創造するリエンジニアリング

業務改革手法の「BPR」(Business Process Reengineering)という言葉は、企業で働いている人ならほとんどが、また行政機関などでもかなりの人が耳にしたことがあるだろう。現在でもそれは企業や組織が自己革新を行うときのキーワードの筆頭格であり続けている。「リエンジニアリング革命」(原題: Reengineering the Corporation/A Manifesto for Business Revolution)は、そのコンセプトの源泉となった原典の著作である。

リエンジニアリング革命―企業を根本から変える業務革新 (日経ビジネス人文庫)
この本は、自分にとっては、過ぎては去りゆく、他のあまたのファッション的なビジネス・コンセプトとは一線を画する特別なもので、内容をほとんどそらでいえるくらい繰り返し読み、大きな影響を受けた。この場所でも、折に触れてその一端を紹介してきたが、第二次世界大戦時の日本軍の分析を通じて日本人の組織行動のあり方を論じた「失敗の本質」と並んで、仕事をするうえでの、ものの見方の基点となっている著作のひとつである(両冊とも人間の集団行動のあり方を論じた研究で、組織や集団に関する問題を考え、判断する際に役に立つ)。

このコンセプトが発表されて世界的に爆発的に流行してから、十年以上の年月がたち、その間、評価もさまざま変遷してきたけれども、今の時点から振り返って自分としてそれをどう見ているか、いくつかの視点から光をあてて述べてみたい。


根底にあるのは「意識」の遅れの矯正である

リエンジニアリングの考え方の根底にあるのは、技術や社会の変化の早さに比べて、組織を構成する大多数の人の意識は、ずっと遅れて後から変わるという人間観、社会観である。組織の思考の型、行動様式にはそれが慣習であるからこその強い慣性があり、変える必要に迫られている時でも容易に変わらない。それは寒さの厳しい冬の朝に自分の体温で温まったぬくい毛布であり、だからこそなかなかそこから抜け出せない。そのため組織は、はたから見ればまったく無効で滑稽な、間尺に合わない古い物差しを振りかざして新しい課題に立ち向かおうとし、多くがそれに失敗して容れものそのものが破壊される。

リエンジニアリングが言うのは、そのときに古い様式をいたずらに惜しんでそれを手直しすることに熱中するな、ということである。未練を残してどう小手先の改良を加えても、それはもはや、おおもとのところで全然別個の競技に変わってしまった新たな世界の新たな課題に手が届くようにはならない。そのような的外れの修繕行為を同書では「牛専用の道を舗装するようなもの」というユーモラスなたとえで表現している。

我々が調査した中で最も印象的な企業は、他の組織がするのとは異なる質問を自らに投げかけていることを発見した。つまりこれらの企業は、「どうしたらこれを速くできるのだろうか」とか、「どうしたらこれをうまくできるのだろうか」とか、「どうしたらこれをより少ないコストでできるのだろうか」などということでなく、「そもそもなぜそれを行うのだろうか」と尋ねていたのである。

ビジネス・リエンジニアリングにおいては、情報技術が際立って重要な役割を担っているが、リエンジニアリングがオートメーションと同じでないことは、これまでで明らかなはずである。情報技術によって既存のプロセスをオートメーション化するのは、牛専用の道を舗装するようなものである。つまりオートメーションは、単に間違ったことをより効率的にやる方法を提供するだけなのである。


人の意識と環境の間に蓄積したこの大きな地盤の歪み、タイムラグを、意識的に一気に取り戻す必要に迫られるからこそ、それは漸進的進展ではない、不連続で地震のような「革命(revolution)」になる。その意味で、この考え方の底流にはあの、「下部構造が上部構造を(遅れて)制約する」という古典的なマルクス主義の有名な命題と並行する課題意識が認められる。もっともかといって、こちらの方は暴力と流血の中で組織の指揮権を不法に簒奪するわけでもなければ、痺れをきらした改革者が当の「下部構造」すらをも自分の思うままに改造できるというところまでのぼせ上がるわけではないけれども。


リエンジニアリングは成功しない。が、実現はする

第二にこのような性格のものであるからこそ、リエンジニアリングは組織改革にとってきわめて困難な課題である。もともと変化が必要になったのは変わりたくなかったからなのである。愛着もあり曲がりなりに現に機能もしている古い衣を脱ぎ捨てて海のものとも山のものともしれない新しい世界に飛び込む挑戦が容易なものであろうはずもない。最終的なものにまで洗練され、熟成された、旧い壮麗な伽藍に比べて、新しい建屋は、まるでこれのどこが凄い発明なのかと満座の中で嘲笑されたファラデーの最初の発電機のように、はじめはよほどちゃちで頼りなく見え、天守の内側では鈴なりの勲章を胸にぶら下げたかつての功労者や専門家たちが山ほど仕度部屋に押しかけてきて、新たな挑戦がうまくいくはずがない千もの理由を朗々と列挙しながら、反対の大合唱をはじめる。実際のところは、私自身も、また、これを読んでいる読者の多くも自分の組織の内と外とにそれぞれ目にしてきたであろうとおりに、そのほとんどが成功しない。組織は、せいぜい違う中身に偽りの品札を貼ってそれを成し遂げたと喧伝するか、あるいは闇雲に壁に激突して血だらけになるかのどちらかになりながら、古い畳のうえに空しく、手ぶらで舞い戻っていく。BPRを平時の中の小手先の業務改善手法の一種のように軽く考える覚悟の浅さが目の前にある失敗への道をますますかたく踏み固める。

成功の望みが薄いなら、なぜわざわざそんな蛮行(venture)に色目をつかうのか。今日のこの日も昨日と同じように過ぎるなら、なにも触らず、ただじっと首をすくめてやり過ごせばいいではないか――その通り、もとのままで一向にかまわない。企業は自分がそうしたいと思うのでないなら、外から彼にそれをやってくれと頼む者は誰もいない。そのうえ悲惨なことに、世の中全体からみればそれで結果が変わることもない。なぜなら自己の逡巡はそのまま周囲の絶好の好機となり、その企業が自分でやれないことは、新しい環境に適合するようにはじめから最適化され、ゼロから組み上げた新生の集団が横からそれを取り上げて行うからである。利用する側からみれば、誰かがそれをやってくれればいいのであって、個別の企業がそれでどうなろうと知ったことではない。新たな流れに乗れないなら黙って見捨てるだけである。だから当の集団が成功しようが失敗しようがそれに関係なく、世界は変わるべき姿に向けて自分を変えていく。ある企業、ある組織が自己変態を達成できようができまいが、全体としてみればそれは実現するのである。しかしそのことは当の集団にとっては停頓の死の病に蝕まれてそこで寿命が尽きることを意味する。盛者必滅、何ごとにも終わりはある。企業や国家も然り、それでいいのかもしれない。だがその組織の檻(おり)に囚人のように括りつけられている人びとにとってはそれが小さな話ですむはずもない。避けるのがどれだけ難しいとしても、生き延びようと願うことまで許されていないわけではない。

ラジオ放送局の苦境が続いている。景気低迷で広告費が減る中、音楽をダウンロードできるインターネットの普及により若者のラジオ離れが進行し、一段の広告費減少を招いているためだ。名古屋市では外国語放送のFM局「愛知国際放送」が9月末で放送を停止し総務省に免許を返納する見通し。神戸市では「Kiss-FM KOBE」が経営破綻(はたん)し、10月1日に他局へ事業を譲渡する。(略)業界も手をこまねいているわけではない。首都圏と関西の放送局はパソコンでAM、FMラジオを聴取できるサービス「ラジコ」を試験的に実施している。総務省の研究会は13年をめどにラジオをデジタル化。携帯端末でデータ情報を受信できる環境を整える方針を示している。日本民間放送連盟の広瀬道貞会長(テレビ朝日顧問)は「デジタル化でラジオ局の収入が増えれば」と期待する。

9月23日に、米国でかつて最大手DVDレンタル・チェーンだったブロックバスターが経営破綻しました。そこに至るまでのレンタル市場の変容やライバル企業の躍進を学べば、メディア・コンテンツ産業にとって重要な教訓を得ることができるのではないでしょうか。(略)ここで注目すべきは、ネットフリックスの経営陣の先進性です。郵便によるDVDの配送・返却という新しいビジネスモデルを引っさげてDVDレンタル市場に参入した1998年の時点で既に、将来的にはネット配信が郵便配送に取って代わり、レンタルの主流になるだろうと考えていたのです。その証拠に、最初は郵便配送というビジネスモデルで市場に参入したのに、社名は最初から"ネット"フリックスとし、"メール(郵便)"フリックスといった名称にはしませんでした。(略)この経営陣の行動がいかに凄いかを是非ご理解ください。ネット配信が普及すれば、自社の儲け頭である郵便配送によるレンタルに悪影響が及ぶことは必至です。自らの取り組みが本業を"破壊"する可能性が大きいのです。それにもかかわらず、先を読み、郵便配送モデルの大成功に拘泥せず、新たなビジネスモデルへのシフトを目指していたのです。(略)こうしたネットフリックスの大胆かつ果敢な取り組みは、高名な経済学者シュンペーターの唱えた“創造的破壊”に他なりません。シュンペーター曰く、イノベーションを積極的に取り込んだ革新的な起業家が非効率な古い企業を駆逐することによって、資本主義経済が活性化します。そうした経済活動の新陳代謝こそが“創造的破壊”であり、官僚化してしまった名門企業ほどその犠牲となるのです。

KDDI(au)は18日、秋冬商戦などに向けた携帯電話新商品を発表した。基本ソフト(OS)にアンドロイドを利用したスマートフォン(多機能携帯電話)3機種など、新たに19機種を投入したほか、インターネット電話のスカイプ・テクノロジーズ(本社・ルクセンブルク)と提携し、パソコン向けなどに無料通話ができるスカイプのソフトをスマートフォンに搭載することも発表した。(略)スカイプは、通信会社が本業としてきた音声電話サービスを、データ通信を使って置き換えるもので、KDDI自身も「禁断のアプリ」と呼ぶ。田中孝司専務(12月に社長就任予定)は「スカイプは海外や遠方にいる家族や友人とじっくり話すという用途が中心で、ちょっとかける携帯電話と性格が違う。海外の事例からも、携帯通話も減らないとみている」と楽観するが、携帯電話の主戦場は、データ通信へと移行している。KDDIがスマートフォンでの出遅れを挽回(ばんかい)するため、音声通話による収入を犠牲にして、顧客奪回を狙う「苦肉の策」との見方も、業界内には強い。

格安航空にとって必要なのは、革命的な考え方だ。(略)我々は、常に次の新しいコスト削減策、いかに人々の空の飛び方を再発明するかということを考え続けている。(略)まず、既存の航空会社が子会社として格安航空を設立しても、絶対にうまくいかない。世界では既存の航空会社がその傘下に格安航空を設立した事例が山ほどあるが、ほぼ間違いなく失敗した。その理由は、まず、労働組合と折り合いがつかないからだ。子会社の格安航空の従業員の方が良く働き、効率的に業務を運営してる状況を、親会社の労働組合は快く思わないだろう。また、子会社の格安航空が成功したら、親会社は市場を奪われ、高い運賃を維持できなくなる。日本航空や全日空についてはどうかって?失敗するに決まっている。まず、日本市場は十分に規制が緩和されておらず、それが失敗の要因になる。

こうした日本軍の戦闘上の巧緻さは、それを徹底することによって、それ自体が戦略的強みに転化することがあった。いわゆる、オペレーション(戦術・戦法)の戦略化である。しかし、近代戦においてはこれがつねに通用するわけではなかった。(略)昭和十九年六月十九日のマリアナ沖海戦で、日本軍最精鋭の第一機動艦隊の二六五機におよぶ第一次攻撃隊がアウトレーンジ戦法という長距離攻撃を試みたにもかかわらず、壊滅的損害を余儀なくされたのも、米軍側がレーダーで一五〇マイル前方からこれを捕捉し、ほぼ倍の数の戦闘機で迎え撃ったからであり、また米艦隊は高角砲に新開発のVT信管(飛行機に命中しなくても、目標物の至近で炸裂する)をとりつけた砲弾を使用したからである。技術体系に大きな革新があったために、もはや単純な戦法レベルの対応では十分機能しえなかったといえる。(略)本来、戦術の失敗は戦闘で補うことはできず、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。

アメリカ軍がマリアナ諸島に進攻、それを日本軍が迎撃したことにより本海戦は発生した。日本海軍がアメリカ軍との決戦を意図したものであり、両軍の空母同士の航空決戦となった。この海戦で、日本機動部隊の母艦航空隊は強力な米機動部隊の前に"マリアナの七面鳥撃ち"と揶揄される程の一方的な敗北を喫し壊滅、同時に空母三隻を撃沈され、参加した潜水艦の大半を喪失した事により、日本海軍は組織的な作戦能力を完全に失った。この海戦後、マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西部太平洋の制海権と制空権は完全に米国の手に陥ちた。


これを逆からみれば、思いきって前に跳ばない限り後ろの崖は崩れて死ぬ、跳んでも死ぬ「かもしれない」が、跳ばなければ「必ず」死ぬ――その自覚、危機意識が成員に充分浸透したとき、リーダーがそれを構成者に正しく知らせることができたとき、そしてまた、パラシュートを身にまとう暇さえなくドタバタとひとの都合に突き飛ばされてそうなるくらいなら、十分準備をし、自分でタイミングを計って勇気を振り絞ってそれを跳ぼう、という肚(はら)がみなで決まったとき、BPRははじめて本当の意味で、また可能な最大の成算をもって動きだす。あるアニメ作品の有名な科白を使って言えば、「我等は雛だ、世界は卵だ、卵の殻を破らねば、我等は生まれずに死んでゆく」のである。個人の身分としては、古い砦(とりで)にいっしょに押し込められたまま「生まれず」に窒息させられて巻き添えをくらうくらいなら、恩義と愛着ある古き巣といえども、どこまでそれに忠節を捧げ、並走すべきかは充分な見極めが必要だろう。繰り返すが、中にいてできないなら外に出てやっても全体としては同じことなのである。あとは古い革袋自身が自分で変わろうと思うか思わないかそれ次第である。


リエンジニアリングは「エンジニアリング」というより「アート」である

第三に、このような激しい性格をもつリエンジニアリングの内実は、その名のとおりの、与えられた図面に添って決められた製品を淡々と製造する「エンジニアリング(工学)」というよりは、未来に向かって開かれた、真っ白なキャンパスに新たな絵柄を描き出す「アート(創造)」に近い。見も知らぬものが新たに生まれるからこそそれはほんとうの意味での変革なのであり、落としどころが潜在的な所与としてあらかじめ手の内に与えられているようなものは単なる過去の延長、焼き直しでしかない。その意味では、上記の「革命」という言葉がそうであったのと同様に、この「エンジニアリング」という修辞は、「総改め」という大仕事に向けての「意気込み」を強く前面に打ち出したものだと解される。工学とはいいながら、この本にはそれらしい数式だの計測データだのはほとんど出てこないし、著者の一人はMITで教鞭を取っていたコンピュータ・エンジニアリングの当の専門家であるけれども、具体的にどのような業務システムや手法を使って情報技術を組織運営のなかで活用するかについての我田引水めいた仄めかしもない(上にもあるように、いくら高度な数学的手法や情報技術を形だけ用いても、根本がずれたままでは過ちが増幅されるだけに終わるからである)。代わりに書かれているのは、BPRを実行するうえでのいくつかの勘どころが、引用したような平易で簡潔な言葉でラフに指定されているだけで、あとはいくつかの実際例と、その中での経営陣と従業員が議論を重ね、悪戦苦闘しながらそれに肉付けしていく様子が補足的に描写されているだけである(「BPRのふりをしているがBPRではないもの」についてはしつこく書いてある)。そこから先でなにをどうするかは読み手の自由な取り組みにまかされている。裏返せば、先回りして教条的にそれを掣肘することのないように、細かいところはあえて詰めていない。

第2章でIBMクレジットがその信用供与のプロセスをどのようにリエンジニアリングしたかを説明したが、抜本的にプロセスをデザインし直す必要に迫られるまで、何度となく古いプロセスを修正しようとしたことには触れなかった。(略)オートメーションから得られた業績の小さな改善では満足せずに、IBMクレジットは次にありとあらゆるビジネス改善テクニックを試みた。待ち行列や線型計画法を使って、待ち時間を最短化させるように部門間の仕事のバランスをとろうとした。結果は不十分なものであった。さらに、プロセスの各ステップに業績の基準を設定した。そのあとで実際の数値を測ったところ、従業員はこの基準をほとんど100パーセント完璧に達成していることがわかった。しかし、処理時間はさらに長くなった。このおかしな結果はどうすれば説明できるのだろうか。忙しいときには請求書の間違いを見つけると、それを直してもらうためにそこを担当している部署に送り返してしまい、その間違いのある請求書に対する責任から逃れていた。/このようなIBMクレジットの経験は例外ではない。組織は、リエンジニアリングによって抜本的にデザインし直すことを避けようとしてしばしばたいへんな労力とコストをかける。(「第14章 リエンジニアリングを成功させる」)


理解を立体的に深めるために再びコミュニズムとの比較をとるならば、リエンジニアリングがこのように本質的に自由な創造と跳躍の試みであるのは、「下部構造」の先行変化に追いつく「上部構造」の変革が、社会主義の想定したような、単純に両断されたものではないからだと考えられる。上部構造(われわれの行動モデルや意識)の変革が自由な創造でなければならないのは、下部構造(生産様式や経済的基盤)も実際には決められた通りにではなく、予測不能なところに勝手に変わったからである。的(まと)が自由に動いたからこそ同じ自由をもってそれを迎え撃たねばならず、まっさらの新たな干拓地が出現したからこそ、そこに何をどう植えるかも、去年までの耕作とは違う新たな挑戦になるのである。

では、下部構造はなにを動力にそのように勝手に変わってしまったのか。それは上の例に見るように、ある特殊な個人の技術や発想についての突出した、また突然変異的な創造行為によってこそ変わったのである。すなわち微視的に、かつ精確に観察するなら、下部構造の変革もまた上部構造(先行意識)によってもたらされ、規定されているのであって、一見して巨大な下部構造が上部構造を規定しているようにみえるのは、望遠鏡で遠目に覗いた単なる概観にすぎず、実相は、その先端で小さく、また猛烈に燃焼している創造行為という上部構造が、下部構造の実体化した変化を経由して、箒星(ほうきぼし)の尾のようにその他大勢の上部構造を引っ張っているのである。このことは、現代の資本主義社会に生きるわれわれは、日々の身体感覚として強く実感できることだろうし、同時にそれは、未来が決まっているからこそ自らそれを早送りして手繰り寄せることも容認されるという論理とは、似ているようで180度正反対の営みであることも容易に理解できるだろう。

この見方からすれば、「下部構造」がどう変わるかは、先んじて知ることなどできないし、あらかじめ規定されてもいない。よって、それに呼応するはずの組織モデル、労働モデルもどのようなものであるかもあらかじめ分からない。その洋服自体、その都度新たに仕立て、創造しなければならない。どうなるか決まっているわけではないから(たとえば計画経済のような)お仕着せの粗末な定食メニューを全員に押し付けることも当然正当化されない。われわれは大いに試行錯誤する必要があるし、だからこそ複数の立候補者が常に競争し、切磋琢磨して、選好の選挙戦の中を勝者が淘汰によって選ばれていかないといけない。

社会主義の経済運営が発足当初一時的にうまくいっているように見えたのは、それが歴史を本質的に凍った、停まったものとみなして、その固化した静的な似姿をすくい取って形だけを模造したからである。しかし実際にはそれはひとときも歩みを止めず、地滑りのように止めどなくどこまでも形を変え、さらに先へと滑り落ちていった。ゴスプラン(中央計画局)が整然たる五カ年計画をくり返して、賢明な同志指導者たちがマスゲームのようなその結構の美しさにうっとり見とれている間に、混沌たる市場経済は想像もつかないようなはるか遠方まで走り去り、大地はあとかたもなく姿を変えた。今立っている場所から振り返れば、彼らはなんであんな遅れた段階で無理に共産革命を起こしたのだろうという哀れみはわれわれすべてのものである。しかし当時のその時点では、彼らもまた(全体の道具立てとしてみれば)資本主義はもう十分に発達したと思ったのだ。これだけ科学と軍事技術が発達し、煙突からもくもくと煙を吐き出しながら重化学工業が爛熟し、強大な独占資本に資本が集約されたからには、あとはマルクスの予言どおりに首から上を刎ね落としてすげかえさえすればそれで済むのだと(旧ソ連の国旗にシンボルとしてなんの道具が掲げられていたかを想起しよう)。しかし結果から振り返れば、ストップボタンを押して歴史を勝手に止めなければそこから先の話はまだいくらでもあった。過去の独占資本は他ならぬ資本主義自身のメカニズムの中であっさり打ち倒されて追憶のかなたに追いやられ、新たな産業、新たな雇用、新たな成功者が次から次と生まれた。外からはめられたその理論の外骨格を内側からむしゃむしゃと食い破ったのは、上部構造の内発性、自発性である。一方、終わった歴史の中で自らのうちのすべての自発性、すべてのインセンティブを押しつぶした共産圏の側は、産業スパイにそれらを盗ませて、形ばかりの「デッドコピー(死んだ模写)」を作り続けるしかなかった。これからもその漂う氷床を不動の大地と取り違えて勝手に旗を立て、切り与えようと試みる社会運動が後を絶つことはないだろうが、すべて同じ羽目に陥り、引きずられた後ろ頭を未来の地面に打ちつけるだろう。

思うに、古典マルキシズムが、下部構造の変移は「自然科学的な正確さ」(マルクスの『経済学批判』序文にある有名な言葉)であらかじめ固まっているとしたのは、その理論的純血を保つために、そこに人間の創造行為、すなわち上部構造の雫(しずく)が滴り落ちてその禍々しい染みが敷布に広がるのを防ぐためではなかったのだろうか。反対に、それがあらかじめ完全に鋳固められているのではなく、未来が可能性において閉じてもいないのだとしたら、それはルーレットの偶然が決めるのでない限り、人間の精神、(下部構造の規定を受けない、本質的にふらふらと寄る辺ない)自由な創造の働きによるものでしかありえない。リエンジニアリングが行った全体的な問題提起が、そこを過たず踏みしめている限りにおいて、それは表面的なビジネス改善手法を超えた深度の拡張性を有している――それが、事業の世界以外のところにまでそれを応用しようとした人たちとともに、自分がこの思考に見いだしている意義である。


Don't pave the cowpath.

翻ってこれを日本社会との対比という点で考えるなら、内にも外にも、また有形無形の制度としても、この自由な柔軟性こそがわれわれの間にもっとも欠落しているものであり、ゆえにいつも変革が内発せず、上の例にも見られるように常に外圧の形でそれは外からもたらされ、老齢で魯鈍で頑(かたくな)なだけの指導層を最上階の役員室だの参謀室だのに戴きながら、まさに「オペレーションの戦略化」によって、現場レベルの既存オペレーションの超人的な錬磨と悲惨な肉弾突撃によって、それを償う現実の姿が、あらためて醜く照らし出されることになる。たとえば、以下のような記述に接すると、それが昔の純然たる軍事攻撃のことを言っているのか、それとも現代のIT技術者の労働環境のことを言っているのか、一瞬強い錯視感に襲われる人も多いのではないか。

午後になると米軍戦車六両も加わって反撃が続行され、支隊の背後を踏みにじった。この光景を、バンデクリフト第一海兵師団長は、「戦車の後部はまるで肉ひき器のようだった」といっている。将兵の奮戦にもかかわらず、戦況は日本軍にとってまったく不利になった。

第二線攻撃部隊である田村大隊は、小野寺、黒木、石橋の三個中隊を並列し、「夜襲の仙台師団」の名誉にかけて遮二無二エドソン丘に突進した。エドソン大佐は、最前線に出て、「きさまたちになくて敵にあるのはガッツだけだ」と兵士を叱咤激励した。


われわれにおいて、なお問題であるのは、そこに「外すらもない」こと、「外に逃れ出る」門扉すら閉じられていることが多いことだろう。われわれに構想力そのものが欠けているわけではない。外の自由がある場所では、世界が目を見張るような驚くほどの創造性が爆発することは、硬直した既存エスタブリッシュメントの手が届きにくいマージナルな領域においては既に十分に証明されている。問題は多くの場合、それがないことだ。また逆に、外に逃げることすら容易にできないようになっていることが、内なる腐敗と愚劣の宴が、ぎりぎりの最後まで持ちこたえ、跋扈することの必要条件をなしている。

また、さらに問題なのは、この閉塞が今や単にビジネス環境にとどまるだけの話なのかということだ。内なる流動を阻止することに不幸にも成功してしまうと、洪水で押し流される単位および厄災が一回り大きくなり、内部融壊をロックした当の主体のまるごと全体になる。「自らは変わらずに周りだけが変わっていくもの」、「自ら変えられずに結局いっそう残酷に外から変えさせられるもの」、あるいは一方的に射的の的になる、のろまで皺(しわ)の寄った「七面鳥」は、今や個々の日本企業なのか、それとも日本全体なのか。おかしな方向で癒着、固定化して、どうしようもなく行き詰まり、臨終することさえできずに茫然と突っ立ったままただ腐臭を放って朽ちていくわれわれの多くの前提(たとえばあいかわらず高度成長モデルに基づいて維持、弥縫されている諸種の社会制度や、その卑しい後見人、総元締め、爪車に堕してしまった「議会制民主主義」など)は、もはや自己の延長線上の「カイゼン」でどうかなるものなのか。それともそれは今や「牛専用の道」であり、「どうしたらそれをうまくできるのか」ではなく「そもそもなぜそれを行っているのか」を問うべきものになったのか。すべての過去の桎梏を超え、社会主義の絶望も、全体主義への回帰をも超えて、自ら生まれるために、生まれる前に死なないために、どのようにそれを「リデザイン」し、乗り越えるか――郷党への帰属愛にあくまで殉ずるもよし、逃れ出て外なる世界に雄飛するもよし、それはまさにこれから作られるべき未来としてわれわれの自由な創造の手に委ねられている。





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2010/12/15 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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