踊り子物語




 村下さんの名作「踊り子」にまつわるエピソードをいくつかお話させていただきますね。思い出したり何か古いテープなどから新しい話題が見つかれば随時追加していきます。


珍しいアクシデント


 1992年(平成4年)12月10日、大阪厚生年金会館大ホールでのコンサートではこの曲をバンド編成で歌われたのですが、途中村下さんの歌が止まってしまいました。歌っている途中で口にほこりか何かが入ったようでした。
 何度か村下さんのコンサートには行きましたが、こうしたアクシデントや歌の間違い等はほとんど見当たらなかっただけにとても印象的でした。
 しかし、ある方から村下さんがFMラジオの番組で演奏している音源を頂いたのですが、その中でこの「踊り子」を弾き語りされていたものは珍しいことに歌詞が間違えておりました。何もなかったように歌われておりましたから、この音源を頂いた方も気づいておられませんでした。




盗作なの?


 なにわのモーツワルト・キダタローさんがラジオ番組をされてたころ、その番組にリスナーさんからあるハガキが届いたのです。
 "村下孝蔵さんの「踊り子」の「つま先で立ったまま・・・」の部分は、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」の「追いかけて、追いかけて・・・」のフレーズとメロディーがまったく同じようですが、盗作ではないのですか?"というものでした。
 これに対して、キダタローさんは、村下さんの音楽性を高く評価しておられましたし、「確かに似てはいますが、村下君が自分のものとして完成させているから、これはこれで問題ありません。」というようなお話をされ、「踊り子」を絶賛されておりました。
 ちなみに、キダタローさんは、別のインタビューの機会に、村下さんのお顔をご覧になり、フットボールみたいだとか、ファイティング原田さんに似ているとかおっしゃってました。




病室の「踊り子」


 村下さんが「かざぐるま」を出されたころ(昭和61年)、ラジオ番組のインタビューの中でおっしゃってたことなんですが、それ以前のある期間、村下さんは肝炎か何かで入院されてたことがあったのです。
 その入院している間でも同じ病室の患者さんの前でギターを弾いて「踊り子」を歌ったとかいうお話でした。
 病室にまでギターがあるなんていかにも村下さんらしいですよね。




作曲依頼


 タレントの柳葉敏郎さんは、カラオケで尾崎豊さんの歌をよく歌われていたそうなんですが、村下さんの「踊り子」もよく歌われていたそうです。それで村下さんに「僕にも『踊り子』のような曲を作ってくださいよ。」とお願いされたそうです。
 村下さんは快くお受けになり、たまたま柳葉さんのマネージャーさんと村下さんのマネージャーさんとが仲がよかったこともあって、話がとんとん拍子で進み、作られた曲が「あなた踊りませんか」なのです。
 その作られた曲はタンゴ調で「踊り子」と少しイメージは異なりますが、とても大人の雰囲気のある素晴らしい曲です。でも、「踊り」という部分をそのまま持ってくるところが微笑ましいですよね。
 そして、村下さんは柳葉さんから「また一緒に飲みに行きましょう!」とお誘いを受けたそうなのですが、柳葉さんの酒癖の悪さを聞いてたものですから、躊躇されていると、この話をライブで聞かせていただいた時点では頭をかかえておられましたね。




つるべさんのマネージャー


 「愛されるために」というアルバムが発売された1994年のことだったと思います。笑福亭鶴瓶さんの大阪でのラジオ番組に出演された時のことです。
 鶴瓶さんはゲストにフォークシンガーをお呼びした時は、ギターで歌ってもらうのがお好きで、その日も番組の冒頭から村下さんにオリジナル曲を歌ってもらっておりました。
 「愛されるために」が発売されてまもないころだったでしょうか、そのアルバムの中からいくつか歌われていましたね。
 そして、番組の中ほどで、鶴瓶さんのマネージャーさんが紹介されたのです。
 その方は、昔、名前で有名になった演歌歌手の段田男(だんだだん)さんの弟さんで、村下さんの歌がたいへんお好きだと紹介されたのでした。
 そして村下さんの前で「踊り子」を歌いたいとのこと、なんと村下さんがギター伴奏されて、そのマネージャーさんは「踊り子」を歌われたのでした。
 とても堅い印象の方で、さらに緊張されているのか、歌っておられても堅い感じで、声の高いところではやや苦しそうに歌われてましたね。







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