グローバル化と冗長性~インテルの事例

PC Watch という情報サイトで、半導体メーカーのインテルのサプライチェーン担当責任者が行った講演記録が以前紹介されていた。グローバル製造メーカーであり、部品調達や生産工程においても日本にも深く関りを持っているインテルが、東日本大震災にどう対処し、サプライチェーンへの打撃を克服していったか、というのが論題である。先に「効率性と冗長性」という論考で、効率性と冗長性が互いを阻害するというのは、底の浅いただの俗論であり、真実は効率性を追究することが逆に冗長性を高める、という趣旨の内容を書いたが、まさにそれを地で行く徹底ぶりで、この分野に関心を持つ人には、学べる点が多くある内容になっている。

まず、同社の担当責任者は、震災発生時になんと東京で会議を終えて、成田からちょうど飛行機で立つところだったという。災害の発生によって、彼女はそのまま空港に缶詰めになり、外部への連絡手段も断たれてしまった。意思決定のいちばんの責任者が突然もぎ取られて対応不能になれば、組織全体の指揮系統が大きく乱れてもおかしくはないが、インテルはそうはならなかった。あらかじめ取り決めてある規定に基づいて判断責任者が「自動的に」切り替わり、危機管理チームは即座に起動して活動を開始した。大きな危機の中では、責任者自身が被災して機能停止することが充分ありうることが、あらかじめ「想定」されていた。原発事故で原子力安全委員会やオフサイトセンターのような指揮中枢が混乱の極みに陥り、まったく機能しなかった日本政府の対応と比較して、アクシデント・マメンジメントにおいて、当たり前のことを当たり前に行う難しさ、また素晴らしさが感じられる点だ。

また、驚くべきことに、インテルは製造部材の半分以上を(品質がよいため)日本に依存していたという。しかしそれにもかかわらず、同様の供給体制をもっていた他の多くの企業が長期にわたって大混乱に陥ったのとまったく違って、生産プロセスのリカバリーはきわめて早かった。

「日本の地震と津波では、世界経済が大きな影響を受けた。資材の不足などで製造が滞った産業がいくつもあった。例えば、自動車産業は30%も落ち込んだ。 しかし、Intelはその時期に、何も財政上や生産上の不足を被らなかった。我々は、製造材料や機材のうち2/3を日本に依存し、アセンブル材料の半分も日本から得ている。それなのに影響を受けなかったのは、非常によく準備を整えていたからだ」
「日本法人を中心とした努力の結果、我々のCMTの活動は、急速に終息して行った。危機に際しての司令部となるCEOC(Corp Emergency Operations Centaur Technology)は、4月6日に活動を終えた。日本の施設は、地震時に社員の安全のために緊急避難をさせたが、これもリモートの施設から戻すことができるようになった。集中した努力の結果、当社は、震災から2カ月で完全に通常の生産に戻った。夏が始まる頃には、震災前のレベルに達していた。しかし、全世界の産業を見渡すと、多くは2011年9月まで回復できなかった」


これらの断片的な情報からだけでも、企業のサプライチェーン担当者、また経営陣が、汲み取ることのできる含意は多くある。

まず強くうかがわれるのは、最初に述べた、効率性の徹底追及が、災害耐性の強さ、真の冗長性にそのまま直結している点である。講演内容から分かるように、インテルの担当者は、災害発生時点で、自社のサプライチェーンを細部にいたるまで、数字においても、細目においても、まさにパラノイア(偏執狂)的なまでに完全に掌握している。災害が起きてから在庫がどこにどれだけあって、部品メーカーのその先はどうなっているのか、などということを、泥縄ではじめて調べはじめる企業とは雲泥の違いである。これを可能にしているのは、災害対策というよりも、日頃から生産の効率性を極限まで追求しているからであり、それがいざというときのリスク対応にそのまま転化して、役立っているのである。

また、注目されるのは、徹底した経営のグローバル化が、災害耐性の強さに結びついていることがはっきりと見てとれる点だろう。世界の各地に活動を広げ、それらが相互に依存することは、トヨタの経営陣がよく「延び過ぎた兵站線」という表現を使うように、サプライチェーンの脆弱性にもつながりうるが、それをよく自覚して準備したうえであれば、むしろ組織の生存力の強化に貢献しうる。なぜかというと、まずひとつには、世界全体に手を広げて均等な資源配分で経営することで、いろいろなケースの災害経験がそれだけ多く積めるようになり、それを全体にフィードバックしていくことで経験値と対応能力がますます強化されるからである。それを挑戦すべき試練ととらえることができるのであれば、グローバルに事業を展開している企業は、一国だけに狭く閉じている企業より、より多くの、またいろいろなタイプの災害と「出会う」ことができる。個々の事態に対処してそれを乗り越えることも、「非常事態」ではなく、より日常的な活動の一部になる。インテルもアイスランドの火山噴火や中国の四川大地震等、世界各地で多くの災害対応を経験してきており、そこで地道に積み上げてきた改善策が日本の大震災でもおおいに生きたという。

これが形だけ世界中に拠点を出して輸出しているといっても、経営陣と本社組織の意識の重みが国内にだけ偏っていると、他国で噴火や地震や戦乱暴動が起き、現地拠点が多少巻き込まれたときに、「とても気の毒なことだが、遠い地球の裏側の話で、自国と自社本体はあまり影響を受けなくてよかった」という当事者意識のはなはだ欠けた、気の抜けたものになりがちである。インテルに比べて、それらの海外で起きた大災害の経験を、自社全体に我が身のこととして切実に根付かせた企業がどれだけあっただろうか。あるいは、つい先に、またすぐ近くで、四川大地震のような経験を持ちながら、東日本震災でこれだけ無残にサプライチェーンが壊されたというのは、なにか基本的な考え方が間違っており、プロの職業人として、本当ははなはだ恥ずかしい、情けないことではないだろうか。


グローバル化こそが真の国民の安全保障である
営利の追求こそが真の公共性の実現である

次に、サプライチェーンがこのように緻密に制御されたうえで経営が充分にグローバル化していれば、局所的な災害に対して、爾余の組織がそのまま冗長性、バックアップになり、傷ついた部分を周りから速やかに支援できる。一国にとってのどんな巨大な厄災も、世界全体の大きさに比べればまだよほど小さい。インテルが日本に部品と製造を多く依存していたにも関わらず、影響を最小限に抑えこむことができたのは、この切換えと備えが、国レベルではなく、世界中に延びた組織全体で日頃から入念に考えられていたからだろう。こうした強靱な組織のグローバル展開は、グローバル化すればするほど災害耐性は弱くなるのではなく逆に強くなる。

同じ文脈で、巨大な災害が起きたときに、国家単位で狭く考えられた安全保障(セキュリティー)が逆に障害になり、冗長性の欠如になる、という経験を、われわれは他にも震災後の食糧事情の中でみずから切実に味わった。その象徴的な例はバターの欠品と価格高騰である。

バターは食料安全保障の観点から、国内の畜産産業を保護するために自由な輸入が禁じられており、供給を国家が管理している。このため日頃から大きな内外価格差が生じて消費者と加工事業者に被害を与え続けているが、放射線汚染で、乳牛と生乳がダメージを受けたことで国内の供給力が低下し、さらに混乱が広がった。原料の生乳を作るのは牛であり、供給力を増やすのは簡単でないことから、品不足は今なお続いているが、行政と農業団体は現に安定的な供給に支障を来し、その本来の目的が大きく損なわれている状態を続けながら、考え方を変えるつもりは少しもない。

バターなど乳製品や油が10月から値上げされたことを受け、山梨県内のスーパーや菓子店などが、仕入れ価格の高騰に頭を悩ませている。値上げ前に在庫を大量に確保するなどの対策を講じた店舗も少なくないが、客足が遠のくことを懸念し「在庫が尽きた後、値上げ分をすぐ商品価格に転嫁できない」(経営者)との声も。書き入れ時のクリスマスや年末を控え、経営への打撃は必至だ。一方、料金の高止まりが続いているLPガスも飲食店の経営を圧迫している。(略)

甲府市中央1丁目のフランス料理店「ボンマルシェ」。同店は1カ月当たり約40キロのバターを使用しているというが、クリスマスがある12月の使用量は例年、2倍の80キロに増えるという。バターの値上がりに、パティシエの河西有里さんは「12月はケーキの注文が増える。値上げせずにやっていくのは本当に厳しい」と話す。

日本国内でバターは政府が輸入を管理する「国家貿易」であることをご存知だろうか。国内で流通するバターと脱脂粉乳は、国内の酪農を保護するため、基本的には国内産で賄い、足りない分に限って政府が輸入し、乳業メーカーなどに売り渡すことになっている。もちろん、外国産バターの輸入には高関税がかかっているため、民間業者が事実上、バターを輸入できない仕組みになっている。(略)農水省はこのほど、バターの最需要期である年末のクリスマス商戦に向け、国内のバターが不足する可能性があるため、業務用の冷凍バター2000トンを追加輸入すると発表した。(略)バターの卸売価格は在庫の減少から上昇傾向にあり、今年6月には1キロ当たり1189円と、前年同月比で9.4%上昇した。

「その点でちょっとお聞きしたいのは、バターですよね。これ、関税割当てがバターについてとられていると。関税割当てがバターについてとられていて、一次は非常に低くて、二次は非常に高いと。他方で、国内でバターの生産調整が行われていると。ただ、その生産調整がどうもうまくいかなかったみたいで、御案内のようにスーパーマーケットにバターがないというような状況が起こって、私もちょっとスーパーへ行ったら、本当にあんまりないんですね、バターが。これ、輸入ができないのかというと、別に輸入できないわけじゃなくて、輸入するにはあまりに高い。他方で、どうも用途指定がされていて、一般に定率で枠が余っているのに、消費者向けに輸入できないというような話も漏れ聞くんですが、こういうことというのは、関税制度を考える上であってはならないことじゃないかと。

つまり、国内で商品が不足しているのに海外にあると。それが関税のせいだと。こうなってくると、産業保護云々という話を超えて国民生活全般にかかわる話で、こういう大きな、具体的に大きな問題が起こっているということを前提にこの関税政策を考えていきたいと思うんですけれども、このあたり、一体どういう話になっているのかというのをひとつ説明いただきたいということが第1点。

第2点はですね、調整金というのは今日御説明ありましたが、これ、税じゃないわけですよね。なぜ税じゃなくて調整金なのかと。税だと憲法上の租税方針がかかってきますし、同時に予算については国会で審議が行われると。恐らく原則は、この種のものは関税として徴収するのが筋なんだろうと。もちろん、国際条約上認められているということは私も十分承知しているんですが、国内的に見ると、やっぱり税として徴収するのが筋なんだろうと。他方それがこういう、いわば国際的に言えば課徴金という形をとっているというのは、一体特別にどういう理由でそうなっているのか、そのあたりをちょっと御説明いただければと。」


同じことは、飼料の稲わらが汚染されたことで起きた牛肉の放射線汚染でも見られた。牛肉が汚染されたのは、運悪くちょうど直前に、それまで中国からの輸入が中心だった飼料の稲わらを国産化するよう農水省が指導していたからであるが、元の原因が中国での口蹄疫の流行だったとはいえ、生産サイクルを国内に閉じて「純国産化」したことでグローバルレベルでの冗長性がゼロになり、放射線汚染の影響をまともに被る結果になってしまった。問題への対処が国産化という冗長性への配慮の欠落した極端かつ短絡的なものでなければ、「国産」牛肉や牛乳の汚染もまったく起きなかったか、起きたとしても影響ははるかに小さかった(影響が稲わらに限定されたのは、稲わら以外の飼料が引き続き輸入品が主体だったからである)。

汚染牛肉の流通で国民は衝撃を受けた。肉の流通経路の調査は9日に始まった。東京都が同日、福島第1原発から約29キロメートル離れた福島県南相馬市の農家で飼育されていた牛の肉から高い濃度の放射性セシウムを検出したと発表したためだ。これより先、この農家が飼育した6頭の牛は東京の食肉処理業者に出荷され、その後、8県や首都圏の卸売・小売業者に販売されていた。6頭はいずれも外部、つまり体の表面の放射能検査をクリアしていた。東京都の食品監視当局の広報担当者は、一部の肉の行方が分からないが、中には既に消費者の手に渡ったものもあるとみられると述べた。

福島県は16日、新たに同県郡山市、喜多方市、相馬市の肉用牛農家計5戸で、放射性セシウムを含む稲わらを牛に与えていたことが判明したと発表した。すでに肉牛84頭が宮城、福島、山形、埼玉、東京の1都4県の食肉処理場に出荷され、流通しているといい、福島県は関係自治体に流通状況の確認を依頼した。福島県によると、郡山市の農家に残っていた稲わらからは、1キログラム当たり50万ベクレルのセシウムが検出された。水分量を補正して計算すると国が定めた暫定基準値の約378倍になる。

国産稲わらをの飼料として給与しましょう。
【飼料自給率の向上】【海外からの家畜伝染病の侵入防止】
耕種農家の皆様へ
 稲わらを畜産農家へ提供してください。
畜産農家の皆様へ
 国産稲わらで安全・安心な畜産物を生産しましょう。

東電福島第一原発の事故後、農林水産省は畜産農家に屋内保管の飼料などを使うよう指導してきたが、稲わらの出荷については制限しておらず、「盲点だった」と認識の甘さを認めた。購入した餌が汚染されていたという想定外の事態を受け、関係自治体は、牛肉の追跡調査を急いでいる。同町の畜産農家の男性は14日夜、読売新聞の取材に対し、「こんなことになるとは夢にも思わなかった」と肩を落とした。稲わらは、原発事故後に仕入れたもので、同県南相馬市の汚染牛の問題を受けて不安になり、自ら県の調査を求めたという。


とはいえ牛肉の場合は、バターとちがって幸い生産品自体の貿易は一部自由化されているために、消費者はアメリカ産やオーストラリア産のより「安全」な商品を代わりに手に入れることができた。食料を中心に原発事故後広く見られた現象であるが、安全を誇っていた国内産が世界中で屈辱的な危険物扱いを受けて禁輸になる代わりに、それまで安全性が低いと下に見ていた外国産の製品に、われわれ自身の生活もおおいに助けられたのである。原発事故のような未曽有の、ほんとうに厳しい状況になったとき、われわれに手を差し伸べ、助けになったもの、災害への真の冗長性を生み出したのは、国内に閉じて作り込まれた官製の食料安全保障ではなく、純粋な民間、そしてグローバルレベルの、自由な貿易活動だった。バター、同じく放射線の被害で価格が高騰する米、水、そしてなにより電力、といったように、今回の災害で供給に大きな問題が生じ、復旧もできていないのは、すべて政府がその分野の安全保障をすると称して余計な手を突っこみ、民間の自由な活動を制限しているものばかりである。エネルギー安全保障のための虎の子であるはずの原子力発電が、国民のエネルギー安全保障を回復不能にめちゃくちゃに破壊し、食料安全保障のための、国産化推進と貿易制限が国民の食料安全保障を脅かしたのは、皮肉というにはあまりあるものがある。

そして、これらの例から、われわれが目を見開いてしっかりと再確認しておかなければいけないもうひとつのことは、単に効率性と冗長性が互いにそうであるばかりでなく、営利の追求と公共性の実現は背馳しないどころか互いを強く支え合う、ということである。インテルは純粋な営利企業であるのと同時に、世界の情報インフラを支える基幹的な部品を、高い市場シェアで供給する、きわめて「公共性」の高い企業でもある。情報技術の世界で彼らの生産する製品は、「水」とか「米」とかに匹敵するものであって、災害その他のトラブルに負けずに、それらを安定的に供給し続けることが公共的な目的にかなうことは誰もが首肯するだろう。しかし、その高度な公共性を支えるインセンティブになったのは、上記にみるように、生産のダメージを最小化し、効率を極限まで高めて、より高い業績を上げたい、また、ただでさえ厳しい事業環境の荒波の中で、競合相手に乗じられたり顧客に見放されたりするきっかけを作りたくない、という、彼らの本分である営利の徹底した追及そのものであり、その前提となっている自由で厳しい市場競争だったのである。

これに対し、上記のバターや米のように、公共性の高さを口実に市場競争から自分を遠ざけ、公的な保護を受けている業界は、震災と原発事故という国民的災難のさなかに、むしろ公共性に反する行動をとって安易な「私益」の最大化に走った。農協は国民が他の調達の道を公的に禁じられているのをいいことに、震災後の経済的苦境の中で米の価格を釣り上げた。バターの件でも、農業団体や農水官僚が態度を変える気がないのは、公的保護の目的がただの口実に過ぎず、真の目的は自分たち自身の「私益」でしかないからである。

農林水産省は26日、前日に実施した輸入米の入札結果を発表した。2012年度で初めて主食用が対象となった今回は、2万5000トンの入札枠に対し、応札が3.6倍の9万178トンという異例の高さとなり、全量が落札された。東京電力福島第1原発事故後の品薄により国産の価格が高止まりする中、安価な外国産に対する根強い需要が改めて浮き彫りになった。

民間による外国米の輸入が増えている。財務省の貿易統計によると、2011年度は前年度比85.8%増の461トンと08年度と並び過去最高となった。国内農家を保護するため、輸入米には778%(精米、従価税換算)と極めて高い関税を課している。国産米の価格が高止まりしている中で、根強い需要があることが浮き彫りになった。環太平洋連携協定(TPP)参加問題など貿易自由化をめぐる論議にも影響を与えそうだ。(略)農林水産省は国家貿易による輸入の大半は加工食品や飼料用などとして民間に売り渡し、主食用は年10万トン程度にとどめている。昨年度の主食用の入札には16万トンもの応札があり、「大変厳しい入札だった」(関係者)とされる。落札できなかった業者などが高い関税を払って輸入したとみられる。

海外から日本が買っているコメのうち、主食用に回すのは「輸入量の10%相当量」とする内規を、農林水産省が設けていることがわかった。原発事故の影響で国産米の価格が前年より2割上がり、食品業界は主食用を増やしてほしいと求めているが、農水省は、この内規を理由に拒んでいる。内規は、1993年のガットのウルグアイ・ラウンド交渉で、コメの部分開放が決まったときに作成。一定量を毎年輸入するミニマムアクセス(MA)米を受け入れる一方、市場開放に反対する農業団体や与野党の農林関係議員に対し、主食用に上限を設ける内規を示し、説得に使ったとみられる。


災害時に経済的財の供給が制約された状況で、生産者が価格メカニズムを駆使して価格を釣り上げ、より多くの利益を上げようとする行為は、「便乗値上げ」として道徳的観点から激しい非難を浴びることが多いが、多くの経済学者も指摘しているように、経済的には供給が不足している箇所についてのシグナルを立て、すみやかに増産がそこに向けて行われるため(従って価格もすぐに下がるし、値上げ業者も思ったほど簡単に儲けられるわけでもない)、本当はかえってたいへん良いことである。しかし、それは供給と競合事業者の参入が公的規制によって制限されておらず、自由な競争が行われていることが大前提である。米と同様、電気についても同じことがいえるが、競合事業者が自由に供給できない地域独占、公的独占の状態で、生産者が災害時に一方的に価格を引き上げたら、消費者はそれを飲むしかなく、価格メカニズムが働かないため価格もいつまでも下がらず、消費者は一方的被害を受け、収奪、搾取されるだけになる。だから、東京電力が電気料金を有無を言わさず引き上げることに国民が激しく怒って、われわれに違う事業者を選ばせる権利を回復せよ、と抗議しているのは当然のことなのだ。われわれは、大災害後の苦しいときに、これらの公的保護を受けている業界がこういう行動をとったこと、彼らが受けている手厚い規制保護と莫大な補助金が、いざというときの安全保障のためである、という説明が、まったくの嘘っぱちだったことを、忘れないようによくよく覚えておく必要がある。日頃われわれは、インテルに供給保証のためのなんの補助金も払っていないが、彼らの災害対応が頼まずとも非常にうまく進み、供給が滞らなかったため、営利企業、また民間競争の中での強大な寡占企業であるにもかかわらず、製品価格の引き上げすら結局行われることはなかった。うまくいったことすら、多くの人が気づかないほどくらいにそれはうまくいき、また、そのくらい彼らの活動は(当たり前のことを気づかれないくらいに当たり前にやるという意味で)「公的」だった。

インテルの事例からは、災害対応に優れた結果をみせた一企業のものであっても、その気になりさえすれば、このように多くの教訓を学び取ることができる。それは、政府官僚と、その使い走りの公共経済学者やメディアが、日頃からわれわれに大量に浴びせかけているような、公的保護と、非市場化、非営利化、非効率化、そして非グローバル化こそが災害にとっての有効な冗長性対策になり、われわれの安全保障を高める、という言説が、真っ赤なウソであり、彼ら自身の私益「のみ」を最大化するための、規制された思想の供給、すなわち国民から収奪するための洗脳である、ということについて、深い示唆を与えている。エネルギー安全保障の考えに基づいて莫大な予算を投じて進めた政策がこれだけ大失敗して、国民に与えた傷も癒えない生々しい状況のさなかで、そのことへの一片の反省の言もなく、なお国産品による安全保障とその拡大について厚顔に主張するなどというのは、恥知らずを通り越してもはや正気を逸しているのではないか。大災害で人びとの生活をほんとうに支えることができるのは、役人や増税や利権団体の浅はかな思惑などではなく、どこまでも民間人の自由な活動と自律的な判断であり、それが交叉する場としての市場であり、それらのネットワーク、真の連帯を国際間にまで拡大する商業である。人びとの「私益」を否定できないものと認めて、それに基づいて運営する仕組みの方が安全保障と冗長性のうえでもはるかによく機能しており、「公益」に奉ずると称する集団といえども、結局は他の人びとのそれを押しのけて、よりがめつく自分の私益のみを追求するために公益の概念を隠れ蓑にしているにすぎないのであるなら、余計な悪あがきはやめて、はじめからそちら一本でいった方が、よほどすっきりと本来の目的にかなうことである。





関連記事 効率性と冗長性 バターの品切れが問う食料安全保障 東日本大震災と福島原発事故(目次)


2012/10/28 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
FC2 Analyzer
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。