77 啓示
77
王子達ノルン王国軍に付き従って王都へと帰る道すがら、俺は奇妙な光を見た。
その光を見たのは満月の真夜中、場所は緑美しい森の中にある湖のほとりだった。
それはとても神秘的な輝きだった。湖の上に現れた球体から発せられた光は、周囲の景色と交じり合い、思わず見とれてしまう様な光景だった。
だが、残念ながら俺には警戒心しか沸いてこず、慌ててその光から逃れようと【ダッシュ】を発動させて湖から離れた。
しかし、俺の動きをあざ笑うように、光はあっという間に輝きを増した。次の瞬間、俺は光に包み込まれていた。
……
「っち。なんなんだよ……」
とりあえず短剣を取り出し構え、周囲を警戒する。辺りを漂っていた水辺の匂いが一切無くなっていた。先ほどまで居た湖のほとりとは、別の場所に飛ばされてしまったようだ。
周囲一面真っ白で、何も見えない――というか何も無いだだっ広い空間。そんな場所だ。やがて、白の一面の背景から抜け出るように、ある男が現れた。
「……っは。お前か」
そこのいたのは長い銀髪とあごひげ持った壮年の男――王子の元に居た伝説の語り部ディオンだった。男が厳かな口調で言う。
「クーカイ。まずは手荒な招待になってしまった事を詫びよう」
「やっぱりお前。ただの語り部なんかじゃなかったんだな」
ディオンはいつもの薄汚れたローブではなく、光り輝く法衣に身を包み、荘厳な杖を持った、別人のような姿だった。銀髪と長く伸ばした銀髭から、かろうじてディオンである事が窺えるほどだ。
「途中から怪しいとは思っていた。【沼人間】の話を知っているのはまだしも、中身の
「それは慧眼だ。その通り、我は
「……!?」
なんだって? 主神オーディン? それって、
危うく声を挙げて驚きかけてしまった。こいつは思ったよりも大物だ。一体、何だっていうんだ。
「っは。オーディン様が、こんな夜中に何の用事だ? 啓示なら、あんまし興味は無いぜ」
「なに。クーカイよ。我と闘ってもらうだけだ」
「そうか、闘うだけか……って?」
オーディンが手に持った杖を天高く掲げる。それはみるみる光を帯び、美しい文様が浮かび上がる強大な槍へと姿を変えた。現れた光の槍を、オーディンが両手で構える。
「ちょ、ちょっと待て」
「行くぞ」
次の瞬間ディオン――いや主神オーディンは、作り出した光の槍を手に突進を繰り出した。鋭く輝く穂先が迫る。
素早く横に飛び退き、その猪突をかわす。あんなもん短剣なんかで受けきれるわけが無い。
「オーディン! せめて理由を教えろ。戦う理由が分からん」
「……」
攻撃の手は緩められなかった。オーディンは無言のまま左手をかざすと、その掌から無数の光の矢を打ち出した。【光術】の基本魔術【ライトアロー】だ。
まさに千の矢だった。隙間無く打ち出された無数の光の矢を回避するため、バックステップしながら一つずつ弾き飛ばしていく。弾く面積を絞る事で、なんとか数本の矢を体に喰らうだけに留める。
しかし光の矢に気を取られたその隙に、オーディンは俺との間合いを一気に詰めていた。光の槍が真横から振り抜かれ、ガードも間に合わず、もろにそれを受ける。
「ぐあぁ!」
胴体を、真横に真っ二つにされたように感じた。だが実際は鈍い衝撃が横っ腹に響き、そのまま大きく吹き飛ばされるだけだった。どうやら、槍の柄で殴打されたようだ。
横っ腹を押さえ頭を垂れる俺に向け、オーディンはゆっくりと歩を進めていた。
ダメージは深刻だ。ごっそりと持っていかれたHPバーを見て、絶望的な戦闘力の差を思い知る。
やばい。どう考えても勝てる気がしない。ただでさえタイマンには自信が無いのに。こんな強化版王子みたいな奴にどうやって勝てっていうんだ。
仕方が無い。
懐に手を入れ【空術】【シフト】がエンチャントされた魔石を取り出す。そして素早くそれを砕いた。一気に適当な街まで飛ぶ魂胆だ。
しかし思惑は空振りに終わった。【シフト】が発動しなかったのだ。封じ込まれた魔力が拡散するように、砕いた魔石からは空色の粒子が飛び散るだけだった。
「な……」
「無駄だ。魔石に封じられた魔術は、この空間では無効である」
オーディンは光の槍を肩に担ぎ、余裕げに言った。その言葉は俺をさらに窮地に追い込む。魔石に封じられた魔術が使えない――それはつまり、奥の手の【ポーズ】や【リワインド】まで使えないという事だ。じゃあ、どうしろって言うんだよ……
「まったく。こんな年端も行かぬ小童に、
「なんだと……?」
「戦え、異世界人。反撃せずに死ぬ気か?」
言葉の真意はよくわからない。だが、魔石が使用不能というのは、どう考えても絶望的だ。周囲を見渡しても、何処までも白い空間が広がっているだけで出口は無さそうだし。
どうやらやるしかない。覚悟を決めるしかない。だが、真面目にやっても勝ち目は薄い。ここは捨て身覚悟で、狙って行くしかないだろう。
「後悔するなよ」
最後の強がりで自分を奮い立たせると、俺は猛然とオーディンへ向かって【ダッシュ】を発動した。
鍛え上げた【ダッシュ】スキルによる高速移動で一気に距離を詰めると、敵の間合いに入りこむ。迎え撃つオーディンの光の槍をかわすと、そのまま背後へと回りこみ、すれ違い様にオーディンの肩口を切り裂いた――
「ちっ」
金属を裂いたような手応え――感触がおかしい。よく見るとオーディンの周囲に散らばっていた光の粒子が移動し、斬撃を加えた箇所を保護するように結集していた。どうやら、攻撃に対して自動的に反応するタイプの魔術のようだ。
深く考察する間もなく、反撃とばかりに振り回わされるオーディンの槍――今度は地を這うようにしゃがむ事でその凶刃を避け、続けて大きく飛び上がり、オーディンの心臓に向けて短剣を突き上げた。
オーディンの光の粒子がうごめく――自動防御ならば弾かれてしまうだろう。だが、これでダメージが通らないならば、もはや俺にはこの神に攻撃を与える手段など存在しない。
そうなれば、ジリ貧は免れない。最初で最後の一撃だ。
「うおぉぉぉ!」
短剣がオーディンの体へ迫る。瞬間、光の衣が道をあけるように拡散するのが目に入った。
そして刃はオーディンの左胸――心臓のある箇所に深く、深く突き刺さった。短剣が肉に食い込む感触が手に伝わる。
手応えあり……だと?
「……見事だ」
オーディンは俺の肩をやさしく掴んだ。続けて柔和な笑顔を見せると、次の瞬間口から大量の血を吐き出した。
血を正面から浴び、視界が赤く染まる。
そんなばかな――突き刺したはずの俺が信じられない。今のはどう考えても、オーディン――こいつが自分から、攻撃を喰らいに行きやがった。
「どういう事だ! 答えろオーディン!」
「ふふ……取り乱すな――異世界人よ」
オーディンは自ら心臓に刺さった短剣を引き抜くと、丁寧に刃を持ってそれを俺に手渡した。攻撃を喰らった事で現れたオーディンのHPバーは、なぜか一撃でそのすべて失っていた。
「クーカイ。貴様に託したぞ……」
「何を……だ……」
オーディンが再び苦しそうに血を吐く、見るからに瀕死な状態だった。
「オーディン! 説明しやがれ! ふざけんじゃねーぞ」
声を荒らげてオーディンに迫る。意味が分からない。何が目的なんだ、くそが。
そしてオーディンは最後の力を振り絞るように言った。
「我はもう死ぬ。貴様は我――神々の主神たるオーディンを殺した事で【神殺し】の力を得るだろう。それを用いて"奴"を倒し、
【神殺し】? "奴"? 何を言っているんだ、こいつは。
「頼んだぞ……」
オーディンは、最後にそう呟くと、光の粒子となって砕け散った。
……
周囲の空間が、元の湖畔へと塗り替えられる。先ほどまでの戦闘が嘘のように、真夜中の湖は満月の光の下、湖はのどかに水面を揺らしていた。
しばらく呆然と立ち尽くし、やがて先ほどのオーディンとのやり取りを思い出す――ステータスを確認すると、そこには新しいスキルを習得した事を示すメッセージが表示されていた。
【神殺し】
神の称号を持つ相手を殺す事が可能となる。
なんだこれは……
今、このスキルを覚える前に
オーディンの言葉は何度思い返しても、意味が分からない。一方的すぎて、情報が少なすぎる。
「ふざけんな!!」
腹の底から搾り出した大声が、空しく月明かりの夜に吸い込まれていった。
【神殺し】
神の称号を持つ相手を殺す事が可能となる。