長崎県の大崎高校が2020年の九州大会でベスト4まで勝ち上がり、春夏通じて初の甲子園出場を確実にしています。
その大崎高校を率いているのが、2018年4月に監督に就任した清水央彦さんです。
名前の「清水央彦」は“しみず あきひこ”と読みます。
清水央彦さんが初めて大崎高校に来た時には、野球部はわずか5人で廃部寸前でした。
そこから、わずか2年ちょっとで甲子園出場まで導いた清水央彦さんとは、いったいどんな人物なのでしょうか?
清水央彦のプロフィール
名前:清水央彦(しみず あきひこ)
生年月日:1971年生まれ
出身:長崎県
選手経歴:佐世保商業
指導経歴:北松南高校(清峰高校)→佐世保実業→大崎高校
清水央彦の現役時代
高校時代、清水央彦さんは佐世保商業で野球をされていました。
甲子園出場はなし。
1学年上には清峰高校で監督、コーチ兼部長としてコンビを組む吉田洸二さん(現・山梨学院監督)がいました。
清水央彦の清峰高校時代
清水央彦さんは通信制の大学で教員の免許を取得。
その後、北松南高校の監督に就任した吉田洸二さんに請われて、2001年から北松南高校の部長兼コーチに就任しました。
※北松南高校は2003年に清峰高校に改称。
清水央彦さんは吉田さんとともに二人三脚で当時は弱小校だった清峰高校を強豪校に変えていきます。
この辺りは現在の大崎高校と非常に似たものがありますね。
清峰高校では甲子園に春夏合わせて、4度出場。
清峰高校は2009年のセンバツでは今村猛投手(現・広島)を擁して、長崎県勢初の優勝を達成しています。
今村投手が甲子園で優勝するほどのピッチャーに成長できたのには、清水央彦さんの存在が大きかったと言います。
しかし、実は清峰高校が甲子園で優勝した前年に清水央彦さんは清峰高校を去っていました。
理由は後述。
清水央彦の佐世保実業時代
清水央彦さんは2009年夏から佐世保実業の監督に就任。
佐世保実業でも指導者としての実力をいかんなく発揮し、2012年、2013年に連続して夏の甲子園に出場しています。
清水央彦の不祥事
清水央彦さんは、2013年の10月に、部員に暴力を教唆した上、「練習中の事故」と虚偽報告したとして、高野連から無期謹慎という非常に重い処分を受けています。
監督は昨年8月、当時1年の部員が退部を申し出たため、引退した3年の元部員に「殴ってでも引き留めろ」と指示。1年の部員は顔を殴られ、骨折の重傷を負って入院したが「練習で球が当たった」と報告していた。
産経ニュース
理由はどうであり、部員に暴力をするように仕向けて怪我をさせ、そのことを1年以上隠していたことが悪質と判断されたんでしょうね。
その間に甲子園にも出場していますし。
実は清水央彦さんが前任校の清峰高校を辞めた理由も、
野球部品を粗末に扱った野球部以外の生徒を殴り、高野連から処分を受けたことが原因でした。
清水央彦さんは2008年の夏甲子園の後、前任の吉田監督の勇退を受け、一度は清峰高校の監督に就任していました。
しかし、その直後に暴力事件を起こしてしまい、監督を辞任。
吉田さんが再び監督に就任するという経緯がありました。
もし、この時、暴力事件を起こしていなかったら、2009年センバツの優勝監督は清水央彦さんがなっていたかもしれません。
とてももったいないことをしましたね。
清水央彦の大崎高校時代
その後、2016年の3月に無期限の謹慎処分が解除されます。
清水央彦さんは2017年の秋に外部コーチとして大崎高校に赴任します。
当時の野球部員は1、2年合わせて5人しかおらず、合同チームを組まないと試合ができない状態でした。
2018年の春に正式に大崎高校の監督に就任。
2019年秋の長崎県大会で優勝!
この時は九州大会では初戦で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。
それでも、2020年夏の長崎県独自大会でも優勝!
さらに2020年秋の長崎県大会でも優勝!
九州大会でもベスト4に入り(11/4時点)、甲子園出場を確実としています。
部員が5人しかいない状態から、3年足らずで、県大会3季連続優勝はすごすぎますね!
清水央彦のまとめ
清水央彦さんの指導者としての実力は超一流です。
過去2回の前任校では、残念な辞められ方をしていますが、
大崎高校では部員や島民の人たちを悲しませるようなことは起こさないとを信じたいと思いますね。
清水央彦さんの指導法について詳しく知りたい方は、こちらの本がお勧めです。