レモンで稼ぐ

前々回前回と二回にわたって、中古車販売の世界で頭角を現しているガリバー・バイク王の事業モデルについて見てきたけれども、この中古車業界といえば、教科書的によく引き合いに出されるのが、「情報の非対称性」 (Information Asymmetry)という考え方である。これは1970年にアメリカのアカロフという学者が提唱した経済学上の概念で、市場での取引において売り手と買い手の間に商品についての情報量に差があると、取引に歪みが生じて市場全体が劣化し、経済資源の効率的な配分という本来の目的を果たせなくなる現象をさす。前回引用した記事内でもたびたび言及されていたことからもわかるように、近年経済現象を考える中でのその重みはますます増していて、先般のサブプライム危機でも証券化商品の分野でこの現象がもたらす機能低下が大きな影響を与えたことが指摘されている。

この視点から改めて上記の二社を見直すと、両社の意義深いところは、中古車流通におけるこの情報の非対称の歪みに対して、独自のアプローチを試みているところにあるといえる。もともとこの情報の非対称の概念を最初に論じた論文の中で、そのもっとも甚だしく、典型的な事例とされたのがまさにこの中古車市場であり、ババをつかまされた粗悪な中古車がアメリカのスラングで「レモン」と呼ばれるところから、情報の非対称によって劣化した市場は別名レモン市場とも通称されているのである。

ガリバー以前には、自動車ユーザーが車を売るには、新車ディーラーに下取りに出して新車を買うか、中古車販売業者に売却するかのどちらかであった。新車ディーラーの場合は新車値引と下取り価格の境目が不明確だったし、中古車販売業者の提示する価格は業者ごとの開きが大きすぎて、信頼性が置けないという消費者が多かった。ガリバーはこうした問題を解消したのである。


中古車市場における情報の歪みは、商品の流れの中で、買取り(顧客から見れば売渡し)のプロセスにおいても、販売(顧客から見れば購入)のプロセスにおいても、ともに生じうることは容易に想像できる。事業者からすれば、自動車ユーザーから車両を買い取る時に、それは「レモン」でありうるし、顧客からすれば、事業者から中古車を購入する時に、その中古車および事業者自体もレモンでありうる。一般に取引の市場にこうした情報の酸欠が強く生じている時には、双方に疑心暗鬼が生じ、疑念と躊躇が互いを呼び込み合って、互いが互いにとってレモンであるという、騙し合い、探り合いのような状況が生じやすくなるものと考えられる。ここまで見てきたように、上記の両社が試みているのは、もっぱらそのうちの買取りの工程における取り組みであるけれども、「販売」のそれについても、車両の整備を徹底して品質保証を厚くつける等の工夫を重ねて、全体としての信頼性の底上げを図っているようだ。ガリバー創業者の次のような言葉は、自分の活動領域におけるそのあたりの機微を明確に意識して事業を取り回していることをうかがわせる。

我々が中古車の買い取り専門店を作ったのは15年前、1994年のことですが、当時の中古車業界は、あまりにも不透明でした。特に値段に関しては、一般のお客さんには信用し難い。中古車には値段があってないようなものだと思われている。そういう信頼されない業界でした。これは、日本に限らず、米国でも欧州でも状況は同じで、そういう業界として何十年も諦められていました。しかし私は、やはりもっとお客さんに信頼される業界にしていかなくてはと考え、中古車の流通価格を適正化する"流通革命"を起こそうと決意したんです。


もちろんそうはいっても、情報の不足という二酸化炭素を酸素に転換することで生態系に貢献し、自分も生き延びようとするこのタイプの事業は、劇薬の化学物質のように取り扱いが難しいことに変わりはなく、感情的な摩擦も生じやすいし、クレームを浴びることも多いだろう。なんといっても人間は耳目を塞がれて情報が制約されている時くらい感情が不安定になることはなく、見てきたようなスコアリングという手法はあくまで大数的・確率的な性格の手法であって、すべての個別案件を平等に救済するわけではないからである。従って雨天の激戦から戻ってきたレーシングカーのように湯気立つその立ち姿を周囲からただ漫然と眺めていると、そうした泥付きの外観ばかりに目が行って、中に格納されている白無垢の優れた機構がなかなか見えにくいということもあるかもしれない。また、これらの企業が取り入れた切り口は、そのような仕事場で戦うための用具の一つに過ぎず、全体としての事業プロセスの改良の余地もまだまだ大きく前途に開けているものと思われる。それを実現するのはこれらの会社かもしれないし、あるいはこの二社を乗り越えて進む別の新しい挑戦者かもしれない。しかしながら信頼度の低い市場の信頼性を高め、市場も育てて、自分も成長していこうという上記の理念自体が指さしている方向性は一方でまったく正しいものがあるし、あとはその言葉を誰がどれだけ具体的な形で現実の中に落とし込めるか次第だろう。


「新品の時代」の終わり

ビジネスの性格上切り離すことのできないこうした難しい特性があるにもかかわらず、この業界に注目するのは、消費不況の中でこれらの企業が業績を伸ばすことの意味を考えるからである。

振り返って思い返すと、戦中から戦後にかけて、この日本から多くの独創的な経営理念を持つ企業家が巣立ち、海外にも雄飛して、その製品やサービスの品質の高さで世界を驚かせ、楽しませてきた。松下やソニー、ホンダや任天堂、小売りではダイエーやセブンイレブンといった企業がそうである。しかし考えてみると、それらはいずれもみな「新品」を作り、また売る企業だった。社会がまだ貧しく、新品が世間にまだ十分でない状態ならそれでよかったし、それこそがまさに必要なことだった。しかしもはや経済が十分成熟し、「新品」が十分に行き渡って、人々がもうそれに必要も興味も感じるところが薄くなり、それが有り余るようにさえなったとしたらどうか。ましてまさにその日本企業が世界にもたらした優れた生産管理によって、新品があまり壊れなくなり、買い換える必要自体がかつてよりずっと薄れているとしたら。現下の消費不況は、もちろん直近の金融危機による影響が一義的に大きいけれども、実際にはその陰に隠れて、これまでずっと長く惰性的に持ちこたえてきた「新品バブル」がわれわれの精神の中でこれを機会に一気に崩落し、過剰な新品の供給能力およびそれに紐づけられた雇用と、人々の気持ちの間にいつの間にかできていた深いミスマッチが顕在化したものと見ることができないか。セブン・ヨーカドー連合の鈴木敏文会長が、相変わらずのその深い直感力で始めて各社に拡がった「下取りセール」は、その流れに対抗して、「新品の販売業」の立場から自分たちにできるせめてもの抵抗を試み、一矢報いようとしたものとはいえないか。

「新品の時代」が終わった成熟経済の中でいっそう存在感を増すのが「中古」の市場である。この新たな発展段階においてはよく言われるように「新品より中古」「所有から使用」「製造からサービス」へと、それぞれ関心の焦点が大きく移動する。それは梃子の根元の部分での根本的な変化であるので、地響きをたてて岩盤がずれ動くような、そしてまたよく注意していないとわれわれ一人一人の蟻の一匹には何が起きているのかもよく分からないくらい巨大なものになるはずだ。同時に、それは人手を経て価値がまちまちになった財物が空中を飛び交う、紛うことなき「レモンの市場」でもある。

そのもっとも濃厚で典型的な世界とされる中古車流通の分野で、表記の二社のような企業が作り出した付加価値は、「新品の時代」が終わった熟れた世界に、新品の時代に活躍した新品を扱う企業とは異なる新たな切り口をもたらすものではないだろうか。「持つ」ことより「使う」ことが焦点化し、使われているものの貸し借り、流れが重視される経済では、ちょうど新品製造・販売の世界で、トヨタ式生産方式や単品管理のようなイノベーションが求められたように、使用済み製品の評価(査定)をより近代的なやり方で効率よく進める工程、工夫が不可欠である。また、それゆえにこうした企業の努力の証跡は、本質的な深い部分で、同じような特性を持つ他の業界についても、広く応用可能なものがあるはずだ。たとえば国内でみれば、同じように膨大な数の零細事業者を抱え、価格と品質に対する明確な信用がないことで顧客を悩ます「レモンの市場」である賃貸住宅の分野などは、手始めにそのもっとも端的なものではないだろうか。





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2009/12/15 | TrackBack(0) | 小売り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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