。
あっ 本当。 すてきね。 フフフ…。

よかった 元気そうでとか
思いながら。

そうですか。
アグレッシブな…。

でも 4月には…
ちょっと話が変わるんですが

あなた 主演の舞台が
あるんですって?

はい。 『カメレオンズ・リップ』
という作品が 4月から…。

『カメレオンズ・リップ』?
はい。

2004年に初演した作品を…。
あっ そうなの。

新たなキャストで

もう一度
やらせて頂くという事で。

様々な人たちの嘘に翻弄されて

何が本当か
わからなくなっていくという

ちょっと不思議な
クライム・コメディ。

セリフいっぱい?
そうなんです。

でしょうね きっとね。
難しいんです

しかも そのセリフが。
あっ そうなの。

はい。 今 一生懸命 覚えてます。

あっ そうで…。 フフフフ…。
そうでしょうね。

でも まあ 若いからね。
頑張ります。

これから どんな事に挑戦したいと
思ってらっしゃいます?

僕は音楽も
やらせて頂いているので

たくさんの場所で 自分の事を
自由に表現できるのが

今の僕の目標ですね。

やっぱり こう
俳優としてでなくて

音楽家としても しっかりと
皆さんに認知して頂けるように

頑張りたいです。
なるほどね。

今度の『カメレオン』は歌わない?
歌わないです。

じゃあ 本当の芝居だけ?
お芝居だけです。

でも できれば 歌っていきたい?
そうですね。

音楽も… 歌い続けたいです。
なるほどね。

どうも
今日 ありがとうございました。

ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

カテゴリ:徹子の部屋

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