• MADビデオの上映会で音MADをリアル上映した話

    2019-12-31 20:12

    だいぶ当日から遅くなってしまいましたが、今年の11月に某MADビデオ関係の上映イベントが名古屋近郊某所でありまして、そこに音MAD作者8人の動画を作品集としてまとめて上映させて貰った機会についてだらだら書いた報告記事です。

    大スクリーンで音MADを!?

     ことの発端は、今年の5月のことでした。某ニコ生での配信を通じて、MADビデオの上映会を10年単位の期間で続けている集まりがあると知り、かねてからリアルで音MADを上映できる場があればいいのにな、と思っていた私は、東京の某所で開かれていた上映会に足を運びました。と言っても、ほんののぞき見のつもりで、どのような運営体制でMAD上映を実現しているのか尋ねてみようというくらいの軽い気持ちだったのですが…。当日、さっそく、前やり取りのあった開催メンバーの方から声をかけて貰いまして、次の上映会が名古屋であるんだけど、そこに出るつもりはありますか?って話で!これはもうまたとないチャンスだと思い、また会場で観る大スクリーン大音響のMADの迫力にすっかり参って是非ここで流せたら、と、即、OKの返事を返した訳なんです。よく聞くと、ニコニコのANIMAAAD祭などにも接点がある上映会みたいで、音MADANIMAAAD祭に参加した作者さんの作品を見て、音MADもいいなと思ってくれたんだとか。

    需要と供給

     そこから勢いに乗ってどんどん計画を進めて行ければ良かったんですが…。もともと自分がアクティブにイベント企画などに関わるタイプでないのと、リアルでの余裕が取れなかったこともあって、最初の人集めで困ってしまいました。TLなどで公募することも考えたのですが、MAD上映会自体が事前メール登録の会員制の集まりに近いことと、急にどっと人が殺到しても困る(多分音MADの再生数などを考えて?)みたいな話も聞いたので、あまり大っぴらに募集するのも気がひけて。そこで、最初はANIMAAAD祭系の音MAD作者さんとか、Discordメンバーとか、いろいろ尋ねてみた訳なんですけど、いろいろ諸事情あって、なかなか集まらない…。そもそも自分の人脈のなさというのが大きなマイナスだったわけですが、上映会側の条件と、音MAD界隈の需要に方向性のズレがあったのも一つあったのかな、と。実際、音MADだけでリアル上映できるならやりたいけど、みたいな意見はあって、それは嬉しいことに今年別の形で実現した訳ですけど。
     結局、困っていたところで、リアルイベント絡みの話で那須ピーマンさんかられでぃばさんをご紹介いただき、さらに開催地名古屋近郊の作者さんにお声がけしたところ今度は一転して芋づる式に次々集まりOKも貰えて、あっと言う間に上映時間枠を超えてしまいそうになってしまいました。やむなく途中で声を掛けた後取り下げさせて貰うという方も出てきてしまい、最後は先着順みたいな形での整理になった次第です。声をかけてごめんなさいしてしまった方には失礼な形になってしまい、本当にごめんなさい。全部私の見通しの甘さが悪いのです。

    文化がちがーう!

     音MADの上映とは言え、アニメ中心のMADビデオ上映会に出させて貰う以上、制約もいろいろありまして。条件としては、「ホモビや宗教はNG」「それ以外は素材に縛りはない」「とにかく笑えること!」「1本のビデオ作品集としてまとめてOPEDを付ける」という話。それから、事前に主催のチェックが入り、OKを貰う必要があるとか。なのでNGが出た時の対処などを考え、今回は基本過去作メインということにして、出すMADを選んでいくことにしました。もともと初参加なので、最初は会場の雰囲気を見てできるだけ空気を壊さないようにしようとか、バラエティーを重視して、できるだけいろんなタイプの音MADを出したいとかいろいろ考えもあったのですが、今振り返ってみると、なかなか方向性が決められずにいたなぁと思います。

     まずどんなMADがウケるのか、期待されている方向性がつかめなかったのが一番悩ましいところでした。まず窓口になってくれる方を通じて、参加メンバーのMADの中からこれは、というのを選んで、仲間うちで鑑賞して貰ったりしたのですが…。自信を持ってウケると思う(10選に選んだやつとか)MADを出しても期待していた反応が返ってこなかったり、いろいろ提案をしてみても思うように話が進まなかったり、迷走する時期が続き、個人的に悶々とする期間でした。ネタが観客に伝わらないんじゃないかというので、提出しようとした動画を差し替えることにしたときには、こちらもお願いをして別の動画を出していただくことになって参加された方にも申し訳ないし、自分の考える面白さを同じように感じて貰えないのかとすっきりしない気持ちになったこともありました。「笑えるもの」ってどういうこと!?って真剣に考えたりもしましたね。
     上映会メンバーと飲みに行って意見を聞かせて貰ったりもしたのですが、まず音MADとはどんなものなのか、理解して貰うところから話したり、黒い画面に音が流れてるだけじゃ困る、みたいな昔のMADテープをイメージしている方も居てそうじゃないんですよという説明をしたり、異文化コミュニケーションというのは難しいものだということが分かった体験もありました。逆に言うと、自分たちがこれまで音MAD界隈で感じていた面白さって、これまでのニコニコの音MADを観続けてきた積み重ねがあるから初めて分かる、というようなかなり狭いコアな楽しみだったのかなぁ(全部ではないですけど)、という一面も垣間見えたやり取りだったように思います。


    音量注意

     悩みつつも、8人分の動画が出揃い、最後は締切の繰り上げが間際に分かったこともあってバタバタで作業を進めましたが、何とかOPEDのついた一本の作品集ができました。自分の乏しい作業量ではもう手が回りそうにないというところで、最後は技術力のある参加者の皆さんに急遽助けていただいて、作品集全体をいい雰囲気でまとめることができました。特にEDをかって出て下さった少々さん、この場で改めてありがとうを言わせてもらいたいと思います。

     無事に動画もOKが出て、後は、当日を待つだけ、と安心して、2人の音MAD作者さんと一緒に会場入りした訳ですが、それまで気付いていなかった問題が残っていて。上映自体は流石の大画面で凄いものになりましたし、会場でも笑い声が起こってウケていたんですが、音量が大きすぎて、割れてしまっていたんですね。そのせいでせっかくネタ的に面白い台詞が聞き取りづらくなってしまう動画もあったり…。これは、会場側の要因とか、音源側の要因とか、いろいろ考えられる点はあるんですけど、音響効果の大きな会場に曲と速いテンポの台詞が両方重なって聞こえる音MADというのは実は相性が良くない、少なくともニコニコの再生環境に合わせて音圧盛り盛りにした状態の動画をそのまま持っていって流すのは効果的でない、ということだったのかなぁと。それに当日初めて気づいた、という点が何より迂闊でした。事前に想定して調節とかさせて貰えばまだやりようはあったのではないかと思いますし、これは反省点です。これから音MADがリアル会場で流れる機会も増えてくると思うのですが、スピーカーで大音響で流す時は、皆さん、音量の扱いにご注意です!(念のため、ニコ生の配信でだけ観た方は音声が酷い状態だったと思うのですが、あれは会場の反響した音をマイクで拾ったことの影響が大きいので、実際には会場ではもっとよく聴こえていました)

     後は、クローズドな上映会ということで、会場などについて具体的な情報をネットに公開できない制限もあったので、せっかく音MADをリアル会場で流せる機会だったというのにあまり拡散できなかったのも惜しい点でした。


    成果と交流と

     反省点はいろいろありましたが、その後2次会と、会場のアンケート結果は思っていた以上の好評で、音MADをよく知らないMAD作者との文化交流、という面ではおかげ様で成功に終わったのかな、というのが私の感想です。映像MAD界隈では、音声の編集をしている人は少ないので、「あれは一体どうやっているんだ?」みたいな未知の驚きの反応と、単純にネタや編集の面白さでウケも取れた感想がたくさん返ってきていました。構成を決める段階で心配していた、面白さが伝わるかどうか、というのも、蓋を開けてみたらちゃんと伝わっていました。意外とニコニコの音MAD系ネタは知っていても、音MADのことは知らなかったり、想像していなかったところに敷居があるのだなあということが印象的だったりもしました。個人的には、MADビデオを初めて作った世代の作者さんから当時のことを二次会でいろいろ教えてもらえたり、DAICONで使われたコインまでいただいてしまったり信じられないような出来事もあって本当に貴重な体験ができたのが大きくて、行って良かったなぁと。
     これだけでは伝わらないと思いますが、ニコニコや音MAD界隈以外の人と交流するのは、本当に面白いです。一見凝った編集をしていないように見えるMADビデオもあるんですが、文脈やタイミングなどどういうポイントに気を付けて編集しているかの話など聞けて着眼点の違いに驚きましたし、東方アレンジ系の作者の話題とか、昔の音声編集の話題とか、クラブ系DJ関係の話題とか、他にも想像していなかったような話もいろいろ聞くことができたのはとても新鮮でした。これからもチャンスがあれば上映会参加を企画していきたいので、映像MADやアニメMADの界隈との交流に興味がある方、自分のMADを大画面で流してみたい方は、ぜひ一声かけて貰えたらと思います!!




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  • otoRAN-mix.pickup(前半) あとがき

    2016-12-05 00:55


    皆さま、ご視聴ご声援ありがとうございます!
    1週間遅れになりますが、第100回音MAD晒しイベントに参加した音MAD-mixの製作記になります。

    まずは自分のパートの解説から~

    1.【アニメMAD】これぇ、どこに運びますぅ?(#199号PU)

     出落ち要員。音ラン史上でも最も衝撃的なピックアップの一つだろうと思います。この動画のmix部分は製作を始めた頃に形ができかかっていたのですが、自分のパートのどこに置くか決まっておらず、自分が前半少々さんが後半に決まった時、思い切ってツカミを担ってもらうことになりました。

    2.うすしONLADY(#178号PU)
    3.MAMI-MAMI 200(#113号ED)
     で、相方がこちら。この時期はランキングも不慣れでピックアップ選びも毎回頭を捻っていたので、結構印象に残ってる動画が多いですね。その分選出も偏ってしまいましたけど。



     音の編集はこんな感じ。BPMは170。曲の進行とともに多少変わってるところもありますが、「これどこ」をメインに、あかりとマミさんがヴォーカルだけ載ってるような作りですね。映像もそんな感じにしてみました。今回の自分のmixでは、やりすぎかとも思うんですが、声だけとかメロディだけとか残して他はがっつり削ってしまうEQが多くなっています。あかりとマミさんは音域が被ってしまい、3つが重なるところでは、あかりに薄くなって貰って、マミさんに活躍して貰う感じにしたんですが、少々さんの最終mixではどちらの声もよく聞こえるようになっててすごいと思いました。(konami感)

    4.【音MAD】Ofcourse you Need and nEed and neEd and neeD and NEED ME? -Crusher Remix-(#299号PU)
    5.Inajun BeatBox
    (#104号ED)
     うすかったあかりにもう一度目立ってもらって、DRAGONLADYのFoo!でクラッシャーにスイッチ、BPM150ですが曲調はかなりのスピード感。ここは、あまり聞こえにくくならなかったので、EQかけずそのまま3つを順に重ねています。うすしONLADYもそのままですが、メロディが目立たない部分なのであかりのt+pazoliteMADみたいになったのがちょっと嬉しいところ。
     イナジュンは、元動画がほぼ静止画だったのでどうしようかと思ったのですが、ドアップにしただけでクラッシャーに負けない存在感。元動画は多分自作曲で6分もあるのに聴いて飽きない名作。

    6.好きなものを重ねるだけの簡単なMADです(#136号ED)
    7.とある花瓶のぬるっとハンド(#5号PU)
    8.やる気出ない、遊びたい、困ったときの人頼み~(#300号ED)
    9.太郎丸ツイスト(#293号ED)
     イナジュンの語りパートで一息して切り替え、BPM140で落ち着いて。新旧の名作が交錯します。初春のぬるっとハンドは、ユビュさん時代の最初期のランキングのピックアップ、「好きなものを~」と一つ前のイナジュンは、ユビュさんの後の編集部時代に分担して下さった某氏のセレクション、太郎丸ツイストは(ハクビシン)さんに選んで貰ったおススメのMADです。
     このパート、まず最初にできたのが、「好きなものを~」と初春のぬるっとハンドの組み合わせ。RYDEENに初春の「ハッハァ」の合いの手が入るのが気持ちよくて、それに重ねて肉付けしていきました。この2曲はEQなしで重ねた後、こなたの「やる気出ない」と太郎丸ツイストが入ったところでEQで切り替えています。4つ重ねの部分はこんな感じ。


     ちょっと、後で見直して何をやろうとしたのか分からないところもありますが、これでよさげな感じになってたハズ。ここは、もともと太郎丸も「好きなものを~」も複数の音源を重ね合わせてできているもの同士さらに重ねているので、なかなかカオスなことになっていますね。
     分かる点としては、ここに入る前は「好きなものを~」ベースだったところ、ここで低音をばっさりカットして、ベースラインを太郎丸にシフトしていますね。こなたはヴォーカル以外カット、音量小さめだったので、SH-1リバーブもかけて強調し、また「困った時の」のセリフで声が小さく聞こえにくかったのでそこだけエンベロープで音量上げ。初春はカットしようかとも思ったのですが、聞き比べてみると小さく鳴らしてた方がしっくり来たので小さく隠し味に残しました。また映像でも小窓の組み合わせで構成された動画が多かったので、やり過ぎな気もしましたが、この周辺では映像も大きくクリッピングして、別々の元動画の小窓が入り混じったような構成を捏造してしまいました。4つ重ねの部分では、脇役に回る「好きなものを~」と初春は小さめに隅から退場する雰囲気、なおRYDEENのメロディパートを表す映像が元動画ではっきり見えていないので、代わりにダンス映像で代表して貰っています。一方こなたは主役の一人として前面に出てフリーダムに動き回ってもらいました。


    10.宇宙のマーフィ岡田(#183号ED)
     最初はもっと表に出すパートを作る予定だったのですが、いろいろ繋ぎを試行錯誤するうちに、太郎丸ツイストからこの後のパートの繋ぎみたいなちょい役になってしまってちょっともったいないと言うか申し訳ない使い方になりました。基本的に、高音域を削ってヴォーカル音域を持ち上げ、セリフとドラムのみ合わせているような形ですね。本当は映像も出だしの部分でチャー研の研くんがTVを観ているメタネタの演出が入っているのですが、太郎丸の小窓との兼ね合いと情報量が多すぎて分からなくなることから、クリッピングでカットして小窓になってもらうことに。

    11.ごはんでやす(#57号PU)
    12.電車でついやってしまう妄想を曲にしてみた(#249号ED)

     これも時代を超えた組み合わせ。「ごはんでやす」は低音をカットしてセリフ合わせ部を主に使用、ベースラインは「電車でつい~」をメインに。さらに、どちらも長めのループを途中でカットしてオイシイところを繋げて使用しています。「しみったれ」「馬鹿ったれ」の言葉のリズムと電車のガタンゴトンの走行音を合わせたくて、「ごはんでやす」の途中をカットして当該部分を持ってきた上で、さらに重ねた時に聞こえにくくなる走行音は「ごはんでやす」の同周波数帯を削ってよく聞こえるようにしました。また踏切音のループを適当なところから切ってきて用意したので実は映像と音源が一致していない部分があったりするなどかなり勝手な編集をしている部分だったりします。


    13.千佳hosbn(#128号PU)

     何故か「電車でつい~」にリズムを重ねることが出来たのですが、元のMADはリズム感、疾走感と静寂感が同居する不思議な味わいの動画です。82%再生でかなり雰囲気が変わっていることもあり、リズムに乗って気持ちよく登場したかと思えば気がつけば「電車でつい~」が消えて静寂が支配している不思議さを強調する使い方になった気がします。「電車でつい~」は千佳にメインを譲って高音部をcut、踏切ループからの加速フレーズをフェードアウトに使って退場です。ここで得られた静寂感は次にどんな曲にでも切り替えられるまさにワイルドカード!と感じて使いたかった動画をとっかえひっかえして重ねてみた末、次の「にょわHook」を使うことになりました。にょわHookが一瞬静かになってハモってる曲調になるあたりを利用して、「気づかないうちに○○シリーズ」みたいな重ね方になった気がします。

    14.にょわ Hook 完全版(#262号ED)
    15.KilLimitless PossiBaby(#150号ED)

     歴代のランキング紹介曲の中でも際立った迫力を持つこの2曲を重ねることができたのが、今回の私のパートで一番のお気に入りポイントになっています。これ単体で観た時もまたそれぞれ大きな驚きがあり、今でもまだ何がどうなってるのか理解を超えるところがありますが、偶然2つが重なるのを気づいた時には、もうぽかーんと口を開けて聴き入ってしまいました。端からMAD同士の組み合わせを探して、何となく曲調が似ていてメロディも重なりそうなところが1つ見つかったので、合ったら合わなくなる辺りまで使って次に切り替えればいいか、そんな軽い気持ちで適当にBPM合わせて曲を重ねてみたのですが、聴き始めたら、曲が途切れない!そればかりか、にょわがキルミーを、キルミーがにょわを引き立てるッ!一方が静かになれば他方も追随したかと思えば、タイミングを合わせて盛り上がり、キメる、まるで音MADと音MADがセッションを始めたようではないか!
     という訳で、これはとても途中で切る訳にいかないってんで、最後まで1分弱流して私のパートは終わりっ!ということになりました。繰り返しになりますが、ここ、私は適当に当たりをつけて置いただけで、何も狙って合わせるための操作をしておりません。なので、本当に拍があってるのかどうか心配になって低速再生でいろいろ弄って確認してみたんですが、どうもこのままが一番いいようなんですね。原曲も違うし何でうまくあったのか自分でもよく分からないのですが、ただ一つ言えるのは、どちらの曲も重ねて綻びが現われないくらい、ズレなく緻密に作られていたということでしょうか?
     そんな訳で、ここは編集の方もタイミングと音量調整、パン振りくらいしかしておらず、重ねただけ、映像もスクリーン合成でかさねただけ、という感じです。1箇所だけ、キルミーのピアノの音をうまく重ねたいけど聞こえにくいところがあったので、その点だけは同周波数帯でピアノに相当するところをにょわで下げて、ピアノを上げて合わせた程度でしょうか・・・?
     
    KilLimitless PossiBabyは、一時期担当してくださったmisoさんがEDに選んだ動画だったんですが、それを見るまで私は知らなかった動画なので、その時の紹介が無かったら知らないままだったしこういうmix動画ができることもなかったのかなあと思うと感慨深いですね。

    終わりに

     少々さんの力を借りて(というか頼って)かなりの急造で間に合わせたこの動画ですが、もともと音MAD-mixが増えて、音MADランキングが自分の手を離れた頃、(ハクビシン)さんの代あたりから個人的な構想のあった企画でした。初代から現在まで週刊音MADランキングのピックアップやエンディング動画をまとめてmixして記念になる動画を作りたい!最初のユビュさんから、現在の少々さんまで、関わってきたそれぞれの編集者の時代の紹介動画から余さず盛り込みたい!傑作や異色な作品が目白押しの音ランピックアップ枠のすごさをもっと伝えたい!という気持ちだったのです。結局、手をつけられないまま延ばし延ばしになり、使用動画のリストだけをシコシコと貯め込んでいました(これも最後まで不完全なリストでした)。具体的な形は何もなくて、今思えばせめてmixの流れだけでも作っておけよと突っ込みを入れたくなりますね!
     で、晒しイベントの間際、1週間前くらいになって2軍合作のパートがようやく仕上がり、何か動画を投稿したい!と思い、前々からの構想でこの記念になる音MAD-mixを今から出すか、何か適当な音声だけでも上げるか、悩んだ訳です。出した結論が、自分だけでは今から完成させることはできない!人の力を借りよう!で断られたら諦めよう!でした。非常に活動的な少々さんの様子を見て、(日刊ランキングだけでも負担が重いと知りつつ)、持ち込んでみたところ、快く応じてくださって、幻で終わるはずだった企画をこの記念すべきイベントに投稿することができた訳です。実際に合作を開始してからも、少々さんの八面六臂の活躍で投稿にこぎつけたようなものです。もたもたと製作していた私より先に担当パートを見事にまとめ、スケジュールを切り、画面デザインを考案し、パートの繋ぎ方を考え、音声mixまで作って下さり、と、本当に何から何まで助けていただくことになりました。まだまだお礼が言い足りない、ということで、この場でも重ねてお礼を申し上げたいと思います。
     少々さん、どうもありがとう!そして週刊音MADランキングをこれからもよろしくお願いいたします!


  • 音MADの源流とガ板文化【音MAD歴史考察】

    2016-11-27 23:38

    はしがき
     この記事は、以前投稿したブロマガ、「MADテープ」から「音MAD」までの道のりの補稿的な位置づけになります。そちらを読んでいないと分からないところもあるかと思いますので、未読の方は是非そちらからお読みください。

    音MADの誕生と先駆者

     既に記したことの繰り返しになるが、現在の「素材と曲を重ねる」タイプの音MADの原型は、現在確認できる限りでは、2ちゃんねるのガイドライン板で2004年に興った「オンドゥル(仮面ライダー剣)」と「接点T(代ゼミ講師)」のブームの中で登場したものが最初と言えるだろう。それまでに主に面白Flashの名で既にネットでは様々な音声MADのネタが広まっていたものの、「巫女みこオンドゥル」の出現までは、「誰もが知っているあの曲」のサビにぴったり載せてネタ音声が入るようなMADは誰もみたことが無いような存在だったのだ。今回は、このガイドライン板(通称ガ板)を中心にしたニコニコ以前の音MAD事情に焦点を当ててみたい。なお、この記事の趣旨は音MADの起源を一つに特定するものではない。他の様々なムーブメントの影響があったとする意見も複数あり、それらもまた真実を含んでいると筆者は考えている。今回の内容は、恐らく偏っているとは思うが、一ガ板民の視点から見たニコニコ音MADの前史とでも受け取っていただければ良いと思う。
     正確に言えば、2002年のムネオハウスの時代にも、権利上の問題からアルバムから除外された「黒曲」の中には、既存曲をベースに鈴木宗男議員の声を合わせたものがあった。これらは聴いてみると、曲と素材の組み合わせを狙ったと言うより、オリジナルのトラックの代替としてテクノやダンスミュージックの名曲を拝借したものであるように思える。何より、これらの「黒曲」は一度闇に葬られ、後に続くものが無かったのに対し、「巫女みこナース」のMADは定番となってニコニコ初期に繋がり、2015年現在でも新しい音MADが作り続けられている。今の音MADがどちらの血を引いているかは明白だろう。権利上の問題をコミュニティの中でチェックし、オリジナルの音楽を作ろうとしたムネオハウスの時代とは、今の音MADは目指す方向性が明白に異なっている。ただ、発想としては既存曲と素材の組み合わせという試みはオンドゥル以前にも存在したことは記憶に留めておかなければならないだろう。
    ガ板時代以前の「既存曲と素材」の組み合わせ例

    オンドゥルから代ゼミの時代へ
     さて、もう少し細かくガ板での音MADの歩みを見てみよう。先行の「オンドゥル」は、(恐らく素材自体の版権の厳しさもあって作られた音声の散逸が激しかったため)ニコニコ以前の時代には音源を使ったMADなどはあまり大きくは広がらず、2005年頃にはテキストでの「オンドゥル語」の語録的な使われ方に移行していった。後の音MADに引き継がれるようなコミュニティを成立させたのは、後発の「接点T」の方だったと言っていいだろう。「接点T」では、スレッドの有志によって「この点は出ねぇよお!」ガイドラインのまとめサイトが作られ、創作物などが2010年代まで公開され続けたこともあり、結果としてブームは息の長いものになった。
     「代ゼミ」のスレッドを紐とくと、最初は「荻野ラップ」や「荻野テクノ」などのテクノ系のオリジナル曲から始まったことが確認できる。当時、これらの曲を見てムネオハウスのような大きな創作ブームがまた来るのではないか、と筆者は内心期待してながめていたものである。残念ながら、ムネオハウスの柳の下のどじょうを狙う試みとしては、「接点T」は傍目にも失敗に終わる。拠点がテクノ板ではなくガ板だったので仕方のないことと思うが、オリジナル曲の投稿は数人程度の作者の細々としたペースにとどまり、「接点T」はムネオハウスのようにアルバムが出来ることもイベントが開かれることもメディアに掲載されることもなくスレッドの中で小規模に継続してゆくことになった。
     しかしながら、その隙間でじわじわと勢いをつけていったのが、巫女みこナース、ネコミミモード、ヌヌネネヌヌネノ(SEGA「きみのためなら死ねる」OP曲)、などの既存の面白さのある曲を使った音MAD系の作品だったのだ。スレを重ねるにつれて、オリジナルでない音MAD系の作品の投稿が大半を占める様相になった。2chやFLASHで流行のネタ曲や懐かしのアニソンなど、オタクが好きな曲は何でも接点MAD曲にしてしまうような勢いで増殖していったのである。既存曲をベースにした音MADを作る手軽で新しい楽しさに、スレッドに集まった作者たちが目覚めていくに従って、音MADというジャンルの原型、基盤が築かれていったのではない
    だろうか?
    自作テクノ曲から始まった接点tブーム

    テクノとMADの「接点T」
     この時代には、まだ既存の曲そのままに素材を載せてしまうということは、やはり後ろめたい行為だったようで、こうした音MADがスレッドに現われ始めた頃には、「すみません」「やっちゃいました」というような作者の申し訳なさそうなコメントが散見される。当時から音MAD系の投稿をしていたという作者さんに聞くところでは、「自分でオリジナルのトラックを作れない人が作るもの」という雰囲気はやはりあったそうで、テクノ、ナードコア系の音源の代替物や格下のものという扱いで広まっていった面があるようだ。ともかく、「接点T」のまとめサイトでは、オリジナル曲も音MAD系の作品も併せて同じ「曲」という区分で保管されており、生まれたばかりの音MAD文化とテクノ文化の共存するまさに接点となったわけである。音MADの「音楽」の部分を強化する場にもなったはずだ。
     この音MADとテクノの関係に衝撃を与えたのが、2005年の「MIYOCO」ブームであろう。MIYOCOもガイドラインで創作が広まったネタの一つだが、今回は小規模ながら専らテクノ系オリジナル曲中心のブームが来てしまったのである。中でも大流行した名曲「Hip Hop Shit!」を引っさげて彗星のように登場した友蔵氏の存在感は大きかった。友蔵氏はその勢いで「接点T」でも創作を始め、そのためか、オリジナル曲中心の「MIYOCO」と音MAD系中心の「接点T」のスレッドは、これ以降自然と相互リンクの関係で繋がり、ガ板での音ネタ系の中心的な拠点になっていった。PC上のソフトウェアでなく、実機のサンプラーとシンセサイザーを駆使して、タイムストレッチにより迫力のリズムを刻む友蔵氏の楽曲は、音源を重ねずに曲を途中で切って繋げる半ばMADテープ的な製作法がまだ多かった音MADの側にとっても、学ぶものが大きかったに違いない。
    さらに、ガ板で育った「接点T」には、アート、音楽の側面に先鋭化したムネオハウスとは異なるタイプの2ちゃんねるらしいネタ職人たちが集まった。そうして生まれたコミュニティの中には、テクノ系のオリジナル曲、音MADの原型のほか、語録とアスキーアートや改変コピペ、FLASH動画、マッドテープ式の音声切り貼り会話MAD、それらを歌ったもの、果てはBMSや演奏プログラムまで、考え付く限りの2次創作物が混在し、混沌とした世界を作り出していたのである。ここまで来ると最早「接点」ではなく交点であり十字路である。これはそのまま、インパクトのある素材が様々な形態の動画で表現されるニコニコ以降の流行の広がり方に重なってくる。レスリングシリーズ、チャージマン研、真夏の夜の淫夢などのパワーのある素材では、オリジナル曲や音MADにとどまらず、手描きMAD、MMD、BB劇場、歌ってみた、ゲーム実況などジャンルの垣根を越えて広がっていくのは、現在のニコニコでよく見る光景だ。その流行のパターンの原型が、「接点T」のブームには現われていたといえる。
    友蔵氏衝撃のHipHopShit!

    楽曲の縦糸が時代をつなぐ
     一方で、この時代に生まれたもう一つの流れが、曲を背骨にした流行である。この時代について言えば、もちろんその筆頭は巫女みこナースである。2003年にブームが生まれたこの曲は、電波曲の代表として2ちゃんねるなどで時代を超えて語り継がれた。この曲の生んだ一つの大きな影響に、MADのシリーズ化がある。もともとオンドゥルから代ゼミに引き継がれたネタ曲ではあるが、接点Tの流行の中でも一つのMAD作品にとどまらず、荻野、亀田、代ゼミ素材mixなど、素材を変えて再生産されていった。同じ曲で複数の作者による様々なヴァージョンのMADが作られるパターン、模倣による継承の流れがはっきり現われてきたのである。
     既存曲を基盤にした流行は、さらに時代を超えた流れを生み出していく。それまでのネットの流行は田代祭りにせよ、吉野家コピペにせよ、ムネオハウスにせよ、どんなに規模が大きくても一過性の流行であり、衝撃が駆け抜けた後は、ピークとなった流行年を記録して次第に収縮していく性質のものだった。そして、その時その時のブームの題材の性格で、どのような流行の仕方をするか、集まったネタ職人がどんなジャンルで作るかも、毎回大きく色が変わり、改変コピペだったり、アスキーアートだったり、FLASH動画だったり、DTMだったり、不謹慎ゲームだったりしたのである。「オンドゥル」も「接点T」も、その後の「miyoco」も基本的には同じ流行後の道を辿ることになる性質のものだった(これらのジャンルが再び勢いを取り戻すのは、ニコニコ動画で音MADのコミュニティとノウハウが成立してからである)。が、「巫女みこナース」と音MADはそうではなかった。曲のインパクトの大きさもあり、新しい音ネタが注目された時には、サビに載せてネタを連呼する音MADがお約束のように作られるようになったのだ。巫女みこナースのような定番の曲が生まれたことで、新しい音ネタのブームでも過去のオンドゥルや接点Tを意識する流れが生まれ、それと同時に過去の作品を踏襲して再生産するリスペクト要素が現われるようになったのではないだろうか。ここに来て、題材を基盤にして様々な楽曲や表現方法にまたがるブームによる「横」の流行と、定番のMAD曲を基盤にして過去の作品を参照する「縦」の流行が重なる土壌が現われたと言える。
     ニコニコ動画での音MADの発展が、MAD曲と素材の縦と横の結びつきで広がっていったことは言うまでもないだろう。言わば、2004年のガ板で起こった流行のパターンが、ニコニコ動画という革新的な表現の場で爆発的に再生産されたものが黎明期ニコニコの音MADなのである。2007年のニコニコでは、「盗んでいきましたシリーズ」という新しい楽曲のブームと、谷口や遊戯王からフタエノキワミに連なる黎明期の素材の流行が相次いで起こる。「巫女みこナース」に代わる圧倒的な「盗んでいきましたシリーズ」の流れに数多の素材が乗り込んでいくことでそれらは互いに結びつき、β・γ時代の英雄と総称されるようなニコニコ動画のムーブメントを作り上げていった。さらに、レスリングシリーズ、エア本、松岡修造、ドナルドなどを始めとする数多の新素材、また楽曲では、最終鬼畜他の東方曲やグルメレース、ボカロ、音ゲー曲などの爆発的な人気の流行が次々と誕生して、ニコニコの音MADとして相互に結びついたジャンルを組み上げていったのだ。素材だけ、楽曲だけの流行では繋がりきれず、短期のブームやコミュニティ内だけのものに終わったかも知れないジャンルたちが、縦横の流行の軸による網目のような広がりを持ったことで、ついに大きな共通の繋がりとしての「音MAD」という呼称を手に入れた。それは作者同士の結びつきを助長し、総合的な編集技術の継承と革新の道を開くことにも大いに貢献したはずである。ニコニコ以降では、むしろ歴史の長いジャンルの勢力は衰えにくく、楽曲の最新流行が訪れるたびに古い素材がそれに乗って勢いを取り戻し、曲の方は消費され尽くしてすぐに勢いを失っていく、という光景を最近はよく目にするが、それはまた別のお話である。大切なのは、素材と素材、曲と曲がそれぞれ順列組み合わせのように掛け合わせられることで、一過性のブームを超えて後に繋がっていく流れができたことなのだ。
    時代を超えた流行曲。巫女みこナース
     
    ネタテンプレの弾倉
     振り返れば、音MADの最初の揺り篭になったガイドライン板自体、テンプレに載せてネタを弄ることに特化した職人の集まる板だった。もともと、2ちゃんねる全体の情報を集める趣旨で作られたこの板は、吉野家コピペ、阪神大震災コピペ、「諸君私は戦争が好きだ」演説など、コピペとして2ちゃんねる全体に広められる怪しげな文章の収集の場から、単語を入れ替えて別のネタの文章に変えてしまう改変コピペの創作の場に発展していった。ガイドラインで収集されたネタの中には、少佐演説の他にも、ヴェルターズオリジナル、又吉イエス、コマンドー、ソードマスターヤマト、GUN道、みさくらなんこつ、画像も貼らずにスレ立てとな!の麻呂、そしてTDNスレや変態糞親父(本来この二つは全くの別物である)など、後のニコニコの流行となる題材も多数含まれていたのである。そして、これらのコピペスレでは、当然のように他のスレのネタが持ち込まれ、テンプレとなる文章と面白いネタの掛け合わせで改変コピペが量産される(題材によってはネタとテンプレの組み合わせが逆転する)という、後に音MADで見られるような順列組み合わせ式の改変創作の文化が完成していた。
     改変コピペの大半には音楽は無関係であり、音ネタの広まる前にはテキストトゥスピーチで読み上げさせる程度しか実音声にする方法がなかったが、作者や読者は改変された通りに脳内で再生して楽しんでいた。中でも、巫女みこナースや日本ブレイク工業のように、歌詞自体が電波すぎてぶっとんでいたものがテキストのコピペ単体として拡散してしまったケースに至っては、改変コピペは事実上替え歌作りであり、オンラインテキストの形のMADソングだったと言ってもおかしくない。実際、2003年の流行時の巫女みこナースのガイドラインスレッドでは、テキストトゥスピーチに音程をつけて歌わせる、「おもしろ替え歌」と言う今のVOCALOIDの前身のようなツールを用い、吉野家コピペを巫女みこナースのメロディで歌わせる試みまで持ち出されていた。この、おもしろ替え歌製作の派生で生まれた「くそみそナース」のFLASHが人気を博し、それが「巫女みこオンドゥル」の誕生に繋がっていったのだから、テンプレ改変コピペもMADテープやナードコアと同じく、音MADのルーツの一つであると言っても差し支えないのかも知れない。
     考えてみれば、もともとMADは替え歌ととても縁が深い。元の音源を切り貼りして作ったNEW MAD TAPEの系譜ばかりが取りざたされがちであるが、もともとMADテープの時代には、きちがいじみた無茶苦茶な音声を作るために自分たちで歌ってしまったグループもたくさんいた。MADソングとは自分で歌うものだったのである。替え歌の音声に自作アニメーションをつけた「農耕士コンバイン」「先公メッタ打ち ザ・ブンナグル」などがその代表に挙げられる。嘉門達夫の替え歌メドレーを最初の商用MADであると分類する向きもあるし、ゴジラのBGMに好き勝手な歌詞をつけた「福岡市ゴジラ」なども実際に歌ったMADソングに含まれるであろう。古来、日本人は五七五七七のテンプレに合わせて和歌を歌ってきた、テンプレ好きな民族であると思う。と、考えれば、格式に則った七五調のテンプレに合わせて滑稽さを詠み、時に「本歌取り」の技法で元歌の一部を改変して作られた「狂歌」なども、文字通りいにしえのMADソングだったのかも知れない、などという議論を妄想してみるのもまた面白いものだろう。

    MAD的発想を形にするには歌うしかなかった時代。

    テンプレか独創か
     音MADの成立に果たしたガ板とテンプレ文化の役割のようなものについて徒然と記したところ、まとまりの欠ける文章になってしまったが、要点は次の3つである。すなわち、ニコニコ以前の最初の音MAD製作のコミュニティはガ板に存在したこと、その中では現在の音MAD界隈を一つのものとして形づくる2つの軸、ジャンルの「横」の糸と楽曲の「縦」の糸の織り成す繋がりが既にあったこと、またその背景としてネタ同士を掛け合わせる改変コピペ文化の土壌が存在し、そのネタはニコニコにも引き継がれていること、である。思い切って言ってしまえば、素材を曲にリミックスするナードコア的文化がガ板的なテンプレコピペ文化に落とし込まれたことによって音MADが誕生したと言っても良いのではないだろうか?
     さて、テンプレ自体は必ずしも良いことばかりではない。確かに、ブームが来た時の勢いは凄まじく、流行曲を使ったMADというだけで一気に注目を浴びることができるし、視聴者にとっても話題になっている曲で作られたMADをまとめて辿っていくのは楽しいものだ。しかし、流行は必ず終わりが来るものであるし、特に最近のニコニコ動画での流行が続く期間は短い。テンプレ構成の最大の欠点は、新鮮味がない、飽きが来ることである。流行で盛り上がっている間はいいが、何度も見たような素材が使い古された曲に乗っているだけのMADを見たいと感じる視聴者は必然的に少なくなってくる。かと言って、オリジナル曲や全く誰も知らないような曲で人気が出るかと言えば、それもまた難しいところである。
     となるとやはり、新しい流行の担い手になるのは、これまで使われていなかったにも関わらずある程度の知名度があり、新しい素材の魅力を引き出せるような、勢いやリズム感に溢れた新曲になるはずだ。そのような音MAD向けの曲を見つけるのは簡単なことではないが、幸いなことに、音MADがニコニコで花開いて8年が過ぎても、魅力的な新流行曲を生み出すムーブメントは年々盛んになってきているように思える。今後も新しいテンプレは生み出され続けていくのだろう。
     古いテンプレにもまだまだ可能性はある。テンプレにテンプレ以上の要素を詰め込んだような音MADは、特に作者やマニア層に高い評価を受けることが多い。テンプレを必要以上に徹底的に再現したような緻密な作りの動画もコアな人気を集めることが多いが、やはりテンプレがあればそれを崩していくのがMADらしさではないだろうか。もともとMADとは、視聴者の意表を突くような組み合わせや切り替えで笑いを取って人気を獲得してきたジャンルなのだから。テンプレ外しどころか、不意打ちに次ぐ不意打ちで息をつかせないような自由すぎるMADもじわじわと増えてきている。また、一つのテンプレ曲だけで完結せず、それぞれに異なった文脈を持つ楽曲同士をうまく結びつけるメドレー的な手法を用いることで、新しい流れを備えたこのようなセンスのある作品がこれからも流行ってゆけば、同工異曲のループに陥ることなく新境地を切り開いてゆけるに違いない。不意打ちとテンプレはずしの笑いの精神があれば音MADの未来は明るい!という楽観的な結論を持ってこの文を締めたいと思う。

    ※ この文章を執筆するのに、以下のサイトと2ちゃんねるのスレッドを参考にさせていただきました。
    巫女みこナースのガイドライン
    ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1054911805/
    オンドゥルルラギッタンディスカー!! のガイドラインthat.2ch.net/test/read.cgi/gline/1074995637/
    この点は出ねぇよぉ!!のガイドライン 纏めサイト(と過去ログ)
    www.geocities.jp/ogino_setten/index2.html
    奈良の基地外おばはんのガイドライン(※後続スレでは「奈良引越しオバサンのガイドライン」に改題 )
    ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1110865929/
    友蔵保管庫
    tomozo-music.net/
    MadWiki
    stairway.sakura.ne.jp/madwiki/