口コミサイトの有効性と医療情報

ホワイトリストや格付サービスとともに事業者と利用者の間の情報格差を和らげるうえでの有力な解決法と考えられ、実際に大いに活用されているものに「口コミ情報(口コミサイト)」がある。しかし、情報の非対称性という点からこのやり方を評価する時に、述べられることはそれほどない。

口コミサイトの強みは、なにより「自分と同じ立場の利用者の評価を知ることができる」というものだろう。それを通じてわれわれは、自分自身もその輪の中に入った時に、どのような評価を持てるか、あらかじめある程度のイメージを持つことができる。

しかし、それが充分に有用であるのは、まず第一に事業者と利用者の情報の非対称性がそれほど強くない時に限られるだろう。反対にその度合いが何らかの理由で(内容が高度に専門的であるとか、あるいはギルド的結束による秘匿性の高さとか、あるいはその両方から)きわめて大きい時には、自分と横並びにいる同じような素人の評価に判断を依存することは逆に弱みにすらなりうるのは明らかである。

たとえばわれわれが病院を選ぶ時のことを考えてみよう。公的機関が用意した官製格付機能は、それがよいことか悪いことかはともかく、利用者の側にはほとんど知られておらず、たぶんこれから期待できる唯一の点もそれが期待できないということだけのようである。利用者の立場にたって、その味方について評価を手助けしてくれる格付サービスは、現状ではまだ存在していないようにみえる。従ってわれわれは口コミ情報をでも頼りに選択を考えざるをえないが、よく指摘されるとおりに、それによって得られる情報は、待合室が快適であるとか、応接や人あたりが親切であるとかの周辺的な視点がもっぱらになる。もちろん事業者の運営の姿勢がそういう外縁にあらわれるという点で、それらの情報も軽視されるべきでないのは他のもろもろのサービスと同様にそのとおりである。しかし快適な待合室から送り込まれて肝心の治療をしくじられたのではやはり困るわけであるから、塀の周りをうろうろして向こうの様子を窺うだけでなくて、治療内容そのものに直結する中核的な情報が得られれば、それに勝るものはないのである。

平成20年受療行動調査の概況
外来患者が必要とした情報のうち入手できた比率
(「厚生労働省:平成20年受療行動調査の概況/統計表1」より作成)


また、既存の多くの口コミサイトは運営上の理由から、悪い情報は載せていないことが多い。しかし自身の生命身体にかかわる医療の分野で、われわれが本音の部分で何より必要としているのは、その悪い選択肢をこそ知って回避したいということだろう。そのためには、利用者よりも高い視点から、質の低い候補を除外し、推薦できるホワイトリストに基づいて事業者を紹介してくれる格付評価型の情報機能の方が本来は優れている(このことがいちばんよくわかるのは、不祥事が表ざたになったような病院を口コミサイトが手放しで称賛しているのを目にしてがっかりする時だろう)。すなわち格付/ホワイトリストというのは、口コミ情報と比べたときに、悪い情報を(それを濾過するという巧みな方法で)効果的に伝えることのできる仕掛けであり、そこにひとつの重要な意義があるということがあらためてこの比較から確認される。

読者のみなさんは,どうやって病院探し・主治医選びをしているでしょうか。本の買い方や,ホテル・レストランの選び方などがインターネットで一変したように,ようやく病院選びも変わりつつあります。(略)「医療機関と生活者の距離を縮める」という企業理念を達成するためには,単なる「病院バッシングサイト」になってはいけないと考えたのです。そこで,QLifeでは「感動をシェアしよう!」というサイト理念も併せて掲げ,「こうして私は直した」「お医者さんありがとう」といったポジティブな口コミのみを紹介する方針を決めたそうです。 ネットコミにありがちな「誹謗中傷」はもちろん「批判投稿」も受け付けないという徹底した運営方針に,ひょっとしたら「生活者よりも病院寄りのサイト」では,といぶかる方もいらっしゃるかもしれません。しかし,よく考えれば,クチコミをしっかり吟味して初めて「生活者に役立つ情報」になることがわかります。医療のネットコミは、温泉旅館やラーメン屋さんのネットコミのように簡単にはいかないのです。


口コミ利用が有効に機能するためのハードルは他にもいくつか指摘できる。その一つは、評価対象を利用する利用者の数が充分に多く、それに対する充分な分母の評価情報が揃うことである。充分な個数の情報が揃えば、その中に多少の異常値があっても、全体としては統計的に有意義な情報が得られる可能性が増す。家電や化粧品の口コミ評価が有用なのはこの理由からで、規格化された単一の品番に対する利用者の分母がきわめて多いことが前提となっている。

これに対して、たとえば開業医のような規模的に小さな事業者については、一件の事業者に充分に有為な数の評価情報が集まることは期待できない。自分の経験で考えても、以前歯医者を選ぼうと口コミ情報のサイトをいろいろあたったことがあるが、妙に作り込んだような不自然な講評ばかりで埋めつくされ、(欄が)隣り合う医院同士で互いを罵り合っているような例すらあって、ほとんど使いものにならなかった記憶がある。それらのサイトは、こういうところに立ち寄ってもなにも役立つ情報は載っていないのだから利用するな、という拒絶と呪いの瘴気が全体から立ち上っているかのようだった。つまり、家電のように、サービスの提供者当人やその関係者が自分で書き込んだような異常値を圧倒して、それらが全体の傾向を制御できないくらい充分な数の一般利用者からのコメントが集まらないと、口コミ情報は「みんなの意見」にならず、使い手にとってなかなか有効なものにはならないのである。

開業医や弁護士などと比較すると、事業規模という点で同程度でありながら実際に口コミ評価が比較的有効に活用されている例として、飲食店に対するものがある。しかしこれは、両方を並べて考えればわかるように、後者になにか特別な秘密があるわけではなくて、単に情報の重要度が低いからである。レストランやラーメン店、居酒屋についての口コミ情報を頼りにして、それで仮に失敗したとしても、何万回とする中の一回の食事と少々の出費が犠牲になるだけである。しかしその犠牲になるものが、一発勝負で他に代わりのきかない自分の生命身体であるとなったら、情報に向かい合う態度もおのずから違ってくるのは当然だろう。従って、評価対象の選択がわれわれの生活に及ぼす影響の大きさという点も口コミ情報が有効性にかかわってくるポイントの一つということになる。もちろん両者の重みの考量が充分にできず、根拠のあやしい軽量の情報で、生命財産にかかわる重大事を軽々しく決めてしまうひとも世の中にはたくさんいるのは事実であるが、多くの事例をみればわかるように、非対称情報を悪用する専門家である詐欺師にとってはその点こそが最も有用な、というよりほとんど唯一の切込み口となっている。

さらに、評価対象が大きすぎて不均一でないことというのも重要な前提の一つといえるだろう。たとえば極端な例として、旅行者がアメリカや中国のような大きな国に出かけて、こういうところだったと自分なりのなまのよい評価や悪い評価を持ち帰って伝えるとする。それが聞かされた側にとっての有益な事前知識になるかどうかはかなり不確かなところがあるだろう。評価者に比べて標的があまりにも大きすぎ、またその内部が不均一であるので、そのほんの断片をとらえた情報でしかないからである。それらの一部の鏡像を無数に集めたところで必ずしも全体像が再現されるわけではないことも、同じ趣旨の内容を指摘した古い諺の通りで、歴史的事件についての評価も同じことが言える。

口コミ情報は、それなりに便利なもので、また取りまわしが容易でサービス化も比較的やりやすいので、さかんに活用されているが、中身に分け入って整理すれば、それが機能する前提条件というのは、このように意外に道幅の狭いものがある。上記の観察からもわかるように、口コミとは相手と自分の間にある縦向きの情報の落差を、両者を架橋する道具立てなしに、横同士のつながりで直接乗り越えよう(あるいは単に慰め合おう)と試みる一種の呪術性を帯びた手法である。それは安心を求める不安な時代の中で、同じレベルの同類同士で身を寄せ合い手を取り合って少しでも不安を和らげたい(あるいは互いに毟り合っていっそう掻き立てあいたい)という社会の潜在ニーズにはよく応えるものではあるが、横のものを縦のものの代わりにするのに原理的な限界がある以上、それが有効に機能する場面がおのずから限られてくるのもやむをえないことだろう。

病院の評価と同じように、口コミ情報が実際に活発に利用されているものの、その有効性があやしい代表的な事例のひとつとして、学生の就職活動がある。就職活動における口コミ情報の精度が低くなりがちなのは、上に述べたとおり、主に評価者に比べて評価対象が大きすぎて不均一である点に起因するように見受けられる。その点を意識しながら、この分野について次にみていこう。





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2010/05/07 | TrackBack(0) | 商品・サービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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