弁護士バーと「周旋」問題

弁護士が提供する法律サービスの国家規制による品質保証は、先の稿でみたように、実際にはあまり機能しておらず、利用する側は「外れ」クジを引かないように弁護士選びに苦労し、トラブルも多発している現状にあるが、このような状況において、葬儀業界で見たような利用者の側にたった事業者の格付サービスというものがこの業界でも実現できれば、社会からの需要はたいへん高く、利用者にとってもありがたい助けになると想像される。しかしながら、弁護士業界では、驚くべきことに、このような評価事業の提供は法律で違法行為として禁止されている

先日、東京のある若い弁護士が、法律家と利用者の距離を縮め、親しみをもってもらうことをねらいに、「弁護士バー」なるものの開設を企画して、所属弁護士会から弁護士法違反との警告を受けた出来事が話題になった。「バー」の形態をとったのは、勤め帰りの会社員などが気軽に弁護士と交流を持ち、相談できるようにとの考えからという。

弁護士がバーテンダーになって酒を振る舞いながら法律相談もする「弁護士バー」。そんな店舗を東京都内の弁護士が飲食事業者らと共同で計画したところ、弁護士会から“待った”がかかる事態となっている。「弁護士資格を持たない者が報酬目的で法律事務に参入するのは違法」というのが弁護士会の言い分。近く注意の文書を出すという。一方、弁護士側は「法律違反には当たらない」と反発、何とか店をオープンさせたい考えだ。/出店計画をしているのは第二東京弁護士会(二弁)所属の外岡潤弁護士(29)。友人のシステム開発会社役員、三上泰生理事長(33)と8月に出店の母体となる「弁護士とみんなの協会」を立ち上げた。三上さんが「トラブルが起こってから弁護士を探しても遅い。普段から一般の人が弁護士と気軽に交流できる場が必要」と外岡弁護士に設立を持ち掛けた。


弁護士といえば二言目には近寄りがたい、どう頼んでいいかわからないと言われてしまう中で、目のつけどころや意図はとてもよく、若手らしい、意欲的で柔軟な発想と工夫だし、他の業種であれば特に問題もない取り組みと思われるが、現状ではこのような行為には大きな法的リスクが生じる。弁護士会からの警告の根拠となっている法律の条文は以下のものである。

(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第72条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。


この規定によって、弁護士資格を持つ者以外は法律業務そのものはもちろん、それにかかわる周辺業務も業(金をとってやる仕事)として行ってはならないし、弁護士自身も第三者に金を払って仕事の紹介(周旋)を受けてはならないことになっている。従って、第三の中間事業者が「弁護士紹介サービス」を、葬儀業界の例のように企画することはできないし、弁護士がそれに報酬を払うこともできないことになるわけである。

この弁護士法72条は、弁護士業界にとっては業務独占の核となるたいへん重要な条文で、ほうぼうに顔を出すし、弁護士会の内部には、この違反を監視、摘発するための「非弁(非弁護士)取締委員会」なる専門の調査機関まで存在している。一方で、この規定は、法律家と利用者との間を渡す情報の橋をわざわざ自分から焼き払ったうえで、個々の弁護士に対して「顧客の紹介」という重要かつありふれた営業活動のひとつを法律で禁じて、自分の手だけで顧客を探すよう要求しているのであるから、利用者が弁護士にたどりつくうえでのひどい迷惑になっているのに加えて、弁護士自身の側にとっても事業運営上の重い制約を課すものともなっている。また厳密にいえば、この規定によれば弁護士は顧客開拓に限らず自分の仕事をこまごまとしたところまですべて他の助手や契約企業にアウトソーシングして機能分担せずに自分一人でやらなければいけないことになるから、いわゆる「生産性の低さ(=料金の高止まり)」につながっている。アクセスの面においても費用の面においても弁護士を社会から縁遠いものにしている主因がこの規定である。

当然ながらこうした不自然な拘束に不満を感じる事業主がいてもなんの不思議もない。仙台弁護士会の小松亀一弁護士という方が、この規定はもはや時代後れであり、自分はその趣旨に反対であると率直に表明している。ただ、そうした意見は業界全体の中ではまったく少数派だそうである。

昨日、弁護士稼業商売繁盛の秘訣は、知り合いを多く持つことに尽きると書きました。しかし残念ながら、弁護士の腕前と商売繁盛は比例関係にありません。弁護技術は凄腕なのに客が少ないと言う事務所もあるし、その逆の場合もあるからです。/商売繁盛のための知り合いとは、直接の知り合いであり、単に知名度が高いから繁盛するとは限りません。直接、顔を合わせて人柄を知った場合に依頼しやすくなるようです。国分町(仙台随一の飲屋街)に頻繁に顔を出し、一献差し向け合う知り合いが多く居る弁護士が一般に繁盛しており、シャイな上に下戸で国分町とは縁遠い私は商売繁盛とも無縁です。/知り合いと言っても、特に重要なことは、人望があり、周囲の方から色々相談を受ける方を知り合いに持つことです。このような方を知り合いに持つと定期的に依頼者を紹介してくれるようになります。このような方々の業種は様々ですが、基本的に世話好きな方が多いようです。/弁護士にとって依頼者を紹介してくれる方はホントに有り難い存在で御礼をしたいと思うことが良くあるのですが、弁護士は依頼者紹介の対価を支払うことを禁じられています。


これらの弁護士紹介サービス厳禁規定の趣旨は端的に言えば弁護士たるもの他人にお金を支払ってまで事件漁りをしてはならんと言うものです。しかし私はこのような規定は時代遅れであり、「弁護士業務有償周旋禁止原則の一部解禁を」等で繰り返しこの見直しを主張し、日弁連業務改革委員会等で見直しを検討すべしとの意見を述べてきましたが、殆ど相手にされない状況が続いていました。


目を周辺に拡げると、ここまでの厳しい規制がされているのは、いわゆる「士業」資格の中でも弁護士だけという。そのため、たとえばネット企業の楽天が、会計士や税理士、弁理士などの士業資格者の紹介・仲介サイトを開設していて、たいへん有意義なものだと思われるが、その中に弁護士だけがないという変なことになる。文字通り業としてサイトを運営する者の法的リスクを勘案した結果だろうが、利用する側から見れば弁護士だけがなにゆえそれほど特別なのか(高級なのかあるいは低級すぎて自由にさせられないのか)相当に意味不明である。「品位」云々といったところで、顧客開拓をするのにバーテーンダーとして接客するのはまずいが反対側に座って一緒に酔っぱらうのはかまわないというのでは意味をなさないだろう。上記の弁護士バーも、弁護士バーは法律でまかりならないが、「税理士バー」ならなんの問題もなくて、実際に運営され、大いに仲介機能を果たしているそうである。

弁護士が酒類を提供しながら接客する「弁護士バー」の構想を表明していた第二東京弁護士会の外岡潤弁護士(29)が3日、東京・渋谷で「リーガルバー 六法」を12日に開店すると発表した。同弁護士会は「弁護士法に抵触する恐れがある」として懲戒処分対象となる可能性を示唆した経緯があり、今後の対応が注目される。/外岡弁護士は会見で「弁護士と知り合うきっかけの場。法に反しない運営をしていく」と強調し、当初予定していたバー内での法律相談はしないことを表明。バーは渋谷の雑居ビルに開き、当面は外岡弁護士と弁護士ではない従業員3人が接客する。飲食代の収益は店の経営会社と外岡弁護士らが設立した一般社団法人が折半する。(略)一方、2月から東京・新宿の飲食店で4回開催された「税理士バー 確定申告酒場」は、税理士会に処分権限がないこともあり問題は生じていない。税理士バーで約20人の無料相談に応じた東京税理士会四谷支部の高橋創(はじめ)税理士は「税理士とは法律が違うので弁護士バーがもめるのは仕方ないと思うが、自分の取り組みではお堅い税理士のイメージを払しょくするのに成功していると思う」と話した。


これに対し、ネットで検索すると、一方で堂々と弁護士の紹介・仲介を行っているサイトも(評価ではなく紹介だけであるが)存在していることがわかる。これはどういう性格のものかというと、「弁護士本人が」「業としてではなく無償で」運営しているので、合法という位置づけなのだという。

ご存知のとおり、この対立は、昭和46年7月14日の最高裁大法廷判決で決着を見ました。同判決は、「同条(弁護士法第72条)本文は、弁護士でない者が、報酬を得る目的で、業として、同条本文所定の法律事務を取り扱いまたはこれらの周旋をすることを禁止する規程であると解するのが相当である。換言すれば、具体的行為が法律事務の取り扱いであるか、その周旋であるかにかかわりなく、弁護士でない者が、報酬を得る目的でかかる行為を業とした場合に同条本文に違反することとなるのであって、同条本文を、「報酬を得る目的でなす法律事務取扱い」についての前段と、「その周旋を業とすること」についての後段からなるものとし、前者については業とすることを要せず、後者については報酬目的を要しないものと解すべきではない。」と判示し、「一罪説(二要件説)」、つまり、周旋は、「報酬を得る目的」をもって、かつ「業として」なさなければ本条違反とはならない、という立場にたつことを明らかにしました。/当サイトは、市民からも登録弁護士からも一切利用料金をいただいておりませんので、「報酬を得る目的」がありません。したがって、当サイトは、弁護士法第72条に違反しません。


このサイトもわざわざこんなふうに断りを入れているくらいであるから、楽屋裏ではおそらく相当細心の注意を払って、慎重に計画、運営されているものだと推察するが、このような努力は本来は当然正当な金銭的対価を受けて行われるべきものだとも感ずる一方で、現行の法的制約の中で、なんとか狭い落しどころを見つけて、同業者と利用者の利便のために一肌もふた肌も脱いで貢献しようとする姿勢と心意気には、素直に拍手を送りたい気持ちになる。

当サイトの理念について(市民と弁護士の架け橋となるプラットホームの構築)

市民にとって弁護士はまだまだ敷居が高く、気軽に相談できる町医者のような弁護士はそう身近にいないのが現状です。そのため、多くの市民は、日常生活・社会経済活動において遭遇する様々な法律問題に関し、専門家による的確で迅速なアドバイスを受けることができないでいます。弁護士会や市役所等では、法律相談会が開催されていますが、それでもなお市民に十分に浸透しているとまでは言えないのが現状でしょう。

他方、弁護士を取り巻く環境は、弁護士大増員により、資格さえあれば安泰という時代から、競争に勝たねば生計を立てられない時代へと変化しつつあります。そのため、今後、多くの弁護士が顧客を求めて奔走することも少なからず予想されます。

このように、市民は弁護士を求め、弁護士は市民を求めるという時代の到来を控え、私たち一般社団法人オーセンスは、市民と弁護士の架け橋となるポータルサイトを立ち上げることにいたしました。


上記からもわかるように、法律サービスを国民により身近なものに近づけるための司法改革で弁護士が増員される一方で、基本的な営業活動が昔のまま制約された状態において、いちばん被害を受けるのは、まだ営業基盤が脆弱な成り立ての若手の資格者である。はじめに取り上げた「弁護士バー」も、そうした若手事業者の一人が、自分の存在を有望顧客に広く知ってもらい、事業者としてひとり立ちしてやっていこうと、自分なりに懸命に知恵をしぼったうえでの工夫のひとつなのだろう。これに対し、現在この弁護士増員の流れを逆流させようという動きが進められていることが報じられているが、これは法律家と利用者の間の情報のパイプを閉じたまま(つまり利用者から見れば、どんな事業者か判断できない状態にマスクしたまま)供給の蛇口を無理やり絞ることで、個人あたりの仕事量と収入を機械的に保証しようという、知らしめないまま依らしめる古き良き旧状に復古しようとするものだと考えられる。

現状ではこのように、需要側に供給が充分行き渡らないまま供給側で行き詰まって立ち行かなくなる事業者が大量に出るという、いわば酸素の中での酸欠死とでもいうべき奇怪な行き違いが生じている。内側にいる人たちがこの状態を不思議と思わないことが不思議だ。これは医療や介護も同じで、国のような非・市場の主体が人工的に介入して需給パズルを自分で解こうとするといつもこういう悲惨なことになるのだが、そこには明らかに双方の情報の目詰まりにかかわる根深い病が認められる。そこを素通りしたまま、供給を一方的に絞ることで問題が解消したと称するのは、途中で粗悪な水道管が壊れて水びたしになっているのを、元栓をひねるだけで作業が終わったと告げて立ち去る悪質な手抜きの修繕屋のようなものである。それで改善されたのは供給側の都合だけであって、受給者の側が水が来なくて困っている問題はなんら解決されない。弁護士事務所の経営問題を解決するために依頼者が存在しているのではなくて依頼者の困りごとを解決するために弁護士が存在しているのと同じように、供給者が生活するために需要者が取り揃えられているのではなくて需要者に使ってもらうためにこそ供給者は存在している。真に解決されるべき課題はそちら側にあることは当然だろう。そしてまたこうした目詰まりは、多くの場合、これから顧客とのつながりを築こうと奮闘する、若くて新しい参入者の自由な発想と試行錯誤によってこそ最も効果的、革新的に突破されるのである。

ちなみに、この「逆改革」の方向を主導している、日弁連の新会長となった高名な宇都宮健児弁護士も、新人の頃には、顧客とのつながりを作るのにたいへん苦労して、あまりに仕事が取れないので、とうとう所属事務所をクビになってしまった苦い思い出があるそうである。

普通、司法研修所を出たばかりの弁護士は、当然すぐに自分の事務所をもてるはずもないので、大きな弁護士事務所に入ってそこの事件をやりながら給料をもらいつつ、徐々に自分のクライアントを増やしていくんですね。 そういう他の弁護士が経営する事務所に勤務している弁護士のことを、業界用語で「イソ弁」っていうんです。(略)ちなみに雇っている方は「ボス弁」というんです。それで多くの人はイソ弁生活を3年から長い人でも5年して独立する。仕事をこなしながらライオンズクラブとかロータリークラブに出入りして人脈を増やすというようなことを熱心にやるんですけど、僕にはそれを上手にやることができなかったんです。社交性がある方ではないし、人付き合いも苦手ですしね。だからイソ弁生活で、事務所の事件はやって給料はもらっているんだけど、なかなか独立できる基盤が作れなかったわけです。スケジュール帳なんか真っ白でね、仕事がないから。で、最初の弁護士事務所で7年くらい経ったとき、ボス弁から、「他の人は独立しちゃったし、宇都宮君ももうそろそろどうですかね」というような、肩たたきにあったわけです。31歳のときですね。こりゃあたいへんだ、安穏としてぬるま湯に浸っていたようだけれど、もう自分もそういう時期になったんだと思った。でもいきなりは出て行けないから、ボス弁にもう一年猶予をもらえませんかと言って、事件を増やそうと努力したんです。でもなかなか増えない。クビを言い渡されたときは本当にショックでしたね。「おまえは要らない」といわれるのは、全人格を否定されることなんですね。それまで僕は貧しいながらエリートコースを歩んできてると思っていただけに、相当落ち込みました。


ここで言われているのは、上記の小松弁護士の話しと同じ性格のもので、事務所を解雇されるくらいだからこちらの方がもっと重症かもしれない。一方、もう一人の有名人弁護士である現大阪府知事の橋下徹氏の新任時代は、周囲の証言によるとこれとはまったく違ったものだったらしい。橋下氏は、当時既に妻帯して子どもも生まれたところで、漫然と時間を過ごして「食えない」などという状態になることは許されないという覚悟は相当強いものがあったようだ。

当時を知る司法修習の同期生は「新人弁護士は、アピール用のはがきを出すよう所属事務所などから勧められるが、普通は親戚や友人などせいぜい100枚程度。彼は何万枚も出したと言っていた。卒業生名簿を取り寄せて、見ず知らずの人に手当たり次第に送っていたようだ」。
一方、当時の橋下の仕事ぶりについては「優秀だったことは認めざるを得ない」と言い、「少しずつピッチを上げるのではなく、最初からずっと猛ダッシュで走り続けていた。今思えば独立に向けての準備だったんだろう。」
当時を知る司法修習の同期生は「彼がお金に汚かったという印象はない。恐らく独立資金のことを必死で考えていたのだと思う。新人時代なんて、大抵は事務所から言われたことをこなすだけで手いっぱいなのに、彼は事務所に入って3カ月目ぐらいにはもう、『固定給よりも自分で稼ぐ額のほうが多くなった』と話していた」。
同期には「ノウハウだけ学ぶ」「絶対に1年で独立してみせる」と宣言し、本当に実現させて周囲を驚かせた。
橋下の友人の一人はこんな目撃談を話す。「独立してすぐだったか、通勤時の混雑する地下鉄御堂筋線の中で、橋下は立ったまま会計の本を熱心に読んで勉強していた。話しかけると、『ぼくは中小零細だから。やらないと、つぶれちゃうからね』と笑っていた」
橋下は自著の中で「依頼者が望むのであれば、どんな厳しい交渉も請け負う。私に持ち込まれる案件は、他の弁護士がさじを投げたような、こじれにこじれたものばかりでした」と明かす一方、こうも述べている。「自らがサービス業ということをわかっていない弁護士が多すぎる。例えば、折り返しの電話をきちんとするとか、エレベーターの前までお客さんをお見送りするとか、そうしたことすら弁護士はやっていない
橋下は弁護士時代に雑誌のインタビューで、こう述べている。「僕のような若い弁護士が、自分の事務所を開いて顧客を集めるのはたいへんです。先輩たちと同じことをしていたのでは、僕の存在価値がありません」


「エリート」としての上下意識とともに、真っ白なスケジュール帳を前に顧客開拓がなかなか進まなかった(そしてその構えがそのままはまって水を得た時にはじめて仕事が取れるようになった)宇都宮氏と、自分のクライアント達と変わらない「サービス業」であるとの明確な自覚をもって、彼らと同じ高さに立ってはじめからフル回転していた橋下氏という、両者の対照がきわだっているのが興味深い。上記のインタビューで、宇都宮氏が「おまえは要らない」とレッドカードを突きつけられたのは、本当は「ボス弁」などからではなくて(自分が会いもしなかった)「顧客」からであることを、氏が今ですら理解しているようにみえるだろうか。

表記の「弁護士バー」とそれをめぐる一連の対応は、競争による切磋琢磨や前例のない話がとにかく大嫌いで、若い世代や新規参入者が少しでもなにか新しい創意をみせると、規則を目一杯拡張し、なければ新しく作って強権を使ってそれを潰す、そしてかわりに努力なしに収入が保証されることをもってその代償にあて、年功序列を守って大人しくさせておこうとする、日本の閉鎖的な徒党精神が剥き出しに表れた象徴的な事例のひとつに思える。新会長指揮下の業界団体が、事業主本人に代わって収入を確保しようと奔走するのは、営業が苦手だった自分のつらい修行時代を思い返しての新会長なりの優しさ、「親心」なのかもしれない。しかし、社会に生きるわれわれにとって何が本当の屈辱なのか、挑戦に敗れることやあるいは挑戦せずにひとに遅れを取ることなのか、それともそもそもそれを許されずに、ただ家畜のように飼い主から餌をもらって生きることなのかは、簡単に人の分まで決めていい話ではないはずだ。





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2010/05/22 | TrackBack(0) | 商品・サービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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