「隔離メシ」で考えた、ごはんに文句を言う権利

このところ、「隔離メシ」なる単語がTwitter上を賑わせています。

隔離メシとは、コロナ禍によって生まれた新語の一つ。

コロナ禍にあってA国からB国に入国する際、B国で定められた決まりによって検疫のため、ホテルなどの施設で一定期間、隔離生活を強いられるわけですが、その際に配給される食事のことを指します。

隔離期間は基本的にホテルの部屋から出ることができず、自由な外出や買い物は禁止されているため、当局からはおもに弁当形式での食事が提供されます。

日本では、新型コロナウイルス変異株流行国と認定された国と地域(3月23日時点では英国、ドイツなど24カ国)から帰国する場合、まず出国前に現地で検査を受けて陰性証明を提出しなければならず、到着後も日本の空港で抗原検査を受け、この結果が陰性でも検疫所の確保する施設(ホテルなど)で最低3日間の隔離生活を義務付けられる事になります。さらに3日後、検査を受けて陰性であればお家に帰れます。

ちなみに私は昨年の12月にドイツから日本に一時帰国しましたが、その際にはこの決まりはまだなく出国前の陰性証明は不要で、到着した羽田空港で抗原検査を受け、陰性だったのですぐに家に帰ることができました。ただしその際、公共交通機関は使えず、都内に住んでいる家族に車で迎えにきてもらいました。

参考:厚労省HP 新型コロナウイルスに関するQ&A (水際対策の抜本的強化) 

さてさて…

隔離メシ問題にTwitter界隈で火をつけたのは、田野大輔さんでした。

田野さんはナチス研究で知られる歴史社会学の専門家で、コロナ禍の真っ只中に1年間ベルリンに研究のため滞在され、3月半ばに日本に帰国。関空から検疫所指定のホテルへと移動し、3日間隔離待機する中で毎日出される隔離メシの写真をTwitterに投稿しました。

この一連のツイートは、コロナ禍において海外在住者が日本に帰国する際の夢と希望と現実とをグロテスクに描き出していたとも言えます。

Twitter界隈の欧州在住日本人勢は、固唾を飲んで、その突きつけられるエグい現実を見守りました。一体何があったのでしょうか…?

上の写真は田野さんが日本到着後に初めて支給された食べ物。お昼ごはんとありますが、日本到着後に自分で食べ物を調達する術は皆無の中、空港からホテルに移動するまで検査時間も含めて4時間待たされ、長旅の疲れと時差ボケとひもじさと、諸々の緊張感、ストレスがある中で、1年ぶりに外国から帰ってきて最初の食事がこれです。

ちなみにこの3日間、強制的に隔離される際の宿泊代、食事代は無料(税金でまかなわれる)。ただし、ホテルも食事も選べないそうです。

飛行機の長旅の後って私の場合は、疲労とともに軽く乗り物酔いしていることが多く、できれば何か和風だしの効いた温かいものが食べたいんですよね。ラーメンとかうどんとか、おでんもいいなぁ。そういう帰国者の切ない夢を打ち砕くのにあまりある、見事な仕打ちとしか言いようがありません。

そしてしばらくして出てきたお弁当がこれ。夕ご飯だそうです。

なんだろう。たしかに日本のお弁当なんですけど、なんかこう、まず野菜が少なすぎません?量も少ないし、質に関しては言わずもがな…そして冷たそうです。

そしてこのパターンは3日間、繰り返されるのです。

何も塩鮭やコロッケが悪いと言っているわけではないのです。

ちなみに私は、個人的にココナッツとスイカが苦手ですが、それ以外に食べ物の好き嫌いはあまりありません。

でもなんか、これではこの状況においてお弁当が届いた時の喜びがない。

別の方のツイートで、このような3日間を過ごした後で「もう魚のフライもコロッケも食べたくない」とつぶやいていた方がいました。田野さんの次のツイートがじわじわ来ます。

自分で食料調達する選択肢のない、外国から帰ってきたばかりの状態の人に対して、やっつけ仕事的な感じが漂うお弁当なんですよね。

並べてみると、胸焼けしそうでより実感を持ってわかると思います。

この3日間、田野さんと同時期に英国から帰国して同じホテルに逗留されていた方の、同じ隔離メシを異なる視点で捉えたツイートも話題になり、お二人の間に連帯が芽生え、さらに田野さんの窮地を知った友人知人がお寿司やカップ麺の差し入れをされたり、さらにそれを田野さんが、同じホテルで苦境にある同志たちに分け与えたりと、隔離メシをめぐるドラマがTwitter上でめくるめく繰り広げられたのでした。詳しくはこちらにまとめられています。

そしてこの後も、さまざまな帰国者による#隔離メシ・リポートがTwitter界隈では相次いでおります。その中で衝撃的だったのは、名古屋でホテル隔離状態にあるIMAIさんのリポート。

これは、中学生男子のおやつですか?としか思えない炭水化物と肉。それに付随するマヨネーズが物悲しいです。

一方で、関空や名古屋と比べると、クオリティーの差を感じるのがこちら。成田の東横インだそうです。

お味噌汁や生野菜のサラダもあり、人間のごはんという感じがしますね。

さて一連のツイートが話題になり、togetterにもまとめられ、そうなると隔離メシツイートに対するディスりも目立ってくるようになりました。

「これ毎日食って生きてる日本人もいるんですよ」

「タダ飯でしょ?3日でしょ?黙って食え」

「震災の飯に文句言う奴を見た感覚。たった3日だからこいつらの方が悪質か」

これらのコメントは大きく3つのパターンに分類できると思います。

1) 出された食事にケチをつけるな。

2) この時期にリスク地域から帰ってくるな。

3) 緊急事態なんだから、タダで食事がもらえるだけありがたいと思え。

あれれ、この思考パターンってなんか既視感があるぞと思ったのですが、それは5年前の難民危機の頃に私自身がちらっと感じたことでした。当時、ベルリンの難民滞在施設で食事当番のボランティアをさせてもらったのですが、その時のことを思い出しました。

そこでは、栄養バランスもあるし味も悪くない、そこそこ小洒落た食事が提供されていました。施設居住者の大多数がイスラム教徒であることから、豚肉は使わないなどの配慮もされており、私たちボランティアスタッフも同じ食事を摂っていました。

この日のメニューのミートボールのお肉はチキン。ライスはサラダ風にトマトとチーズ、ハーブで味付けされています。そして生野菜のトマトとニンジンにピタパン。これは私用で分量が少なめですが、全体に配膳したのは1ポーションがもう少し多めでした。

ところが、配膳の時に必ず料理に文句言う人がいるんです。「俺は野菜はいらねぇ、肉をもっとくれ」とかですね。別の日に肉料理のない時があって、特に男性たちから大ブーイングで大変だったと、チームリーダーの女性が話していました。

別の施設では、ボランティアスタッフが苦労して作った「中東料理」が不評だったそうで、「こんなまずいもの食えるか」と言われたとか。

「みんな、意外と感謝しないんですね〜」

と私が言ったら、彼女は慣れっこな様子で、

「あら、人には誰でも自分の好みがあるのが普通じゃない?」

笑っていました。

私は、戦火を逃れて命からがら母国を離れ、安全なドイツに入ることができた人たちは、感謝こそすれ「出された食事に文句を言わないものだ」とどこかで思っていたのでとても驚いたのですが、この経験を通して考えが変わりました。

難民となった彼らに対してお世話をするボランティアが、彼らの不遇を他人事、はたまた自業自得だと思って接しているのか、自分と同等の人間としての権利を認めて接しているのか、その違いは大きいと感じたのです。

昔から砂漠の民には「旅人を丁重にもてなす」という原則があったと言います。それをしなければ、自分の子どもが旅人、寄留者になった時にもてなしてもらえず野垂れ死にするかもしれないから。他人によくしてあげることは、結局は自分に戻ってくるという共生の思想のです。

これはイスラム教のコーランにも、キリスト教の聖書にも書かれている戒めの一つで、それが今もイスラム教徒のもてなしの精神や、キリスト教徒のチャリティの精神に繋がっているのだと感じます。

これを踏まえた上で1)と3)の点については、難民施設や災害時の避難所などで、それがタダで出されるごはんであっても文句を言う権利はある、と私は考えます。

ただし、どういう文句を何を目的に言うのか?そしてそれは提供してくれる側に対して過剰で不当な要求ではないのか?という点は重要です。

それでは日本の隔離メシの何が問題だったのか?

わかりやすい比較として、少し前に台湾に行ったアーティストの奈良美智さんの、台湾の隔離メシを見てみたいと思います。

なんなんだろう、この違いは。

コロナ検疫隔離という特殊な状況に置かれた外国からの帰還者/訪問者に対して、心配りとおもてなしの心が感じられる隔離メシです。写真からも温かそうな気配が漂ってきます。

ちなみに外国から台湾に入国した場合の隔離期間は2週間。この間、ホテルの部屋から全く出られないというのは同じですが、台湾の場合は宿泊および食費は有料です。

ただし価格表があってホテルを選ぶことができ、食事にもある程度リクエストをすることができるそうです。

私ならば、無料で適当な冷めたお弁当が出されるよりも、有料で心のこもったおいしいごはんを食べたいです。

私が気になったのは、台湾にあって日本にない隔離メシの「おもてなし」感でした。

先の見えないコロナ禍にあって、不安や不便、ストレスを抱えた隔離状態で提供される食事にくらいは喜びを見出したいもの。

日本は「おもてなし」をウリに東京オリンピックを勝ち取った国ではなかったのか?

人々が和を重んじ、豊かな食文化がある経済大国ではなかったのか?

「選択の自由を奪われる」ということは、それがたとえ3日であっても、弱者の立場に置かれることだと思います。その弱者に対して日本で出される隔離メシがこれなのか。それが何よりも衝撃でした。

また2)の要素、「この時期にリスク地域の外国から帰ってくるな」という声には、外国と日本を行き来して生きている人たちがいることに対する無理解がほの見えるような気がしました。

グローバル化した世界で、国境を超えた人と物の行き来がある中で私たちは生きていて、日本の経済も文化もそれによって栄え、成り立ってきたはずです。日本は日本という一国だけで存在しているのではないし、私たちも自分の半径10メートル以内にいる人たちとだけ繋がって生きているのではありません。

5年前のベルリンの難民施設で出会ったあのシリア人難民の人たちは、自分たちに「もてなされる権利があること」を知っていました。そしてそれはすべて、ドイツ人の税金でまかなわれていました。

一方で、今回の隔離メシはどうだったのか?

日本人の税金を使って日本人を遇する上でも、「もてなし」とは程遠かったのではないか?

そしてなぜ、そのことに当事者が文句を言ってはいけないのか?

ちなみに、田野さんの隔離メシ・ツイートをきっかけに、投宿されていたホテルの隔離メシに改善の兆しが見られるという動きがあったそうです。

もてなされる権利を、私たちはもっと行使していいと思った次第です。