ただ、番組批判がまるでLGBTQの人たちの総意であるかのような言説は事実ではない。しかし、日常生活でマイノリティと接することのない人たちは、自分たちの思い込みが絶対的な正義だと信じやすい。その思い込みが、マイノリティのコミュニティを壊すこともある。僕が今回伝えたいのは、その危険性だ。その典型的な例が、小人プロレスだろう。これはいわゆる低身長症の人たちによるプロレスで、昔はテレビでも放送されていた。しかし「差別だ」と人権団体が抗議。テレビでも放送できなくなり、やがて団体も消滅した。そのことでレスラーたちは職を失った。そして、自分たちの居場所を失った。
体が小さいと差別され、どこにも居場所がなかった人たちが、プロレスをやることでメシが食え、酒も飲め、リングに上がれば人々の喝采も受け、テレビにも出演できる。当時の小人プロレスは、女子プロレスの前座でもあったから、若い女の子たちと寝食を共にし、全国を巡業して回る。小人レスラーにとっては、そこは幸せなコミュニティであったはずだ。それを、人権団体の「差別だ」という、当事者の意見を無視した「自分たちが考える正義」が壊してしまったのだ。
この事例に限らず、日本の各種支援団体は本当に当事者の幸せを考えているのか、自分たちの価値観を押しつけているだけではないか、と思うことが多い。ホームレス支援に関しても、日本の支援団体の多くは、ホームレスの社会復帰を目標とする。ホームレスを「卒業」させようとする。社会もそのような活動を賞賛する。もちろん、社会復帰したいホームレスの人にとっては、そうした支援が必要だ。
しかし、ホームレスの中には、ホームレスのコミュニティの中でハッピーを感じている人もいるのだ。だから、たとえばイギリスのホームレス支援の団体などは、ホームレスがホームレスのままハッピーに生きていける支援を提供したりする。ホームレスコミュニティを壊そうとはしない。また、ホームレス自身も、ホームレスである自分に自尊心を持って生きている。卒業を強いられる日本のホームレスと、自尊心を尊重されるイギリスのホームレス。僕はやはり、イギリスのほうが成熟していると思う。
LGBTQの話に戻すと、LGBTQ支援においても、大事なことはコミュニティを壊さないことだ。前述のA氏は、「今回の件で、LGBTQはめんどくせーやつらだとか思われるのが一番怖い」と言う。B氏も「関係ない人たちがワイワイ騒いでいるイメージがある」と言う。抗議活動をしている人たちはLGBTQのためにやっているつもりだろうが、このように感じている当事者もいることを理解すべきだ。そうでなければ、支援しているつもりのマイノリティのコミュニティに亀裂を生み、最悪の場合はコミュニティを壊してしまうこともある。
もちろん、差別に対する抗議行動を否定するわけではない。ただ、当事者でもない人間が「LGBTQはみんなこうだ」という前提でものを言うのは危険だ、ということだ。当事者にもいろいろな意見があることを知ったうえでの批判であれば、それはまた違った空気感を醸せるだろうし、なによりも当事者が「この人は分かって言っているな」と思えるだろう。そうした「分かってる」感が、マイノリティ支援には必要だ。なぜなら、人は他人に対して理解を求めるものだからだ。
だからまずは、マイノリティと日常的に接してほしい。つまり、友達になれということだ。LGBTQの友達が一人もいないし、作ろうともしていない人に、LGBTQのことは分からない。障害者の友達が一人もいない、作ろうともしない人に、障害者のことはわかるはずもない。ネットやメディアで分かることなど、たかが知れている。そして、日常の中で彼ら、彼女たちと付き合ってみれば、マスメディアが伝えるイメージとはまた違ったなにかを理解することもできるし、マイノリティも一人ひとりが違う人間だという当たり前のことも分かる。誰もがそのようなことを「肌で感じる」ことから、差別はなくなるのだと思う。