第148話 女王へのご報告
服をまともな礼服に着替えると、俺は杖をつきながら玄関を出た。
怪我をしている右足には新しい包帯が巻いてあるが、それのせいでサイズの大きい靴を履くはめになった。
左右で靴が違ったら変なので、左足も揃いの皮靴を履いているわけだが、靴下を二重にして紐をきつくしてもガバガバで歩きにくい。
まあ、しょうがない。
礼服というのは、動きやすさよりフォーマルを重視した服装だし、格好がつかなかったら着る意味がない。
玄関の前には、既に馬車が出してあった。
「ユーリ様、どうぞお乗りください」
屋敷つきの兵士の一人がそう言って促したが、俺は通りに面した正門のほうの異常を注視していた。
「なんなんだ? あの連中は」
なんというか、正門のところで兵士と群衆が押し合っている。
ここ何年かの間でも、食料事情の乱れなどで餓死者が発生するような事態になると、こういった暴徒っぽい連中が屋敷に入り込もうとすることはあったのだが、その時とは雰囲気が違う。
群衆は二十人かそこらに見えるが、どうも平和的な雰囲気で、とりあえず四人出ている兵士たちは、槍を横に持って彼らを押して、どかそうとしている。
どうも戦闘をしているような雰囲気ではないし、血を見ているわけではないようだ。
何かを陳情しにきてるのか?
「どこからかユーリ様の御帰還が知れて、一目見ようと集まってきたようです」
「はぁ?」
なんだそりゃ。
「馬車が通過するときに、我らが引き離しますので」
うーん……。
兵士の間を縫って投擲爆弾でも投げつけられでもしたら、大変困るのだが。
そんな憂き目に会って馬車が吹っ飛び、片足を切断することになった人物を一人知っている。
あいつら、暗殺者の一団じゃないのか……?
だが、そうじゃない可能性もある。
というか、そっちの可能性のほうが高いだろう。
「馬車に何か投げつけてきたら、防いでくれよ」
「投げつけてきたら、ですか? 彼らはユーリ様に敵意あって集まっているわけではないので、ないと思いますが」
そりゃ、敵意ある集団なのだったら、衛兵は槍の柄で押しこくるのではなく、矛先を向けているだろう。
どうも、抗議団体が馬車に石でも投げてくる様子を思い描いているらしい。
「投げてきたらでいい。よろしく頼む」
鷲で行ったほうがいいかな、とさえ思ったが、それだと礼服が汚れてしまう。
まあ、おそらく大丈夫だろう。
暗殺するなら普通、家の前ではやらないだろうし。
爆殺するにしても、ダメを押す役がいたほうが確実性があがるので、それが衛兵に止められるぶん、分が悪い。
俺だったら道中を狙う。
俺が馬車に乗り込むと、さきほどの兵士は入り口のほうに駆けていった。
馬車が通る道を作る手伝いをするのだろう。
「出してくれ」
杖を持ちながら、ふかふかの椅子に座って言うと、「はい」と御者が答えた。
ぱしん、と皮が軽く馬を打つ音がして、馬車が動き出す。
門を通過したところで「ユーリ様ー!」という黄色い声が何度も聞こえた。
なんというか、圧政に苦しんでいる百姓が殿様に直訴状を渡そうとしているような響きではない。
用事があるのではなく、声をかけるために声をかけているような響きがある。
……教養院にもたまにいる、なんか妙なおっかけみたいな連中の声と似てる。
なんだか怖くなって、馬車のカーテンを少し空けて外を見てみると、若い女や暇そうな老若男女が、談笑しながら興味深げな目でこっちを見ていた。
なんかアレだな。野次馬みたいだな。
ていうか、完全に野次馬だ。
なんだこいつら。
よっぽど暇なのか。
他にすることないのかよ。
思い煩う暇もなく、あっという間に野次馬の群れをつっきり、馬車はそのまま王城に向かっていった。
何事もなかった。
なんだったんだ、あいつらは。
*****
王城島に到着し、王城の大門に馬車をつけさせ、降りると、なにやら先程とは異なる、刺さるような視線を感じた。
所々で、魔女たちが射るような目で俺を見ている。
時計を引きずり出して確認すると、午後五時半頃だった。
連中はこの王城に勤務している官僚で、職員といったら変だが、まあ一種の役人である。
勤務時間というのは特に定められていないようだが、特に急ぎの仕事が残っていなければ、今頃の時間には帰るだろう。
つまり、帰宅ラッシュに出くわしてしまったわけだ。
俺が来るのを待ち構えていたのかと思ったので、そこは安心できたが、時間は失敗したな。
カフとハロルに急かされたのが悪かった。
どうせなら、あと三十分くらい待てばよかったな。
魔女の連中が俺に敵意を向けるのはいつものことなので、スルーしておこう。
そう決め込んで、視線に気づかないふりをして時計をしまうと、杖をつきながら歩いていった。
門をくぐったところで、声をかけられた。
「ユーリ様でございますね。ご案内させて頂きます」
そう言ったのは、秘書風の上下を着た女性だった。
スラックスを履いていて、一見スレンダーに見えるのだが、太もものあたりと肩のあたりに隠しきれない筋肉の隆起が伺える。
袖からのぞいている手首もガッチリとしていて、骨格が大きい。
こりゃ、王剣の一員だろうな。
「王剣の方ですね?」
「なぜわかったのですか?」
「筋肉がすごいので王剣の方とわかりました」
って会話したらキレるかな。
やめとこう。
「どうぞお座りください」
と出されたのは、車椅子だった。
堅い銘木で作られているようで、リフォルムの王城で見たものより、作りが良さそうだ。
外見は同じで、例のごとく車輪が小さい、車椅子というより車付き手押し椅子といった風情のものだった。
無理に歩きでついていっても、杖をついての歩行は遅くなるので、ゆっくり歩いてもらうことになるだろう。
これは有り難かった。
「助かります。では失礼して」
俺が椅子に座ると、「動きます」と一声かけてから、王剣の女性は椅子を押していった。
人目を避けるように、すぐに廊下にはいり、迷う様子もなく何度も曲がり角を曲がった。
見覚えのある立派な扉を一つくぐると、近衛兵の詰め所となっている小部屋があり、椅子を押している彼女の顔パスでそこを抜け、そこから城の雰囲気が変わった。
王城というのは、門をくぐるだけならキチンとした格好をして堂々としていれば、割りと簡単に入れてしまうが、ここから先はそうはいかない。
この部屋までは言わば公務ゾーンであって、ここから先は王族の私生活ゾーンとなる。
廊下の作りや調度品などからして、無骨な城というより家の中といった感じの、穏やかな雰囲気となった。
今代の女王陛下は身辺まで魔女を近づけてはいないので、近衛の領分はあの部屋までと思われる。
おそらく、ここから先は王剣の一派が警備しているのだろう。
しばらく、押されるままに廊下を進んだ。
「お連れしました」
とあるドアの前で王剣が言い、ノックをする。
「お入りなさい」
涼しげな声がわずかに聞こえ、王剣はドアを開く。
椅子を押されながら入ると、明るい色の木材を使った大きめの四角いテーブルに、女王陛下が座っていた。
キャロルはまだ居ないようだ。
「こんばんわ。よくいらしてくれました」
「仰せにより、只今罷り越しました」
俺は椅子から立って、略式の敬礼をした。
「座っていらして。怪我の具合はどう? 大丈夫?」
女王陛下は、心配そうな顔をしている。
社交辞令な風は感じられない。
「大丈夫です。若干痛むので杖は使っていますが」
俺は、杖を使いながら三歩ほど歩いてみせた。
振り返って、
「ありがとう。世話をかけました」
と王剣の女性に一声かけた。
「
「ごくろうさま。お願いね」
女王陛下が退出の許可を出すと、王剣はしずしずと部屋を出ていった。
「どうぞ座って」
と陛下の近くの椅子を進められたので、遠慮なくその椅子を引いて、腰掛けた。
「夕食は済ませていないわよね?」
「はい。まだです」
「用意させているわ。食べていってくださいな」
「ありがとうございます。頂きます」
元からそのつもりだったので、助かった。
「ユーリ君」
女王陛下は、改まった様子で俺の名前を呼んだ。
「遠征、ほんとうにご苦労様でした。良くやってくれたわね」
お褒めの言葉を頂いた。
なんというか、身が震える感動のようなものはなかったが、救われたような気分になった。
長い間の苦労が、少しでも報われたような。
俺もこの国の仕組みの中にいるんだな、と感じる。
女王に権威を感じている。
「それほど上手くはやれませんでした。陛下には申し訳なく思っています」
「そう?」女王は、意外そうな顔をした。「どこが上手くなかったのかしら」
女王陛下としてみれば、完璧だったと思っているのだろう。
彼女にとっての作戦の意義を考えれば、それは殆ど正しい。
「殿下を危険に晒してしまったことです。申し訳ありませんでした」
俺からしてみれば、遠征の目標が視察であり、最優先目標がキャロルの無事な帰還であったことを考えれば、あれほどのリスクに晒した時点で、大成功とはいい難い。
帰りがけに、あのような難民を押し付けられてしまったことも、原理原則からいえば良くはない。
結果として、失敗の尻拭いが上手くいったので、なんとか成功とは言える。
だが、それだけだ。
余計なことを上手くできたというのは、成功とは言わないだろう。
「ふふ、あの一報を受けたときは、本当に血が凍る思いをしました。寿命が縮んだわ」
「そうでしょうね……」
この女王陛下は、俺とキャロルにはかなり重きを置いている。
それを置いても、どのように伝わったか知らないが、娘の安否が絶望的というニュースはショックだったろう。
普通に、目の前が真っ暗になるレベルの衝撃だったに違いない。
「でも、全部上手くいったのだから、よかったわ」
全部上手くいったというのは、それは違う。
「将来のある若者を、二名戦死させてしまいました。リフォルムで増えた人員を含めれば、十四名です」
「ああ、そうだったわね……」
女王陛下は、口を濁して困ったような顔をしていた。
実際として、戦争で死んだ者の命というものに、実感が沸かないのだろう。
それは無理のないことだ。
それに、女王の名の下に出陣した今回の援軍では、全体として万単位の戦死者が出ているのだから、それ全部に思いを馳せろというのは無理な相談だろう。
こういった指導者はどこかで鈍感にならざるをえないし、それは責められるべきことでもない。
万の人間を死に向かわせた責任に、真正面から向き合えるという人間は、狂人か嘘をついているか、どちらかだろう。
「お手数をおかけしますが、騎士院からの二名については各々の家に、陛下の名前で感状を送っては貰えないでしょうか」
リフォルムから増えた十二名の分については、女王には殆ど責任がないので、ここではあまり関係がない。
彼らは最初から難民護衛の任を受けていたのだし、冷たい言い方をすれば、正当な任務を全うする過程で消耗したと言える。
だが、二名については、リフォルムで同意をとったにせよ同意圧力があったのは否めないし、彼らの親に対しては、やはり負い目を感じる。
「もちろん。そのくらいはさせてもらうわ」
よかった。
「テルル・シャルトルの件は聞いておられるでしょうか。こちらにキルヒナ王族の財産を移してあるという話で、ここに委託状があります」
と、俺は懐から遥々リフォルムから持ってきた書状を取り出し、机に置いた。
「内容は、キャロルに処分の全てを任せる、というものです。隊員への報奨金と、二名の遺族への弔慰金、そしてリフォルムからの戦費については、ここから出します」
「それは構わないけれど……。いいの? 国庫から出しても構わないわ」
「二名が死亡したのは、難民を送り届ける任務の最中でのことですし、それがなかったら戦死する所以もありませんでした。この財産は、その任務の遂行資金として交渉して得たものです。経費はここから負担するのが妥当でしょう」
ケチっているわけではないが、難民の移送というのはシヤルタの国益を目的として受けた依頼ではなかった。
飽くまでキルヒナという国の後始末の仕事だったのだから、それにかかった金はシヤルタ王国の血税ではなく、キルヒナの資金から出すべきだ。
この国では、そんなことを気にする人は少ないが、筋を通すところは通しておきたかった。
少なくとも俺の手の内で実行したことについては、筋を通したい。そうじゃないと俺が気持ち悪い。
「確かに、それはそうかもしれないわね」
納得してもらえたようだ。
といっても、これについては本来は女王の許可が必要なものではない。
この財産は、キャロルに委譲されたのだから、今のはあくまで報告となる。
「国璽については……」
と俺が言おうとすると、コンコン、とドアがノックされた。
「キャロル殿下がお見えです」
先程の王剣の声がした。