こんにちは。
むすび大学ナビゲーターのこがみのりです。
「原爆」というと、広島は「原爆ドーム」、長崎は「平和祈念像」が有名ですが、長崎には、原爆の爆風に耐えてなお、残った鳥居があると聞きました。それは本当なんでしょうか?
長崎の原爆に耐え、残った奇跡の鳥居
本当なんです。
長崎に、山王権現(さんのうごんげん)という権現様がございます。
原爆投下直後の写真が残っていますが、
この権現様の神社の鳥居の周りは、すべて瓦礫(がれき)の山です。
つまり、周りの建物は、原爆が落とされた瞬間に、
みんな壊れてしまったけれど、鳥居だけはきちんとそのままの形で残った、ということです。
残った鳥居はふたつ、『一の鳥居』と『二の鳥居』です。
写真をご覧いただくと、
画面の、ちょうど鳥居の真ん中のところに、もうひとつ、半分だけ残っている鳥居が見えていますが、これが『二の鳥居』です。
『二の鳥居』の半分は、爆風によって吹き飛んでしまいました。
-スパッときれいに切れていますね…
ところが『一の鳥居』は、驚くほどきれいな状態で残っています。
これね、原爆ですよ。
原爆が真上で炸裂(さくれつ)して、鳥居がそのまま残るって、すごいと思いませんか?
-すごいですね。
ところが・・・
この原爆にさえ耐えた鳥居が、今、無いんですよ。
-原爆の時には残っていた鳥居が、今はないのですか?神社は残っているんですよね。
はい、神社はそこにあります。
その『二の鳥居』の
半分だけ(原爆に耐えて)生き残った鳥居も、残っています。
しかし、『一の鳥居』だけが、
あの、原爆にさえ耐えた鳥居だけが、今はないんです。
-都市開発などで無くなってしまったというですか?
いいえ。
これがですね、終戦から17年後になりますから、昭和37年、
つまり昭和39年の東京オリンピックの2年前の話になりますが、
運送会社のトラックが、突然鳥居に衝突してきて、鳥居を根こそぎ倒して、
そのまま、鳥居はどこかに持ち去られてしまったのです。
えっ、運送会社のトラックが鳥居に突っ込んだ?事故ではなくて?
はい、事故ではありません。
突然、トラックが衝突してきて鳥居を倒し、
「おい、積み込め!」と荷台に積み込んで、
そのままどこかに行ってしまって、
未だに、その鳥居は発見されていない。
だから、今はもう、ないんです。
今あるのは… 『二の鳥居』だけ。
-原爆によって半分に割れてしまった鳥居”だけ”が残っている…。
それって、おかしな話ですね。
そうですね。
東京オリンピックの開催が決まって、
日本が「今こそ、元気を取り戻そう!」となった時に、
実は、あまり元気を取り戻してもらいたくない人たちがいた。
その人たちが、倒したんじゃないかと言われていますけれど、真相は未だにわかりません。
-確かに、その鳥居がふたつともあったら、
『原爆にも耐えた』という記憶がパッと出てくると思うんですけど、
耐えた方の鳥居がなくなっていて、半分だけの鳥居が残っていると、
『原爆の傷跡』というイメージが残りますよね。
そうなんです。
その鳥居が「残った」神社の長崎山王権現、
この御祭神(ごさいしん)というのがですね、
大国主命(おおくにぬしのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
大歳命(おおとしのみこと)
全部、国津神(くにつかみ)なんです。
天津神(あまつかみ)ではなくて国津神。つまり、元々日本にいた古い神々ですよね。
この神様が、原爆が炸裂しても、
「俺たちは日本を守るんだ!」と言って踏ん張ってくれたという、鳥居なんです。
あれだけの爆風の中を、しっかりと耐えてくれた。
物理的に言うと、鳥居って、足が地面に埋まっているのではなくて、
地面の上に石を置いて、その石の真ん中に穴を開けて、そこに鳥居の足を挿(さ)してあるだけなので、爆風が起こった時に、“フニャーン、フニャーン“としなって、なんとか爆風をやりすごすことができた。
この理論によって、「偶然、鳥居が残ったんだ。」という風に言われるのですが、
『二の鳥居』は、半分になっているわけでしょう?
「『一の鳥居』は全部無事に残った」というのは、
やはり、何か「日本には神様がいるんだ」というひとつの証明、のような感じがありますよね。
-大国主命(おおくにぬしのみこと)ということで、
「みんなの荷物を持って遅れながらも、たとえ一番最後だとしても、運んで追いついて行く。」という神話があります。
「いろんな人の荷物を、持って、ついて行って、それでもやっぱり、ひとつの神様として大成していく、という神様」ということを考えると、
確かに、「原爆を落とされる」ということは、辛いことだと思いますが、そもそも大東亜戦争というのは様々な歪み(ひずみ)の結果、起こった戦争であり、天皇陛下も含め、もちろん、やりたいわけではなかったけれど、
「どうしても、ここでやらなければならなかった」という、様々な事情があり、世界の荷物、様々な人の心・思い(荷物)を背負って、それで、遅れてでも後からついて行くという姿が、
「大東亜戦争が終わった。そして、戦後の復興をする時には、世界に遅れながらでもやっていった。そしてついに、最終的には追いついた。」という日本が歩んできた物語と、
「原爆が落とされたけれど、耐え残った鳥居の神様が”大国主命だった”ということを聞くと、本当に、心から、『ありがとう。』って思えます。
『一の鳥居』を持って行かれてしまったことは、辛いことですし、色々な感情が込み上がってきます。でも、その感情さえ、背負って行ってくれる神様が祭られている神社で、この奇跡が起こったというのは、神様からのメッセージのような気がします。
よくぞ、それをおっしゃっていただいた!
もう、まさに我が意を得たり、です。
全ての重たい荷物を背負って、八十神(やそがみ)の荷物を背負って、苦しい思いをして、でも、最後には大いなる国を築いていく。
そのような神様が、原爆が炸裂した時に、しっかりと守ってくださった。
この鳥居は、まさに、その象徴だったと思うんですよね。
でも、それを壊してしまった日本ってなんなの、ってね…。
-そこも含めて背負っていく、ということでしょうか。
そう、我々が背負って、
「日本を、かっこよく!」していこう、ということじゃないかなと思います。
ということで、
不思議な力というか、神様の力が働いたとしか思えない「奇跡の鳥居」が残った、長崎の神社の話をお話いただきました。
小名木先生、ありがとうございました。
ありがとうございました!