• 【シャニマス解釈】『チエルアルコ』は『流星』の”何”なのか

    2019-04-25 20:381

    エスペラント語ッ……!

    チエルアルコのコミュを観るとエスペラント語以外の感情がなくなると一説には言われている気がします。
    ということでこんにちは。
    今回は『チエルアルコは流星の』についての私見を述べようと思いますが、チエルアルコのコミュ自体の考察・解釈は他の方々が既になされている為、何かもう出尽くした感ありますし私は別にいいかなって思ってます。
    ということで私が何の解釈を垂れ流すかというと、それはカード名そのものです。

    まず考えていただきたいんですが『チエルアルコは流星の』という一文だけを読んだ時、何か違和感はありませんか?
    そう、『流星の』で終わってしまうとこれは不完全な文だということです。
    もう少し分かりやすく説明すると、例えば『Aさん”は”Bさん”の”』という文があったとします。
    この文を読んだら普通その後に『友達』『家族』など関係性を表す単語や、『隣』『前』など位置を表す単語など、状態を指し示す単語が入ると考えるのが自然ではないでしょうか。
    つまり、『○○は××の』という文は”の”の後に何らかの語が省略されていると考えるのが普通です。
    とするならば、『チエルアルコは流星の』も同様に”チエルアルコ”と”流星”との関係を指し示す何かが省略されていると考えるべきではないでしょうか。
    その省略されている”何か”を考えていくことを本記事の趣旨なのですが、それを読み解くために2点確認しておきたいことがあります。
    それは「めぐるのカード名では音楽に関連する用語が使われている事が多い」という事、そして何よりも本カードのTrueタイトル、「無重力のウテナ」についてです。



    まず前者については改めて説明する必要もないかと思いますが、ピチカート・トロイメライ・リリックのように初期PSSRより後のめぐるのプロデュースカードには音楽に関連したカタカナ語が用いられています。
    ですが今回用いられている「チエルアルコ」ですが、これはエスペラント語で”虹”を意味し、これ自体に音楽的意味合いはありません
    それなのになぜめぐるのカード名の音楽用語のお話をしたのかは後に説明することと致します。

    それでは後者の「無重力のウテナ」の話に移っていきたいと思います。
    まず”ウテナ”という単語ですが、これは花の萼物見用の高い建物といった意味(漢字で””)です。
    そうすると”無重力”とはという話になりますが、これはそのまま考えるなら「浮いている状態」という事になるでしょう。
    そしてチエルアルコのコミュ中では青い目の異邦人、跳ねた寝癖、一匹だけ違う色の魚、そういった周りから”浮いた”存在がお話の核となっています。
    ウテナが高い建物であるとすれば、そんな”浮いた”存在たちに寄り添えるのではないでしょうか。
    或いはウテナが萼だとすれば、”浮いた”存在たちを支えられるのではないでしょうか。
    さて、無重力と言えばもう一つ考えることが出来ます。無重力である場所、つまり宇宙です。
    そんな宇宙に”浮かぶ”ものがありますよね?そう、です。
    ここから考えると無重力とは『イルミネーションスターズ』を示唆しているとも考えられます。
    独特の雰囲気を持ち人付き合いが苦手な真乃、自他ともに厳しい故に誤解され敵を作りがちな灯織、そしてアメリカから日本にやってきた”異邦人”のめぐる、そう言われてみれば確かにイルミネーションスターズも”浮いた”存在の集まりだと言えるでしょう。

    さて、『チエルアルコは流星の』の話に戻りますが、先程述べた”無重力”に該当するワードが見受けられたかと思います。そう、『流星』です。
    そう言えば確かにフェス限灯織の思い出アピールやFW02のジャケット絵は3人が流れているような印象を受けました。
    そうすると『流星』とは『イルミネーションスターズ』と考えることができそうです。
    そうなってくると『チエルアルコ』、つまり『虹』は『イルミネーションスターズ』にとって何か関係のあるものということになります。
    ここで先程述べたことを思い出しましょう。「めぐるのカード名では音楽に関連する用語が使われている事が多い」のです。
    『虹』『音楽』『イルミネーションスターズ』……これら3つを繋ぐものを思い浮かべると、イルミネーションスターズの楽曲、『虹になれ』が出てくるはずです。
    イルミネーションスターズにとって虹とは「なる」「なりたい」ものなのです。
    しかしこれではまだ『チエルアルコは流星の』の後にぴったり来る単語は見つかりません。
    とするならば”虹”をもう少し変換しましょう。
    虹とは雨上がり等に、複数色で、円形に架かる、”ヒカリ”です。
    ここまで言えば察しがついたかと思いますが、
    『チエルアルコ』は『流星』の『destination』、つまり『”虹”は”イルミネーションスターズ”の”行き先”』ならばぴったり来ると思いませんか?
    つまり『チエルアルコは流星の』とはこのカード名一つでイルミネーションスターズの楽曲、はたまたイルミネーションスターズ自体の架け橋となっているのではないでしょうか。

    長々と書きましたがチエルアルコは私の駄文では語り尽くせないぐらいに本当に素晴らしいコミュですので引けた方は是非Trueまで見てチエルアルコの世界に浸っていただきたく思います。

    ということでいつもの挨拶でお別れ致しましょう。

    せーのっ

    シャニマスをやれ。

    長文駄文失礼しました。


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  • シャイニーカラーズ1stライブに触れて感じた”プロデューサー”であることの意味

    2019-03-16 17:30

    遅くなりましたがシャニマス1stライブお疲れ様でした。
    この一年で彼女たちが積み重ねてきた努力、想い、そして確かな絆が感じられる、そんな掛け値なしに最高のライブだったと思います。
    さて、そんなライブに触れて、或いは彼女たちの想いに触れて、一つ自分の中で考えたことがあります。アイドルマスターというコンテンツにおける我々”プロデューサー”という存在についてです。
    その事について稚拙ではありますが語っていきたいと思います。

    私がアイドルマスターに触れたのは3年ほど前にデレステをプレイしたのがきっかけでした。
    それまでアイドルマスターはキャラは知っている程度の認識でしかなく、デレステをプレイしたのも周りがプレイしていたので何となく程度の気持ちでした。
    しかし、様々なアイドルに触れる中で「この子達をもっと知りたい」と思うと同時に「この子達をもっと知ってもらいたい」という気持ちが芽生えました。
    私の中での”プロデュース”とは、この子達の魅力を知ってもらう為に何かをしたいという、"外に出そうという想い"でした。

    それが今、シャイニーカラーズに触れ続けている中で、シャイニーカラーズにおける”プロデューサー”とは、シャニマスというゲームの世界に存在する、我々プレイヤーではない”プロデューサーという個人”なのだなと思いました。
    シャイニーカラーズは本当にシナリオが素晴らしく、どれも引き込まれるものばかりで、だからこそ”私”はこの世界に入って欲しくないなと思いました。
    それは決してネガティブな意味ではなく、私はシャイニーカラーズという世界が好きで、だからその世界を眺めていたいんだと思います。
    しかし、だからこそ、1stの5日前、風野灯織の誕生日を迎えた時に「自分とは?」という答えが分からなくなりました。
    きっと今まで自分はそれぞれの”アイドル達自身”が私にとっての世界で、だからこそ”担当プロデューサー”を名乗っていました。
    しかしシャイニーカラーズにおいて”プロデューサー”とはシャイニーカラーズの中に存在するプロデューサー個人で、そして私にとっての”世界”とはシャイニーカラーズそのものでした。
    そうなってくると私は風野灯織に対して並々ならない想いがあるとは言っても、果たして「”プロデューサー”なのだろうか?」という疑問が湧いてきました。

    そんな気持ちの中でシャニマス1stライブを見ました。
    誰もが歌、パフォーマンス、どれを取ってもこの1年の中で最高のものを観せてくれました。今までどれだけ必死で悩んで、考えて、楽しみにしてあの舞台に立ってくれていたかがはっきりと伝わってきました。
    そんなライブの朗読劇で、彼女たちは”プロデューサー”にお礼を言ってくれました。
    ”プロデューサー”との未来を思い描いてくれました。
    何より、河野ひよりさんが「勇気という器にプロデューサーさんが大好きで満たしてくれた」と言ってくれました。

    私は絵が描ける訳でも、小説が書けるわけでもありません。私に出来るのは「大好きでいること」だけでした。
    そんな大好きに、あの瞬間、意味をもらった気がしました。

    私がシャイニーカラーズを大好きでいる限り、彼女たちが私を”プロデューサー”と呼んでくれる限り、”プロデューサー”だと信じてくれる限り、私はその瞬間”プロデューサー”なんだ。
    今はそう思います。

    あれだけの感動を与えてくれたシャイニーカラーズの皆が、あれだけの気持ちを詰め込んで大好きにありがとうを伝えてくれたのだから、私も私の「大好き」を誇りに出来る、そんな風にシャイニーカラーズと付き合っていきたいと思います。

    長文駄文、失礼致しました。


  • ライブ前にシャニマス曲を振り返っておきたかった(後編)

    2019-01-26 22:23
    後編です(前編はこちら

    ちなみにですが私はヒカリのdestinationとアルストロメリアのリリイベには参加出来ました。他は察して下さい。



    夢咲きAfter school

    ・えびばでぃれっつごー!
    ・放課後の超ハイテンション学生感
    なんばーわ゛ん゛っ!

    この曲はひたすら楽しいです。その分コールも覚えるのが大変なはずなんですけど、もう何十回何百回何千回と聴いてきてるので自然と覚えてしまいました。果穂ちゃんの声が目立つつくりになってるのも放クラらしくていいですよね。『CLIMAX』と書いて「さいこうちょう」って読んじゃう所も好きです。

    『咲こうとしたその日が花盛り』『希望ばっかり膨らむ今が好き』という、過去でも未来でもない”今”を全力で生きようとする意志を示すかのような歌詞や、『シアワセも強さも手に入れてギンガも救う』という強欲極まりないとも言えるほどの真っ直ぐさを高らかに歌い上げる様子を含めて非常に放課後クライマックスガールズというユニットを象徴する曲になっています。
    その中でも特に『制服ってなんか不思議愛らしくてたまにキュークツ 自由だけど自由じゃない今だけのワクワク探してた』という歌詞には衝撃を受けました。
    放課後ってどういう時間かというと、学校に残って部活・勉強に勤しむ事も、学校から出て友達と遊びに出かける事も、家に帰って家族の手伝いをする事も出来る、言ってみれば自分の在り方を自由に決められる時間なんです。しかしそこには宿題だったり親の言いつけだったりと自分を縛り付けてくる存在も確かに存在している訳なんですが、それでも学校からも家からも離れた、”学生”でも”○○家の子ども”でもない、何者でもない自分が存在する時間が放課後なんです。そういった不安定で、不自由で、それでも誰でもない自分になれるその時間をクライマックス=最高潮だと言ってのけているんだという事を、そんな彼女たちの強さを気付かされました。

    彼女たちの強さに触れて泣け


    太陽キッス

    ・タオルブンブン
    ・曲の途中でいきなり普通に喋り出すなお前ら
    ・これ聴いてる時のシャニマスP多分IQ5ぐらいしかない

    『教室に吹いたとびきりの南風が』
    (お……?バラードか……?)

    『教科書閉じた』
    (やっぱ、バラードなんか……?)

    『…から出かけよう!!!!走り出そう!!!!』
    (違ェじゃねえか!!!!!!!!!!!!!!!!)

    『前のめりでFly!Fly!


         
        /|
           |/____
           ヽ| l l│<ハーイ
           ┷┷┷


    (ヘーベルハウスッ!!!!!!!!!!!!!!!!!)

    みたいなテンションの曲。IQは投げ捨ててブンブンイェイイェイイェーイ!しろ。

    『美白美肌は言い訳でしょ』『旅行の計画はほっといてすぐに行けるトコへGo』など、やはり刹那的というか未来よりも今楽しいを突き進む放クラらしさが存分に発揮された曲となっています。
    また、『ブラウスの背中が膨らみきるような速さでどこまで行けるかな』という学生という長いようで短い時間の進みに対する不安とワクワクを最大限に表現したこの歌詞は本当に天才的だと思います。

    放クラの曲というのは2曲ともひたすら楽しい曲になっていますが、これは放クラというユニットが今の一瞬一秒を全力で生きているからこそなんだと思います。

    最初聴いた時楽しすぎて泣いたし、ライブで早く聴きたすぎて泣いてる


    アルストロメリア

    ・明確な「恋の歌」
    ・哲学に関する用語(特にニーチェ思想)が多い
    ・正直現時点で一番歌詞の解釈が難しい

    アルストロメリア来ましたか……。この曲は本当に解釈が難しいというか、全体的な解釈としては「キミにどう思われていたとしてもキミを好きで居続ける」という覚悟の曲なのかなとは思ってますけど、細かい解釈がかなり難しいのでその辺りは「アルストロメリア 解釈」とかで調べるといっぱいブログ出てくるんでそちらを参照されたらいいと思います(他人任せ)。なのでこの記事では細かい解釈よりも全体的にこの歌はどういう歌かという所をメインに考えていきたいと思います。

    まずアルストロメリアは「恋の歌」だと書きましたが、シャイニーカラーズの楽曲において明確に”恋”を歌っているのってアルストロメリアとハピリリ、つまりALSTROEMERIAのユニットだけだったりする訳なんですが、これはALSTROEMERIAが他で言う”Cute的ユニット”という所もあるのでしょうが、それ以上にこの3人が「誰かの為に自分を変えていける」3人だからという点にあるのかなって個人的には思っています。
    また、この曲がやたら難解なのは「誰かの為に自分を変えていける」からこそ、自分の為にどうあれば良いのかが分からない為に、恋というある種のエゴに対する迷いや葛藤があるからなのではないでしょうか。

    『サチュレーションあげてよ』『バイオリズム果てまで』『もっとドキドキしよう』のパート分けですが、ここはそれぞれの思いの伝え方なのかなって思ったりします。甜花ちゃんは自分の気持ちを言葉にするのが苦手で、甘奈は本心を言葉にするのは距離を置きたがるので難しい言い回しを使いますが、千雪さんは自分の感情を相手が分かるように伝えられるという差なのかなと考えています。

    そして最後『好きでも嫌いでもキミになら全部捧げたい』というのはここまで自分という存在、自分がどうありたいのかを見つめ続けて辿り着いた、この恋に対する答えなのだと思います。
    ちなみに、これは別の方の解釈記事で仰っていた事なのですが、アルストロメリアの花言葉、”未来への憧れ”などの他にもう一つ西洋の花言葉で”devotion(献身的な愛)”というのがあるそうです。

    ALSTROEMERIAの尊さで涙が溢れ出る


    ハピリリ

    ・恋の”はじまり”の歌
    ・アルストロメリアに比べて歌詞がストレート

    1番は『キミの視線追いかけわざと前をとおる』とあるようにキミへの駆け引きから始まり、2番では少し不穏さや不安定な気持ちが見えてきます。
    このようにハピリリでは恋のドキドキや不安が描かれていますが、それに対する答えがないまま『私はきっとキミが大好きだよ』で終わってしまいます。一方でアルストロメリアでは『キミになら全部捧げたい』という答えに辿り着きます。ここから考えるにアルストロメリアとは、ハピリリで生まれた恋に対するアンサーソングなのではないでしょうか。
    『会いたいけど会いたくないの 聞きたいけど聞きたくないの』など自分の感情を知ってほしいという気持ちと、相手の自分に対する気持ちを知りたくないという気持ちとのせめぎ合い、キミが大好きだからこそキミにとっての何者でもなくなってしまう恐怖、それでも本当はキミに振り向いて欲しいという想い、そうしたハピリリで生まれた『ビミョーな気持ち』に対して向き合う過程、そして辿り着いた答えこそがアルストロメリアなのだと解釈しています。

    話は変わってリリイベのお話をしますが、私リリイベはイルミネもアルストロメリアも後ろの方だったんでダンスとかほとんど見えてないんですけど、表情と手の動きとかはギリギリ見えたので、その情報だけでもアルストロメリアとハピリリは全力でALSTROEMERIAを表現しているのが伝わってきましたね……。1stではダンスの表現にも着目していきたいと思います。あと円陣が最高なんで、みんなで泣こう


    SNOW FLAKES MEMORIES

    ・冬曲
    ・しっとり系かと思いきや元気曲

    冬曲って聞いて個人的には完全にしっとり系だと思って構えてたんですけど蓋を開けてみたら超元気系曲で結構意外でした。
    『冷たい風って集まる合図 寄り添いたくなっちゃうもんね』という歌詞、冷たい風って言うと孤独感を印象づけるのに使われがちなものを逆に「一緒に居たくなる」という方向で使ってくるのは個人的に好きなポイントです。

    ところで曲名にもなっている”SNOW FLAKES(雪片、雪の結晶)”ですが、snowflakeはスラングで独自性を意味する単語でもあります。シャニマスではそれぞれがそれぞれにしかなれないアイドルとしての道を模索していき、それぞれのCOLOR=個性を輝かせていきます。そうするとすなわちSHINY COLORS=SNOW FLAKESが成り立ち、”SNOW FLAKES MEMORIES”とは、「シャイニーカラーズが1年を通して積み上げてきた思い出」を象徴する1曲と言えるでしょう。
    そんな曲だからこそ、一瞬一瞬を輝かせていく、そんな楽しい曲になり得るのではないでしょうか。

    楽しくて泣け


    Let’s get a canhce

    ・それぞれのユニットを思わせる歌詞が入っている
    ・SFMとあわせて両方楽しい曲
    ・レッツ甜花ちゃん

    StWの『今、はじまる奇跡』から、この曲では『次の奇跡探しに行こうよ』と、シャイニーカラーズの新たな展望を思わせるような歌詞から始まり、光輝く(イルミネ)・太陽(放クラ)・響かせ(アンティーカ)・未来(アルストロメリア)など各ユニットを思わせるような歌詞がちりばめられており、シャイニーカラーズをこれからも皆でもっと盛り上げていこう!という希望に溢れた曲になっています。
    SFMもそうですが、冬曲は1stライブに向けた曲ということもあってか非常に明るい展望を楽しく歌い上げる曲となっています。

    シャイニーカラーズの全体曲はそれぞれ曲自体の方向性は違いますが、どれも一瞬一瞬を全力で生きて未来を輝くものにしようとする、そんな強い決意を歌う曲となっています。やはり全体曲ってそれぞれのコンテンツの色が出るものですが、例えばミリオンの全体曲は「届ける」曲になっていますし、シンデレラなら「誰よりも輝く」事を歌い上げているように思います。
    その中でシャイニーカラーズは皆がそれぞれの色で輝く事で新たな一歩を踏み出そうとしている事が全体曲から伝わってきます。
    決して一人ではなく、背中を押してくれたり、引っ張ってくれたり、ぶつかったり、それでも手を取り合ったり、そうした色んな関係性の中で輝く”自分”になっていく事こそが”シャイニーカラーズ”なのではないでしょうか。




    長々と語りましたが、シャニマス曲は本当にどの曲もそれぞれに思い入れがあるというか、シャニマスをやる内にどのユニットも思い入れが強くなっていって、結果としてどのユニットが歌う曲も大好きになっていくみたいなパターンに陥りやすいのでやっぱシャイニーカラーズって沼は恐ろしいなって思いました。

    最後に一言だけ。
    皆、1stライブで全力で泣こうな!