効率性と冗長性

震災で日本と世界の多くの企業のサプライチェーンが寸断され、混乱が続いていることから、在庫の抑制などの効率化の行き過ぎが災害耐性を弱めたのではないか、という主旨の指摘が複数の筋からあがっている。これについて、現場で実際の仕事をまわしている従事者にとっては(言語化されたものでなくても)肌感覚で分かりきったことではあるけれども、基本的な認識を再確認しておこう。効率性とリスク対応のための冗長性はもともと別の次元の話で、一方をとると片方が犠牲になるような排他のものではない。そのうえで効率性は冗長性の敵ではなくてむしろその味方である

効率性が冗長性(redundancy:リダンダンシー)の敵でなく味方であるのは、手足の先々まで神経が行き渡り、サプライチェーンがシンプルで筋肉質のものになることによって、外的な打撃を受けた時に、迂回や組換えがそれだけ機敏にできやすくなるからである。また、日常の効率化によるコスト削減は、システムに充分な冗長性を持たせていざというときに集中的に経営リソースをリスク対処に投入するための、より多くの原資を生み出す。日頃から生産性を高め、事業がまっとうに回って収益を上げていなければ、いざというときに思いきった資金を投じて企業と従業員、そして顧客を守ることもできないし、生産性の低さを馬力と長時間労働でカバーするような、余裕のない、伸びきった仕事の仕方をしていると、ほんとうに踏んばりをきかせないといけない時に二進も三進もいかない。それは日頃からし放題に国債を発行して水膨れの放漫財政に溺れている国家が、いざとなって必要な緊急予算を手当てできずに右往左往するのと同じである。

世界的カジュアル衣料ブランド「H&M(ヘネス・アンド・マウリッツ)」は17日、東日本大震災の発生を受け、関東地方の10店舗をすべて当面、営業休止にすると発表した。(略)店舗の営業再開時期は未定。日本支社の法人機能も大阪市内のホテルに移転した。閉店や移転は、日本支社が15日に閉店を決め、スウェーデン本社も「社員の安全確保が最優先」として了解したという。同社は社員の安全確保を最優先し、東京・渋谷の日本支社に勤務する社員と、休業する店舗で働くパートタイム社員とアルバイトなど計800人を関西地域のホテルに避難させる意向も明らかにした。避難対象はスタッフの家族も含み。最大で2000人規模になる。ホテルの滞在費用などはすべて同社が負担する。


今回の状況と比較される「9.11」のアメリカ同時多発テロのときにも、アメリカの多くの企業が同様の被害を受けたが、サプライチェーンの洗練度が高い順にリカバリーが早かった。中でも目をみはるような立ち上がりをみせて賞賛されたのが、当時誰もが目標にしていて、保有在庫も極端に薄かったデル・コンピュータである(当時の数字で、在庫回転率が2位の企業から数倍違うという圧倒的な水準だった)。再始動がそれだけ早かったのは、サプライチェーンが入口から出口まで完全に透過で、製品機種やロットどころか個々の仕掛り品レベルまで文字どおり「単品管理」されていたために、ダメージ箇所の特定と、迂回ルートへの切り換えが遅滞なく行えたからである。その恩恵は「サプライ」のみならずその外側の「デマンド」、すなわち顧客の側にまで及んだ。

[報道陣] 今後の状況によっては、部品が納入されなくなる危険性もある。短期的に在庫を積み増すことは考えていないのか?
[ロリンズ氏] 現在の在庫は4日間。アメリカの工場の場合、9月11日でもそうで、週末までの分だった。しかし、翌週月曜日に空路が再開したので、部品を空輸でき、継続して製造が行なえた。ヨーロッパ、中国、マレーシアには、まったく影響はなかった。(もしアメリカでの製造が困難になっても)製造を一部、海外に移行して完成品を空輸することで、納品に影響は出ない。世界の複数の地域に拠点を置いているため、どこかの地域に短期的に影響が出ても、供給体制を維持できる。

同社は9月11日に起こった米国同時多発テロで特別チームを立ち上げ,被害を受けた企業に対して最高レベルのプライオリティで製品を割り振ったという。そのシステム数は,ニューヨークやワシントン合計で3万5000システムに上る。


もちろん、モジュール化が進んだパソコンと、それが遅れていて数万点の部品を扱わなければならない自動車や、同じように多数の商品を扱う小売りの企業が違うというのはその通りだし、今回海外のメーカーまで大きな影響を受けているのは、それだけ天災の規模が大きく、また被災した日本メーカーがそれだけ他に替えがたい、優良な製品を作っていたということもあるだろう。いずれにしても効率化とは関係のない別の話であるか、あるいはむしろそれが遅れているということである。

米ブルームバーグの調査部門ブルームバーグ・インダストリーズの自動車業界アナリスト、ケビン・タイナン氏(ニューヨーク在勤)は「企業は多くの場合、自社にどの程度の影響が及ぶかすら認識していない。企業は直接の供給元は知っていても、供給元の供給元や、さらにその先の供給元などは把握していない。私は以前から、世界の自動車業界のサプライチェーンを把握できたら、ノーベル賞ものの偉業だとよく言っていた」と語る。

確かに部品の在庫は底をつきつつあると思うが、ここで1つ確認してほしいことがある。完成品の在庫である。財務諸表の棚卸し在庫を確認すると、一般にセットメーカーの在庫は数ヵ月分ある。たとえば、棚卸し在庫で完成品が2ヵ月分あるなら、平均で2ヵ月分の市場の供給には困らないことになる。さらに、これらの商品は、小売店・卸売にも在庫があるはずで、財務諸表に載っているよりも、さらに、完成品の在庫が残っている可能性が高い。(略)「いま必要なものだけつくる」ことは、「いまはいらないものをつくらない」ことで実現することになる。これが、世界で1000万人が読み、いまも色褪せないベストセラー『ザ・ゴール』で紹介された全体最適のマネジメントサイエンス、TOC(Theory Of Constraint:制約理論)の需要連動生産である。(略)ゴールドラット博士の『ザ・クリスタルボール』では、倉庫の天井の水道管が破裂して、在庫が水浸しとなるところから始まる。主人公は、倉庫で在庫を保管することが許されないなか、最少の在庫ながら、売上げを犠牲にしないようにオペレーションを回さざるを得ない状況に追い込まれる。そして、やむを得ず、偶然実践したこのことが目覚ましい収益をもたらす。


直販主体(完成品在庫すら持たない)で日頃から緊張感の高いオペレーションをしている事業者の方が、サプライチェーン全体がだぶついていてどこに何があるかもよく分かっておらず、災害が起きてはじめてそれを洗い出しにかかる事業者よりはるかに機動的で、リスク感度も高い、という点を、われわれはこれらの事例からあらためてよく直視する必要がある。バレーボールでこれからどこにサーブが飛んでくるかわからないというときに、腰から下が胡座をかいてコートに座り込んでいるなどということがあるだろうか。踵(かかと)を浮かせて爪先立ちでいる者の方が不測の事態により機敏に対応できるのである。

この点について、SCMをテーマにした「タイム・コンサルタントの日誌から」というブログで、情報通信における対処法が参考になる、という興味深い考察がされていた。

こう考えていくと、サプライチェーンのリスク・マネジメントがいかに矛盾に満ちたものであるか、理解できると思う。それでは、この二律背反を解く原理や方法はないのだろうか。じつは、あるのだ。それも、思いがけないところにヒントがある。
それは、通信工学である。通信路における情報伝達速度の向上と、耐ノイズ性の向上との矛盾は、サプライチェーンの悩みとよく似た問題である。そして、通信工学(情報工学)の教える方策は、こうだ。

(1)まず、通信電文を効率よく符号化して、可能な限り無駄を省いて圧縮する。
(2)次に、意図して冗長性をつけ加える。ただし、その冗長性は、受信側がノイズを除去できるようなロジックにしたがって、つけ加えなければならない。

この手法は、シリアル通信におけるチェック・ディジットからATM通信に至るまで広く応用されて、成功を収めている。
われわれがサプライチェーンの問題に取り組むときも、方針は同じだ。

(1)まず、冗長性を省く。不要な在庫や過剰な供給経路を発見して、すべて排除すること
(2)つぎに、意図して冗長性を付け加える。つまり、脆弱性の予見される部分に、バックアップ的なサプライヤーや、変動を吸収するためのバッファー在庫をおく。

「良い在庫・わるい在庫」で述べたように、“出来ちゃった在庫”ではなく“意図した在庫”は善なのである。このような手順を行なえば、サプライチェーンのスリム化とリスク管理のバランスをとることができる。

効率性と冗長性を両立させるためには、冗長性を持たせる「遊び」の部分をプロセスの中に設けるために、むしろ本筋の部分の効率化を徹底することだ、という点でまことに的を射た指摘といえる。


個人や家庭も同じ

効率性がリスクマネジメントにとって強い味方であるということは、企業以外の個人や家庭にとってもまったく同じである。強靱で無駄のない組織と財政を持つ自治体こそが、災害インフラに充分な予算を投入し、洗練された計画を練ることができるのと同じように、家族の安全と災害への配慮を日頃から充分払っている家庭は、その出費を捻出するために、日常生活のコストをそれだけ抑え、慎んだ生活を意識するだろう。また、各企業が効率化を進めて、良質な製品を安く提供することは、より少ない出費で、あるいはより少ない収入の家庭でも、手厚く災害に備えることを可能にし、それを何よりも力強く応援する。200円のミネラルウォーターや乾電池が100円になれば、家庭は同じ金額で倍の本数を用意しておける。そこから先で実際に準備をするかしないかは、個々の判断、好き好きである。コンビニが便利だからといって、それに頼りきって非常時のための食料や日用品をストックしていなかったり、あるいは「オール電化」が割安だと聞けば、考えもなしにエネルギーのインフラを単線化して、炊事やトイレまで電気がなければ使えないものに替えてしまったり、あるいは停電や故障、先般あったようなメーカーのトラブルに対する配慮もなく、エレベーターがなければたどりつくことも難しいような超高層マンションに居住したりすることが、ほんとうに「効率化」なのか、それともただの想像力の欠如と危険に対する本能的な察知力の鈍化でしかなかったのか、文明の果実を選択肢として使いこなしているのではなくてそれに使われているだけでなかったのか、ということも、この点から判断されることだろう。自分の仕事の中で効率性と冗長性の兼ね合いを常に意識して、両立をはかることをこころがけている人であれば、自分自身の生活でも当然同じ原則をもってのぞむはずだ。


統制の効率性と競争の冗長性

また、われわれの生活の中で効率と冗長性を両立させ、十分な冗長性を維持するために重要で、しかしあまり語られないもう一つのポイントは、複数の事業者による競争環境である。

これについても、ふだんからよく複数の事業者が重複した設備やサービスで競争するのは、経済的資源の甚だしい無駄であり、市場主義的経済運営の効率の悪さの象徴だ、というようなことをもっともらしくいう人がいる。情報通信の世界でいえば、たとえば先般あったような、複数の事業者がそれぞれ光ファイバーを引くのは云々、といった議論が端的にそうである。その手の議論は、通信市場を民間開放するときにも反対陣営からさかんに行われたが、それらが根本からの間違いであり、話は逆であることは、こういう大きな災害があった時にこそはっきりとよく分かる。特に人びとの生活の基礎物資を担うインフラ系の事業者は、複数の事業者がいて、利用者が複数の選択肢を持っており、どちらか一方がダメになっても切り換えができること、そしてそれらの複数の事業者が先を争ってサービスの復旧と供給力の増強を競うことが決定的に重要なのである(たとえば物流サービスでは、東北での事業再開はヤマトと佐川がほぼ同着で早く、日本郵政がビリだった)。

今回の災害では、水道水の放射能汚染の報を受けて、店頭のミネラルウォーターが買い占められるという騒動があった。この事例で真に重要な点は、買い占めをする消費者の短絡的な行動が云々といったことではなくて、水道という公的サービスがダウンした時に、買い占めることができるミネラルウォーターという代替の選択肢がまだあった、という点である。ミネラルウォーターの民間事業者による販売と、公的な水道事業は、もともとあまり表立って意識されてはいない、潜在的な競合関係にあった(それは情報通信の業界用語でいえば、ネットワークでつながれたクラウドサービスとパッケージ販売の競合に対比できる)。日本では以前はミネラルウォーターを買うという習慣があまりなく、水まで商売のネタにするのかと笑われたり嘲られたりしながら事業者はこつこつと市場を開拓してきた。その地道な努力がこういう非常時に実ったのである。もしもミネラルウォーターやウォーターサーバーの事業者がいなかったら、みんなから石を投げられたことを苦にして彼らが事業をやめてしまっていたら、われわれには買いに走る水さえなかった。そして実際にそれがはやばやと売り切れてしまったあとは、汚染された水道水以外に選択肢がなくなってしまった人たちは、途方に暮れるしかなくなったのである。自由化の程度が不完全で競合事業者の規模が小さすぎるために、まだ不十分なところにとどまるけれども、それでも代替の選択肢の存在は、水というわれわれにとって決定的に重要な必需財において、まちがいなく冗長性と災害耐性を高めた。

水の宅配大手アクアクララ(東京)では、通常なら1日約300件の新規契約が3月下旬以降急増し、一時7000件に達した。同社は家庭やオフィスに専用サーバーを設置して大容量ボトル入りの水を配送。震災に伴う容器材料の調達難も重なり、宅配開始は申し込みから2週間~1カ月後になるが、今も首都圏を中心に1日2000件超の注文が舞い込む。

3月11日に発生した東北関東大震災。ボランティアが震災直後の被災地にはいったとき、避難所で見たのは、積み上げられた伊藤園の飲み物ケースだったという。伊藤園では、震災後わずか3日間の間に、被災した岩手、宮城、福島各県にお茶やミネラルウオーターなど60万本を提供。そのスピードはどこよりも圧倒的に早かった。(略)それにしても、営業所、場合によっては社員ひとりひとりが判断して行っていたというのは驚きだ。そこには、全社員共通のある認識が存在するからだという。「工場や倉庫にある飲料水は、販売物というだけでなく、非常時には救援物資に変わるものという認識でいます。昔から、“非常時には即座に、飲料水、生活水として近隣へ配布するように”という意識が、全社員に浸透しているんです。」


オーソドクスな机上の公共経済学では、民間の私企業は穢れた、よこしまな存在であるという想定のもとに、われわれの生存に不可欠な公共のインフラは「ビジネス化」してはならず、独占された公的な事業体に供給を一本化すべきだと主張する。しかし経済の現場の真実はこんなふうにまったく逆である。それがわれわれの生存に必要不可欠なものであればあるほど、供給は複線化されていなければならず、そのためには複数の民間事業者による日頃からの真剣勝負の競争が必要なのだ。代替の選択肢が意図的に遮断された公的独占状態がいかに悲惨で理不尽であるかは、今回まさに電力サービスにおいて、とんでもない大事故を起こした事業者との契約を打ち切ることさえ許されず、逆に一方的に停電を割り当てされるのを受け入れる他なく、頭を下げて事業者に懇願さえしなければいけない、という点に何よりはっきりと現れている。もしも今から振り返って反省することがあるとするなら、原発事故の拙劣な危機管理も含めて、電力のようなわれわれの生活に致命的に重要なものを、国家や公的独占企業の手に触らせるべきではなかった、ということこそがそれに値するものだ。ほんのわずかばかりのものとはいえ、売電の自由化と供給の複線化をいやいやながら導入しておいたことで、今回もどれだけ助かっていることだろうか。

住友金属工業は26日、鹿島製鉄所(茨城県鹿嶋市)内にある火力発電所の稼働を再開したと発表した。発電した電力の全量(出力47万5000キロ・ワット)を東京電力に供給する。発電規模は茨城県内の家庭用電力需要をまかなえる規模に相当する。住金は11日の東日本巨大地震の発生後に発電所の稼働を止めた。設備の一部が損傷したが、25日夕に発電を再開し、26日未明にフル稼働を回復した。


また、上記の情報通信とのアナロジーをさらに前に進めるなら、外部からの破壊に対して最も耐久性が高いのは、まさにインターネットがその目的のために作られ、それを実際に実現しているような、ノード(結節点)の出力と機能が小さく、シンプル(「スチューピッド」ともいう)な構造でメッシュ型に組まれたネットワークである。反対に最も脆弱なのは、浅はかな効率性を意図して設計されたインテリジェントでかつ中央集権型のネットワークであり、大規模な交換機や発電所・変電所で全体を集中制御する旧い電話網や現在の電力網がまさにそれにあたる。われわれは容易にそれを、社会主義型の肥大した中央計画局による統制経済と、無数の民間企業が統制された計画なしに自律的に蠢く、P2P型の市場経済になぞらえることもできる。


効率性が冗長性と排他でないのは、ぎりぎりの根源的なところをいえば、われわれの究極の目標が効率性ではなくて冗長性(安全保障)だからである。自然の巨大な力に比べてまだまだ小さなわれわれの知恵と力と有限の経済資源で、できるだけ多くの安全を作り出すには、効率の追求を欠くことができない。だからこそ効率性は冗長性の敵ではなく、無二の友となり、その守護神となる。安全が効率を気にかけるのは、安全や平和が、タダでもなければ自然状態でもなく、常にこちらから求めて作り出すものだという意識、また、襲いかかるリスクの大きさはこちらの動員力を容易に上回ることがありうる、われわれは全力を尽くしてさえあまりに非力だ、という自覚からの危機感、緊張感に基づいている。逆に、効率と安全を排他のように考え、日頃は安全のためのコストを邪魔なものと考えて邪険にしながら、一朝事あると一転非を詫びて天に許しを乞う、といった類の姿勢は、安全が無条件に万人に配剤されるものと誤認し、安心の中に眠りこけ、弛緩した意識に基づくものだ。サプライチェーンの長期の混乱をもたらした背景の一端が、そのような意識の緩みに起因するものであるのならば、そこから汲むべき教訓は、凭(もた)れる枕の数が足りなかったというものではないはずだ。





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2011/04/25 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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