• #ニコニコから10本動画を選べ

    2013-05-18 01:21





    あえて音MADは避けて、できるだけまんべんなく選んでみました。
    有名な動画ばっかりです。
    ニコニコで作られた動画でも、親作品になる動画(しもさんの組曲など)ではなく、派生作品を選んでいるものがあります。良い作品に人が集まって皆で盛り上げようとすることがニコニコらしさだと思うことと、そうしたいろいろな人からの愛情を注がれてより完成された姿になった動画を見るとより幸せを感じられるからです。
    親作品の作者さんと派生作品の作者さんの貢献度を考えたら、親作品の方が素晴らしいに決まっているのですが、選んだのは派生作品ということになっています。

    番外。
    「1本」にカウントできたら入ったかもしれない続き物動画。

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  • 「MADテープ」から「音MAD」までの道のり(その2)

    2013-03-31 23:36
     それでは、「MAD」史の先にどのようにして「音MAD」が現れたのかに迫っていきましょう。
     ここからの話は、専ら私の個人的な推論になります。先人たちに積み重ねられた歴史の話とは異なり、確かと言える点は少ししかありません。全く別の「音MAD」誕生のシナリオがこれから明らかになるということも十分あるわけです。


    ・音MADのルーツとは?

     現在のようなタイプの音MAD(長くなるので定義については書きません)のルーツとして、私はこのFlash作品を挙げたいと思います。

     私がこの作品に注目するのは、それ以前には(例外的な小ネタを除けば)、このような現在と同じ「既存の曲に素材の音を重ねてリズムに乗せる」タイプのMADは知られておらず、それ以降の流れには確実に影響しているからです。
     この作品は、2004年2月、最初のオンドゥルブームの中でFlashとして制作され、人気になりました。ブームの中で、「日本ブレイク工業」など他の曲とも合わせられたようです。

     しかし、重要なのは、これをきっかけに、「巫女みこFlashシリーズ」として、いろいろなネタ音声を素材として同じような創作物が作られるようになったことです(音MAD形式のものは少数派で、以前からあるネタ画像Flashが主流)。その中には、接点t28:20-や、又吉イエスや、遊戯王(ニコニコ以前に作られた音声が、β時代に動画化)がありました。
     ニコニコの音MADの歴史が「盗んでいきましたシリーズ」から始まった、というのは一つの重要な見方ですが、その時期には既に「曲に素材を乗せる」タイプの創作物は数多く存在していたました。そうした背景があったから、マッシュアップや手描きMADから音MADへと「盗んでいきましたシリーズ」の流行は自然に移りかわっていったと考えられるのです。
     また、音MADは「盗んでいきましたシリーズ」だけで終わらず、これ以降さまざまな流行ジャンルが互いに結びついて一つの「音MAD」という呼称が認知され確立していくのですが、β、γの時期に同時多発的に「遊戯王」や「谷口」の流行もあったという背景は重要だと思います。遊戯王MADの起爆剤の一つに「巫女みこターン」がありましたが、それは2004年に始まる巫女みこMADの流れを受け継いでいるのです。

    ・音MADは、どうして「MAD」なのか
     さて、ここで疑問が出てきます。
     「巫女みこFlashシリーズ」が流行した2chでは、「MAD」という呼び方をされることはほとんどありませんでした。それは、あくまで、「面白Flash」であり、「巫女みこ」でした。サンプリングミュージックやムネオハウス、DJなどに影響を受けたと思われるナードコア系の曲も流行しました(例えばショウヘイヘーイなど)が、それらは、「電波曲」「リミックス」などと呼ばれました(巫女みこも時として一緒にされました)。
     当時、「MAD」と言えば、まず映像編集を行っているもののことで、「静止画MAD」であったり、「アニメOPパロ」であったり、アニメの会話場面などを切り貼りする「ネタ系MAD」やストーリー仕立てのMADのことでした。しかも、主に帯域やPCパワーの制限のため、積極的に環境を整えて収集するマニア以外の手には届きにくいものだったのです。「MADテープ」も、既に知る人ぞ知る存在でした。「MAD」の単語は当時の音MADとはやや離れたところにありました。「盗んでいきましたシリーズ」の流行当時にも、それらの動画に「音MAD」や「MAD」のタグを見かけることは少なかったと思います。
     一方、Youtube板に音声MAD総合スレッドが立てられた時には、既にそれらは「MAD」の1ジャンルであるように語られています。ニコニコ大百科での位置づけも、「MAD」の1ジャンルとされています。音MADが「MAD」になったのは、一体どうしてなのでしょうか。

     一つの仮説として、音MADの流行が、ニコニコ動画で起こったから、という理由を見つけることができます。動画サイトであるから、人気を得るために投稿者は積極的に映像を作成し、特にアニメ系ではMAD動画としての形をまとうようになったという説明です。
     動画版「巫女みこターン」がニコニコで流行したことはその代表でしょう。「遊戯王」と「谷口」には、どちらも素材単位の「○○音系MAD」の古いタグが存在します。これらはどちらもアニメ素材であり、そのために、同じ流行ジャンルの中には、映像とネタを伴った「ネタ系MAD」がありました。「○○音系MAD」のタグは、音MADがその「遊戯王MAD」や「谷口」のジャンルタグの中で成長していった名残なのかも知れません。
     とすれば、今、「音MAD」という名前でこのジャンルが呼ばれているのは、ニコニコ動画アニメMADの形で流行ったから、ということが一つ大きな理由として挙げられそうです。


    ・音声MADとしての「MAD」性の継承
     今の「音MAD」の呼び名が、「ネタ系MAD」などの動画編集作品から来ているとすれば、「MADテープ」から生まれた「MAD」の言葉の、音声編集の要素はどこに行ったのでしょうか?

     一つ、2000年代当時の流行の中で、「音声MAD」として認知された有名な作品がありました。それは、MAD GEAR SOLIDです。2001年頃、Flashとして知られたものですが、音声編集がメインで、かつ「MAD」の名を冠して2chレベルで広まった数少ない動画でした。人気を獲得するに従って、繰り返しネタを追加するリメイクが制作され続け、またMADに使われた語録の面白さから、ネットで断片的なネタが繰り返し引用されたので、Flashの中でも小ジャンルに近い存在感を持って伝えられていったのです。


     実は、前述の「巫女みこオンドゥル」も、これ自体「MAD」として制作された経緯があります。↓は、当時制作の場になった、ガイドライン板のログのキャプチャです。

     ここには、まずスレに音声が「MADネタ」として投下され、第3者の手で映像を加えられてFlash化される流れが残されています。(音声→映像の流れと、連呼を左右切り返しで表す映像表現は、今の音MADにも通じますね。

     私は、先日、この音声を制作したという作者さんえむくろさんなんですがに当時のことを聞くことができました。要点だけをまとめると、
    ・「MAD」の言葉は、「ギャバソ」のような音声弄りのネタの呼び名として、「MADニュース」から流用した。
    ・曲に素材の音を重ねる発想のヒントは、テキストトゥスピーチ(今で言う「ゆっくりボイス」の原型)に歌を歌わせた、「くそみそナース」。
    ・制作に使ったソフトは、MusicCreatorで、タイムストレッチ機能を利用し、マッシュアップの要領で拍合わせをした。
    と、いうことでした。
     考えてみると、当時、今の音MADに繋がる要素が幾つも環境に存在していたことが浮かび上がってきます。
     音声MADの方法が「MADニュース」や「面白FLASH」を通じて広まっていたこと、曲に合わせて人工音声を今のVOCALOIDのように歌わせる試みもFLASHでされていたこと、言葉を素材として使うムネオハウスのような音楽が広まっていたこと、タイムストレッチや複数トラックの合成が容易なデジタル音声編集ソフトが使われ出していたこと、連呼パートに台詞を合わせることでMADに最適の巫女みこや弄り甲斐のあるネタ素材が流行ったこと、など、数えあげればきりがありません。むしろ、今のタイプの音MADは出現すべくして出現したものと言えるかも知れませんね。
     「その1」で分類したMADの出現時期は、1980年前後のアナログテープ編集による「MADテープ」や「MADニュース」、「MADビデオ」、1990年代のデジタル編集による「ノンリニアMAD」「静止画MAD」、ネットの時代の「FLASH」と大まかに分けられると思います。これらのMADは、必要な技術が普及したのとほぼ同時期に広まっているのですが、音MADの形式の場合、タイムストレッチ以外は原理的にアナログ編集でも可能なはずなのに、登場はFLASHよりも数年遅れて、流行はニコニコができてから、と考えると逆に不思議になってくるくらいですね。

     ともかく、「巫女みこオンドゥル」は、「Flash」として、また「オンドゥルブーム」として、ネットで広まって行きましたが、その陰には、音声を編集した「MAD」としてのコンセプトが知られないまま潜んでいたという訳です。

     
     ここまで来て、「MADテープ」に始まる「MAD」の流れが「音MAD」にどのように繋がるのか、一つの答えを見出すことができたように思います。
     「MADテープ」から、「MADビデオ」、「MAD動画」へと映像面の発展が流れの中心になるに従って、「MAD」の名は、映像面での編集を指す色彩が濃くなってゆきました。一方、「MADテープ」「MADニュース」の音声編集のジャンルは次第に知名度が低下し、Flashの時代、曲と素材による音MADの最初の時代には、少なくとも共通の呼び名としての「MAD」は一度失われました。その頃生まれた、巫女みこオンドゥルのような音MAD的手法の作品は、動画サイトの時代になって初めて動画の形を持った「ネタMAD」に再び出会い、映像表現やネタ性とともに「MAD」の名前を取り戻したのではないでしょうか
     「MADテープ」の時代から「MAD」の言葉は、一つの共通性を持つものを指す言葉として発展、成熟していきました。そのおかげで、「MAD」という呼び名のあるジャンルでは、その文化がどのように伝えられて来たのか、今、世代を超えて振り返ることができます。音MADがMADの流れの中だけで作られて来たものとするには問題もあるでしょうが、音MADの中の「MAD」の要素に関わる糸が、途切れないまま現在に伝わったことを私は祝いたいと思います。

  • 「MADテープ」から「音MAD」までの道のり(その1)

    2013-03-26 12:407
    音MADのルーツといえば、仲邑飛鳥さんの労作「音MADの歴史」シリーズがありますが、
    サンプリングミュージックと音MADの関係について書かれたowataxさんの記事を見て、
    私も一筆書いてみようと思いました。と、いうのも、私自身が、記事の中で言及されている「音MADにネタとしての面白さを求める」人間であるからです。
     そこで、今回のテーマは、「音MADの視点からのMAD史のまとめ」あるいは「ネタMADとしての音MADの系譜」です。サンプリングミュージックやナードコアに音MADの源流を求めていくと、影響は考えられても、ルーツと言えそうなものが多すぎ、結局よく分からなくなりがちです。その点、「MAD」の側は、「MAD」ということばで決定される、枠の中の動きが比較的明確に残されているのです。なので、ここで言うMAD史とは、「MAD」という呼び名、ことばの継承の歴史でもあります。

    ※なお、今回の内容は、既に私のマイリストにまとめたものと、MAD Wikiやニコニコ大百科などに記載されたものから関係する内容を抜き出したものになります。基本的に内容については伝聞、聞きかじりで、一般的に流布している言説になります。正確さについてはご容赦ください。
    ※ちなみに、上記のMAD Wikiは静止画MAD系のまとめサイトで、編集ソフトや作者サイト、権利関係まで細かな歴史の動きを網羅しているのですが、音系についての記載は、ほぼMADテープ・MADニュース・ムネオハウス(と70年代以前の実験的作品)くらいで、「音MAD」の文字は全くありません。代わりに嘉門達夫の替え歌が「初の商用MAD」として挙げられている点はとても興味深いと思います。



    ・MADのあゆみ(音MADの登場前)
     今回は、現在のような「MAD」がどのように発展していったのか、年代ごとにその流れを大まかにおさらいしてみたいと思います。

    MADテープ(1978年頃~)

    (1978~82年頃制作)            (1982年制作)
     最初に登場した「MAD」と呼ばれるものが、「忙しい人向けシリーズ」や「歌の後に○○シリーズ」と同様の前後組み換え式編集を主体とした「MADテープ」です。
     カセットデッキの普及により、70年代の時期から、個人レベルで同様の音声MADの制作は多数されていたそうです。その中で、カセットテープとしてまとめられた作品集がダビングで広い範囲に流布された(反響が大きかった)ために特に知名度が高く、「MAD」の語源となったのが、左の「NEW MAD TAPE」ということのようです。
     「NEW MAD TAPE」には、原型になる作品があったと言われます。「キチガイテープ」が「MAD TAPE」に変わり、それをもとに再編集された「NEW MAD TAPE」が今広く知られているものです。そのため成立の時期がはっきりしないのですが、1978年ころには「MAD TAPE」の呼び名はあったようです。
     なお、右の動画のものなど、1980年代には独立して同様の作品がいくつか作られていますが、制作時にはそれらは「MADテープ」と名づけられず、「MAD TAPE」の呼称は固有名詞的に使われた部分があったようです。

     これ以前に、既存の音源を編集して新しいものを作ろうとする試みは無数にあったとも言われますが、この時期の「MADテープ」の特徴はなんと言っても、その「ネタ性」にあったと私は思います。「NEW MAD TAPE」を通して聞いてみると、「天丼」、「不意打ち」、「言葉の意味の逆転」、「オチ」、「下ネタ」、「ホモネタ」、「組み合わせのミスマッチ」、「会話の捏造」、「わけのわからなさ(カオス)」、「連呼」、「絶叫」、「速度変更と声の変調」といったネタのバリエーションがありったけ詰め込まれているのが分かります。そればかりでなく、繰り返しになった定番のネタの先を視聴者が予測できるようになったところで、それをどう外すか、どのタイミングで出すかと言った、真剣勝負のコントにも通じるような高度な笑いの駆け引きまでも活用しているのがMADテープなのです。
     その面白さゆえに、MADテープはテープが擦り切れるまでダビングされて人づてに日本全国に広まり、「MAD」と呼ばれるものが、音声や映像を編集した2次創作物を表す共通の言語として語られるまでになったのではないでしょうか。その後の「MAD」は、長い期間「ネタ性」がジャンルの中心となって育っていきました。笑い」や「ネタ性」こそが、「MAD」というものの一つの本質と言うこともできるでしょう。

    MADニュース(1980年~)

    (1980年制作)            (2003年頃制作?)
     「MADニュース」は、1980年にタモリが番組内のコーナーで企画した、「NHKつぎはぎニュース」が最初と言われています。
     時期的に「MADテープ」も広くは知られておらず、当然ながら、公式には「MAD」とは呼ばれませんでした。後に「MADテープ」からの類推で「MAD」として扱われるようになったものと思われますが、その時期や経緯についてはよく分かっていません
     右側の動画は比較的最近のものですが、ムネオハウスなどを真似たのか、言葉でリズムを取るものも混じっています。

    MADビデオ(1986年~)

    (1986年制作)            (1989年制作?)
     ビデオテープが普及すると、「MADテープ」と同じ要領で「MADビデオ」が作られました。「MADテープ」同様のネタに動画がついたものの他、音声に違う映像を合わせるタイプのMADも流行しました。
     「NEW MAD TAPE」と同じ作者による「MAD VIDEO TAPE」もあったようですが、最古のものと言われる「えとけっとビデオ」は、当初「MADビデオ」とは題されませんでした。同じような作品が増えていくにつれ、「MADビデオ」の呼び名が広まったようです。

    デジタル編集MAD(1997年~)

    (1997年制作。はじおう作品)       (2006年頃制作)
     PCによるノンリニア編集が可能になると、「MADビデオ」の媒体は現在のような動画ファイルの「MAD」に移り変わっていきます。フレーム単位での自由な動画編集が可能になり、曲のリズムに合わせてぴったり動画を切り替えるような表現が可能になりました。映像編集技術の格段の向上に対して、音声の弄り方は昔とあまり変わらず、MADは緻密な映像編集に重きを置かれるようになってゆきました。
     ノンリニア編集MADのはしりとされるのが、1997年に登場した作者はじおう氏の手による作品群ですが、これらはネタも編集もとてもクオリティが高く、今見ても全く遜色がありません。現在の形式のMADはほぼこの時期に完成していたと言っても良いでしょう。
     はじおう氏の作品は「おたくのMADビデオ」と題されていましたが、動画ファイルでの制作や頒布が一般化するにしたがって、「MADビデオ」の呼び名は使われなくなっていったようです。
     既にインターネットの利用は始まっていましたが、ブロードバンド普及前の回線で扱うにはMAD動画ファイルは重すぎ、コミケ等での手渡しでの頒布や分割偽装DLなどが必要で、2chが開設された頃のネットでもアングラよりな存在でした。入手してもPCパワーによってはまともに再生できないということもあったと言われます。
     今、単に「MAD」とだけ呼ばれるのは、P2P等で拡散される際の短いタグ様の【MAD】の表記が関係しているのかも知れませんね。

    静止画MAD(1998年~)

    (1998年制作)            (2000年制作)
     ノンリニア編集の時代のMADの中でも、一世を風靡した感があるのが、葉鍵系の「静止画MAD」でした。これらは、エロゲ、ギャルゲの静止画CGを素材としながら、最先端の動画編集ソフトのエフェクトや3D表現を駆使して動画化したという点で、それまでの動画の切り貼りをメインにしたMADビデオとは一線を画していました。
     今なお伝説として語られるawarenessを見ると、動画を編集するのに元の素材が動画である必要はない、ということがはっきり分かりますね。(ちなみに、この作者は、現在エロゲーOPなどの制作を多数手がける、プロの動画編集者として活躍しているということです。)
     これらのMADに求められたのは、高度な動画編集技術であり、音声編集の要素はほとんど使われなくなったようです。また、他ジャンルのMADでも「熱血系」「シリアス系」のものが出現していましたが、静止画MADでは、大半がキャラクターの可愛さやシナリオの感動要素を強調するものであり、いわゆる「ネタMAD」は少数派になっていたことも、それまでのMADとは違っていました。
     静止画MAD界では、初期のうちから「MADビデオ」という呼び名は使われなくなったようで、代わりに「MAD movie」や単に「静止画MAD」という呼称が広がっていきました。

    AMV(1982年頃~)

     AMVは、海外、特にアメリカを中心に広がったMADのようなものとよく表現されますが、MADとは全く別の流れを持っています。
     史上初のAMVと言われるものは、1982年に登場しており、実に日本のMADビデオよりも4年も古いことになります。上に示したのは、特に「アニメーターAMV」として知られるようになったかなり新しいタイプです。最古級のものは見つからなかったのですが、90年代のまとめリストなどを見ると当時の雰囲気が分かるのではないでしょうか。
     日本のアニメの動画のバックに、(当たり前ですが)洋楽系の音楽を流し、アニメーションの美しさや作品のイメージを強調したタイプのAMVが多いようです。

    面白Flash(2000年頃~)

     ネットではなかなか入手が困難だったMAD動画に対し、当時の回線でも軽く、広い範囲で楽しまれたのが「面白Flash」です。いわゆるFlash黄金期として語りつくされているので、詳しくは触れませんが、初期の映像表現力の乏しかった時代には、音声の面白さを映像で説明する技法のものが人気を集めました。最初の流行と言われる「hatten」の構成も「空耳」に映像の説明を加えたものですし、技術的にもそれが最適の表現だったのでしょう。
     特に有名な「オラサイト」の作品には、MADテープ時代の音声編集や題材を継承して新しいFlashに仕立てたものが多数ありました。(NEW MAD TAPEの中に「ギャバソ」とよく似たギャバンOPの切り貼りMADを見つけることができるほどです。
    「Flash」という新しいキーワードを中心とした大流行だったので、「MAD」などという古くてマイナーな言葉が入り込む余地はありませんでしたが、音声MADの手法の面白さは、Flashを通じて多くのネットユーザーに知られることになったのです。

    ここまでに取り上げたのは、MADの中でも一時代を築いたような大勢力だけですが、2000年代の時点でも、最初の「MADテープ」から派生した様々なMADジャンルが併存していたのです。大まかに分けるなら、次のようになるでしょう。
    ・最初期の音声編集の形式をマイナーなコミュニティの中で愚直に伝え続ける「MADテープ」や「MADニュース」。
    ・「MADビデオ」のネタ性を継承し、シンクロした映像表現に磨きをかける「ネタ系MAD」や「アニメMAD」。
    ・最新の映像編集技術を駆使し、美しい動画表現を追及する「静止画MAD」。
    ・「MADテープ」系の音声編集や空耳をネタとして一角に取り込み、ネット世代に共有されるシンプルで新しい動画表現を模索した「面白FLASH」。
    続編では、このような「MAD」の流れがどのように「音MAD」に繋がっていくのかを書いてゆきたいと思います。