セルフレジと最低賃金

セルフレジ(富士通製) 近所の食品スーパーに先日セルフレジが導入されていた。

セルフレジというのは客が自分で買ったものを清算できる小売店向けの自動清算機で、レジ打ちの店員がいらなくなる。

さっそく試しに使ってみると、清算前後で重量を比較できるようになっていて不正がしにくくなっていたり、酒類を買う時には(未成年が黙って買えないように)店員を呼び出して確認するようになっていたりと、細かい部分も工夫されている。

セルフレジは以前都内の高級スーパーでたまたま買い物をした際に導入されているのを見て、面白がって使ってみたことがあったが、その時はちょっと勝手が悪く、店員のいる一般レジが混雑しているのに、セルフの列はがらがらで、客も気味悪がって敬遠気味だった。その頃よりは装置もだいぶん進化しているような気もする。

価格も当時は一台1500万円くらいが相場といわれて、薄利の小売業としては相当思い切った設備投資だった。今回こうして一般消費者向けの食料品中心の店にまで浸透してきているのを実際に見て驚いたが、値段もかなり下がっているのだろうか。

事業者にとってのメリットはなんといっても自動化による人件費の節減である。もっと露骨に「無人レジ」と呼ばれることもある。ここに来て導入が加速しているのは、目先に民主党政権の誕生が確実視される中で、公約している最低賃金の引上げによるコスト増をにらんだ政治シフトという意味合いもあるのかもしれない。また、店内の人的接触も抑制され、少ない人員で店舗運営ができるようになるため、懸念されてきたインフルエンザ流行の本格化に向けて、小売業者としての事業継続能力を高めるという狙いもあるだろう。

一方で気の毒なことになるのは、言うまでもなく自動化によって職を失う店員たちである。セルフレジが本格的に普及してくると、ちょうどガソリンスタンドのセルフ化が進んだ時と同じように、「スーパーのレジ打ち」という、家庭の主婦や中年女性にとっていちばん手頃でとっつきやすく、一般的だったパート職がごっそり社会から失われてしまうことになる。

近所の店ではまだ導入したてなので、店員が付きっ切りで購入客に使い方を指導していたが、この人たちもある意味で自分たちをクビにするために一生懸命機械を普及させようとしているわけで、内心は複雑なものがあると思う。とはいえ、この微妙な立場は、企業人にとっては昔から本質的で馴染み深いもので、ことにシステム開発や業務改革の部署にいると、このことを不断にやり続けることが自分の仕事になる。端的にいえば、職場の仲間から今の仕事を剥ぎ取って別のことをやらせることが自分の使命になるわけで、社内の意思決定や決裁も、今の業務プロセスから何人頭分削減でき、効率化できますという、いわば「人のナマ首を通貨にしてシステムを買う」方式が、残念ながらいちばん印象が強くて通りやすい。システム開発では、たとえそれがWebサービスのようなものであっても(というよりそれがその最たるものだが)、販売機能その他のビジネスプロセスの代替であり、その効用の主要な本質は「省力化(すなわち人力と雇用の削減)」なのである。あなたや私がこうやってブログ他のツールで自分の考えを公表する時だって、それがなければ本や雑誌の製作や販売を通してそこに介在できたかもしれないたくさんの人たちの人的関与と雇用を無効化し、「出版不況」の傷口に塩を塗り込んで、それを後押ししているのだ。郵便や電報が電子メールに押されて縮小し、雇用吸収力も失っていくのも同じことだろう。

おそらくセルフレジで、店内の導入プロジェクトの中核になり、お客に手取り足取り使い方を教えている店員は、これまでの人力の作業においても最も熟練の、マネージャーからも評価と信頼の高い人たちなのだろう。自動化が進んでも、全部が全部いきなりセルフになるわけではなく、イレギュラーな事態に対応するスーパーバイザーも必要なので、たぶん彼ら彼女ら自身の雇用は最後まで残るはずだ。しかしそれ以外の、技能も評価も低かった店員の雇用は減らされることになる。現場の中核従業員のノウハウを吸い上げる対価に彼らだけが生き残り、残りは社内にせよ社外にせよ配置転換を迫られる、というこのことも、一般のビジネス改革の通則と常に同じである。

ところで、このことを先の最低賃金の議論とからめて考え合わせると、どんなことが見えてくるだろうか。

最低賃金の人為的な引上げによって、景況全体に対する刺激効果があるかどうかはいろいろな説がある。効果があるという人もいれば、いや効果はない、逆効果だという人もいる。議論が神学化し平行線でよく分からないということは、要するに良くも悪くもたいした影響はないのかもしれず、それに対してそれならやってもしようがないじゃないかという見方もあれば、逆にそれならやればいいじゃないかという見方もあって、これまた一に定まらない。

しかしながら、それらはいずれも経済全体のマクロレベルに関する議論である。個々の現場単位、ビジネス単位で見た場合はどうか。

当然ながら、制度的に最低賃金を引き上げたからといって、個々の企業レベルで人件費の総額がそれによって魔法のように増量するわけではない。それはコップの中の水に声をかけてなだめたりすかしたりしたところで増えもしなければ甘くもならないのと同じである。純理論的には、企業が人件費の増分を商品価格に転嫁し、それが次々と川下に波及していって最終的に徳義心にあふれた立派な消費者がそれを負担してくれたら万々歳ということになるけれども、現実にそれに期待するのは、ちょうど交通渋滞の最後尾の車両が思い切って前の車に突進すれば玉突きに全体が動きだして渋滞がめでたく解消するだろうという空想に期待をかけるのと同じくらいのものだろう。それが可能なくらいなら、世の下請け事業者も、自責でないコスト増について価格転嫁をいくらでも発注先に認めてもらえるはずだ。

とはいえ、企業がこの引上げにまったく無感応かといえばそうでもない。それは少なくとも上記のような業務改革の歯車が動き出すきっかけくらいにはなるのである。賃金相場の大幅な上昇は、こういった省力機器の導入にとっては常に追い風に働く。単価コストが底上げされることで損益分岐のハードルがそれだけ下がるからである。イヤな言い方かもしれないが、「クビ」の単価が上がることで、それだけ代替プロセス導入の決裁も書きやすくなり、意思決定もスムースになるわけだ。

その意味でこの社会政策は、確かに「雇用拡大」にも貢献すれば「景気浮揚」の効果もあるといえる。ただし誰の雇用を拡大し、景気を良くするかといえば、その政策が(たぶん)直接目指しているような、単純作業レベルの労働者とその雇用企業ではなくて、こういった改革プロセスを提案したり販売したり装置を製造したりする、要するに「自分で仕事を作り替える」能力をもつ、もともと賃金も技術も生存能力も高い最高のクラスの労働者と企業のそれである。従ってミクロレベルでみれば、こういった賃金水準の強制的な引上げは、これらを扱う機器業界やコンサル業界への一種の傾斜的な「政策支援」であるといえる。これはいつも率直でみもふたもない株式市場もそう判断するだろうし、当該の業界自体も、どうせ引き上げるんだったら1000円などとケチくさいことをいわずに2000円くらいに大盤振る舞いしてくれたらいいのに、と心中切望しているだろう。

後者の売り上げ増、利益増の引き換えに前者の単純労働層は就業機会自体が切られてしまい、後者の犠牲に供されることになるので、政策はいわば前者のようなもともと賃金の低い労働者から後者の賃金の高い高度な労働者への賃金の贈与であり、所得移転であるともいえる。にもかかわらずこの施策は、一般向けには低所得者層への直接的な慈善的恩恵であるような外観を取れ、なんだかおかしいなと心のどこかで感じながらも深くはそれを考えない種類の人たちをうまくだましおおせるので、ある意味でかなり悪魔的な、あるいはもっとも狡猾かつ強力な「社会格差の強化・固定化施策」だといえる。実際に上記の事例でいえば、導入効果としてカットされたパート職の人件費は、もともとそれよりはるかに賃金水準の高い機器メーカーの社員の給料にそのまま移動するのであるから、このことは比喩でもなんでもないし、ガソリンスタンドをみても現に明白にそうなっているのであるから、それを推進する人も、それを希望する人も、目の前に昇る太陽を知らないはずがないようにそのことを知らないはずはない。だから彼らはそれをニコニコしながら自覚的に、意図してやっているのだろうと思う。また、個々の企業や職業人はそのような変化に対して、自分のできることを淡々と進めていけばいいだけのことであるけれども、一方で社会政策としてみた場合、社会の助けを必要にする人たちにとっては「天使の面をかぶった死神」あるいは「聖母の顔をした抱きつき拷問具」みたいなこの施策に対し、軽々に単純な賛意を表してよいものかどうかは正直悩ましいものがあるのも確かだ。

最低賃金をめぐる議論では、一般にここの「イノベーション(仕事のやり方の革新も含めた本来の定義における)」の視点が考慮に入っていないものが多いようだ。経済学者たちはここの話をすっ飛ばして、すぐに需要曲線がどうのといった数式とグラフの机上の解析にのめり込む。労働の現場をみればそんなことになっていないのは明らかで、スーパーのレジ打ちというもっともありふれたものも含め、実際の仕事をしたことがない、現実から遊離した仙人の議論のように感じる。

ちなみに、小売業界では、イオングループと(欧米で先行して無人化を推進しているウォルマート傘下の)西友がセルフレジの導入に熱心な他、キオスクの販売員確保に苦労してきたJRグループが無人化を強力に進めている(「オートキオスク」)。またコンビニ業界では、無人店舗の構想は、業態の黎明期から何度も浮上し、挑戦もされてきたけれども、意外なことに、現在見切り販売等のごたごたでバッシングされているセブンイレブンがずっとそれに抵抗してきた。セブン社はご存じのように情報インフラの高度化に惜しみなく費用を投ずる一方で、最前線での生身の人間による、いわゆる「ハイタッチ」の顧客接触も重視し、それがビジネスプロセスの起点に欠かせないものとして埋め込まれている(誤解のないようにいっておくと、これはいわゆる気持ちのいい接客態度といった類いとはぜんぜん別次元の話である)。同社の有名な「業革会議」で、テレビ会議などのツールを使わずに、巨額の航空費とホテル代を負担して地域担当者を全国から集め、直接対面で情報交換し、施策を落とし込んでいるのも同じ文脈の中での話である。また最終消費者との接点というところまで目を広げれば、外食の吉野屋が自動券売機の導入を頑固に拒み続けていることもよく知られている。このように企業によって戦略もいろいろで、こういう視点もこのテーマを考える中では興味深いところである。





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2009/08/24 | TrackBack(0) | 小売り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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