夕飯の時、とあるアーティストの苦労話になった。
そこで母親がこんなことを言ってきた。
「いつまでもぬるま湯に浸ってないで、そろそろ頑張りなよ」
ああ、この人は精神疾患を何ら理解していないとすぐにわかった。
僕は
「はい」
と目も合わさず言った。
真顔で、感情を出さず、機械のように。
苦労しなきゃいけないのなら死んでやる、と思った。
心の病みは当事者にしか理解できない
健常者に障害者の気持ちは理解できない。
精神疾患に関する知識を持っていても、実際に当事者となって同じ苦しみを痛感しない限り、根性論の根付いた考えは覆せない。
僕が自殺した後に親は「気づいてあげられなくてごめんね。なんで言ってくれなかったの?」なんて抜かすと思う。
悩みを打ち明けたところで「頑張ろう」で終わるだろ。
たまに悩み事があるのか聞いてくるけど、それがわかってるから言わないんだよ。
僕がどれだけ悩み、もがき苦しんでるか理解しないで、表面的にしか受け止めない。
死んで初めて理解する。
そんなに追い詰められていたのかって。
生きてる間はそれに気づかず、努力不足の怠け者だって見做してたくせにね。
心の病は誰にも理解されることはなくて、一度患えば死ぬまで孤独にのたうち回ることが宿命づけられてるんだ。
親から虐待を受けていたことに気づいた
思えば、幼い頃から僕は、両親から精神的な虐待を受けていた。
僕は生まれてこの方、自分の部屋を与えられてこなかった。
思春期の子供に自室を与えないことは立派な虐待だ。
年頃の男の子なら誰でも抱くであろう欲求を満たすためには、親の目の届かない空間が必要なのだ。
それなのに、僕には一切のプライバシーがなくて叶わなかった。
家族喧嘩したとき、部屋に籠って距離を置くことができなくて、逃げ場のない僕の精神は異常な形に捩じれた。
僕は昔から、叱られたり不都合なことが起きると、不貞腐れてその場で固まる性質を持っていた。
それは親にだけでなく、習い事や学校の先生に対しても発揮された。
僕や周りの人を悩ますこの行動は、生まれつきの問題ではなくて、一時的に自分の部屋に避難して、思考を整理し解決方法を模索する猶予を与えられなかったことが原因かもしれない。
常にパーソナルスペースを不法侵入され、適切に精神を育めなかったのだ。
最近ようやく部屋をもらったが、それでも音は筒抜けだし、何をやるにも親の目が気になって踏み出せないことが多い。
例えば電話を掛けるとき、聞かれたくないから雑音まみれの外でしないといけない。
バイトでweb面接ができるところがあっても、その様子を見られたくないから断念せざるを得ない。
意を決して頑張ろうと思っても尽く制約を受ける。
こんな状況でまともに生きていけるわけがない。
また、何か役割を持たなければいけないという強迫観念を植え付けられた。
運動会の応援団に入れと言われたり、習い事をさせられたり、何かをやっていないとダメだった。
そのせいで中学の時、変な義務感に駆られてわざわざ委員会に立候補して、嫌われ者の僕は多数決でボロ負けした。
相手は頭が悪くてどんくさい奴で、まともな人だったらまず間違いなく負けることはないだろうに、僕は負けた。
見下していた人間よりも下だったのだ。
恥をかいたのに得られるものは何もなくて、己の価値の低さを思い知らされただけだった。
クラスの出し物を台無しにしてしまったこともある。
自分に見合った役をやっていれば、みんなに迷惑をかけることはなく、黒歴史を作ることもなかった。
地味だけど平穏で慎ましやかな学校生活を送れたはずなのに。
親によって本当に自分のやりたいことを考え、それに向き合うことができなかったし、やりたくもないことばかりさせられるから生きづらくて仕方なかった。
さらには、もともと太りやすい体質の上に、毎日のように大量の飯を食べさせられていた。
それにより骨の周りに必要以上の肉がまとわりつき、デブ一家の一角を担っていた。
同級生に「デブ」と言われた回数は数え切れない。
水泳の授業の時、プールサイドに腰かけていたら、隣の男女が僕のお腹を見た後、目配せして笑った。
僕の腹が四段腹になっていたからだ。
すぐに水中に潜って、顔を水浸しにした。
目から溢れ出した滴を隠すために。
組体操の時、本来なら僕はチビだから、下の人に支えられて上でポーズをとるはずだった。
しかしあまりに重くて、クラスで僕のことを持ち上げられる人が一人もおらず、やむを得ず下で支える土台の役になった。
先生の指示で、僕のことを持てるかどうか、次々とたらい回しされたことを覚えている。
運動会で僕みたいなチビが、なぜ上ではなく下で支える役をやっているのか、保護者の人たちはさぞ不思議に思っただろう。
生まれてからずっと、こんな惨めな思いをしてきたから、幼いながら僕の自尊心は傷だらけだった。
呪いの言葉
親から常に、普通であることを求められてきた。
我が子が人と同じように生きられるようになってほしいという気持ちは僕にだってわかる。
子育ての負担が軽減されるし、本人もその方が幸せだろう。
けれど、こんな醜い障害者に産んでおいて、本当に僕が普通になれると思ってるの?
障害者に対して、健常者と同じ条件で生きろと言うことがどれほど残酷か。
出来ないことを責めないで、個性だと認めてあげられなかったのかな。
僕の心は親によってバラバラに切り刻まれた。
「普通に生きろ」という無理難題を押し付けられ 、その結果、僕は死んだ。
ありのままを肯定されることはなかった。
普通でない自分は存在してはいけないんだと思った。
自分とは全然形の違う型に無理やりはめられてきた僕が、精神疾患持ちの社会不適合者になるのは必然だった。
おぞましい姿かたちの僕が生まれ、間違った育て方でそれが歪み、そして壊れた。
元の形に戻ることはない。
後はこの肉体を、精神の断片に沿って、同じように分解していくだけだ。
僕はただ、僕らしく生きたいだけなのに
小さいころから色んな所に連れていかれたし、習い事もさせられたし、中学の時は留学で海外に送り込まれた。
人によっては教育熱心でいい親だと言うかもしれないけど、僕はそう思わない。
だって一度たりともそんなこと望んでいないから。
親の自己満足に付き合わされただけ。
彼らの望む理想像に近づけるよう、強引にケツを叩かれて走らされた。
楽しかったこともあったけど、それ以外のほとんどは苦痛の記憶だ。
僕に拒否権はなく、嫌々“ためになる経験”をさせられた。
じゃあそれが役立ったかというとそんな試しはなく、むしろ、これだけのことをさせてもらったんだから成果を出さなきゃって気持ちになって親への罪悪感が芽生えた。
僕はただ、静かに生きたかったのに、それは許されなかった。
祖父母から時々電話が来る。
おじいちゃんに毎度、何かやりたいこと、熱中できることを見つけろって言われる。
ことあるごとにそう言われて、そのたびに今の自分を否定されたような気持ちになる。
僕だって今の自分に満足してるわけじゃないし、変わりたいって思うけど、他人にそんなこと言われたくない。
鼓舞して励ますのは、僕の抱える悩みを理解してくれる人でないと意味がない。
「余計なお世話だよ」なんて言えるはずないから、「そうだね」って返事して、なあなあにする。
おじいちゃんは持つ者だ。
戦時中に生まれて、貧しい中で勉強して、小学校の校長になった。
退職した今は、地元で有名な画家として活躍している。
描いた絵が切手になったり、高額で買い取ってもらっていたり、毎年展示会に作品を出していてこっちに来る。
多趣味で、音楽や曲芸、水泳など多彩な才能があって、努力する才能もある。
そんな人が、何一つ持ちえない無能な人間の気持ちなんてわかりっこない。
毒親を一生許さない
親孝行は絶対にしない。
介護もしないし葬式も出ない。
家を出たら連絡先を消去して絶縁する。
今それが伝わればここに居づらくなるから言わないけど、大学を卒業して就職したらすぐにでも実行するつもりだ。
この家で暮らしていると調子が狂う。
度々縁を切りたいという思いが募り、そんな気持ちを抱く自分が嫌になる。
僕は望んでこの家に生まれ育ったわけじゃない。
何度も生まれてきたくなかったって思ってた。
こんな家早く出ていきたいって。
でも、いまだにこの檻に囚われてる。
働いて一人で生活できるくらいのお金を稼がない限り、ここから出ることはできない。
手っ取り早く出るには、死ぬしかない。
僕が毎日のように死にたい気持ちを抑えて生きてるなんて知らないだろ。
気付くわけないよな。
だって気付こうとしてないじゃん。
聞いてたよ。
後期の学費払った後に「立て直しの金は出したんだからちゃんとやれよ」って言ってたこと。
自分たちは息子に困らされてる被害者です、みたいな態度とってるけど、こんな醜い容姿に産んだのはどこのどいつだ?
あんたたちが育て方をしくじったせいで、僕は地獄のような人生を送らされて、中身まで醜悪な化け物になったんだよ。
加害者が被害者面してんじゃねえよ。
自殺するときに、他人を巻き込んだら残された家族に迷惑が行くからって躊躇してたけど、もういい。
少しでも恩を感じた僕がおかしかったんだ。
賠償金を請求されようが、マスコミからバッシングされようが、僕の知ったことじゃない。
どん底に落ちるといいよ。
この身が朽ちるまで恨んで、呪って、復讐してやる。
もし今後和解したとしてもだ。
今までされた虐待の数々を帳消しになんてできるか。
本当なら光輝いて見えるはずだったこの20年間は失われてしまって、二度と戻ってこない。
ならせめて、残りの人生くらいはあんたらのことなんか忘れて、自分の人生を生きさせてくれよ。
早くこの鳥籠を抜け出して、自由なあの空を飛びたい。
そしたら、僕はきっと幸せになれる。
そんなことを考えながら、薄暗い部屋の片隅で、くすんだ天井を眺めている。