占いと「孫子」

占い話の補足である。われわれの意思決定に援用される古来の知恵ということで、占いと並んでビジネスの世界でも人気の高い「孫子の兵法」の「孫子」であるが、先日用があって見返していたときに、ふと思いついたことがあった。そういえば、この内容の中で「占い」に言い及んだ箇所がどれだけあっただろうか。よく引用されるような章句を思い浮かべてもどうも思いあたらない。

孫子は強い実践志向をもって知られる書物であるが、そうはいっても二千年以上も昔の紀元前の、人の生き死に、国家の存亡にかかわる戦(いくさ)ごとを指南した兵法書である。自然科学も当然なく、ひとびとの超自然的なものへの関わりは今よりはるかに深く大きかったはずだ。本来なら、当時の実践手法のしての占い(占卜)にまるまる一章をあてて解説するくらいのことがあっても時代背景としては少しもおかしなことはないし、仮にそれに批判的に対峙するにしても、なおのことそれならそれについての持論なり弁明なりが展開されていても不思議ではない。しかしざっと見渡した限りではどうもそうしたものはないようだ。

現代でも現実的な性向が勝っているといわれる中国人は、古代からそういうものへの感興が薄かったのだろうか。否、もちろんそんなことはまったくない。占い技法の中で現代でも大きな流派となっている易(えき)と陰陽術は古代中国が発祥であるし、そもそもわれわれもこうして使わせてもらっている「漢字」だって、動物の骨を焼いてひび割れの形を神官が占った記録をつけた一種の呪符が起源である。古代中国でも占いと政治は一体であり、日本と同様、最初に生まれた王は占い師だった。また、同じ軍事方面でいえば、孫子と同じくらい名高い、名軍師の代名詞にもなっている三国志の諸葛孔明は、伝説化されて、方術(風水の原形)に深く通じ、ピンチになるとそれを使って戦況を読み、難局を切り抜けたという逸話がたくさん残っており、今ではどちらかというと軍事の専門家よりは占い師からの尊崇を集めている方が多い。

秋田県にかほ市の小滝集落で7日、室町時代から続く「曼荼羅(まんだら)餅占い」があり、「100年に1度」という大きなひび割れが三つも見つかった。年男がこねた直径約50センチの餅の上に紙を乗せて燃やし、形状で1年の吉凶を占う。ひびが大きいほど「悪い知らせ」とされ、「こんなひび割れは見たことがない」と騒然となった。

方位学は陰陽五行思想に基づく学問で、4000年前に支那で始まりました。本来は兵法として用いられ、三国志で知られる諸葛孔明は方位学の奥義に精通し、それを駆使することで、どんなに不利な状況でも連戦連勝したと伝えられています。(略)芸能界では新人タレントのブレークを願って方位学を使うケースが少なくありません。また、成功した財界人の多くが、社屋や工場の設立や移転、重要な取引の出張に方位学を活用しています。(略)世界の政治家、実業家、文化人、芸術家、スポーツ選手の多くが当たり前のように占いの力を活用しています。占いは、もはやグローバルスタンダードなのです。


この点「孫子」はどうだったのか。そう思い直して、少し念を入れてもう一度全編を調べてみたが、自分の見落としがなければ、たしかに「孫子」には、そもそも占いに触れた箇所自体がまったくといっていいくらいないようだ。言及しているのは、ほんのわずかに以下の数箇所だけである。少ししかないのでそれぞれみてみよう。ひとつは情報の重要さを説いた次の一節(「用間篇」)。

先知者不可取於鬼神 不可象於事 不可驗於度 必取於人 知敵之情者也
(先知なる者は鬼神に取るべからず。事に象[かたど]るべからず、度[ど]に験[けみ]すべからず。必ず人に取りて敵の情を知る者なり)

「情報で先んじるというのは、鬼神に問いただせるものでもなければ、事物にかこつけて知られるものでもなく、星の巡り合わせで確かめられるものでもない。必ず人から取って知るのである」

またもうひとつは次の部分(「九地篇」)。

禁祥去疑 至死無所之
(祥を禁じ疑いを去らば、死に至るまで之[ゆ]く所なし)

「(兵士には)占いごとを禁じて疑心の起きないようにすれば、死ぬまで心をよそに移して結束を乱すことはない」(引用他同上)

将も兵も気が散るからそんなものに頼るな、部下が耽(ふけ)っているのを見たら処罰せよ、と、全編通してたったのこれだけである。実にそっけない。正面切って反論するということもなく、ほぼ「無視」に近い。明らかにこの書物の編者は、そういった類のものを蔑(さげす)み、意識的に遠ざけている姿勢が感じられる。この書の精神に比べれば、見てきたように千年未来の現代のわれわれの方が、よほどそれらの惑いの涎(よだれ)にずぶ濡れに塗れている。

そしてこの徹底した乾燥感、潔癖さこそが、この書物が遠く現代においても、また洋の東西を問わず、大きな尊敬を受け続け、研究され続ける理由のひとつなのだろう。そうした超自然的な力になんら興味を示さない代わりに、上のように意志決定における泥臭い「情報」の重要性をとりわけ強調して、一章を設けて詳細に論じ、褒賞も作戦立案者や戦闘の勇者ではなく情報をもたらした情報将校にこそ最も重く与えよと力説している箇所は有名である。他にも、この本には、あまり注目されることはないが、遠大な大戦略を説いた本旨にはおよそ似つかわしくない、次のような妙に細かい「ノウハウ」集が実はたくさん散りばめられていて、一見かなりちぐはぐで異様な印象を与える。

塵高而鋭者 車來也 卑而廣者 徒來也 散而條達者 樵採也 少而往來者 營軍也
(塵高くして鋭き者は車の来たるなり。卑くして広き者は徒の来たるなり。散じて条達する者は樵採なり。少なくして往来する者は軍を営むなり)

「砂けむりが高くあがって先が尖っているのは、戦車が向かってきているのである。低く広がっているのは歩兵団の侵攻である。あちこちに細く延びているのは薪(まき)を集めているのである。わずかな埃が行き交いしているのは伝令が行き来して陣を設営しているのである」

杖而立者 飢也 汲而先飮者 渇也
(杖[つえつ]きて立つ者は飢うるなり。汲みて先ず飲む者は渇するなり)

「兵士が杖をついているのは、軍が飢えているのである。水番が水を汲んで真っ先に自分で飲むのは、軍全体が水に窮しているのである」(以上「行軍篇」)


先にも書いたように、占いの助けにすがろうとするとき、われわれは、現実的なところで自分にできることはすべてやり尽くし、「人事」を尽くしたつもりでいる。しかし、そのような態度に対して、この孫子を生み出した精神からは、そうは言うが、あなたはほんとうに全力を尽くして自分の現実と取っ組んだのか、そんなことに余力を割くひまがあるくらいなら、さらに耳目を研ぎ澄まし、いっそう意を尽くして現実そのもののありように没頭せよ、人生の大事であるからこそ一息といえども気を逸らすな、日月を見るは明目と為さず 雷霆を聞くは聡耳と為さず(太陽を見た月を見た、雷を聞いたというのは、ものを見たうち聞いたうちには入らない)、読み取るべき兆し(卦)のすべては占い棒や亀甲の上にでなく、生の現実の中にこそ刻印され、顕れているのだ――遠く二千年の時を超えて、そんな叱咤の声が響いてくるかのようである。





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2010/11/13 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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