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亡びの国の征服者~魔王は世界を征服するようです~ 作者:不手折家

第八章 逃走編

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第107話 人質

 夢を見ていた。


 その夢は、明らかに夢とわかる夢で、登場人物たちは和服を着て木でできた町並みを歩いている。

 彼らは日本語を話していて……つまりは、時代劇のような世界だった。


 俺は自然に、こんな場所が、この地球の、はるか東の果てにあるのかもしれない。

 そう思った。

 つまりは、自分自身の願望の投影なのだろう。


 和装をした人々は道を練り歩き、自分もその中を歩いている。

 季節は春で、遠くには城が見えた。

 石造りの城ではなく、瓦は黒で、壁は漆喰が塗られて純白だ。


 繁華街の大通りらしく、両脇には数々の店が軒を連ね、表には懐かしい文字で屋号が記されたのれんが下がっていた。


 ああ、懐かしい。

 極東にこんな場所があるのか。


 行ってみたい。

 渡りをする鳥が回帰本能を刺激されたように、自然とそう思った。


 が、俺の心は否定していた。

 この世界は元の世界とは違う。

 日本らしきものはあっても、そこに俺が思う日本はないだろう。


 この世界にはローマ帝国もなければモンゴル帝国もない。

 日本らしき島はあるかもしれないが、そこにあるのは日本ではないだろう。


 それもまた、繰り返し考えてきたことだった。



 ***



 意識が覚め、ぱちり、と目を開けると、日は既に登っているようで、視界は明るかった。

 目をぱちくりさせながら、硬い木に背を預けたせいで、だるくなっている首をまわす。

 ポンチョのフードは脱げていた。


 誰が脱がしたのだろう。

 キャロルか?


 と思ったが、キャロルは胸の中にいた。

 不審に思い、目をはっきりあけて周囲を見ると、視界の端になにか勢いのあるものが引っかかった。


 ぶつかるっ!


 頭めがけて飛んできたボールを反射的に避けるように、思考より先に首が動いた。

 頭が横にずれる。


 スコンッ! と小気味の良い音が、耳の横で聞こえた。


 飛んできたのはボールではなかった。

 鳥かなにかでもなかった。


 目の前には、磨き上げられ、鋼の輝きを映した剣が見えていた。

 そして、とっさに避けなければ俺の頭を耳から横に割っていたであろう剣は、今は背にしていた木の幹に刃を埋めている。


 ンン???


 睡眠の中で平和を貪っていた脳が、ある日突然修羅の世界に投げ込まれたかのように、現実を受け入れ、頭のなかの背景を、幸せな夢の世界から、現実の世界へと切り替えた。


 俺は思いっきり体を横に倒し、刃から逃れるように転がる。

 ポンチョは、昨日のゴタゴタで破れたところから縦に裂け、一回転したころには体は自由になっていた。


「んわっ、なんだっ!?」


 荒っぽく起こされたキャロルが、寝起きで目をパチクリさせながら言った。

 状況を把握しようと首を回して視界を振ると、すぐにカンカーを発見した。


「なっ!」


 曲者に気づいたキャロルが、訓練された手つきで懐から短剣を取り出す。

 が、カンカーは短剣を引き抜いたその手を、自らの手で掴んで止めた。


「うっ……」


 ぎゅうっと手を拗じられると、キャロルは短剣を取り落としてしまった。

 あれだけの剣技を扱う者ともなれば、握力も物凄いのだろう。これは仕方ない。


 というか、むしろ安心した。

 妙な抵抗をして斬られるほうが怖い。


「よう、久しぶりだなぁ」


 俺は周囲を警戒しながら言った。

 カンカーの他には、一応、今のところ、至近距離に敵の気配はない。


 が、遠くにはいるかもしれない。

 俺とて、状況判断はまったく不十分だ。


 俺の頭には、奔流のように興奮物質が周り、夢見心地はあっという間に彼方へと去っていた。


 すると、心配になってくるのは左足だった。

 アドレナリンが効いているのか、指先に力を入れ、軽く踏ん張っても、痛みで力が抜ける感じはない。

 普通に立っていられる。


 二~三回の踏み込みなら耐えるか……。


 それより、矢が怖い。

 俺は矢を恐れて、木の幹が背になるように、さり気なく移動した。

 横は目配せで警戒できても、まるきりの後ろを見るには、大きな隙を見せる必要がある。


 ちゃんと頭が回っている。気も配れている。

 そのことを意識すると、地に足がついた気がした。


「武器を置け」


 カンカーは、上半身だけ起こしたキャロルの肩に、剣の腹を置いた。

 やはり鎧を回収したのか、腕足銅頭……と全身に金属鎧をまとっている。

 が、完全に金具を破壊した面頬だけは、取り外されていた。


 露わになっている顔には、横に布が巻かれている。

 ズボンか何かの生地で、かなりキツく縛ってあるようだが、その布は真っ赤に染まっていた。


 鼻は皮下が筋肉ではなく、軟骨なので縫合がしにくいし、布を巻いて止めるにしても、あの部位では鼻梁が邪魔になって止血しにくい。

 難儀したことだろう。


「もう一度言うぞ。武器を置くんだ」


 二度言わなくても。


「確か、カンカーと言ったよな。流石だよ、お前は」

「……?」


 本当に流石だ。

 イラつきはするがな。


「夜を徹して俺を追ってきたんだろ? 松明かなんかで足跡(あしあと)を調べながら……。俺への恨みがあるにしろ、なかなか出来ることじゃない。その上腕も立つし、頭も切れる」


 やろうと思っても、普通は実行できない。

 部隊をほぼ全滅させられ、荷も焼かれ、その上大怪我もしていれば、心が折れる。


 常人の根性論ではどうにもならない。

 真に磨き上げられた心身が必要だったことだろう。


「勘違いするな。俺はお前と話をしたいわけではない。武器を置かなければ、この女を殺す」


 カンカーは繰り返した。

 が、演技は下手なのか、そこに鬼気迫るような気迫はない。


「夜を徹して俺を追い、寝ている俺を見つけたはいいが、何故か二人いる。不審に思ってフードを開けてみたら、内一人は金髪の美女ときたもんだ。そりゃ、俺だけ殺したくなるよな」


 最初の斬撃は、あくまで俺を狙ったもので、キャロルを狙ったものではなかった。

 カンカーがフードを開けたとき、俺とキャロルの頭は、折り重なるように連なっていたに違いない。


 キャロルの髪が真っ黒であったなら、賭けてもいいが、俺はとっくにあの世に行っていただろう。

 キャロルの腹に剣を突き刺し、二人を団子のように串刺しにすれば、それで終わりだ。

 なにも難しいことはない。


 が、こいつには、それはできなかった。

 それは、キャロルの金髪が目に入ったからだ。


 俺が斬撃に気づけたのは、正確に俺の頭だけをぶった斬り、キャロルに傷一つ負わせないために、どう剣を振ったものか、一瞬迷ったからだろう。

 幹に剣が当たったのも、俺の頭に致命傷を負わせた後、剣がキャロルのほうに流れないようにする歯止めがほしかったのだ。

 恐らくは、流血のせいで体調が悪く、剣筋にそこまでの信頼を置けなかったのだろう。


「いいから武器をっ」

 カンカーは四度言った。


「お前には出来ねえよ」


 俺は、かぶせるように断言した。

 できるはずがないのだ。


「キャロル。そこにある杖を俺に投げろ」


 シャン語で言った。

 キャロルには、俺とカンカーの会話はまったく理解できていない。

 いつかミャロが言ったように、タコかなにかの会話に聞こえていることだろう。


「い……いいのか?」

「ああ、信じろ」


 キャロルは、足元にあった松葉杖を、俺に投げた。

 俺は少ししゃがんでそれを拾い、抜いていた短刀を鞘にしまった。

 松葉杖の足のほうを持って、T字になった部分をカンカーに向け、構える。


 その間、カンカーはなにもしなかった。

 ただ、キャロルの肩に剣の腹を置いていただけだ。


「お前は頭が切れる。だからこそ、変な話だが、信頼することができる。これが物を知らない馬鹿農民兵だったら、大変なことになっていたがな」


「………」

「そいつは、同じ重量の金塊より価値がある。だが、殺してしまったら肉の塊にすぎん。莫迦ではないお前は、俺への脅しだの、報復のためだの、そんなつまらない事のために殺していい人質ではないことを、考えるより先に分かっちまっているはずだ。お前には殺せねえよ。脅しになってないんだ」


 俺がそう言うと、カンカーは剣を動かし、キャロルの頬に刃を当てた。


「……殺すことは出来なくとも、傷つけることは出来る」


 はあ。


「あのな……。抱くための女は、顔に傷が入っていないほうがいいに決まってる。値打ちが下がったら、お前が損をするだけだろ」


 少しくらい傷が入ったほうが興奮する。という人間も中にはいるだろうが、需要が高ければ高いほど値段が上がることを考えれば、下手をすると価値は半分以下になってしまうだろう。


 大粒の宝石をわざわざ割って小粒にするような、馬鹿げた行為だ。


「お前はいいのか? 消せない傷を作れば、この女の人生は台無しになるだろう」

「どうでもいい」


 どっちにしろ、俺が死に、キャロルがさらわれれば、クラ人の世界でモノとして生きる人生が待っているのだ。

 比較にならない。


 顔に傷ができたらもう人前には出られない、人生終わりだから自殺する、なんていう思考回路の女だったら話は変わってくるかもしれないが、キャロルはそうじゃない。


「そんなわけはない。お前はこの跛足(はそく)の女を背負ってきたんだろう。それほどの苦労をしてまで助けた女が、どうでもいいわけがない」


 そりゃそう考えるわな。

 昨日の俺の戦いぶりたるや、自分で言うのもなんだが良く動けてたし、足が遅い理由が不思議だったはずだ。

 少し思考を巡らせれば、そういう結論にたどり着くだろう。


「どうでもいいな。殺すってなら別だが、お前にはできねえって解ってるし」

「いいのか? この女の人生が台なしになっても」


 ああ、こいつアレか。

 自分の国では女性に人権なんてほとんど無いから勘違いしてるのか。

 噛みあってない感じがする。


「だからならないんだって。そいつは俺の妻になる女だから」


 俺は嘘をついた。


「……なんだと?」

「これが終わって戻ったら、すぐに結婚すんだよ。顔に傷くらいついたって、こういう事情なら仕方ない。まあ悲しいなってくらいのもんだ。夫婦で乗り越えていくさ」

「……クッ」


 カンカーは短く歯ぎしりをした。

 悔しがっているのかわからないが、顔を横に縛っている血塗れの布が凄惨すぎて、表情が読みにくい。


「その女が、お前にとってまったく無価値のゴミだったら、どうせゴミだから殺しとけとなるだろう。俺の心理的動揺も狙えるしな。だけど俺は、お前がその髪に大変な価値を見出してるってことを、ようっく知っている。殺すだの、顔を切るだの、だからお前は黙って殺されろだの、本末転倒な馬鹿げた脅しには乗らねえよ」


「………」

「まあ、刃が滑ったら困るから、そうしていれば俺は攻撃しないでやるがな。あとはあんた次第だが、いつまでやってるつもりだ? これは助言だが、馬鹿げた人質作戦なんぞやめて、さっさと剣を構えたほうがいいぜ」


 俺の傷は縫ってあるから出血は少ないし、創傷面も露出していない。

 傷を負っているのは同じでも、処置のレベルに雲泥の差がある。


 待っていて、体力を消耗してゆくのは向こうのほうだ。


「それは聞けんな。この戦い、お前の有利だ」


 有利?


「俺が十分メシを食って寝たのに対し、お前は徹夜で、その上血も失っているってことか?」

「……そうだ」


 どうも無理な言い逃れをしているなと思ったら、戦ったら負けると確信していたわけだ。


「お前、気づいてないのかよ。俺は足を盛大に怪我してるんだ」


 俺は軽く左足を上げ、足裏を見せた。

 靴は、爪先を飛ばされたままだ。


 左足はつま先の靴底がなく、そこには包帯が巻かれているだけである。

 少しづつ出た出血で赤黒くなっているはずだ。


「お前に靴を剥がされたせいで、鉄片を踏んでこうなった。これがなかったら、昨日のうちにお前を追いに追って仕留めてるよ。そうならなかったのは不思議に思わなかったのか?」


 おそらく、カンカーからしてみれば、俺がやけにあっけなく追跡を諦めた。と感じたはずだろう。


「この足は、ほとんど踏ん張りが効かねえ。昨日のような動きはできない。出血も、見ての通り酷いもんだ。客観的に見て、まあ五分と五分といったところだろうよ」


 布の下に、キャロルにきっちりと縫って貰った創面があることは言わない。


 怖いのは、カンカーが自分に絶対的に不利と思うことだ。

 そう考えていれば、俺との戦いは絶対に避けるべきと考えて、まず戦うこと自体が選択肢に入らない。


「それに、お前のほうがよっぽど良い武器を持ってる。その鼻の傷を負わせたのは、俺の爆弾が不意打ちをしたからだが、今回はそういうものもない。まあ、これは使わせてもらうがな」


 と、俺は松葉杖を構え直した。

 短刀を使うくらいなら、こっちの方が良いという判断だ。


 こいつとの戦いにおいて、リーチの差というのはそれほど大きい。

 できれば、松葉杖の先に短刀を括り付けたいくらいだが、そこまでは待ってくれまい。


「黙ってないで、さっさとやろうぜ」

「……そうだな」


 カンカーはキャロルの襟を掴むと、放り投げるように右のほうに投げた。


「っ!」


 キャロルが悲鳴をこらえるのが分かる。

 まーあ乱暴な投げ方だった。


「女に邪魔をしないように言ったほうがいい」

「そうか?」

「富と栄誉は魅力だが、命には代えられん。足に組み付いてきたりするようなら、剣を向けることに躊躇いはない。そうなれば、お互いにとって不幸だろう」


 そうする可能性は、実際のところ結構あるな。


「キャロル、手出しをしてきたら殺すといってるぞ。木の影にでも隠れておけ」

「……わかった」


 と、短くシャン語の会話をした。



 ***



「言っておいたぞ。これで安心したか」

「ああ」


 そう短くいうと、カンカーは剣を両手で持った。

 無造作に間合いを詰め、お互いに間合いが重なるところまで来ると、ギュッと剣を構える。


「フッ!」


 小さく息を吐くと、すぐに切りかかってきた。

 と言っても、明らかに遠く、俺の体に届く剣ではない。


 俺が前に出していた松葉杖を切り落としにかかったのだ。


 通常の槍は、柄の中に深く(なかご)が入っているため、よく打ち合いをする先端から若干の部分には、中に鉄が入っている。

 が、もちろん松葉杖にそれはない。

 これは元は槍だったわけだが、その部分は切り落としてしまっている。


 とっさに剣を受けずに避け、杖を守るが、剣は杖を追うように伸びてくる。

 二、三振りの交差があった。


 傍目から見れば、斬り合いとも思えぬ、間合いの外から棒同士の叩き合いをしているような格好に見えただろう。


 間合いが開く。


「ふむ」


 やはり中段に構えるのは不利と思い、俺は杖を右肩に担ぐように持った。


 そうすると、切っ先が向けられた剣に対して、まるで裸で立っているような無防備さを感じた。


 何が変わったわけでもないのだが、相手の剣と、斬られれば血の噴き出る自分の体との間に、なに一つ頼るものが挟まっていないというのは、かなりのプレッシャーだ。

 棒きれ一つといっても、違うらしい。


「落ち着いているな……」


 なぜか向こうのほうから声をかけてきた。

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