マネーボールを読む ~ 経営指標自体が付加価値である

アメリカのノンフィクション作家、マイケル・ルイスの「マネー・ボール」が映画化されたことで、映画のヒットも含めてその内容があらためて注目されている。2004年にベストセラーになった著者の出世作だが、ビジネス本としてみても、年がたつとすぐ陳腐化する凡百のものとは違って、繰り返し見直され、言及される、数少ない書物のひとつだろう。

マネー・ボール (RHブックス・プラス) [文庫]

野球のメジャーリーグのオークランド・アスレチックスのGM(ゼネラル・マネージャー)に就任したビリー・ビーンとその型破りな球団運営を軸に、資金力の乏しい弱小球団を立て直し、引き上げていく顛末を描いたドキュメントは、読む側の視点に合わせて、さまざまな色合いを映し出す。理数系が得意な人やIT技術者は、主人公率いる経営チームが、数学とコンピュータを駆使しながらスポーツという人間臭い世界の常識を一新していく展開に目の覚めるような爽快感を覚えるだろうし、弱小チームが強大な資金力をもつ球団に敢然と立ち向かい、互角に渡り合っていく姿に、柔よく剛を制する痛快さを味わう人もいるだろう。あるいは逆に、主人公の視界の中では競技の人間的な魅力がほとんど捨象されて、ただの数値とデータになってしまっていることや、彼が選手をときに「がらくた」だの「くず」だのと口汚く罵りながら、まるで金融商品のポートフォリオのように取っかえ引っかえ無情に組み換えていく姿に反発を感じる人もいるかもしれない。

その中で、自分にとってのこの本のいちばんの意義は、「経営指標自体が付加価値である」というものである。このことは職業経験の中で、実際に自ら体験し、強く感じてきたことでもあるので、それがこれほどはっきりと、明確に打ち出されているのに感嘆し、また心強くも思った。

この本で有名になったように、それまでの野球では、打撃は打率や打点や盗塁数、守備はエラー、投手の被安打のような伝統的な指標で惰性的に評価されてきた。これらは企業経営でいえばいわゆる KPI (Key Performance Indicator/重要業績指標)にあたる。KPIとは、組織の最終的な目的を達成するためにそれをより個別の形にかみ砕き、割り振った二次的指標のことである。企業でいえば売上げと利益の最大化にあたる組織の最終的な目的とは、野球チームの場合は、試合に勝つこと、もっと具体的にいえば、1イニング3つのアウトを9イニング繰り返す27個のアウトの間に、相手チームよりもたくさんの得点を取る、というのがそうである。その目的を達成するうえで、上記の指標は、チームと選手の実力を測定する有益な二次指標として長く重んじられ、それに秀でた選手は表彰されたり高待遇で処遇されたりしてきたのだった。

しかしそれらはほんとうにそうなのか、というのがまさにビーンたちの出発点だった。9人の出場者が相手チームより多く得点し、より早く相手をアウトに追い込むうえで、熱心に記録され、議論されているそれらの視点はほんとうに有益なのか?ほんとうにそれらは選手の最終目的への貢献能力、相関性を示しているのか?(本書の表現によれば、それらの数値は「言葉を持って」いるのか?) そしてここではじめてデータと統計とコンピュータの出番になり、過去の大量のデータをつぶさに検証した結果、事実そうではないということが示され、有名な「出塁率」のような新たな指標が提示された。その新指標はそれまでまったく評価されていなかった無名の選手を発掘し、光をあてたので、それに基づいて組み換えたチームは、それまでの常識からすればいったいなにを始めたのかと笑いを誘うような突拍子もない姿になった(データはそれまで重視されていたスポーツ選手らしい整った容姿も無視したので、見栄えも悪かった)。ビリーからドラフト一位で突然名指しされた選手は呆然となり、メディアはそれを見て腹を抱えて笑った。それらの選手たちは古い指標ではまったく相手にされていなかったので、いずれも格安で呼び集めることができ、資金力の小さな球団を効率よく強化する、というねらいにまさにうってつけだった。

2000年7月、諮問委員会はバド・セリグの期待通りの報告書をつくりあげた。資金力の乏しい球団は不公平を強いられている。そういう不公平が球界全体に悪い影響を与えている、貧富の格差を是正する手だてを講じるべきである、という結論だった。なぜか、保守派のコラムニストであるジョージ・ウィルがとくに声高に、このような”球界の社会主義化”を訴え、具体的な数字を示して警鐘を鳴らした。(略)「球界は成功を金で買っている」。これはゲームではなくて犯罪である」とウィルは述べた。(略)

この主張は一見もっともだが、事実と食い違う点もある。それを明確に指摘した諮問委員がただひとりいた。委員の中で唯一の財界出身者、ポール・ボルカーだ。ほかの3人が貧富の格差を憂うかたわらで、興味深い疑問点を2つ挙げた。1.資金力の欠ける球団がそんなにひどい状態なら、なぜ高い金を出してオーナーになりたがる人間が存在し続けるのか?2.資金が乏しいと勝てないなら、全球団で2番目に総年俸が安いオークランド・アスレチックスは、なぜこんなに勝ち星が多いのか? (第6章「不公平に打ち克つ科学」)

野球は通常、選手と監督が主役で、選手が打ったり投げたり取ったりし、監督はバントさせたりヒットエンドランを指示したりする。評価指標は打率やホームラン数のように、はじめから決まっており、実戦経験の中から「どうもこれは違うんじゃないか」という疑念を持つ人はいても、既に決まっていて長年それでやっていることだし、あえてそれを変えようと言い出す人まではいない。それらの指標そのものが競技の成績に見えないガラスの天井を作り、影響を及ぼしているとまで思う人はいない。同じように、企業でも売上げと利益につながる付加価値は、商品開発や生産現場など具体的な実践にかかわる部門が産み出すものであることが当然視されている。それを制御するための各種の二次指標ははじめから伝統的なものとして決まっており、業種ごとに企業間でもだいたい共通していて、そう変わりはない。「オーバーヘッド」の経営管理部門は密やかな裏方役として、でしゃばることなく蚕のように黙々とそのデータを集めては咀嚼する。あらためてそれを見直そうとする人まではいない。前者の実働部門は価値を作り後者はそれを「管理」する、前者が能動なら後者は受け身で、それを逆転させようとまでする人はいない。

しかし、ここでビーンGMとアスレチックスが示したことのエッセンスは、組織が壁にぶちあたった時に、このいちばん変わらないものこそが実はくせものであり、逆にいえば、そこに新たなモノサシ、新たなものの見方を作り出して注入すること自体が、組織のパフォーマンスと働きぶり、働きがいを一変させる、真に創造的な発明であり、巨大な付加価値の生産なのだ、ということである。

ジェイムズの読者の多くは、データが主役ではないことをわかっていなかった。主役は解釈なのだ。地球上の出来事をほんの少しでも把握可能にするような解釈。なのに、肝心な点がいつのまにか見失われてしまった。「もしかするとわれわれは、大量の数字に麻痺してしまい、そこから得られるわずかな真実を吸収できなくなっているのかもしれない」 (第4章「フィールド・オブ・ナンセンス」)
39歳の器用な内野手ランディ・ベラーデは「このチームはフロントに牛耳られていて、バントも盗塁も許されていない」とたびたびマスコミにこぼしている。(略)また、ある匿名希望の選手は、アート・ハウ監督が解任されてもチームにはぜんぜん影響がないと思う、と語った。「どっちみち、ビリー・ビーンがトレーニングルームからチームを操っているんだから」 (第7章「ジオンビーの穴」)

とはいえ「指標の発明自体が付加価値創造行為である」というこのことは、「ものの見方」が牢固としてなかなか変わらないという慣性そのものを理由として、なかなか正しい評価をうけがたいのもまた事実である。めざましい、れっきとした実績を目の前に突きつけてさえ、人びとはなかなかそれを理解できない。アメリカのメジャーリーグでも、選手の評価には新しい観点が必要だ、ということは、長く外部の好事家たちが取り上げてきたところだったが、伝統を重んずる野球界はまったく取り合わず、はじめてそれを大々的に取り入れて突破口となったビリー・ビーンの理論と実践も(ビリーが目をつけたことが知れるとトレード要員の相場がとたんに跳ね上がるというような現象が続くようになってからさえも)長く理解されなかった。業を煮やしたビリーがついに自分自身を売り物にして、トレードに出してしまおうとしたとき、はじめてその価値の巨大さが金銭的な面でも白日のもとに晒され、ようやく人びとは既に自分もそのように行動しはじめていたことのほんとうの意味を悟ったのだった。

マネーボールの理論は、日本の球団では躍進著しい日本ハムファイターズを筆頭にパリーグの球団経営に積極的に取り入れている。その威力は、伝統的な強豪球団が旧来のやり方ににこだわって、それと差異化されるときにもっともよく際立つものであり、目の前にそれを見ているわれわれにとっては、既に自明だろう。

本書からの教訓は、このように企業集団、組織にとって、とても意義深いものであるが、同時にそれは個々の働く個人においても活用でき、汲み取れる点が多くある。それを次でみてみよう。


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2012/03/09 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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