「塀のない刑務所」が映す社会

山口県美祢市に民間資本による公的施設運営のモデルを取り入れて開設された新型の刑務所がある(「美祢社会復帰促進センター」)。運営に受託参加している中心企業は警備会社のセコムで、施設紹介でみると、ホテルと見紛う豪華で開放感のある設備であり、本当の旅館や賃貸住宅だってこれより貧相な調度で営業しているものはごまんとあるから、刑務所がこんなに快適だったら、犯罪の抑止と犯罪者の更生に支障があるのではないかと心配になるくらいである。

美祢社会復帰促進センター(1)

ところで、この施設の最も大きな特徴は、敷地に刑務所の象徴ともいえる「塀」がないことである。そのことが開放的な雰囲気を与える大きな要因になっているし、施設の外側からみても、そこに刑務所があるというものものしさや威圧感がなく、普通一般の行政施設の一つとして景色に自然に溶け込んでいる。まさに刑務所というより「更生センター」である。

刑務所の要ともいえる塀がなくて済むのは、別の手段でそれを補っているからである。受刑者はICタグのワッペンを装着することが義務づけられていて、無線で常時居場所を把握されている。ICタグは位置とともに移動状態も秒単位で追跡されているので、無理に外したり他人に渡すなどの不自然な動作があるとすぐに分かるという。また構内は隅々まではりめぐされた監視カメラで24時間監視され、敷地の境はもちろん赤外線センサーや振動検知式のフェンスでガードされている。これらのハイテクの監視システムが見えない防壁となって物理的な塀の代りに受刑者の所外への自由な移動を抑止しているわけだ。

美祢社会復帰促進センター(2)


そもそも刑務所に高い塀が必要なのはなんのためだろうか。それはいちばん原始的な意味では、中に入っている犯罪を犯した受刑者を閉じ込めておくためで、彼らが外に逃げ出すと困るからである。なぜ逃げ出すと困るのか。彼らが刑罰の勤めを終えないまま出ると、外側の一般社会において制御不能の状態で犯罪性向の濃度が上昇し、安全が脅かされると考えられるからである。技術が進んでそれを別の手段で代替できるようになり、塀がいらなくなって、目に見えないものに潜性化し、内在化されたということは、物理的な遮蔽の中に押し込めておかなくても、彼らの行動を自由にコントロールできるようになった、それだけの自信がついたということである。彼らを施設内にとどめておくのは、この点からすれば単に費用的な問題であって、原理的には施設内で適用可能な技術はそのまま外部でも展開可能なはずだ。

また、企業の看板をみれば一目瞭然のように、これらを可能にしている運営技術は、もともとすべて「民生」用のものであり、刑務所の運営のために開発された特製のものではない。全部一般の社会の中で用いられているものをほとんどそのままの形で、むしろ外側から刑務所の中に持ち込んだものだ。「塀の中」と外の敷居がなくなったということは、この点においても外と内の濃淡の差がなくなった、変わらなくなったということでもある。日経BPの記事(「セコム作、塀のないハイテク刑務所」)のコメント欄で、現在の大企業の会社員は、個人情報も入退室も健康情報もなにからなにまで全部細かく記録されているので、この刑務所と変わらないかそれ以上かも、という自嘲気味の指摘があったけれども、刑務所の受刑者が外側にいる自分たちより強く行動を束縛されているようには思えない、というこの感想は、たぶん多くの人が率直な実感として共有するものだろう。いわば「受刑者のように会社員や市民が監視されている」のではなくて、「会社員や市民のように受刑者も監視される」のである。

店のご飯を無断で食べたなどとして、牛丼チェーン「すき家」を展開するゼンショー(本社・東京都港区)が、残業代不払いで同社を刑事告訴した仙台市の女性店員(41)を、窃盗などの疑いで仙台地検に刑事告訴していたことが分かった。地検はすでに店員を不起訴としており、店員側は「こんな手段で威嚇、報復するのは許されない」と反発している。 店員側の弁護士らによると、ゼンショーは、商品用のご飯どんぶり5杯分を無断で食べたとする窃盗などの疑いで、店員を告訴した。店の監視カメラの映像が証拠だとしている。

電車内の痴漢事件を防止し、捜査態勢を強化するため、警察庁は31日までに、鉄道事業者や有識者らによる「研究会」を来年度に発足させる方針を決めた。痴漢事件をめぐっては最近になって無罪判決が相次ぎ、捜査の在り方の問題点が指摘されており、電車内の防犯カメラ設置などが検討課題になるとみられる。

「まるで監獄にいるようだ」大手電機メーカーで研究開発の仕事に従事する浜野谷尚吾氏(仮名、30代後半)。彼のオフィスでは、2年ほど前にICカードを使ったセキュリティーシステムが導入された。“囚人”のような息苦しさは、その1枚のカードによる社員管理から始まった。(略)正社員といえどもほかの職場には入れないように、このカードは設定されている。隣の部署に行くには、あらかじめ申請し、自分の上司と相手の上司の承認を得て設定を変える必要がある。しかも、一定期間を過ぎると、変更した設定は取り消されるため、定期的に申請を出さなければならない。


こうして一般の社会から刑務所の中に逆流し、両者の懸隔をなくして、刑務所をある意味一般社会化し、一般社会がそのままで既にある意味刑務所化していることを知らしめたこれらの民生の運営技術の、そもそもの目的は何だろうか。それは、われわれの社会の中に、あらかじめ犯罪的な成分が一定程度混じり込んでいて、それを検出する必要があるというのがそれであろう。現代の企業の内部が従業員の一挙手一投足にいたるまで息苦しく監視されているのも、情報漏洩や金銭的不正を働く社員が存在しうると考えられ、現に存在しているからであり、街頭や店舗や列車の車内についてもまた同様である。そこで、それだけの金銭的投資が可能な人たちが、自分の身の回りの安全度をより以上のものに引き上げるために、これらの技術をさらに集中的に投じて、周りにより堅固な蟻塚的なものを作り、内側の蒸留度を高めようという考え方も方向として当然ありうることで、それがいわゆる「ゲーテッドコミュニティ」というものだろう。やっている内容は質的には変わらないが、量的には段違いに強化され、刑務所においては印象を和らげるために目立たないよう隠し込もうとしていたものが、そこではむしろ「ゲート(壁)」として視認できるレベルまであからさまに威嚇的に顕示されている。すなわち刑務所の周りには塀がなくなった一方でここには新しく塀ができたのである。

一般の人々が生活する社会が「ハイテク刑務所」化して刑務所との境が薄れて均質化する一方で、富裕な社会的支配層がこうした厚い防壁の内側に囲われるということは、刑務所の敷地とその外側の境界にあった「壁」が大移動してきてそこまで縮退した、というふうにもとらえることもできる。球面幾何において、描いた小さな円の内側が逆側を覆う残りの界面にとっての外側であるように、新しい技術がそれを可能にした「壁」は、刑務所の敷地を超えて引っ張れるだけ引っ張って押し拡げられた結果、社会の大部分は引き延ばされた「塀の中」で覆い尽くされて、「塀の外」は逆に特定の小街区の内側だけになった、そうもいえよう。そしてその広大な「外なる塀の中」では既に犯罪を犯した人間とこれから犯罪を犯すかもしれない人間が同一の技術、同一の手法で段差なく一緒くたにコントロールされるのである。その中で個別の練度は現在はまだ試行錯誤の調整の段階にある。上記の「塀のない刑務所」では、受刑者は外に出さえしなければ構内での行動はこれまでの囚人に比べて驚くほど自由に認められている(受刑者が構内で迷子にならないように「案内版」があるくらいである)。受刑者の側がこのようにICタグやGPSのような個別追跡の受け入れと引き換えに、より「人権的」な方向に行動制限が緩和され、自由化される傾向にあるのに対して、一般市民の方はそうした家畜管理的な技法の適用がまだ躊躇(ためら)われている分、逆に昔の囚人のような物理的、外形的な行動拘束が強化され、部屋から部屋の移動にすら決裁を求められて、外観上は囚人よりもむしろ不自由な逆転状態になっている――現状はそんなところだろう。

刑務所のあり方というのは、ちょうど「動物園」のあり方がわれわれと自然との関わりにとってそうであるように、われわれの社会のありようを映し返す鏡のようなところがあり、昔から思想的な研究の題材としても取り上げられてきた。ここに来て刑務所の姿がこうして根幹のところで大きく変わりつつあるということは、それを内部に保有するわれわれの社会のどのような変質を表徴するものなのか、考えていくといろいろと意義深いものがあると思う。





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2009/09/24 | TrackBack(0) | 情報技術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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