年譜

ジュール・ヴェルヌ
     父ピエール・ヴェルヌは司法官の息子で、フランス西部の港町ナント市で代訴人をしていた。
     母ソフィーは船主の娘だった。弟一人妹三人がいる。

     1828年2月8日 ナント市フェイドー島で五人きょうだいの長男として生まれる。 

     少年時代 未知の地への憧れが強く、海や航海が大好きだった。

     学生時代 平凡な目立たない生徒でしたが、ポケットの小さなノートには、たくさんの発明や航海の事が書き込まれていたそうです。

     1839年(11歳)夏 海への憧れを押さえきれなかったばかりでなく、同い年の従姉妹カロリーヌに珊瑚の首飾りを贈りたいという
     一心から、家族に内緒でインド行きの帆船の見習水夫として乗り込むが、途中で捕まり、家に連れ戻される。

     ナントの学校を卒業。大学入学資格試験に合格した後、の希望に従ってパリに出て法律を学び始める。
     の代訴人の仕事を継ぐ意志が少しもなく、文学、殊に演劇の勉強に励む。法律の本を読まず、ラシーヌの劇を見たり、
     シェイクスピアの全集を読む。
     当時流行作家だったアレクサンドル・デュマと知り合ってから劇作を始める。
     法律の最終試験に合格するが、文筆によって身を立てる決心をし、家庭教師や秘書などをしながら戯曲小説の執筆に励む。

     1850年(22歳) 処女作の喜劇「麦わらの賭け」が上演され、少しは評判を取るが、「気はきいていても古臭くて、
     現代生活との関係がない」という批評を受ける。

     1851年(23歳) 『空中の悲劇』(Un Drame Dans Les Airs)を出版する。

     1852年(24歳) 『マルティン・パス』(Martin Paz)を出版する。

     1854年(26歳) 『ザカリウス親方(ザカリウス師・老時計師ザカリウス)』(Maitre Zacharius)を出版する。

     1855年(27歳) 『氷のなかの冬ごもり(氷海越冬譚 ・北海の越冬・北極冒険旅行)』(Un Hivernage Dans Les Glaces)を出版する。

     1857年(29歳) 2人の子持ちで、2歳年下の未亡人オノリーヌと結婚する。
     生活のために劇場の書記や株式仲買人の仕事をし、いくつかの戯曲小説を書くが、世間からは認められなかった。

     1859年(31歳) イギリスとスコットランドへ旅行する。

     1861年(33歳) ノルウェーとスカンジナヴィアへ旅行する。

     1863年(35歳) 最初の空想(冒険)科学小説『気球に乗って五週間』(Cinq Semaines En Ballon)を出版すると爆発的な人気を呼び、
     世界各国に翻訳され、一躍世界的な流行作家になる。その後、毎年2冊の割合で次々と空想科学小説を書く。  

     1864年(36歳) 『地底旅行(地底探検)』(Voyage Au Centre De La Terre)を出版する。

     1865年(37歳) <大砲クラブもの>の第一巻『月世界旅行』(原題「地球から月へ」De La Terre A La Lune)を出版する。

     1866年(38歳) 『ハテラス船長の冒険』(Aventures Du Capitaine Hatteras)を出版する。

     1868年(40歳) 『グラント船長の子供たち(大秘境の冒険・難破船)』(Les Enfants Du Capitaine Grant)を出版する。

     1869年(41歳) 『海底二万里』(Vingt Mille Lieues Sous Les Mers)と<大砲クラブもの>の第二巻『月世界旅行』(原題「月を周って」Autour De La Lune)を出版する。
     ジュール・エッツェルと「教育と遊び叢書」を出し始める。

     1871年(43歳) 『動く海上都市(洋上都市)』(Un Ville Flottante)を出版する。

     1873年(45歳) 『八十日間世界一周』(Le Tour Du Monde En Quatre-Vingts Jours)を出版する。

     1874年(46歳) 『神秘の島』(L'Ile Mysterieuse)を出版する。

     1875年(47歳) 『チャンセラー号の筏』(Le Chancellor)を出版する。

     1876年(48歳) 『皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ』(Michel Strogoff)を出版する。

     1877年(49歳) 『黒いダイヤモンド』(Les Indes Noires)と『彗星飛行(彗星に乗って)』(Hector Servadac)を出版する。

     1878年(50歳) 『少年船長の冒険(十五才の冒険船長・十五才の船長)』(Un Capitaine De Quinze Ans)と三部作の第一作『世界大探検物語』を出版する。
     川島忠之助が『八十日間世界一周』を『新説八十日間世界一周』と題して翻訳出版する。これは日本でのヴェルヌ作品の最初の翻訳であり、
     フランス文学最初の翻訳でもあった。

     1879年(51歳) 『インド王妃の遺産(ひみつの科学都市)』(Les Cinq Cents Millions De La Begum)と『必死の逃亡者(シナ人の苦悶)』
     (Les Tribulations D'Un Chinois En Chine)と『ラ・ペルーズの大航海』(La Perouse et les navigateurs francais)を出版する。

     1881年(53歳) 『ジャンガダ』(La Jangada)を出版する。

     1882年(54歳) 『青い怪光線(緑の光線)』(Le Rayon Vert)を出版する。

     1884年(56歳) 『南十字星』(L'Etoile Du Sud)と『エーゲ海燃ゆ』(L'Archipel En Feu)を出版する。

     1885年(57歳) デュマの『モンテ・クリスト伯』(1844~1845年)を基にした冒険小説『アドリア海の復讐(反乱)』(Mathias Sandorf)を出版する。
     デュマとデュマの息子に捧げられている。 

     1886年(58歳) 『征服者ロビュール(空飛ぶ戦艦)』(Robur Le Conquerant)を出版する。
     3月ある日の夕方 帰宅したヴェルヌは家の入り口で甥ガストンにピストルで撃たれる。発射された二発の弾丸の一発は左足に、一発は壁に当たる。
     小説の愛読者で、も可愛がっていた頭のいい青年で、外務省の役人だった甥は、精神病院へ送られる。
     それ以後、旅行も航海もできなくなってしまい、船を売り払って家に引きこもり、小説を書く生活を送る。

     1888年(60歳) 少年冒険小説『十五少年漂流記(二年間の休暇)』(Deux Ans De Vacances)を出版する。
     アミアン市の市会議員に立候補して当選し、市会議員となる。

     1889年(61歳) <大砲クラブもの>の第三巻『地球の危機(地軸変更計画)』(Sans Dessus Dessous)を出版する。

     1892年(64歳) 『カルパチアの城』(Le Chateau Des Carpathes)を出版する。

     1895年(67歳) 『動く人工島(島の秘密)』(L'Ile A Herice)を出版する。

     1896年(68歳) 『悪魔の発明』(Face Au Drapeau)を出版する。
     森田思軒氏が『二年間の休暇』を『十五少年』と題して翻訳出版する。以後は、普通『十五少年漂流記』の題名が使われている。 

     1897年(69歳) エドガー・アラン・ポーの唯一の中編小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(1838年)の続編である
     海洋冒険物語『氷のスフィンクス』(Le Sphinx Des Glaces)を出版する。献辞「エドガー・ポーの記念に わが多くのアメリカの友人に」

     1901年(73歳) 『黄金の流星』(La Chasse Au Meteore)を出版する。

     1903年(75歳) 『地の果ての燈台』(Le Phare Du Bout Du Monde)を出版する。

     1904年(76歳) 『世界の支配者(謎の空中戦艦)』(Maitre Du Monde)を出版する。

     1905年3月24日 以前から苦しんでいた糖尿病のため、パリの北にあるアミアン市で死去、享年77歳。

     1919年 『サハラ砂漠の秘密(砂漠の秘密都市)』(L'Etonnante Aventure De La Mission Barsac)を出版する。

     1994年 『二十世紀のパリ』(Paris Au XXe Siecre)を出版する。

     サイエンス・フィクション(S・F)の元祖、SFの父と言われる。生涯に小説80編以上と戯曲15編を書く。
     初め演劇の世界に熱中していたが、写真家ナダールと知り合い、出版業者ジュール・エッツェルと20年の出版計画を取り交わし、
     作家として歩み始める。勉強熱心な研究家で、博物館や図書館に通い詰め、いつのまにか現代科学の進歩に大きな関心を抱くようになり、
     冒険科学小説の創作を始め、<驚異の旅>シリーズを書き続ける事になる。
     少年時代の夢だった冒険旅行を実現するために、魚釣り用の帆船を買い、サン=ミシェルⅠ号と名付け、乗組員10名のサン=ミシェルⅡ号も
     持ち、作品を書く合間に地中海や北海、バルチック海などへ冒険の航海に出かけたり、汽船グレイト・イースタン号で世界旅行をする。

―――愛している人も、愛していない人も、こうして別れてゆく。ただ、    わたしたちの番が来て去っていくとき、愛される者になるように努めよう。―――
                                    ジュール・ヴェルヌ      参考図書:『十五少年漂流記』倉田清 訳 明治図書出版           『海底二万里』荒川浩充 訳 東京創元社           『地底旅行』窪田般弥 訳 東京創元社
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