2018年12月号より
ビットバレー再始動!
2018年9月10日、東京都渋谷区内で「テックカンファレンス BIT VALLEY 2018」が開かれた。
主に、エンジニアを目指す全国の学生や、既にその職にある若手、そしてIT分野での起業希望者などに対して、 業界の可能性や渋谷で働く有意性などがレクチャーされた。
イベント中のトークセッションでは、長谷部健・渋谷区長をはじめ、GMOインターネットの熊谷正寿、ディー・エヌ・エーの南場智子、サイバーエージェントの藤田晋の各代表のほか、ミクシィの村瀬龍馬執行役員が登壇渋谷区に本社を構え、「顔」ともいうべき会社の首脳からは、“渋谷で事業展開したからこそここまで成長できた”という渋谷愛が語られた。
渋谷が再びベンチャー企業の街、IT産業の集積地になってきた。
かつては「渋谷センター街」(現・バスケットボールストリート)に若者が集い、街中にある飲食店では夜な夜なサラリーマンが酒をあおる。どちらかといえば「遊ぶ街」のイメージだった渋谷。そこにITのベンチャー企業が集まり、「ビットバレー」と言われ始めたのは1990年代後半。
その誕生について、GMOの熊谷氏は次のように語る。
「『ビットバレー』は、97年か98年頃に、東急Bunkamuraの裏手(松濤)に本社を構えていたネットエイジ(現・ユナイテッド)の西川潔氏が『ビター・バレー』(渋谷)をもじって名付け、ITベンチャーの象徴になりました。これらの企業を集めた第1回目の会合を私たちの会社の会議室で開催。まさに、ビットバレーが産声をあげる瞬間に居合わせることができて幸せでした」
渋谷がITベンチャーの街として発展できた理由。それは一言「街の持つ多様性」と経営者は口々に言う。渋谷センター街や「SHIBUYA109」は若者文化やファッションの発信地として機能してきた。一方で、松濤、南平台、鶯谷町などは、高級住宅地として年配者や富裕層からも注目される。様々な属性の人が集って作り上げているからこそ、それを受け入れる器が大きくなり、街としての多様性が増していく。
「ビットバレー自体は現在までずっと続いている認識」(熊谷氏)だったが、ここにきて関連するプロジェクトが再び活発になってきたのは、企業を受け入れるインフラの整備が急ピッチで進んだからだ。
東京急行電鉄などが主体となり「渋谷ヒカリエ」(2012年開業)をはじめ、「渋谷キャスト」(17年開業)、「渋谷ストリーム」(18年9月開業)など、大規模なオフィスビル兼商業施設を整備した。今後も「渋谷スクランブルスクエア」(東棟が19年度に竣工予定)、東急不動産による「道玄坂一丁目駅前地区」(19年秋竣工予定)などが続々完成する、一連の再開発で、東京ドーム6個分に相当する、約27.2万平方メートル(約8.2万坪)のオフィス総賃貸面積が供給される見込みだ。宇田川町では、住友不動産が通称「アベマタワーズ」を建設中だ。
オフィス増床で、例えば米グーグルの日本法人は、「セルリアンタワー」で日本におけるビジネスをスタートしたが、事業の拡大やそれに伴う人員増によって手狭に。そのため「六本木ヒルズ」(港区)に移転していたが、このほど渋谷ストリームへ戻ってくる。
さらに、同じく事業拡大で現在の事業所では狭くなった企業が新築の大規模ビルへ移り、空いた既存物件が“出世ビル”などと呼ばれ、成長段階に入ったベンチャーに人気が出るといった動きも出ている。
一方で、生まれたばかりのベンチャーを支えるシェアオフィスの集積も進んでおり、17年6月の段階では70カ所以上に達する。多様性が高い渋谷で起業をすれば、様々な人から刺激を受け、ビジネスの良い肥やしとなっていくことだろう。
渋谷区役所も建て替えを進めていて、19年1月から順次新庁舎に移る。
「区役所も新庁舎建設に合わせてITインフラを充実させます。私たちも『ビットバレー』の一員に加えてもらえるよう、頑張りたい。ビットバレーからは区としても大きなパワーをもらっており、できる限り支援していきたいと考えています」
渋谷区の長谷部区長はこう語った。行政としてもビットバレーを支援する一方、新庁舎によってITを駆使した効率的かつ斬新な行政運営を期待してもいいだろう。
絶えず進化し、東京23区の中でも話題性の高い渋谷について、次ページより検証してみたい。
※データ類は原則2018年9月30日現在