司書は仕事を奪われる!?『デスク・セット』に登場するコンピュータ
ウォルター・ラングが監督した『デスク・セット』は、40年代から60年代にかけて公私ともにパートナーだったキャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーの共演作です。2人が息の合った演技を見せるロマンティック・コメディですが、一方では映画の筋にからむ形で本格的なコンピュータが登場するかなり早い例だと言えます。
ヒロインであるバニー・ワトソン(キャサリン・ヘプバーン)はニューヨークの放送局にある資料調査室を束ねる、非常に優秀なレファレンスライブラリアン(参考調査業務を行う司書)です。
一般企業に司書……?と思うかもしれませんが、放送局は番組を作るためにいろいろ細かい情報を確認する必要があるため、ちょっとした図書館なみの資料室とそこにフルタイムで務める職員が必要なのです。
これは放送局のみならず映画会社もそうで、ハリウッドでもしっかりした考証を好む監督やスタッフは資料室を欲しがります。ドリームワークスがハリウッドきっての映画考証リサーチャーであるリリアン・マイケルソンが擁するリサーチライブラリーを獲得しようとしたいきさつが、ドキュメンタリー映画『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』に詳しく描かれています。
バニーは有能な女性司書たちを部下として抱えており、あらゆる部署からかかってくる質問の電話に対して、必ず正確な情報を調べて答えを返します(大学で働いている研究者としては、この放送局はろくに事前調査もせず、謝金もクレジットもなしでメールで曖昧な問い合わせをしてくる最近の日本のテレビ局とは大違いで、とてもうらやましく思えます)。
ところが、そこに怪しい雰囲気のコンピュータ技師、リチャード・サムナー(スペンサー・トレイシー)がやってきます。リチャードは調査用コンピュータを資料室に入れるため雇われたということで、女性司書たちは、自分の仕事が奪われるのではないかと警戒します。バニーとリチャードはライバル同士になるわけですが、やりあううちにお互い惹かれ合っていくようになります。
ネタバレになってしまいますが、この作品のオチは、コンピュータを入れるだけでは効率的な資料調査などというのは不可能であり、それを使いこなせる優秀な職員が必要だ……というものです。
クビになると思ってコンピュータ導入を妨害した女性司書たちは、映画の最後で解雇の予定は全くなく、むしろ人員増強すら提案されているらしいことを知って安堵します。最近、日本維新の会が「司書の仕事は人工知能(AI)で代替可能になる」と主張して学校司書の増強に関する国会決議案提出に反対したことが話題になりましたが、そんなことはあるわけないということはすでに1957年にコメディ映画を作っていた人たちもわかっていたわけです。
『デスク・セット』に出てくる資料室の司書たちが全員女性であることは、伝統的に図書館司書は女性が多い仕事だということを反映しています。アメリカ合衆国のデータだと、1930年頃は司書の92パーセントが女性、2009年頃でも83パーセントが女性です。また、1950年代には司書はほぼ白人の職業で、アフリカ系アメリカ人の司書は2パーセント程度しかいなかったそうなので、資料室が白人女性ばかりなのは時代を反映しているのかもしれません。
また、リチャードの助手としてやってきてEMERAC(明らかにENIACのパロディ)の操作を担当し、結局バニーたちの妨害にあって出ていってしまうワリナーは女性です。ワリナーは気の毒な役どころですが、コンピュータのハードウェアを開発するのが男性で、助手クラスで働いているのが女性というのは非常に時代背景にあった描き方です。たぶん、当時のコンピュータ業界ではこういう性別役割分業がよくあったのでしょう。
『デスク・セット』の注目すべきところは、『ドリーム』のドロシーと違って、女性司書たちが自分たちのポテンシャルに気付いていないらしいフシがあるところです。
ドロシーは先を見越してコンピュータのことを学ぼうとしますが、バニーたちはそういうことに思い至らず、クビに怯えます。バニーくらい優秀で勤勉であれば、レファレンス用のコンピュータ開発に司書として研究協力することもできそうだと思うのですが、自分の仕事が奪われるのではと怯えた司書たちはそういう発想の転換がなかなかできません。
上で述べたように、司書は女性が専門知を使って働ける数少ない分野だったので、バニーたちはどうしても防衛的になってしまうのです。一見、怪しいコンサル風のリチャードのほうが、実は人力検索のポテンシャルをよく理解していて、コンピュータと人間の専門知を組み合わせる意欲があった、ということになります。
史実では、『デスク・セット』が作られた数年後にはドロシー・ヴォーンのような先見の明のある女性たちが自らコンピュータに取り組もうとしはじめていた……というのは、とても興味深く、面白いことだと思います。
『デスク・セット』に出てくる女性たちはみんなとてもカッコよく、自分の仕事に誇りを持っています。しかし、同じ時代を生きていた現実の女性たちはさらに一歩、先を見据えて行動していました。
『ドリーム』が2016年の視点からコンピュータと女性の歴史を描いた作品である一方、『デスク・セット』は1957年の人々がコンピュータをどうとらえていたかがわかる作品です。どちらも女性とSTEMのかかわりを描いた楽しい作品なので、とてもオススメです。
参考文献
Nathan Ensmenger, “Making Programming Masculine,” in Gender Codes: Why Women Are Leaving Computing, ed. Thomas Misa (Hoboken: Wiley, 2010), 115–152.
Jennifer S. Light, “When Computers Were Women”, Technology and Culture, 40.3 (1999): 455–483.
マーゴット・リー・シェタリー『ドリーム――NASAを支えた名もなき計算手たち』山北めぐみ訳(ハーパーコリンズ・ジャパン、2017)。
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