経営者として四半世紀、新卒の採用をしていてつくづく思う。採用は株式投資みたいなものだと。これはイケると思って採っても伸びない者がいる一方、結構リスキーだなと思いつつ、エイヤアで採ったら大きく伸びた者もいる。採用は一種の賭けだ。「相場を張らない」のが我が社の社是みたいなものであるが、こと採用に関しては相場を張るべきと思っている。それは“優秀な人”よりも“面白い人”を採るということである。両者はなかなか一致しないが、仮に外れても自分の感性で採ったのだから納得がいく。会社は人材が全てだが、社員の平均点が高ければよいというものでもない。逸材が何人いるかがポイントだ。
有名経営者の採用や人材活用についての考え方や内情がうかがえて興味深いが、これを「マネーボール」理論と比べてどうか。特に深読みせずに素に受けとるとすれば、アスレチックスのGMに比べて、松井氏が人材採用の手法に関して、特にこれといったまとまった考え方をもっていないことが分かる。よく言えば柔軟で融通無碍とも言えるが、悪くみればビリー・ビーンGMがクビにした旧来型のスカウトのように「あてずっぽう(エイヤア)」でもある。彼らと同じように、それを「縁」であり「賭け」だと言っている。
また目を引くのは、松井氏が証券会社の社長らしく、それを株式投資に例えていることである。「マネーボール」の著者マイケル・ルイスも元は投資銀行の出身で、本来の専門は金融方面のノンフィクションである。同書の中でもたびたび触れているが、彼がビリー・ビーンとアスレチックスのやり方に興味を持ったのも、彼らの統計手法を駆使した人材活用のやり方に、金融業界の投資業務における技術革新に並行する思考が感じられたからだ。「マネーボール」の本質は、金融投資の技術を人材投資に水平的に応用した点にあるのである。
それと比べるなら、同じように金融投資になぞらえているといっても、松井氏の方は、逆に人事採用と同じように株式投資も賭け(の要素だけ)だ、と言っていることになる。松井氏は証券会社の現役経営者であるから、そのような事業観で、顧客に対して投資の仲介サービスを提供しているということでもある。
以上を受けて、どう感じるかは人それぞれだろう。松井氏の考え方は飛び抜けて異質というわけでもなく、多くの経営者が同じように考えていることは疑うべくもないし、大胆な発想と行動力で日本のオンライン証券取引の世界を切り開いて引っ張ってきた革新的な経営者でも、こと人事の面になるとこう考えているのかと感心するのも、あるいは逆に、金融界を代表するような著名経営者でもこうなら、人事(リクルーティング)という一種の裁定取引において、採用面接官であれ、ライバル他社の人事担当者であれ、相手を出し抜いて「サヤ」を抜く機会はまだまだ充分にあると意気込むのも、自由である。ビリー・ビーンとアスレチックスの方は、「マネーボール」理論の採用でしばらく快進撃を続けたあと、以前ほど簡単には勝てなくなった。なぜなら、他球団がビリーのやり方に学んでそれをそっくりマネするようになったからである。ニューヨーク・ヤンキースは、かつて選手獲得に注ぎ込んでいた豊富な資金をそちらにも振り向けるようになり、今では数十人も統計の専門家を抱えるようになったという。マネされて勝てなくなってしまった方は面白いはずもなかろうが、外側から客観的にみれば、ビリーの挑戦は、人材登用というもっとも古臭い、変化のなかった世界に一大革新を起こし、普及させて、全体のレベルを一段高いところに引き上げたことになる。
さらに、業界としてのスポーツ・ビジネスとの比較という点でも考えさせられるところがあるだろう。先に書いたように、マネーボール理論は、日本では日本ハムファイターズを中心に、パリーグの球団に取り入れられている。つまり、これらの球団では、野球選手というスポーツ競技者の評価においては、「ヤマカン」ではない、もっとはるかに科学的な方法を使って実際に成果をあげているわけだ。では、その親会社の本業の方ではどうなのか?本業のビジネスにおける人材活用、採用活動ではそれらの考え方を当然生かしているのか?スポーツ・ビジネスという一種の周辺事業で、そのような優れたやり方をしている以上、本業の方でプロのビジネスマン、プロの人事担当者が、まさかいまだにヤマカンのどんぶり勘定だけで人を動かし、野球チームにさえ劣るやり方をしているとしたらずいぶんみっともないが、実際のところはどうか。
以前、コンピュータ事業でハードとソフトの両方を持っている名門メーカーの人と意見交換する機会があった際、会社の中で両部門の間にまったく交流がなく、ハード製造で自社内に持っている優れた品質管理のノウハウが、ソフトウエア部門に少しも共有されていないのを知って驚いたことがある。同じ会社とはいっても、部門が違うと別会社のようになっていることはけっこうあり、ましてあちらはスポーツ・ビジネスだから、などと下に見ていると、気がついたらはるかに追い抜かれて、本業のプロの方がおおいに遅れをとっていたということも、充分ありうることである。
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