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「生きろ」➡「生きねば」へ・・・
宮崎駿監督の最新作、「風立ちぬ」を見てきました。予告を見た限り、たぶん一回見ただけじゃとても分からない深い映画なんだろうな、と結構気張って見てましたが、案外分かりやすくできていました。映像も素直に楽しめましたし、見た後はじんわり、じんわりとくる映画で「たまらねぇ」。一緒に見に行った弟も大満足!〜ここからは勝手な感想〜「もののけ姫」のキャッチコピーは「生きろ」だった。そもそも「生きてる」ってなんだ、「生命」ってなんなんだよっ・・・!という途方も無く大きく、答えの出ないテーマに果敢に挑んだ大作だったように思える。そして何より、死ぬことに対して必死に抵抗する人々、獣たちが生き生きと描かれていた。それに対して「風立ちぬ」は「死も生もあるがままに受け入れよう。」という「受容」がテーマの作品なのかもしれない。「生きねば」は「死」からの抵抗を意味しているのではなく、生も死も受容してこそのメッセージ、なのではないかなぁ。そう考えると、宮崎駿の総決算とも言える作品になってるのではないだろうか。これは、主人公は堀越次郎だけど、宮崎駿自身が見ている「夢」の話なのかもしれない。夢と現実がおり混ざる様子は、北野武監督の「TAKESHI'S」とどこか雰囲気が似ているような気が・・しなくもない。一流のクリエーターはたくさんの二律背反、矛盾を抱えながら作品を創ってるよなぁ。■以下、心に残った台詞(ここから若干ネタバレあり)「女には女の準備があります」➡美しい!宮崎監督は女性に可愛らしさも美しさも強さも求めるよね。(あと幼女性も・・・)「俺たちは武器商人じゃない。ただ美しい飛行機を・・ 以下略)」➡この台詞に監督の込めたいメッセージの全てが集約されている気がした。宮崎駿はアニメーションにひたすら自分の理想を追い求めていただけなのかもしれない。それがいつの間にか評価され、世界中にファンを作り、魅了した。ジブリ自体もいつしか大ブランドとして認知されるようになった。だが、「てめえらに俺の何が分かる!勝手に分かったような評価下してんじゃねぇよ!」というある意味矛盾した、だが純粋な魂の叫びが聞こえてくるようだ。それは追い求めた理想の美しい飛行機が兵器として評価され、活用され、そして勝手に他者からズダズダにされていく。宮崎駿のこれまで作ってきたアニメ作品を次郎の飛行機に投影しているんじゃないかな。ボロボロになった痛々しい機体の数々は、たくさんの視聴者からベシベシと勝手に評価をつけられ、ビジネスの対象とされてしまった過去のジブリ作品を表しているのでは。「呪われた夢」➡これは宮崎駿自身にとってのアニメ作品であるのは間違いない。
だがその呪われた夢がなければ生きてはいけないし、自分にはそれしか無いのだ。宮崎駿は堀越次郎にものすごく共感を抱いたに違いない。「さんざんでした」➡どんなに自分の作品をズタズタにされたとしても、主人公(宮崎駿自身も)、決して泣いたり叫んだりなどはしない。だって「現実を受け入れた大人」だもん。そういう感情を認めて、受け入れてるから「かっこいい大人」なんだよって。「紅の豚」にも通じるところがある。
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DTMがやめられない理由
気が付くと、かれこれもう7年間もDTMをやっている。
DTMなんて作業ゲーであり、課金ゲーであり、
たった一人で部屋に閉じこもってひたすらPCと自分に向き合う、
考えてみると、非常に根暗な趣味である。
ボカロ登場によって少しはDTMも明るみに出た感はあるが、
やはり本質は地味な作業の連続で、インドアなものなのだ。
しかも作るのは音楽だ。曲だ。
ちゃんと聞いてくれるのは友人・知人
くらいなものだし、決して才能にあふれ、実力が高いわけでもなく
自分が作るのはアマチュアクオリティのため、
有名になることも、お金に換金することもできない。
仮に実力があったとしても音楽なんて人それぞれ趣味嗜好もちがう。
がんばったって、質が高くたって、褒めてもらえるわけじゃない。
・・・全くもって報われない。
もっと普通の人が楽んでいる、メジャーで明るい趣味に乗り換えたって
よかったんじゃないか?と思ったこともある。
いや、正直に言おう。過去に何度か、本気でやめたいと思ったことがある。
趣味なんだし、やめたって誰も文句言わない。
・・だけど、どうしてもやめられずここまで来てしまった。
自分がDTMをやめられない理由・・・
それは「サウンドが立つ瞬間」があるからだ。
一生懸命試行錯誤をし、地味な作業を繰り返し、
苦心に苦心を重ねて音を積み上げ続ける。
何時間も悪戦苦闘を続け、
あぁ、もうこの作品も駄作で終わるのか・・・?
と諦めかけても、さらにそこからしつこくしつこく作り続ける。
そうすると、ある瞬間、最後のパズルのピースがはまったかのように、
突然全ての音がピタッと一本にまとまり、
この世に一つだけの輝きが見える状態になる瞬間がやってくる。
サウンドが、立った・・・!
キターーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
これ、この瞬間。
この時に感じる快楽はそんじょそこらの娯楽では
まず味わうことができない。
苦労したから?
カタルシスの開放?
単なる自己満足?
そうかもしれない。
仮にそうであったとしても今はそれどころじゃない。
幸せすぎて死にそうになっている。
自分を満たしている快楽が、日常では決して味わえないレベルのものになっている。
はやく、はやく完成系が見たい、聞きたくてしかたない。
作り手である自分自身が、その作品の最初のファンになる。
この瞬間があるから、どーしてもDTMをやめられない。
究極の自己満足を追及すること。
それこそが趣味というものなのだろう。
・・・ちなみに「この瞬間」を迎えられるのは5曲中1曲位の割合である。
残り4曲は、完成しないまま、終わる。 -
テンプレ的な「学園モノ」のラノベ、ゲーム、アニメについて1時間かけて考えてみたこと
学園・・・これほどまでに視聴者に説明が不要で、作者もイベントを考える必要が無くストーリー作りに適した世界観は無いだろう。誰しもが色んな思いを馳せずにはいられない世界「学園」を舞台にしたゲーム、アニメ、ラノベは数知れず・・・ここからは独断と偏見で学園を舞台にしたアニメやゲーム、ラノベに見られる共通点についてタラタラと考えていきたい。まずはテンプレ的なラノベ原作のアニメ作品によく見られる設定を考えてみた。※あくまで自分の感想です。<よく見られる設定>・主人公(男)は凡人。周りに馴染めない、どこか斜に構えている場合が多い。・一人だけ心を許せる同性の友人がいる。・メインヒロインは高スペック、もしくは何らかの特殊能力を最初から持っている。・ヒロインと出会った主人公は、ヒロインに強引に仲間にさせられる。・部活を作る(目的はよく分からんことが多い)・仲間が集まる。(最終的に4〜6名くらいに)・夏に合宿を行う。(ほとんどの場合、海に行くことになる)・大会やイベントに参加する。・イベントをいくつかこなす中、1人ずつ、仲間たちの過去が明らかになっていく。・仲間たちの葛藤、衝突を乗り越え、主人公やヒロインが成長していくざっと思いついた分だけ書いてみたが、大体こんな感じだと思う。まず、主人公は冴えない男!凡人で無能で、基本は何もできないキャラでなくてはならない。なぜなら、この主人公は、読者、視聴者を投影しているからだ。(バトルアニメの作品によっては、主人公が突如覚醒し、何らかの能力に目覚める時もあるが、それは本筋に絡ませるため&男子の密かな欲望を具現化したものとも言える。)基本、ラノベの主人公は無力でなくてはならないのだ!ただし、本当にただ何もしないのでは無い。ヒロインがピンチになったり情緒不安定になった時にはいきなりかっこ良く見せ場を作り、ヒロインを励ます。ヒロインの精神的な支柱となることで、主人公自身の存在意義を保つのだ。※主人公の理解者である「友人キャラ」!これも重要である。主人公が完全に孤立している作品もあるが、友人キャラが1人だけいることで、周りに媚びず、かつ主人公はコミュ障でない、「あえて俺は一人でいるのが好きなんだ」「周りに合わせるのは好きじゃない」という「正当性」を持たせることに成功している。それに対比するかのように、ヒロインは高スペックであり、容姿端麗、性格も良く・・・となると王道エロゲ的シナリオとなる。ところがラノベだと、高スペック、容姿端麗だが、性格がねじ曲がっているヒロインが多い。なぜか。性格が良いと、イベントを起こしにくくなるからだ。考えてみて欲しい。凡人の主人公に性格の良いヒロイン。これではどう考えても「面白い」話は作りにくい。性格がねじ曲がったヒロインに、凡人である主人公が巻き込まれる、という形の方がずっといろんなイベントを起こしやすくなる。※エロゲだと、主人公が積極的に「行動」し、ヒロインを攻略する形になるため、ヒロインを無理に動かす必要はないのだ!だからちょっと昔のエロゲのメインヒロインは性格が良いお嬢様タイプが多かったりする。正当派ヒロインというやつだ。※ラノベの場合「巻き込まれる」というのが非常に重要な要素だと思う。凡人が事件に参加したり、行動したりするには「巻き込まれる」しかないのだから。自分から行動するようでは、ラノベの主人公とは言えない。少年漫画になってしまう。そうなると自然とプロットは決まる。特に目的も無くだらだらと生活を送っていた主人公、友人とだべっている。➡そこに突如転校生(もしくは空、異世界から降ってきた少女)がやってくる!➡その転校生は性格が破綻しており、しかもなぜか主人公を気に入る。➡「一緒に○○やろう!」と強引にせがまれる。➡巻き込まれる形で仲間集めへ・・・。➡仲間が集まったら合宿へ(もしくは大会、イベントなどへ出場)※「すごいよ!!マサルさん」も確かこんな感じだったはず。凡人のフーミンが変態マスターであるマサルさんと出会い、仲間を集めてセクシーコマンドー部、通称ヒゲ部を作ったかのように・・・。このプロットはキャラクターをしっかり決めておけば勝手にイベントが起きて、それなりに面白くなってしまうというコード進行でいえば「王道進行」のように美味しいものである。が、さすがにこのパターン、もう飽和状態に来てるのではないか。多すぎではないか。と、数年前辺りから気づくようになった。もちろん応用は可能であり、主人公を女にしたり、非現実的な設定やバトル要素を加えたり、はたまたイベント自体をゆるーくして日常系にしたり・・・いろいろバリエーションを増やそうとしているのは分かるが・・分かるんだが・・・!!!さすがにそろそろもうひと工夫欲しいぞ!!!!と言いたい所だが、正直、このテンプレから大きく外れると、
別ジャンルになってしまうことがほとんどであることもまた事実。
王道かつ斬新なものって、かなり難しいよね。
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