マネーボールを読む ~ 人を活かす(就職・採用・人事)

「マネーボール」理論は、企業のような組織集団だけでなく、個々の働く個人にとっても有益である。というより、「マネーボール」は、その大半がドラフト(新規採用)とトレード(中途採用)の話で占められていることから分かるように、もともと組織でよく活躍する個人をどう見つけ出すか、という「個人に関わる人事の物語」なのである。

今の日本では、周知のように、この人事に関するあらゆる制度、あらゆる慣行が金属疲労を起こし、自信を喪失して揺らいでいる。それにかかわるほぼ全員が、そのことを不満に思い、そのことで悩んでいる。そしてその不満の中身は、実はその大半が人事の評価に関する「指標」の悩みでもある。たとえば就職したい新卒学生は、きわめて狭い範囲の型にはまった評価の枠に押し込められ、しかも同時に「個性的」でもあってほしいとも求められて、どうしていいのかと怒り、途方に暮れている。また、「学歴(有名大学卒かそうでないか)」という、たったひとつの視点で機械的に振り分けられ、売り込む機会すらもらえないことに悩み、なにより「新卒」というへんてこなラベリングを一度失ってしまうと、まったく門戸が閉ざされてしまうことで苦しんでいる。一方、採用担当者の方も方で、今のやり方がまったくうまく行っていないことで悩んでいる。まったく同じ服装、まったく同じ髪形、まったく同じ履歴書で、面接術マニュアルで武装した、まったく同じ受け答えで大挙して押し寄せる応募者をどうさばいていいか分からず、かといって、彼らの本来の個性に自分の責任で向き合ってそれを引き受ける自信もなく、買い手市場で自社にとっての最優秀者を念入りに「厳選採用」したはずが、蓋を開けてみるとそのパフォーマンスの惨憺たる結果に愕然としている。

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アスレチックスのようにブランドと資金力のない中小企業もまた悩んでいる。金と世評にあかせて学生をかき集めている大企業がそのように失敗ばかりしている以上、選から漏れてしょんぼりしているドラフト外の候補の中にも、彼らにとっての宝石がいくらでも残っているはずだが、その宝をどう見分け、どうたどりつき、そしてどうこちらに振り向いてもらうか、そのすべがないことで悩んでいる。就職学生の方も、どういう視点をとれば、自分にあった企業が見分け、出会えるのか、まったく分からずに悩んでいる。そのため仕方なく、猫も杓子も安全パイのヤンキースやレッドソックスや読売ジャイアンツばかりめがけて押し寄せている。新卒学生を就職市場に送り出す大学もまた悩んでいる。特にブランド力のまだない、世間的な評価の低い大学は、自学の卒業生だというだけで企業からすげなく門前払いされてしまうことで学生ともども消沈している。自学の特色を出した地道な教育の内容と、学生たちがそれに結果を出していることに自分たちなりの自負があっても、それが企業の側にうまく伝わらないことに悩んでいる。

一方、企業や役所に首尾よく入った勤め人たちも、入ったら入ったでまたみんな悩んでいる。成果主義だとかで期毎に考課表を書かされるが、どう書いていいか分からずに悩んでいる。オレの仕事ワタシの仕事は営業マンのように売上げで数値化できるものじゃない、定性的なものでこんな紙っぺら一枚で評価なんてできない、上司は、会社は自分の貢献をまるで分かっちゃくれない、と夜な夜な赤提灯で同僚にからんではスねている。それは同時に鏡の裏表で、上司の方がたとえそういう気持ちがあっても、部下をうまく評価してやれずに悩んでいるということでもある。

これらのすべての例で、マネーボールの視点は役に立つ(ちなみに本書の原題は「The Art of Winning an Unfair Game (不公正なゲームに勝つ技巧)」である)。たとえばわたしやあなたが、自分はこんなに貢献しているのに、上司や会社がちっとも分かってくれない、と嘆くとき、その嘆きに自分に対する嘘がなく、ほんとうに実(じつ)があるのなら、それは上司や会社とわたしやあなたが取り交わしている評価の視点自体に問題があるのかもしれない。その貢献が定性的なものだというつまらない理由だけで除外されているのなら、それにはますます大きな不備がある可能性が高い(一見定性的な評価を定量的に固める手法はいくらも存在する)。だとすれば、わたしやあなたが真っ先にしなければならないことは、飲み屋でクダをまくことではなくて、データをかき集めてきて四方八方からそれをひっくり返し、組み立て直すことである。あなたは会社の売上げにじかに直結しないにしても代わりに何に貢献したのか。顧客の(あるいは自社内のプロセス・カスタマーの)満足感や利便性の向上か。だとしたらそれは相手のどのような行動の中に現れ、それが示唆されているデータはなにか。それをとらまえることはできるか。上部の指示で決まっているキーの指標自体をこちらの一存でただちに動かし、変えさせることはできないにしても、自分の不満を冷静で説得力あるアピールに変えて、自由記入欄で示すことだったらすぐにでもできる。わたしやあなたの形にならない貢献を、上司もまたそれとなく感じてくれているのであれば、その明示化は上司や会社自身もまた、渡りに舟で求めていることでもある。部下のあなたと上司は、そのとき新しい指標という「言葉」を得たのだ。

チームに貢献するため、チームと対立することを余儀なくされた。ハッテバーグの場合、あらかじめ頭でよく考えてこそ打てる。自分の信念を曲げなかったのはじつに見上げた勇気といえるが、その代わり、チーム内で不愉快な気分を我慢しなければならなかった。レッドソックスに在籍した10年間、ハッテバーグのやり方を多少なりとも高く評価する人間は、ひとりも現れなかった。(略)

オークランド・アスレチックスのフロントから見れば、ハッテバーグの成績データはきわめて満足度の高い内容だった。ハッテバーグの打撃スタイルのすばらしさは、よほど目をこらすか、科学的手法を使うかしないと、明らかにならない。(略)「野球人生で初めて「お前のやり方は気に入った』と評価してもらえた。ずっと自分なりに信念を持ってやってきたつもりだったが、アスレチックスに入るまでは、こんなやり方を認めてくれる人なんてどこにもいないんだ、と思っていた」 (第8章「ゴロさばき機械」)

新卒学生を送り出して就職活動を支援する大学、あるいは就職支援予備校にも同じことがいえる。自分たちの母集団に採用側にうまく伝わっていない特色や美質があるのなら、そのモヤっとした実感で共有されているもどかしい「なにか」を言語化、数値化し、明示的に分かるものに変えられないか。自学の卒業生たちはその後「統計的」に、どういう職業生活を歩んでいるか。そしてそれは他の競合たちとどう違うか。自学を選んだ学生たちは調べてみたら「先天的」にどういう特性があり、それは他とどう違うか。どんな職業に向きがあるか。メジャーリーグの腕利きのスカウトたちは、高校野球のスター選手たちを血眼になって追いまわしたが、彼らは統計的にその後あまり活躍できず、ほんとうに活躍したのは大学野球で一見目立たない実績を残してきた地味な選手たちだった。自分たちの学生はどうだろうか。企業の側も今のディールには不満たらたらで、他の切り口を模索しているのであるから、もしかしたらそれらの中から彼らの琴線に響くものが出てくるかもしれない。それがほんとうに確かなもので、結果に現れるのなら、それは大きな突破口になる。また、そのことは、今度は逆に、大学や求職学生個人が企業を選別し、見つけ出すときにも同じようにいえる。

他球団はほぼすべて同じような視点で市場を眺めている。20人の指名候補選手をリストアップして、3人つかまえられれば上出来とみなす。ところがアスレチックスは、7人も1位指名できたうえ、ゼネラルマネージャーが選手をまったく独自の物差しで評価する。その物差しが、スカウト陣の豊富な経験より優先される。なにやら1球団だけ別世界だ。結果として20人の候補のなかからなんと13人も確保できた。投手4人に打者9人。自軍のスカウトたちが「背が低すぎ」「やせすぎ」「太りすぎ」「足が遅すぎ」と切り捨てていた選手ばかりだ。速球が走らない投手や、パワー不足の打者。本人がせいぜい15位指名と思っていたような選手を、1位指名する。指名されるはずがないとあきらめていた選手を、2位以降で指名する。本物の野球選手と見込んで獲得していく。 (第5章「ジェレミー・ブラウン狂想曲」)

前回述べたように、よき評価指標はそれ自体が素晴らしい、絶大な威力をもつ付加価値である。日本全体でこれほど多くの人が人事評価で悩み、いたるところで不完全燃焼の黒い葬式の煙があがり、貴重な才能が使われずに埋もれたりふてくされたりしているのならば、そこに新しい切り口を注入することができれば、きっとわれわれのパフォーマンスは何倍にもなり、苦境を吹き飛ばすほどの劇的な変化が起きることを期待したっていいにちがいない。同時に、われわれの一義的な幸福感が、自らにふさわしい場を得て、その力を発揮して活躍することの中にこそあるとすれば、ひとりひとりの隠れた特性、隠れた才能を見つけ出して引き出すことは、それを何倍にも増すことにもつながる。ビリー・ビーンとアスレチックスは、彼らが新しい考えを用いなければ決して水面に浮かび上がることのできなかったたくさんの才能を見つけ出し、ふさわしい活躍の場を与えた。企業も国も人でできている、日本には資源もない、土地もない、使えるのは人の力だけだ(ちょうど金欠アスレチックスが金満ヤンキースに立ち向かったときのように)――お題目だけでなくほんとうに心からそう思うのであれば、個人も組織も、もっとこのことに必死になったっていいはずだ。もちろんそのことに不慣れな部下や社員や求職者がしびれを切らして動き出す以前に、上司や経営者や就職支援担当者たるものは、それへの豊富な知見と経験を持ち、人を見るモノサシの専門家でなければならない。ハッテバーグが自分で目覚めて動き出す前に、よその球団、よその国に横からもっていかれる前に、自分たちのハッテバーグを見つけ出さなければならない。


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2012/03/18 | TrackBack(0) | ビジネススキル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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