原発事故のアクシデント・マネジメントを検証する

福島原発事故で、「アクシデント・マネジメント」(あるいは「シビア・アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)」)という考え方が焦点のひとつになっている。

事故発生からここまでの経緯をたどると、電力会社と日本政府、地方自治体は、事故が起こることに対してほとんど丸腰で、なにも準備ができていなかったように見えるので、それがいったいどうなっていたのかについて、多くの人が疑問に思うのは当然だ。

本来の意味での(広義の)アクシデント・マネジメントは、事故の深刻化の度合いに応じて、次の3つの階層に分けられるだろう。一般の企業でいえばBCP(事業継続計画)、コンティンジェンシー・プラン、あるいはディザスター・プラン(破局的災害対策)などといわれているものの考え方と並行するものだ。


    1) 天災、テロ、設備故障、操作ミスなどの原因事象に襲われたときに、それが事業や施設の中核機能に波及することをくい止め、重大事故へつながることを防ぐための対応 (事故を「防ぐ」)
    ―原子力発電所の自然災害対策でいえば、耐震補強や外部電源の多重化などの予防的準備が相当する

    2) 1)の防壁が突破され、重大事故が現実に発生した際に、出血を止めてそれ以上の拡大を防ぎ、沈静化・収束に向かわせるための対応 (事故を「止める」)
    ―同じく電源喪失時の予備電源の配備や冷却・隔離手段の手配、連絡・指揮体制の整備などの治療的措置がこれに当たる

    3) 2)にもかかわらず事故が拡大した際に、防衛ラインを引き直し、被害を最小にとどめるための対応 (事故を「抑える」)
    ―空気、水、食品の放射線汚染の測定、監視や、周辺住民の長期避難の実施と生活支援、補償支払いや電力供給制限のシミュレーション、廃炉方法の検討、などが相当

結果はこのすべてに失敗していることは現実に事態が進行してきたとおりである。ひとつ前のフェーズの対応をし損ねたことでそれぞれ次なる悪化を許し、最後の3)の段階は、そもそも「ありえない」ものとされていたので、なんの手当てされていなかった。

外部電源は自国内、そして自社管内で柏崎事故という貴重な教訓があったにもかからわず、充分な耐震補強と多重化がなされておらず、鉄塔が一基倒れただけで失われた(その後の情報では、今回の震災で倒壊した鉄塔は東日本全域でこの一基だけだという)。予備の電源車の電力容量はまったく足りず、そもそもケーブルが合わずに接続できなかった。これはもちろん一度でも事前に実地訓練をしていれば容易に確認できたはずのことで、それがされていなかったということである。

待望の電源車が福島第1原発から約5キロ離れた、国の対応拠点「福島オフサイトセンター」(福島県大熊町)に到着したのは午後9時過ぎ。東北電力から提供された電源車2台だったが、ここでトラブルが発生する。電源車が高電圧だったため接続に必要な低圧ケーブルが用意されていなかったのだ。(略)1、3号機はともにタイムリミットの12日午前0時を過ぎてもバッテリーは働いていた。問題の低圧ケーブルはようやく調達できたが、「関東から空輸準備中」(原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官)で作業員も足りないというありさまだった。2号機の水位は安定し、このころはほかにも低電圧を含む2台の電源車が到着していたが、山田課長は午前0時50分過ぎの記者会見で心もとなげに語った。「今来ている電源車では、多分足りないと思う」 政府高官は「東電のオペレーションは準備不足で、行き当たりばったりのようだった」と振り返る。


事故発生時に前線の司令所たるべく、巨額の税金をかけて建設した対災拠点は、発電所の事故対策のための施設にもかかわらず「停電のため」使用できず、指揮の中枢である安全委員会のメンバーは「交通渋滞のため」集まることすらできなかった。

原発の緊急事態の対応拠点となる国の「原子力災害対策センター(オフサイトセンター)」(福島県・大熊町)が震災で被害を受け、機能のほとんどが失われたことが16日、分かった。経済産業省原子力安全・保安院は「想定外の出来事だが、機能を発揮できないことは問題だ」としている。保安院は11日の地震発生直後、オフサイトセンターに現地災害対策本部をセンターに設置した。しかし、停電が起き電源車による発電を試みたが、電気系統が復旧していない。衛星回線を使った原発関係の被害の情報収集は可能だが、それ以外の県災害対策本部と結ぶテレビ会議や市町村への情報提供など全ての機能を発揮できていない。このため、保安院は16日、対策本部を県庁本庁舎に移し、本部に参加している内堀雅雄副知事も福島市に戻った。

日本原子力発電東海第2原発(茨城県東海村)などで緊急事態が発生した際、対応拠点となる「茨城県原子力オフサイトセンター」(同県ひたちなか市)が、東日本大震災の影響で約20時間停電していたことが22日、県への取材で分かった。県によると、11日の地震発生直後に通常の電力供給が停止。非常用発電装置が起動したが、地震の揺れなどの影響で装置の燃料が漏れ、同日午後5時ごろに送電が止まった。

国の防災基本計画では、原子力災害の発生時には、同委の「緊急事態応急対策調査委員」ら専門家を現地に派遣すると定めている。しかし、この日の同委員会で、班目委員長は、地震発生直後に現地に派遣したのは事務局職員1人だけだったと説明。結果的に、安全委が政府の現地対策本部(福島市)に専門家2人を派遣したのは4月17日で、班目委員長は「大変遅くなってしまった」と対応の遅れを認めた。また、班目委員長は、地震発生日の3月11日、安全委が調査委員40人に携帯メールで連絡を取ろうとしたがつながらず、交通機関もストップしたことから、数人しか集まらなかったことも明らかにした。


事故が深刻化してからも、備えのなさは次々露呈した。破壊された原子炉を冷却するための大量の真水をどうやって調達するのか、入れ替わりに発生する膨大な汚染水をどうするのか、溢れて海面に流入したときはどう対処するのか、作業員の被曝管理はどうするのか、習熟者から被曝限度に達して失われていく人員の交替補充はどうするのか、そのために日本中の放射線技術者を使い果たしてしまったら他の発電所の運用はどうするのか、テロリストや諜報エージェントがどさくさに紛れて入り込まないよう身元管理はどうするのか、作業者の保護と稀少な作業リソースをできるだけ温存するためにロボットや観測ヘリなどの無人機器をどう活用するのか、全体に誰がどういう指揮系統でどのレベルの意思決定を行い、それを誰がどう周知し、広報を行うのか、準備されていたことはなにもなかった。

東京電力福島第一原発から海へ流出した高濃度の汚染水に含まれる放射性物質は、ほぼすべてが外洋に拡散してしまった可能性が高いとの見方を、経済産業省原子力安全・保安院の関係者が明らかにした。東電は流出を食い止めた5~8日後に、拡散を抑えるため海に仕切りを設置したが、すでに大部分が外洋に出た後だったとみられる。(略)大半が流出してしまった原因について、保安院関係者は、フェンスの設置時期が遅すぎたためとみる。(略)シルトフェンスは、海上の浮きから海底近くまでをポリエステルの幕で仕切るもので、通常は、土木工事で発生する泥水の拡散を防ぐために使われる。東電は、海水の拡散を完全に遮断はできないが、「ある程度の効果は期待できる」などと説明してきた。


近隣住民は情報も支援もなくあいまいな状態のまま長期間に渡って放置された。長期避難先の住居、子どもの学校、生活費、仕事はどうするのか、病人や介護者はどうするのか、酪農家の膨大な頭数の家畜はどうするのか、農家の作付け、漁師の操業はどうするのか、仕事ができなくなって事業所から追い出されてしまった中小企業の資金繰りはどうするのか、下水道に流れ込んで濃縮された処理場の放射能汚泥はどうするのか、放射能がふりそそいだ膨大ながれきはどうするのか、放射化した遺体の処置はどうするのか、農地や校庭、公園、道路、建物などの除染はどうするのか、賠償するしないの線引きはどこに引いて、それは全体でどれほどの規模になるのか、考えられていなかった。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、避難指示区域(原発の20キロ圏内)に牛約3000頭、豚約3万匹、鶏約60万羽が取り残されたことが19日、福島県の調べでわかった。避難指示から1か月以上が過ぎ、すでに多数が死んだとみられる。生き残っている家畜について、畜産農家らは「餓死を待つなんてむごい。せめて殺処分を」と訴えるが、行政側は「原発問題が収束しないと対応しようがない」と頭を抱えている。

県は8月をめどに、本県独自の放射性物質の除染計画を策定する方針を、1日までに固めた。具体的な除染方法は最終調整しているが、これまでに学校や通学路で行った実証実験で採用した高圧洗浄機による除染などを想定。計画策定に当たっては空間放射線量や土壌汚染の実態が把握できる地図を作成し、住民の身近な生活圏から優先する方針を盛り込む。地域の各種団体などが取り組む線量低減活動への助成なども検討する。


食品・水については、事故後しばらくたってから、「暫定」規制値なるものが公表された。「暫定」とはなんのことかと思ったら、事故が起きてからこれも急ごしらえで作ったので「暫定」とのことである。

東京電力福島第1原発事故を受け、厚生労働省が農畜産物や水産物に含まれる放射性物質を検査するよう求めている1都10県の計513市区町村のうち、全体の4割に当たる203市区町村で先月下旬までに一度も検査を実施していないことが3日、同省のまとめで分かった。

「規制しようにも、その根拠がなにもない」──。厚生労働省監視安全課の担当者は沈痛な声を漏らした。乳児に対する水道水の摂取制限が出される一方、ジュースや離乳食など加工飲料・食品への水道水使用に関する規制はなく、適正基準は設定されていない。完全に“野放し”状態だ。(略)内閣府の食品安全委員会では、指標づくりへの協議があわてて開始された。だが、「規制の根拠が水道法なのか、食品衛生法なのかさえ定まらず、関係部局と協議を進めている」(同)という雑駁な次元にすぎないのだ。(略)じつのところ、千葉県八千代市の浄水場では22日に採取された水から、370ベクレルという成人の摂取基準をも大幅に超える放射性ヨウ素が検出された。しかしながら、県がその数値を把握したのは、なんと1週間後の29日で、対策を講じることさえできなかった。


救いがないのは、「形のうえでは」それらはすべて事前に整(ととの)っている格好になっていたことだった。災害対策には「原子力災害対策特別措置法(原災法)」があり、賠償の枠組みには「原子力損害賠償法(原賠法)」が定められていた。JCOの臨界事故を受けて、その名のとおりの「アクシデント・マネジメント計画」が定められ、年に1回、発電所ごとの持ち回りで総理大臣も参加する国・電力会社合同の大規模な防災訓練も行われていた。それらの営みは「すでに充分安全だが、さらに万全を期す」ためのもので、最高の権威と地位を持つ官僚と科学者・技術者たちの手によって、膨大で緻密な、何千ページにもわたる計画書や報告書にまとめられていた。

原子力防災について(東京電力)
原子力防災について (東京電力)

しかしこうしてことが起きてからみれば、それらはすべて格好だけの見せかけ、中身のないただの張りぼてでしかなかったということである。それらはすべて「安心」のため、何にもまして心の「安心」を求め、「安心」したがっている住民・国民を安心させ、それに巻き込まれて運営者も自分で「安心」し、油断するためのものであって、危険を前提に緊張感を保ち続ける「安全」のためのものではなかった。アニミズム的、呪術的なただの「お守り」「魔除け」「儀式」であり、現実の危険とは関係なかった。防災訓練は停電も交通渋滞も瓦礫もない中で無事執り行われた。地盤の安全性は10万年以上前まで(2011.3.16 毎日)さかのぼって調べられていた――自分たちが見たくなかったもの以外は。最大限の安心がもたらされたときに最大限の油断、最大限の危険が生じた。「あってはならない」ことは現実に起こった。

原発事故が起きた場合に中央省庁と自治体、電力会社が現地で対応を調整する仕組みを定めた政府の「原子力災害対策マニュアル」が東京電力福島第一原発の事故では想定外の事態が重なり、ほとんど活用されなかったことが分かった。(略)菅直人首相が3月11日に緊急事態を宣言した直後から、現地対策本部長となる経産省の池田元久副大臣をはじめ各省庁や東電の幹部らはマニュアル通り、福島第一原発から約5キロ離れた大熊町にある指揮所「オフサイトセンター」に集合。ところが指揮所は停電して非常用電源設備も故障し、原子炉の圧力や温度、原発施設の放射線量などの基礎データを把握できなかった。(略)機器の操作や広報対応を担う「原子力安全基盤機構」の職員や周辺市町村の職員は、指揮所にたどり着けなかった。

そもそも、政府の対応を決める原災法自体が、原子炉が制御不能になる事態を想定していない。菅直人首相は11日、同法に従って原子力非常事態宣言を出した。「原災法のもともとの狙いは、原発事故の際の地域住民の避難や屋内退避をどのように行うのかという点にある。制御不能になった原子炉そのものをどうやって止めるのかは主眼に入っていない」と経産省のある幹部は明かす。「誰もリアリティを持って、法律を作らなかった」



「おがくず」と「おにぎり」

以下は1999年のJCO臨界事故の際に、佐々 淳行氏が1974年の原子力船むつの事故を振り返って事故対応を比較したインタビュー記事の一節である。

東海村臨界事故は、住民に避難勧告や退避要請が出されるという、日本の原子力災害としては過去経験のない事態となった。政府の初動措置、情報伝達の遅れが際立ち、それを言い訳するかのように「想定外」という言葉が繰り返された。(略)佐々氏には、原子力行政の危機管理に関して忘れられない体験がある、という。原子力船「むつ」が、初航海で起こした放射線漏れ事故(一九七四年九月)である。当時は警察庁警備課長。出航阻止を叫ぶ漁業団体などの警備に当たっていた最中に、事故の一報が飛び込んだ。「放射線漏れを止めるために使ったのは、何と、おにぎり。原子炉の放射線遮へい板にあったすき間めがけて、中性子を吸収するホウ酸をまぶしたおにぎりを投げ付けた。粘土か何かないのかと聞いたら、想定外だから何の準備もしていない、という。まさに喜劇だ。科技庁の当時の説明は二転三転し、不手際で無責任な対応に本当に憤慨した」「科技庁の無責任な体質は、あの時から変わっていない。今回の臨界事故でも、二度と起こらないよう再発防止を、と謝る。危機管理に『Never Say Never(ネバー・セイ・ネバー)』との戒めがある。決して起こらないと決して言うな、という意味だ。彼らの姿勢をみると、嫌なことは起こらないんだ、と決め込んでいるようだ」

次は今回の福島の対応からの一節。

東京電力福島第1原発事故で、2号機取水口付近の亀裂から、放射性物質を含む高濃度の汚染水が海に直接流出している問題で、東電は3日午後、亀裂の“上流”側で流れを食い止めるため、紙おむつなどに使われる吸水性の「高分子ポリマー」を投入する作戦を実行した。「ちぎった古新聞」や「おがくず」も同時に入れ、止水効果を期待していたが、夜までに流出量の減少は確認できず、経過を見守っている。


こうしてみると、当事者たちの意識上の意図とはちがって、「想定外」と称して責任を逃れられるようにあらかじめなにも「想定」しないこと、ことが起きてからは身の回りの日用生活用品を流用して現場の作業者が捨て身で重大事故に立ち向かうことが、民族的な伝統芸、強固な組織意志、組織文化になっているようにすら感じられる。その延長線上にJCOの「バケツ」臨界事故や、あるいは戦争末期の「竹槍」訓練、あるいはつい先年の、異様な情緒主義、根性論の温暖化防止キャンペーンや同じく今真っ最中の節電運動もあることは容易に推察できる。電力会社だけの話ではない。どれほど痛い目にあっても頑なまでになにも学ばず、なにも変わらないし、すべての対処に同じ構えが染み渡っている。

この場所でもたびたび書いてきたように、日本の組織は、こういう深刻で破局的な状況に備えるのがとても苦手だ。そういう事柄は起きてほしくない、考えたくもないからそのとおりに考えないし、それほどひどいことは起きないようにすることにすべてのリソースを傾けるべきで、考えたって無駄じゃないかという方向に、どうしてもいってしまう。そのうえすぐにそれを「国民運動」とか「全社運動」とかいった宗教がかった有無を言わさぬ「空気の支配」を作って全員に押し付ける。「願望」と「想定」がうまく区別できずにない混ぜになり、何千何万もの中から選び抜かれたトップエリートの行動が、信じがたいような子どもじみたものになる(今回も電力会社、官僚、学会の対応で、執拗に楽観シナリオに立ち続け、執拗にそれが裏切られ続けるという現象が進行形で観察された)。以前、「絶対にあってほしくないことなので備えをまったくしない。そんなひどいことになったらもうどうにもならないから万一そんなことになってしまったらなってから考えようなどと投げやりに考えている」「厚く備えることでかえってそれを引き寄せてしまうのではないかという恐れの感情が、防備を鈍く、後ろめたい、支離滅裂で役に立たないものにしている」と書いたが、残念ながら、今回もそれをそのまま地で行く結果になっている。

しかしこうして実際に起きてしまえば、どれほどそれが目を背けるようなひどいものであってもなおそれは世界の終わりではない( not the end of the world )のだし、残された者は徒手空拳でなんとかその状況の中をやりくりしていかなければいけないし、ほんとうは事前に備えておけることは当然あって、それをしておいた方がどれほどよかったかと思い知らされることになる。あまりにひどい破局的なトラブルは考えたくもないから考えないとわれわれが考えるとき、なにがあろうと生き延びようという執着が薄く、淡白、あるいは投げやりともいえるし、一方ではそれが実際に起きたあとでその中を備えなくおにぎりだの入浴剤だのを使ってくぐりぬけていかなければいけない者への想像力と思いやりが著しく欠けているともいえる。

これは反対する側も同じで、全面拒否という別の安心、別の油断のオプションしか持たなかった。妥協的な改善策や老朽施設の新型への更改を認めると安全性が高まって存在そのものを認めることになるからできなかったし、「トイレのないマンション」にトイレを作ると非難できる理由が減ってマンションがそのままになるのでトイレを作らせてはならなかった。軍隊を保有することは開戦の可能性を認めることになる、核戦争に耐える情報ネットワークを研究することは核戦争を前提することになるからけしからん、というわけだ。「起こりうる」は「起こってもかまわない」や「起こるにまかせる」を意味しないし、「戦争を希望しない」ことと「戦争を想定せずそれに備えない」ことは別であるが、人間が既にそれを手にしていて、それと共にあるという現実からスタートしてそれをどう克服していくかという大人らしい、分別ある切り分けができなかったし、逆にいえばそれくらい根が脆く、あるいは何かほかの理由で後ろ暗かった。その結果がうちの町には作らせなかったと誇る一方の集中立地で発生した誘爆と事故の深刻化であり、専用施設もなく原子炉直上の粗末なプールにいつまでも仮置きで満載されている使用済み燃料である。推進派もそれで免責されるわけでも毫もないけれども、本来到底安全でなどありえないものを絶対安全だと住民説明会で千度も繰り返し唱えている間に自分でもなんだかそんな気がしてきてしまい、つじつまが合わなくなって予算も取るにとれなくなった。

東京大の城山秀明教授(行政学)は「福島のような事故の最終判断は首相や経産相。電力会社が手順書で、事前に動き方を決めておくのは難しい」と指摘する。長年「原発は安全」とされてきたため、深刻な事故発生時の具体的手順の準備を進めにくかったという。

東京電力が福島第1原子力発電所での危機対応のために配備していたのは担架1台、衛星電話1台、防護服50着――。今回起きたような事故はまったく想定されていなかったことが明らかになった。(略)日本の原発規制当局や原発を運営する事業者は、国民が怖がらないように大規模な災害について話すことや準備することを回避する傾向がある、との批判がある。福島第1原発のアクシデントマネジメント整備報告書ではこう述べている。「深刻な事故の可能性は非常に小さい。エンジアリングの観点からは実質的に考えられない」

米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は20日、米軍が東日本大震災の被災者支援で実施した「トモダチ作戦」で、福島第1原発事故の汚染の中で活動したことが、放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」が使われる事態に備える上で貴重な経験になったと報じた。先週、在沖縄米軍基地を訪れた海兵隊のエイモス司令官に対し、ヘリコプター飛行隊の隊長は、米軍が将来「原発事故や汚い爆弾、テロに対応する可能性」があるとし、トモダチ作戦で得られた経験は「戦略的価値がある」と説明した。米海兵隊は、沖縄からC130J輸送機やCH46中型輸送ヘリで支援物資を被災地に搬送。海兵隊が放射線量を計測した航空機73機のうち25機で除染が必要だった。航空機の除染作業には1カ月かかったという。


「安心」への渇仰ががどれほど強いものであるかは、それらがすべて瓦解して「神話」でしかなかったことが明白となった今でも、ひとびとがいまだに、どこにも存在しないそれを求めて狂奔し、推進反対両派が「神の仕業(なので責任はない)」と「神の業(なので触れてはならない)」という同レベルの不毛な「神学」論争に明け暮れていることからも容易に察せられる。紛れもなくれわれ人間が作った技術で、紛れもなくわれわれ自身が仕出かした不始末であろうのに、双方からで突然責任をなすりつけられて、天界の神様たちもさぞや不興なことだろう。

これだけ痛い目にあっても少しも懲りていないのは、事故処理と並行して行われている「再生エネルギー」の、熱に浮かされたような議論にもよく出ている。あとで同じ失敗を是非もう一度繰り返したいので、失敗から学ぶことだけは何があろうと避(よ)けて通りたい、そこで舞台ごと根こそぎ消し去って「なかったこと」にしてしまえばでそれを直視しなくても済む――そうした強固な集団的決意が底流に脈々と連続している。失敗の痛みと悔しさに深く沈潜し、充分その喪に服する前に、意識をそらせて新しい話題に目移りしようと軽躁にはしゃぐこと、これはもうわれわれの伝来の業病というしかない。どこかにきっと「より安心な」(危険性を気にしなくていい)都合のいい素敵なエネルギーがあるはずで、それに切り替えればまた白紙からリセットできるというのは、かつて戦争自体をしないことにしてしまえばなぜ負けたのかを深く悩まなくてすむと飛躍した思考パターンそのものだ。そんな虫のいい話があるものなのか、新しい候補がより「安心」に見えるのは、今の相手が昔そう見えていたのと同じように、単に充分な「想定」がなされていないからではないのか、「危険性を顧慮しなくていい安心な新エネルギー」とは、金融の世界でいえば、「元本保証で高利回り」をうたったいかがわしい金融商品のようなものではないのか――こうした問いは、大失敗を繰り返した前科持ちの当人こそが、もっと謙虚に自省してよいことだろう。

まったく同じことはかつての魅惑の候補者、かつての「夢の新エネルギー」が選びとられた過程についてもいえる。事故が起きれば何が起きるのかに充分な先回りの想像力を持ち、影響規模を適切に見積りできることが、企業経営、組織運営にとってその選択が適切なのかを判断する重要な材料のひとつになるからである。つまり、たまたま選択判断に失敗した者が、あとでまたたまたまアクシデント・マネジメントにも失敗するのではない。両者ははじめから密接にリンクしており、一体の問題である。正しく備えられない者、備えるのが下手な者は、そもそも正しく選べないのである。そこで手ひどい失敗をした者が簡単に口にする、「(原子力をやめて再生エネルギーにすれば)今度こそは大丈夫」が無根拠だと断ずるのもそれが理由である。

このリスク評価と選択の問題には、国民性や組織風土に加え、共通のシステム上の問題点もある。その中身と、それを単なる抽象的な道徳論、文明論ではなく、現実の経済過程の中でどう解決するかは、稿を改めて検証しよう。





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2011/07/31 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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