就職がうまくいかないなら(それを支援する事業を)起業すればよい

不況下の厳しい新卒学生の就職活動の中で、就職支援企業あるいは就職予備校と呼ばれる人材支援サービスの助力を仰ぐ学生が増えている。

職に就くのは金を稼ぐためであるのに、その切符を得るのに多額の出費をかけなければならないことに違和感を感じて嘆く向きもあるようだが、そうとばかりもいえない。何かの目的を達成しようとする時に使える武器をなんでも使って成し遂げようとするのは、当然のことでもあるし、健全なことでもある。そういうニーズがあるところで、事業者がそれを満たすサービスを供給しようとするのもこれも何の不思議もないありふれたことである。費用をかけて高校や大学を卒業したり、MBAを取ったりするのも、就職するための学歴を得るのが現実に大きな目的の一つであることを考えれば、その延長線上にある行動であり、受験のために学習塾や予備校に追加で通うのと同じである。就職が厳しいために、多くの大学が事実上の就職予備校化せざるをえない状況からすれば、専門の機能が分化して発達することは、教育機関が本来の役割を取り戻してそこに集中するうえでも有意義なことだろう。

問題はむしろその中身である。報道等で出てくる事例を見ていると、これらの支援サービスはまだ草創期の模索的な段階にあって、いかに面接やグループミーティングををうまくこなすかのテクニックの伝授や、学生気分から職業人へ頭を切換えるために、軍隊調のスパルタ訓練をこなす、といった類の内容にとどまっているものが多いようだ。これが本当に就職難に苦しむ学生に対する有効な支援になっているだろうか。

応募企業と接触するときの印象を少しでも良くしたり、気持ちの切り換えをはかったりすることがまったく役に立たないことはもちろんない。しかししょせんは付け焼き刃で身につけた程度の小手先の技量で状況ががらりと変わることは期待できないし(企業側も当然そんなものは見透かしているのでむしろ本人の資質を隠蔽するための邪魔な偽装と見なしてうんざりしている)、あるいは自分を押し殺してロボットのように機械的に奉仕する能力を見込まれて無理に潜り込んだ職場で、犠牲にしたものに見合うものが得られるかというのもはなはだ疑問だろう。

逆に既に仕事をしている側からみて、おそらく共通認識として、まだ大いに工夫の余地があると考えられるのは、求職者と募集企業のマッチングの不足であり、求職学生の側にたてば、企業を評価する能力と企業に関する情報についての支援である。すなわちここでも問題になっているのは情報の非対称性なのである。

求職学生は(特にボーダーライン近辺にいる中間クラスの学生ほど)最終消費者との接点の多い、名の売れた大企業に殺到するが、少し前までJALが人気ランキングのトップ集団にいたことに現れているように、それらの企業がこれから仕事をしていく中で発展的に継続していけるのかどうかや、その企業に自分が合っているのかはほとんど考慮されていない。一方で、事業の世界の中では、多くの企業にとって不可欠で、評価の高い、優れた中堅企業が、不況をチャンスに普段なかなか縁のない優秀な学生を採ろうと意気込んでも、一般にはまったく知られていないために、採用に苦労しているのもあいかわらずである。そういう企業は企業自身も前途有望だし、求められて入社するわけだから中核社員として大切に育ててもらえ、そういう状況で身につく能力も、仮にあとで転職することになっても有用なものである。数年したらあっというまに左前になって賞与も出なくなるような落ち目の著名企業の尻尾について悲惨なリストラの尻拭いから職歴を始めるのとちらがよいかは問うまでもない。つまり不況だから全員が全員ハッピーというわけにはいかないにしても、互いによい割り当てを探る余地はまだまだ大いにあるわけだ。

会社更生手続き中の日本航空が3月から募集していた早期退職に対し、予定数の2700人を大幅に上回る応募があったことが16日、明らかになった。日航は具体的な応募人数を明らかにしていないが、全員が退職すると運航に支障が生じるため、一部の応募者を慰留したり、退職日を遅らせるなどの調整をする方針だ。早期退職の募集は、主力運航子会社の日本航空インターナショナル(東京)の1700人が中心。「年間一時金(賞与)がゼロだったこともあり、若手の応募者が殺到した職場もあった」(日航関係者)といい、再建の先行きが不透明なことから応募者数が膨れ上がったようだ。


真に社会的に有用で、求職学生が大金を払ってもサービスを受けるに値する就職支援企業とは、面接テクニックをスパルタ訓練してくれる企業ではなくて、企業と求職者の間のこのような情報の行き違いをマッチングをしてくれる企業である。もちろんその中で、いくら情報力の差があるといっても、最後にその企業で働くのは求職者自身であり、よかれと思って紹介される情報を求職者の側が評価すらできなければ、まったくのおまかせになってしまうから、支援企業は自分が提供する情報を求職学生が最低限評価できるような、そうした基礎訓練を提供するのはあってよいことだろう。実際に仕事を始めると、組織であれ個人であれ、資本主義の経済社会で食い扶持を稼ぐために真っ先に、また常にしなければならないことは、「人がしないことを探してする」「逆の目を張る」ということである。そうした鞘取り的な旺盛な探索行動が毛細血管のように社会の隅々まで入り込んで隠れたニーズを汲み取り、生活の利便を洗練させていくのが市場経済のいちばんの強みなのである。求職学生は今までは顧客としてその威力を享受する側にいたが、今度はこれを自分が提供する側にまわるのであり、それこそが仕事をして金を稼ぐということだ。その第一段階として、小豆をザルに入れて傾けたように、みんなが行く場所に漫然と自分も追従するという形の求職活動をしている時点で、既に必敗パターンにはまっていることを、それらのマッチング支援企業は求職学生に正当に諭してくれるだろう。

ところで、就職がなかなかうまくいかない求職者が、そのまま何もしないという選択肢を取らないのであれば、残る手段の一つはよく言われるように自分で商売をはじめることである。しかし、経験の絶対的な不足という不利を割り引いても、なおこれが難しいのは、こういう時には「顧客もいない」からである。

求職者の就職がうまくいかないのは、全体的な経済環境としてみな財布の紐がかたく、企業が求職者を新たに雇用して対応したいと思うような新たな需要、新たな顧客を見いだすことが全般に難しい、つまり不況だからである。既存の企業が顧客を探すのが四苦八苦しているくらいだから、徒手空拳の新規参入者がそれをするのはなおのこと難しい。すなわち上記のように、どんなふうに他を出し抜いて顧客(ニーズ)を探し、何をして食い扶持を稼ぐか、それを考えるのが難しいのである。

しかし、就職がうまくいかなくて困っている求職学生にとって、ここに灯台もと暗しで、明瞭確実に存在している「顧客」が一つある。それは他でもない「就職がうまくいかなくて困っている求職学生」という顧客である。自分の就職がうまくいかないということは、自分と同じように就職がうまくいかなくて困っている学生が世の中に山のようにたくさんいるということである。同時に彼らはまた、最初に見たようにこの不況下で大金を払って惜しみないと思ってくれる珍しくも貴重な人たちでもある。一方、就職がうまくいかなくて困っている学生である自分は、他ならぬ自分自身がそうであるから「就職がうまくいかなくて困っている学生」であることについてのいわば専門家である。彼はどんな既職者よりもぶっちぎりで、また身に沁みて痛切に、この「マーケット」の内情に通じているし、魚影の濃い場所もあらためて探しまわるまでもなく自分が既にその中にいる。これは事業運営の経験不足を補ううえでの強力な武器になる。また、既にみたように、この分野の既存企業はまだまだ本当に学生にとって有効なサービスを提供しているとはいえない状況にある。この「顧客」たちに対して、卵を壁に投げつけるための投石機を貸すようなものとは違う、真に金を払って受けるに値する支援を提供し、情報流通の不全を解いてお互いに満足度の高い行き場を見つける機会を増やすことは社会的にもたいへん重要で有意義な貢献でもある。

さらにもう一つ言うと、既存の支援サービスの多くは、見てわかるようにもっぱら企業側の視点から求職者を見てサービスを組み立てている。運営者も企業の人事部や人事コンサルタント出身者が多いようだし、サービス内容も、企業側の情報行動(少しでも良い学生を探し、また仕立て上げて企業に送り込む)を当然のように代行する形態になっている。一方でここで書き出した情報のマッチングサービスとは、企業と求職学生の間で、企業ではなく求職学生の側に付いて、その情報行動を学生のエージェント、あるいはアクティブ・ソナーとして、代行する性格のものである。既存の就職支援企業の業態になにか本質的な部分で歪みが見え隠れしているのは、金をもらっている相手と奉仕している相手がずれているからである。それらのサービスは代金は求職学生からもらっているが、実質的に奉仕しているのは企業に対してである。お金をもらっている顧客自身に対してその全面的に味方になって、その情報行動を強化し、効果を最大化することこそが就職支援企業の本来の正道のあり方であり、顧客である求職学生の側の事情に通じていることが有利だというのはその意味でもある。

就職活動でネット活用が盛んになってから、企業側も学生側も完全に「情報過多」「情報爆発」の状態になり、玉石混淆の情報に振り回されて互いに無駄な振るい分けが膨大なものになっている。有用な情報マッチングサービスとは、そうした空騒ぎから距離をおいてピンポイントで価値の高い情報を紹介してくれ、情報の探索コストを大幅に低減してくれるもののことだ。それこそが情報を求める者が高い金を支払っても得るに値するものだろう。

それは、虚実ないまぜに薄暗がりの中を飛び交っている口コミ情報の真偽、信頼性を集約整理して顧客である求職学生に提供する。企業が表向きで出す情報とそれに対する流言蜚語の類いを一方的にただ受け流すだけでなくて、能動的にそれらの情報を精査し、信用のおけるものをふるい出す。たとえば不況の時にはよく問題になるように、労働条件について労働者との契約を守らずに従業員を痛めつけるような企業を信頼度の高い情報に基づいて評価付けし、労働市場の透明度と健全性を高めていくことは、悪質な弁護士や医師や葬儀業者を悪い評価をつけて駆逐し、それぞれの業界の透明度と健全性を高めていくのと同じくらい重要なことだろう。ここにあるのもまた「格付」の考え方であり、支援企業は情報を集約することで労働者側のニーズにたった企業の格付を行うのである(ちなみに国営のハローワークもこの「求職情報の審査」という要(かなめ)のポイントをほぼまったく素通りしていることは多くの怨嗟が上がっているとおりである)。それはまた積極的な採用を望んでいる隠れた優良企業をこちらから掘り起こして求職者とつなぐ窓口になり、業界・企業に対する調査情報とともに求職学生に提供する。(企業の仕事の中ではかなり特殊な部類に入る)人事部系の人間ではなく、実際の中核業務に従事している一線のビジネスマンの間にネットワークを広げて、話を聞き、交流できる場を設ける。こういったことを採用側の企業の立場でなく、顧客である求職学生の側にたって、その有能で専門的なエージェントとして行うのである。

既存の求職情報サービスが、企業が情報を登録して求職学生がそれを見に行く、という、企業がアクティブで学生がパッシブの情報の流れであるのに対して、この新しいサービスでは、求職者(のエージェント)が能動的に優良企業を探しに行き、企業がそれに応えるという逆向きの情報の流れになる。それは有望な企業を格付してその「ホワイトリスト」を作り、コンテンツに対するホワイトリストと同じように、その使用者を情報の防護服で包んで、求職活動における基礎脚力を底上げするのである。アメリカに「コンシューマー・レポート」という強力な民間の消費者団体があるが、その雇用版と考えればイメージしやすいだろう。

派遣労働その他を見ればわかるように、現在の雇用環境で生じている問題のほとんどは、労働者の側が精度の高い情報からマスクされ、情報の評価において一方的に不利な立場に立たされるという情報の問題から生じている。言い換えればそれは「××と言われて/思って入って働いてみたら○○だった」という話ばかりになっているということである。ここでも病院や弁護士と同じように「悪質事業者の見分け方」の奥義の伝授が大きなテーマになっているし、選択を通じて低質な参加者が処罰されないことで「レモン」がますます跋扈してマーケットが汚れる一方になるのも同じである。考えてみれば、雇用のマッチングとは中核的には情報の問題そのものであるのに、この分野の既存のプレーヤーが国も含めてこの情報の取りまわしを軽んじ、迂回したまま他の課題にばかりに熱中しているのはある意味では驚くべきことだ。この情報環境を正さないまま、規制の囲いで保護しようとしたところで、先に見たようにモグラ叩きかイタチごっこなるだけで不毛なだけでもあるし、労働者の側からみれば、自分で羽を切っておいて飛べないのが気の毒だから籠に入れて大切に飼っていると主張する鳥の飼い主のように、情報さえ得られれば自分で立派に判断できる一人前の大人を、知らしめないまま依らしめて子ども扱いするもので、本質的には保護しているのではなくて侮辱し、愚弄するものである。ここでも必要なものは規制とお節介ではなくて評価と格付なのである。

一方、事業の物種としてこれをみるなら、上に挙げた点に加え、小さな出口に多くの要求が殺到しているゴールドラッシュの時は一緒になって自分も掘るより掘っている人間の横に立ってスコップを売ること、というのは事業創造でよく言われる有力な成功原則の一つである。就職がうまくいかない学生が代替手段として起業を考える際に、これよりうってつけの素材というのもそうそう見つからないだろう。

もちろんこのアイディアがどれほどよいものだったとしても、ひとたびそれが実際の場に投じられた途端、企画自体あるいはその様態において、上に述べたような陳腐化と競合化の酸が身を溶かす腐食過程にただちにさらされることになるのは言うまでもない。その意味でここに書いたようなことは、実際の事業者も新しい商品やサービスを企画するにあたって想像と議論の中で同じことを何度も繰り返す、考え方の模擬練習のひとつと受け取ってもらえればよい。とはいえ、身の回りの組織化からはじめた協力活動を通じて獲得したこの種の生きた経験とやりくりの技能は、思うにまかせないと感じていた求職活動そのものに対しても、強力な優位性をもたらしてくれるものになるはずだ。そのような能動的な挑戦を通じて、企業に入りたがっている(頼りたがっている)者ほど企業は欲しくないし、自分の足で立って企業に入らなくていい者ほど企業は欲しいという、追えば逃げられ逃げれば追われる蜃気楼ゲームのただ一つの解法のカギを、いつの間にか手にしていたことになるからである。





関連記事 情報の非対称性と格付ビジネス(目次) 口コミサイトの有効性と医療情報 弁護士バーと「周旋」問題 ビジネスマンの見た「狼と香辛料」


2010/05/14 | TrackBack(0) | 商品・サービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
FC2 Analyzer
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。