日本ハム・ファイターズの経営改革とマネーボール理論

先にマイケル・ルイスの「マネーボール」について何本か記事を書いたが、奇しくも今年のペナントレースは、日米とも「マネーボール球団」のオークランド・アスレチックス日本ハムファイターズがそろってリーグ戦で優勝という結果になった。アスレチックスは数年ぶりの優勝で、日本ハムは、主力選手が抜けたうえに、コーチ経験すらない新任監督の就任一年目で誰も予想しなかったまさかの優勝という快挙である。


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両チームともアスレチックスは年俸総額で全球団最下位、日ハムもリーグ内で強豪二球団の額を常に下回り、3位以下の下位に落ちることもあるというローコスト経営であり、リーグ戦は勝ち上がったものの、プレイオフではスター球団に力負けで負けてしまった、というところも、マネーボールの内容そのままで面白い。アスレチックスの方も、前年までの主力選手を相当数放出していっそう身軽になった若手主体の編成で、(伝統的な見方からすれば)とても優勝には手が届きそうにない陣容だったらしい。

大リーグのアメリカンリーグ西地区は3日、レンジャーズと同率首位のアスレチックスが怒とうの6連勝でレギュラーシーズン最終戦で逆転優勝を果たした。アスレチックスは6年ぶり15回目の地区優勝。1年目で16勝をマークし、新人王候補に名前が挙がったダルビッシュの活躍も後半の失速でレンジャーズは地区3連覇を逃した。(略)6月30日時点でレンジャーズと最大13ゲーム差あったが、2日並び、簡単に抜き去ったアスレチックス。13ゲーム差以上の大逆転Vは、大リークで過去4チームしかない。


日本ハム・ファイターズがアスレチックスの手法を吸収して、どのようにチームを動かしているのかを具体的に知りたいと思ったが、この観点から取材した記事はなかなか見当たらない(競技と経営理論の両方に目配りしないといけないので、確かに書くのも難しいだろう)。ようやく先日「週刊現代」で掲載されていた記事で、その内実を少し知ることができた。

それによると、日本ハムはマネーボールといわゆる「セイバーメトリクス」の理論をほとんどそのままの形で持ち込んで愚直に踏襲していることに驚かされる。チームに縁もゆかりもなく、指導者経験もまったくない軽量級の新監督の抜擢が発表されたとき、これはたぶん(理論のとおりに)監督にそういう役割を期待していないのだな、と推察したが、実際にこのチームではすべてがフロント主導で、監督には一軍への起用から打順の組換えからなにから人事権がまったくないのだという。その考え方を徹底させるために、あえてまっさらで変な匂いのついていない、しかも評論活動を通じてチームのやり方を知っていて、なおかつそれを評価している候補を選んできたということで、その割り切りぶりがすがすがしい。

「日本ハムでは、あらゆる面で監督に決定権がないからね。コーチ人事も、選手の獲得も、ドラフトも、一軍と二軍の入れ替えすらフロント主導で行いますから。栗山監督は、そこまでを事前に理解した上で監督を引き受けてくれる人物だった、ということでしょう」


ただ、このままだと、監督はなんの意味もないお飾りみたいになってしまうが、決してそうではなく、監督には選手やファンとのコミュニケーション役を手厚くやってもらうことを期待しているのだそうだ。よく言えば、仕事のロジスティックスの部分を分離してその分の負荷を減らし、より繊細なモチベーションの昂揚や人材育成の部分に指揮官のエネルギーを集中してもらう、ということだろう。この役割に新監督が適任であり、それを立派に果たしたことはいろいろな報道が伝えている。これは本家の方にはない考え方で、土台のドライで理詰めのデータ重視のうえに加味した、和製の、また、ファイターズ流のアレンジといえる。

「鎌ヶ谷にある日本ハムの二軍練習場では、練習中のグラウンドでも、試合中のベンチでも、とにかく選手とコーチが会話する姿が至るところで見られるんです。コーチが選手に話しかけるチームは他にもありますが、日ハムほど選手からコーチに積極的に相談にいくファームは、他にはありません」


これに比べると、元の本の内容では、選手を自前で「育成」するという視点がほとんどみられない。選手はもっぱら自分で自分を育てるのであって、GMのビリー・ビーンのやることは、それで出来あがったのものをただ買ってきて組み合わせるのが仕事である。実際今年のアスレチックスも、本の内容とおりにトレード補強をやり通しだったらしい。企業経営と引き比べても、いかにも人材流動の激しいアメリカらしく、また「冷たい」ようにも見えるが、それでも冷酷一辺倒ではないのは、先に書いたように、データを読みとる「切り口」「解釈」が、選手がそれまでなかなか認めてもらえないと不満を持っていた感覚的な自己評価と合うことが多いからで、そこが選手自身にとっても高い満足感や達成感につながっているからである。ファイターズの場合は、そのうえにさらに首脳陣との厚いコミュニケーションが乗っているわけだ。

決して前評判は高くなかったアスレチックスが奇跡の大逆転優勝を飾った。昨オフに主軸を打っていた松井、ウィリンハムらを放出。2ケタ勝利を挙げたG・ゴンザレスら主力投手も手放し、今季開幕時の年俸総額は大リーグ30球団で最低の約5290万ドル(約41億円)。6月30日時点で首位レンジャーズと13ゲーム差をはね返すのは、ほぼ絶望的状況だった。しかし、映画「マネーボール」のモデルとなったビリー・ビーンGMはシーズン中も積極的に補強。若手に加えて元キューバ代表のセスペデスが軸になり、打線が活性化すると後半戦は貯金24と破竹の勢いで、1敗もできない中での6連勝。6年ぶりにア・リーグ西地区を制した

ファイターズではBOS導入後、契約交渉時に選手が球団による自分への評価に納得できず保留するという場面がほとんどない。

「例えば、ある選手が『今日はあの球が打てません』と言って来たとします。でも我々は、そこではアドバイスはしない。『どうしてだと思う』と聞いて、更に考えさせる。理由を考えさせれば、弱点を克服するために必要な技術も自然と見えてくるでしょう。そうすれば、『こういう練習が足りなかったと思います』というところまで、自分で考えられるようになる。そこで『じゃあ、こういう練習はどうだ』と提案する。要は、『自分で考えられる選手』を育てていくのが、二軍のコーチ・監督の仕事なんです」(略)

「若い選手たちが二軍で学ぶべきことは、『自分の正しい育て方』です。試合に出て、その中で実際に失敗して課題を見つけて、克服法を考えて、次の試合で実践する。そうしてやっと、成長するんです」


この新しい形態の組織運営における「管理者・命令者からコーチへ」というマネージャー像の必然的な変遷は、リエンジニアリングでも書かれていて、ちょうど野球の監督の例を引いて説明されている。その姿は上で書かれている日本ハムのものとぴったり重なっていて、これも驚きである。リエンジニリング革命が、人事の関連で繰り返し強調しているのは、ほとんどこの一点だけである。

マネージャーが変わる―監督からコーチへ

一人あるいは複数の人間から成るプロセス・チームに必要なのは、上司ではなくコーチである。チームはコーチにアドバイスを求める。コーチはチームの問題解決に手を貸す。コーチは実際の活動には直接携わらないが、近くでその手助けをするのである。

従来の上司は、仕事を設計し、配分する。チームは自らそれを行う。従来の上司は、仕事がある人から次の人へ渡る際に、監督、管理、点検を行う。チームはそれも自分たちで行う。従来の上司は、リエンジニアリングされた状態においては、することがほとんどなくなる。マネージャーの仕事は、監督することではなく、調整者、実現者としての仕事、そして、従業員が付加価値のあるプロセスを実行できるように、その技能や能力を延ばすように努めることである。(略)

実際には、マネジメントは、エンジニアやセールスと同様に特殊な能力なのである。仕事に優れていることと、有能なマネージャーになることとの間にはほとんど相関関係がないのである。キャシー・ステンゲルは、野球選手としてはたいしたことはなかったが、監督としては偉大であった。また、野球選手として素晴らしかった人は、監督としてうまくいかない場合が多い。

リエンジニアリングされた企業では、マネージャーは人との付き合いがうまくなくてはならないし、他人のために働くことにプライドをもつ人物でなければならない。そのようなマネージャーは、資源を提供し、質問に応じ、それぞれの長期的なキャリア育成に一生懸命になる人なのである。これこそ、従来のマネージャーの多くが果していた役割と異なる点である。(第4章:新たな仕事の世界)


IT、業務システムの活用という点では、セイバーメトリクスの理論を運用するために専用に開発された基幹システムの「BOS(ベースボール・オペレーション・システム)」というものがよく触れられている。イニシャル・コストは1億円程度とのことで、これもスポーツ紙の記事では、野球チームの運営をするのに億単位の情報化投資とはまた思いきったことを、という文脈で書かれていることが多いが、業務システムの世界を知っている人からすればもちろんまったく逆で、最初にくるのは、昨今の野球選手の高額年俸からみれば鼻クソ程度の「たったの」1億円で、これほどの鮮やかな経営効果を上げられたことへの感嘆だろう。投資効果は単年でも10億はくだらないだろうから、業務システムの開発投資で、初期投資すら回収できないこともざらにある中で、コストパフォーマンスがこれほど劇的な例も珍しい。こんなに低年俸で働き者の「監督」はいない。

とはいえ、それではこのシステムを他の球団に持ちこめば彼らのようになれるかといえば、もちろんそんなことはないのであって、まず組織の「こうしたい」姿への変革が先にあり、そこへの橋渡しをするのに不可避な足場としてシステムが作られているので、システムだけ持っていっても使う側が旧態以前なら宝の持ち腐れである。重要なことは、「今通っている道をより早く走れるIT」ではなくて、「まだ誰もしていないことをするために必要なIT」はなにか、ということだからである。その目標像を組織がイメージできていない段階で、ただ道具だけ持ってきて移植しても拒絶反応の苦しみ以外のなにも起こらない。その意味でも、まったく別の姿に脱皮しようとしている組織に文字通り人馬一体の形ではめ込むことができたという点で、理想的な開発の形態といえる。業務システム、業務改革の仕事に携わるひとは誰でもこういうふうにしたいと思い、それを理想の絵姿に目指して仕事をしている。また、これは中間管理職のあり方についても同じで、本人だけが「コーチング研修」だかを受けて「コーチ」になろうとがんばっても、空回りするだけであまり意味はない。上意下達型の伝統的上司ではなく「コーチ」が必然的に必要になる、「コーチ」でなければならない、今までとは違う仕事と組織のあり方が、先立つものとしてあるのである。

これらの断片からみえてくるのは、ある企業組織が、経営改革によって見違えるような別の姿に生まれ変わり、生き生きと躍動的に活動しはじめる様子である。高いコストパフォーマンスと生産性の中で群を抜く業績を上げて顧客(ファン)に大きな喜びをもたらし、良質の雇用を作り、東京から遠く離れた地方の経済圏を活性化して牽引している。変革の不可欠な装備として情報技術が中核的に活用され、従業員(選手)はそれぞれの個性を評価され、能力を伸ばされて、高い満足感の中で働いている。ITに人間が使い回されて下僕になっているのではなく人間がITをとことん使い回し、ITがITにしかできないことをしながら、人間がいっそう人間らしく活動するための基盤を提供している―― こういうと少し誉め過ぎかもしれないけれども、旧来型の日本企業の制度疲労と歪みが拡大し、なすすべなく途方に暮れているような例があちこち目立つ中で、BPRがほんとうに行われると企業がどういう姿になり、自分自身と周りになにが起きるのかが現物でみられるという点で、スポーツ・ビジネス以外の一般の事業会社も、おおいに参考にでき、発奮させらる事例といっていいのではないか。

反対に、これらの経営の観点からみたファイターズの今後の経営リスクはなんだろうか。そのひとつは、この手の企業でよくあるもの、つまりそれが「うまく行き過ぎる」ことにある。具体的には、特にマネージャー層において、必要な人材を確保することが難しい、ということが出てくるかもしれない。新監督の選任が大きな驚きと無謀という評価で迎えられたのも、栗山氏のように高い知性と広い視野を持ってチームのやっていることを的確に理解し、かつ、人間性の面でも、求められていることに応えることができる人材が、野球界の既存の人材プールの中ではそれだけ見つけることが困難だったということがあるだろう。今後マネジメント・チームの要員を補充するときに、「競技の(指導)能力では長けているがチームのカラーには合わない」人間か、「チームのカラーには合うが能力が劣る」人間のどちらかしか選べない、という苦しいことになる可能性はある。それは開拓者としてのビリー・ビーンが、アメリカ球界の因習の中で直面した壁と同じものである。


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2012/11/18 | TrackBack(0) | マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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