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第3回 もう1つのストーリー 前編
前回、『たいやきララバイ』における『たいやき』と『たい焼き』について説明をした。もう一度確認すると、100円で売っている商品の名前が『たい焼き』であり、それを”君”が2つに分けた後のものが『たいやき』であった。
さて、今回と次回の2回は、この『たい焼き』と『たいやき』の違いを踏まえて、『たいやきララバイ』のストーリーを考えてみたい。それではさっそく、最初のサビの部分から順番に『たいやきララバイ』の歌詞を見ていこう。
■最初のサビたいやきが食べたくなった なぜか無性に
最初のサビでは、主人公が『たいやき』を食べたくなり、100円玉を握って走り出す様子が描写されている。ここで注目すべき点は、この部分で食べたくなったのが、100円で買える『たい焼き』ではなく、”君”がいなければ手に入れることの出来ない『たいやき』である点だ。この点は、今後のストーリー展開を読み解く上で重要なファクターになってくるので、覚えておいてほしい。
あの日のときめきが 今胸によみがえるよ
走り出した手には 100円玉が
しっかりと握られていたよ 気づいてふとほほ笑む
■1番のAメロ
1番のAメロの部分は、この後のBメロで出てくる”あの日の思い出”の回想という位置づけになっている。そしてここで語られていることは、1.
たまたま買った あのたい焼きが
なぜかとてもお気に入りで
半分あげる そう言いながら
君はいつもたい焼きねだってたどうしてだろう 飽きもしないで
必ずいつも1つだけ
やさしい気持ち 君の笑顔の
かけらを包むたい焼き- 偶然買った『たい焼き』を、”君”がとても気に入っていたこと
- 購入する『たい焼き』の数がなぜか2つではなく1つだったこと
■1番のBメロあの日の思い出が あの日の思い出が
1番のBメロ部分では、Aメロ部分の思い出を思い出すために、100円玉を握りしめて『たい焼き』を買いに行こうとしたことが描写されている。
よみがえるそんな気がした だから100円握りしめて
■1番のサビ
1番のサビでは、100円で『たい焼き』を購入して、一人で食べたことが描写されている。そして、一人で食べる『たい焼き』は思い出の日と変わらない味だが、思い出の中とは少し違っていたという内容に続いている。たい焼きを一人で買って 一人で食べる
あの日と同じ味 でも少ししょっぱいかも思い出の中では 100円玉が
幸せの合言葉だった やさしいあの甘さが
■2番のAメロ
2番のAメロ部分は、1番と同様に”あの日の思い出”の回想をしており、2.
たった1つの たい焼き分ける
君はなぜか嬉しそうで
ちょっと失敗 そう照れながら
少し小さい方に手をのばすどうしてだろう 二人で分ける
半分だけのたいやきが
君にとっても 僕にとっても
かけがえのないごちそう- 1つの『たい焼き』を2人で半分ずつに分けて食べていたこと
- 半分ずつの『たいやき』が2人にとってかけがえのないものであったこと
また、この部分から1番Aメロの「必ずいつも1つだけ」の理由も判明する。”君”と”僕”にとってかけがえのないものである半分だけの『たいやき』を食べるためには、『たい焼き』を1つだけ買って、二人で分ける必要があるのだ。
■2番のBメロあの日の思い出が あの日の思い出が
2番のBメロ部分は1番とほぼ同じ描写であるが、100円玉を握りしめている理由が、「今は”まだ”少し遠くて」となっていることに注目したい。「今は”もう”少し遠くて」ではないことから、”あの日の思い出”が、もう辿りつくことの出来ない過去の出来事ではないことが暗に示されている。
今はまだ少し遠くて だから100円握りしめて
■2番のサビたいやきが食べたくなった なぜか無性に
2番のサビの部分では再び、『たいやき』が食べたくなったと描写されている。注目すべき点は、1番のサビからの変化である。
あの日のぬくもりは まだ胸に残ってるよ
君の笑い声を 100円玉が
運んできてくれる気がした あの日と同じように※(1番のサビの最後)
思い出の中では 100円玉が
幸せの合言葉だった やさしいあの甘さが※(2番のサビの最後)
1番が「100円玉が幸せの合言葉だった」と言っているのに対して、2番では「(君の笑い声を)運んで来てくれる気がした」と描写されている。
君の笑い声を 100円玉が
運んできてくれる気がした あの日と同じように
ここで思い出してほしいのは、『たい焼き』と『たいやき』の違いである。2番のサビで、食べたくなったのが『たい焼き』だった場合は、思い出の商品を食べることで幸せな思い出がよみがえるという解釈になり、1番と同じことの焼き直しになる。
しかし、食べたくなったのは、”君”がいなければ成立しない『たいやき』である。このことを考慮すると、「運んできてくれる気がした」という表現は、”君”がいなければ成立しない『たいやき』への期待をあらわす表現になっていることが分かる。
ここまでで、最初のサビから2番までの歌詞を、『たい焼き』と『たいやき』の違いを考慮して見てきたが、この違いが明確に出てくるのが、最後のサビの部分である。そして、最後のサビで語られる内容こそが、『たいやきララバイ』の本質的な部分となる。
次回はいよいよ、最後のサビにつながるBメロと、最後のサビの部分から、『たいやきララバイ』に隠された仕掛けの全貌を明らかにしよう。おそらくそれによって、ほとんどの人は、『たいやきララバイ』から感じるイメージが大きく変わるのではないだろうか?(次回更新は8月5日頃の予定です。(※当初の予定より1週間遅れ))
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第2回 2つの”タイヤキ”
さて、今回からさっそく、『たいやきララバイ』のなぞ解きをしていこう。鍵となるのは、そのものずばり、歌詞の中2つの”タイヤキ”の違いである。
さっそくではあるが、『たいやきララバイ』の歌詞の『たいやき』に赤色、『たい焼き』に青色を付けてみよう。
いかがだろうか?最初に食べたくなったのは『たいやき』で、一人で買って食べたのは『たい焼き』となっている。音としてはまったく同じ2つの”タイヤキ”だが、物語の中では別物として扱われている。『たいやきララバイ』
(作詞・作曲:なるしす 編曲:ふみ&さくら)たいやきが食べたくなった なぜか無性に
あの日のときめきが 今胸によみがえるよ
走り出した手には 100円玉が
しっかりと握られていたよ 気づいてふとほほ笑む1.
たまたま買った あのたい焼きが
なぜかとてもお気に入りで
半分あげる そう言いながら
君はいつもたい焼きねだってたどうしてだろう 飽きもしないで
必ずいつも1つだけ
やさしい気持ち 君の笑顔の
かけらを包むたい焼きあの日の思い出が あの日の思い出が
よみがえるそんな気がした だから100円握りしめてたい焼きを一人で買って 一人で食べる
あの日と同じ味 でも少ししょっぱいかも
思い出の中では 100円玉が
幸せの合言葉だった やさしいあの甘さが2.
たった1つの たい焼き分ける
君はなぜか嬉しそうで
ちょっと失敗 そう照れながら
少し小さい方に手をのばすどうしてだろう 二人で分ける
半分だけのたいやきが
君にとっても 僕にとっても
かけがえのないごちそう
あの日の思い出が あの日の思い出が
今はまだ少し遠くて だから100円握りしめてたいやきが食べたくなった なぜか無性に
あの日のぬくもりは まだ胸に残ってるよ
君の笑い声を 100円玉が
運んできてくれる気がした あの日と同じようにあの日の思い出が あの日の思い出が
よみがえるそんな気がする だから100円握りしめて"たいやき"に包まれていた やさしい想い
あたたかい甘さに 心が少し安らぐ
君の笑い声も よみがえる様な
すべてをやさしく包み込む 思い出の子守唄しあわせのかけらに込めた想い 気づいてふとほほ笑む
それでは、2つの”タイヤキ”の違いとは何だろうか?ヒントとなるのは、2番のAメロ部分の歌詞である。
最初に”君”が分けているのは、『たい焼き』であるが、二人で分けた半分だけのものは『たいやき』となっている。2.
たった1つの たい焼き分ける
君はなぜか嬉しそうで
ちょっと失敗 そう照れながら
少し小さい方に手をのばすどうしてだろう 二人で分ける
半分だけのたいやきが
君にとっても 僕にとっても
かけがえのないごちそう
答えを言ってしまうと、100円で売っている商品の名前が『たい焼き』であり、それを”君”が2つに分けた後のものが『たいやき』である。
これは、ちょっとした違いに見えて、実は大きな違いになる。なぜなら、『たい焼き』は100円を出せば手に入るが、『たいやき』は”君”と”僕”がそろって初めて手に入るものだからだ。
これを踏まえて最初から歌詞を追っていくと、『たいやきララバイ』の歌詞に隠されたもう1つの物語が見えてくる。ポイントとなるのは、最後のサビの『"たいやき"に包まれていた やさしい想い』の部分の”タイヤキ”が、『たい焼き』ではなく、『たいやき』となっていることである。
そのあたりの解説は、次回以降に回すとして、最後に、『たいやきララバイ』を使ってくれている動画を紹介して、今回は終わりにしたい。
この動画は、『たいやきララバイ』を背景にして、幼馴染?との少し切ない恋物語を描いている。これはこれで1つの世界観を作り上げている作品だと思うので、興味を持った方は、ぜひ一度見てみて欲しい。
(次回更新は7月22日頃の予定です。)
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第1回『たい焼きララバイ(仮)』と『たいやきララバイ』
3年以上前からやろうとしていて、未だに出来ていないことがある。
自分で作詞・作曲をした『たいやきララバイ』という曲の解説動画の投稿だ。
「なんで楽曲に解説がいるのか?」と疑問に思われた方もいるかもしれない。その疑問はもっともで、解説なしで理解できない時点で、楽曲としては、本来失格だ。
しかし一方で、自分が『たいやきララバイ』で表現したかったことは、この方法でなければ伝えることが出来なかったとも思っている。実は、『たいやきララバイ』には、表面的に見えているストーリーとは全く別の、もう1つのストーリーが隠されている。そして、その2つのストーリーの違いこそが、『たいやきララバイ』という曲を通じて伝えようとしたことなのである。
『たいやきララバイ』という曲を出すだけでは不十分。そう思って3年間くらい、解説動画にまとめようと試行錯誤をしてきた。しかし、それは今でも完成しないままでいる。動画の構成をうまく作ることが出来ず、無駄に動画が長くなり、分かりにくくなってしまうのだ。
そんなことをしているうちに、ニコニコ動画に新しい仕組みが出来た。それがこの、ブロマガだ。ブロマガは、何かの解説を行うにはもってこいのフォーマットで、これを使えば、動画にはまとめられなかった、『たいやきララバイ』のもう1つのストーリーを伝えられるのではないかと思った。
そこで、今回から「ブロマガ」という配信形態を使って、今まで伝えたくても伝えられなかった、『たいやきララバイ』のもう1つのストーリーについて解説していきたいと思う。■たい焼きララバイ(仮)
『たいやきララバイ』のベースとなっているのは、2007年12月に友達のアカウントで投稿された、『たい焼きララバイ(仮)』という曲だ。この曲は、もともとお祭りでのたい焼き販促ソングという位置づけで作ったが、あまりにも直前過ぎてお祭りに間に合わず、お蔵入りになっていた曲だ。
それを、友達が初音ミクの歌をつけ、それをニコニコ動画にアップロードしたのが、すべての始まりだった。友達がアップロードしてからしばらくたつと、『たい焼きララバイ(仮)』には、たくさんのコメントが付いていた。しかも、そのほとんどが好意的なコメントだった。
今思うとこのときに、動画を投稿する面白さを初めて感じた様に思う。もし『たい焼きララバイ(仮)』がそのままお蔵入りになっていたら、3つのボタンでカービィボウルシリーズを投稿することもなかったかもしれない。自分にとって、ニコニコ動画に動画を投稿する原点とも言えるのが、この『たい焼きララバイ(仮)』なのだ。
さて、そんな『たい焼きララバイ(仮)』ではあるが、『たいやきララバイ』との関係は、少しだけ複雑だ。表面的には、『たい焼きララバイ(仮)』に、2番以降の歌詞を付け加えた曲が、『たいやきララバイ』の様に思えるが、実はそうではない。
『たいやきララバイ』の歌詞には、『たい焼きララバイ(仮)』の時点では存在しなかった、ある1つの仕掛けがされていて、その仕掛けによって、『たい焼きララバイ(仮)』とはまったく別のテーマを持つ曲になっているのだ。
それでは、いよいよ次回から、『たいやきララバイ』に隠された仕掛けについて解説をしていこうと思う。自己満足の側面が強いことは自覚しているが、もしそれでも良いという方がいれば、次回以降も読んでいただければ幸いである。(次回は7月15日ごろ更新予定です。)『たいやきララバイ』
(作詞・作曲:なるしす 編曲:ふみ&さくら)たいやきが食べたくなった なぜか無性に
あの日のときめきが 今胸によみがえるよ
走り出した手には 100円玉が
しっかりと握られていたよ 気づいてふとほほ笑む1.
たまたま買った あのたい焼きが
なぜかとてもお気に入りで
半分あげる そう言いながら
君はいつもたい焼きねだってたどうしてだろう 飽きもしないで
必ずいつも1つだけ
やさしい気持ち 君の笑顔の
かけらを包むたい焼きあの日の思い出が あの日の思い出が
よみがえるそんな気がした だから100円握りしめてたい焼きを一人で買って 一人で食べる
あの日と同じ味 でも少ししょっぱいかも
思い出の中では 100円玉が
幸せの合言葉だった やさしいあの甘さが2.
たった1つの たい焼き分ける
君はなぜか嬉しそうで
ちょっと失敗 そう照れながら
少し小さい方に手をのばすどうしてだろう 二人で分ける
半分だけのたいやきが
君にとっても 僕にとっても
かけがえのないごちそう
あの日の思い出が あの日の思い出が
今はまだ少し遠くて だから100円握りしめてたいやきが食べたくなった なぜか無性に
あの日のぬくもりは まだ胸に残ってるよ
君の笑い声を 100円玉が
運んできてくれる気がした あの日と同じようにあの日の思い出が あの日の思い出が
よみがえるそんな気がする だから100円握りしめて"たいやき"に包まれていた やさしい想い
あたたかい甘さに 心が少し安らぐ
君の笑い声も よみがえる様な
すべてをやさしく包み込む 思い出の子守唄しあわせのかけらに込めた想い 気づいてふとほほ笑む
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