ほめる覆面調査

「ほめる覆面調査」という面白いものがあるそうだ。テレビなどでも取り上げられたらしい。

覆面調査(ミステリーショッピングリサーチ)とは、身分を明かさずに客の振りをして店舗などを抜き打ちで訪問し、運営状況を経営者に報告する調査方法で、外食産業などでさかんに用いられている。従来のものは「改善点」を中心とした内容になっていて、おたくの会社はここが悪いので直すべし、ということを報告するものだった。ことの性格からして「密告」とか「密偵」という言葉を思い起こさせる陰湿さがあり、受ける側にとっても、正直憂鬱で気分のいいものではなかった。

この調査会社(有限会社シーズ:西村貴好社長)でも、はじめは当然のようにそういう調査をやっていたのだが、「ここが悪いので直せ」という提案を上げても効果が上がらず、悪い部分もなんら改善しないまま逆に業績が落ちていくことが多かったという。そこである時ふと気づいて、「悪い」点は無視して「良い」点を積極的に掘り起こし、現場を経営者から褒めてもらうようにしたら、職場の雰囲気がどんどんよくなっていって、従業員が進んでいろいろな工夫もするようになり、業績が大幅に上昇するクライアントが続出したのだそうだ。

ほめる覆面調査(有限会社C’s) やってみればこれほど当たり前なこともないが、なかなか実際には実行できないことは、きっとこういうことだろう。求められているのは内発的な気づきによって自己成長していく組織なのであるから、よくやって当たり前、しくじった時だけ横から出てきて叱責されるという陰険な環境でその力が伸びるわけがないのだが、実際に行われるのは、表面的な結果だけを性急に外側から押しつけようという方向の行動ばかりになってしまう。矯正を待つまでもなく自律的にレベルアップしていく力を育てたいのであれば、その部分にこそ水をやって盛り立てなければならない。新しいやり方で効果を高めるコツは、五つにひとつくらいの割合でレポート内に改善してほしい点も混ぜておくことで、こうすることで、ここを直せばもっとよくなるというヒントを与えることになり、職場改善に向けた動機付けができるそうだ。自己推力あっての話である。

また、この調査の素晴らしいところは、縁の下の力持ちで現場を底支えする地味なタイプの従業員に光があたりやすいことである。このタイプの人はこれまでもなかなか評価されがたかったし、成果主義評価の流れの中で、ますますその傾向は強まっていた。この手の貢献は営業成果のように業績に直結する華々しさはないうえ数値化が難しいし、だいたいこういう役回りの人は自分で自分の業績を声高に訴える自己アピールが下手だからだ。しかし実際にはその貢献は多大かつ必須で、顧客の目線で現場の日常を見れば、いやがおうでもそれが目に入ってくることになる。

もちろん褒めるといっても、一歩踏み外せばそれが嘘くさく、わざとらしいものになってしまう恐れもある。褒めることが不自然であざとい行為になってしまうとしたらそれはなぜだろうか。それは感心したことを本心から言葉に表しているのではなくて、相手を自分の望む落としどころに操作的に追い込もうとして心にもないことを口にするからだろう。つまりそのような行為は外観は褒める表現であっても、内実は相手の自律性や心情を無視して自己の道具としか見ていない点で、頭ごなしに叱りつけているのとなんら変わらないことになる。これはこの調査に限らず、褒めるという行為全般について言えることである。

この調査を始めてから、口コミで反響が広がり、ビジネスの場以外でも、大阪の橋下知事が行政組織の中で実施したり、教育現場からも考え方を取り入れたいと問い合わせがたくさんあるという。考え方は普遍的なものなので、うなづけることであるが、思うのは、どうせなら日本全体にこういう考え方が広がったらいいということだ。

今の厳しい経済的落ち込みの中で、メディア報道を中心に、失業だの解雇だの生活破綻だの大幅赤字だのといったマイナスの情報が、これでもかというくらい降り注ぎ、浴びせつけられている。たまさか不況の中で頑張っている企業とかいうものが取り上げられたと思ったら、低価格競争の不毛なチキンレースに巻き込まれているだけだったり、受注減を給与カットや一時帰休のような従業員の犠牲でしのいでたりと、後ろ向きで芸のない話ばかりである。不況なんだからいろいろ厳しいのは当然で、問題には対処しなければいけないのはその通りだけれども、こうした傾斜的な偏った負の情報は、人々の気持ちますます消沈させ、消費を落ち込ませ、デフレを加速させて、自分でわざわざ悪循環を作っていることは否定しようがない。各種の意識調査を見ても、輝かしい技術とピカピカの生産設備に加え、莫大な内外資産を持ち、金融機能もほぼ無傷のはずの日本の国民が、火元で家が焼け落ちたり爆弾を抱えたままのどの国の国民よりも深く悲観の海に沈み、経済指標にもその影響がはっきりあらわれている。日本全体がいわばこうした悪い点だけをあげつらう「けなす覆面調査」で痛めつけられ、ひきつけのように自分で自分の首を絞めて、縮こまっている。

根拠のない楽観、逃げるための楽観は無用だ。一方でしんどい時ほど希望の持てる明るい材料が必要なことも確かで、社会全体についてもこうした「ほめる覆面調査」が必要だ。抱える問題もそういう前向きなスタンスと自分に対する根っこの部分の信頼感においてこそ挑戦して解決しようという気力が湧いてくるのであるし、やがては反転する闇夜も、新しい挑戦や寡黙で地道な努力を突破口に明るんでいく以上、新しい芽はそこに探してないわけではないのである。たとえばデフレの消耗戦競争を強調するのに弁当や家電の激しい値下げ競争を取り上げるのはいいけれども、その中にも新たな工夫によって隠れた需要を掘り起こし、価格を下げずに売れている事例というのももっと見つけてきて積極的に取りあげてもらいたい。また、政府の不況対策も、財政・金融政策に加え、そうした社会心理的な部分をもっと意識したアプローチを模索してもよいのではないだろうか。いわば社会心理面における「金利」のようなもので、躁の方向にせよ鬱の方向にせよ、上すべりして過熱しすぎた時に、地に足がつくよう逆向きに引っ張って調整するのである。経済を構成するのが生きた人間であり、それに集団的な心理状況が大きな影響を及ぼすのは確かである以上、企業が従業員の就業意欲に注意深く配慮すべきなのと同様に、それらの心理に意を配るのは当然である。

その意味では、この「ほめる覆面調査」が取り上げられたこと自体は、その趣旨に沿うことでとてもよいことだった。このブログでも微力ながら、仕事の話についてくらいは、ポジティブなことがらもできるだけ取り上げていくようにしたい。


繁盛店の「ほめる」仕組み 繁盛店の「ほめる」仕組み
西村貴好 著 (著)
同文館出版




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2009/07/02 | TrackBack(0) | 商品・サービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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