一宮の日記

モノローグ

幸せ?

わたしは考える。考えとは何なのか。自分の人生に意味はあるのか。自分の人生を客観的に見つめる視点は必要なのだろうか。私たちは生まれて生きて死んでいくけれども、残せるものは、というかゴール地点は「死」のみだ。ではみなに平等に与えられている「死」に向かう過程である人生を見つめる必要があるだろうか。吟味されない人生は本当に人生ではないのだろうか。私たちは使命を全うするために生まれたのだろうか、人の生に特に意味などないのだろうか。考えずに前に進むべきなのだろうか。いつまでも考えていて、考えている限りは永遠に孤独で、そんなものが人生なのだろうか。それならそんなものをわざわざ持ち続ける意味などあるのだろうか。では捨てるべきか?価値のない人生には捨てる価値もないのではないか?そうやって考えて、疲れて眠って、私たちはまた次の朝を迎えるだろう。それぐらいの温度感が幸せなのかもしれない。

なつやすみ!!

夏休みも後半になりました。他人に、教師に干渉されない生活は本当に楽でこのまま学校をドロップアウトしようかずっと悩んでいます。

10年後の自分への手紙を掘り出してみた!というようなコンテンツが流行っているのも夏休みで自由な時間ができた人が多いからなのでしょうか。私は本当に時間がないうえに課題が山積みなので高校二年生の夏休みに青春の日々を過ごすことは(部活を除いて)できませんでした。今はなりたいものが、自分が天職だと思っている職業があって、自分にしか助けられない人がいて、そのためには学び続けないといけないと思って勉強をしています。でもいつか、私が今なりたいものになれたとしてもなれなかったとしてもとても後悔すると思います。今しかできないことなんて無いよ、と大人は言います。でも今しかできない事は本当はたくさんあって、でも窮屈な都会の価値観を生きている私はそれに刃向かうことは出来ませんでした。この時期に自由を謳歌していなかったせいで近い将来本当につまらない人間になっていたらごめんなさい、今はこれが正しいのかなと思っているけど正解なんてわからないから。

10年後のわたしがどんな人になっているのかはわからないけれど、今のわたしは全弱で特に取り柄もなく社会の役に立つこともなくつまらない人生を送っているから、何か取り柄を見つけられていることを祈ります。あともう少し前向きな死生観を身につけてほしいです、生きる理由が見つかるといいね。

音楽は続けていますか?わたしは、あなたはきっと苦しくなって音楽をやめる、絶縁というよりは少し距離をおいているような気がする。音楽は楽しむものであるはずだから、苦しかったら辞めてもいいんだよ。でもあなたがもし音楽を続けているとしたら相当頑固な人間になっているからきっと辞めないだろうね。苦しみの先に必ずしも喜びがあるとは限らないことを忘れないでね。

彼氏はできましたか?というより人を愛せるようになりましたか?きっとまだまだ余裕がある人間にはなれていないと思うから無理しないでほしいです。愛の前に教養を身につけようね。

精神的に限界な生活を送っているから10年後のあなたが生きている保証も幸せでいられる保証もできないですが、少なくともあなたのことは愛しています。また10年後に。

たとえばぼくがさ

例えばぼくがさ、将来有名人になったらどう思う?え、嬉しい?本当に?君って優しいんだね! じゃあぼくが将来宇宙飛行士になったらどうする? サインが欲しいって? いいよ、あげる!特別に君だけにあげるんだからね!

 

たとえばとか、もし、とか。ぼくたちの人生は全てが分岐点で、選ばれなかった人生もあるって考えるとなんだか感傷的な気分になるね。

この人生が正しかったのか、間違っていたのかなんで誰にもわからないし、ぼくはもしかしたら他人とお互いを理解し合うことで幸せになれたのかもしれないね。

 

ぼくはね、選ばれなかった人生も大切にしてあげたいと思うんだ。選ばれなかった道も、ある意味ではぼくの一部だからね、深く愛してあげたいんだ。愛すといっても一概にどんな行為かはっきりさせることは出来ないんだけれど、時間をかけて徐々に育むような愛し方をしてあげたいんだ。

 

こんな話は机上の空論というか綺麗事で、実際ぼくたちにとって何かを愛すことって凄く難しいことだと思う。大体の人が自分のことすら愛せてないんだから、ましてや他のものなんて、知れば知るほど嫌なことも見えてくるし無理だよね。

 

愛ってやっぱり毒なのかな、ぼくは君のことを愛したかったんだ。1つ愛すためににはね、自分の愛しているものを1つ捨てないといけなくて、でもぼくは今までちゃんと愛してたものなんて全然無くて、なにを捨てるか考えてたんだ。で、ぼくは、ぼくがぼくのことを愛していて、その愛を代償にすることにしたんだ。

 

君がいまこの手紙を読んでくれているかはわからないし、ぼくのことなんて忘れて新しい恋人をつくっているかもしれないけれど、優しい君のことだからきっと、ぼくが死んだのを自分のせいだと思って自分を追い詰めてしまっているんだと思うんだ。でもね、ぼくが死んだのは全く君のせいじゃなくて、これがぼくなりの愛情表現だったんだよね。

 

もしぼくが死んじゃったらどうする?え、泣いてるの?死んでほしくなかった?ごめんね、ずっと愛してるよ。

夕飯

みなさん定期テストお疲れ様です。わたしは神経痛で死にかけです。

 

ぼくはね、最近気がついたんだ、ぼくの中にはたくさんのぼくが存在して、ひとりひとり個性を持ってるんだ。ぼくには好きな人と守りたいものがあって、同時にそれを壊したくなるんだ、なあぼくは間違っているの?

 

ぼくはロングというよりショートカットでタレ目な女の子がすきなんだ。自分が女々しいから相手には男らしさがほしいなあ、そんな人いないと思うでしょ?いるんだよね。ぼくはその子のことを3年前からずっとネットストーキングしてるんだ、彼氏が2回変わって今は独り身だよ。手は出さないのかって?出すわけないに決まってるでしょ、いや出そうとしてたけど。ぼくなんかに彼女が釣り合わない、とか、そもそも話したことない、とかもあるけどさあ、その子のことは意外と知ってるつもりだよ。学校は副都心線西早稲田駅の近くの偏差値が72ぐらいの高校に通っていて部活はバドミントン部で朝は遅刻ギリギリに登校していて、学校にお弁当は持って行っていなくて、駅のニューデイズでホットでも美味しいお〜いお茶とランチパックを買って行っているんだ。学校では敵を作らずに浅く広く人間関係を築くタイプだけど親友が1人いて、その子はロングでハーフアップがよく似合うキレイ系なんだよね、イメージでいうと北川景子的な?

 

そこまで知ってて連絡先交換しないのはなんでかって?ぼくだって交換しようと思っていたんだけどさあ、ぼくがぼくの知らないぼくに出会ってしまったからやめたんだよね。ぼくの知らないぼくは、その子のことを魚だと思っているみたいで、その子はカジキマグロなんだって。ぼくのしらないぼくを、「彼」と呼ぶことにするね、彼はね、「その子を塩胡椒で味付けして食べたい」って毎日言ってるんだ。

 

ぼくと彼女が関わると彼女は魚になってしまうかもしれないし、命が危ないから関わらないっていうわけ、でもさ、やっぱりぼくその子が欲しくてさ、話しかけちゃったんだよね。

 

ぼくのこと気持ち悪いとおもったでしょ、でもぼくは身体185㎝あって1週間に2回ぐらい女の子に告白されるような見た目だよ、ほら、これでブサイクだったら気持ち悪い人になるけどイケメンなら話しかけられてラッキー!みたいになるじゃん、女ってアホだよなあ、いや男もアホだし両方ともアホじゃない人がいるのは知ってるけどさ。

 

連絡先、交換したんだ。LINE?いやメールだよ。LINEにしたら結びつきが弱くなるっていうか、わかるかな?ぼくはさ、LINEとかTwitterとかInstagramとか、そういうもので繋がってるような結びつきはいらなくてさ、まあ水素結合みたいなのが欲しかったんだよね。あ、その子と今もメールしてるよ、もうすぐ告白みたいな流れだなあ、イケメンでよかったな。

 

そんな時に彼があらわれるんだよね、彼、「関わってみたらカジキマグロっていうより秋刀魚じゃん、つまんねえの」とか言ってるんだよね、だから、「まあそりゃあその子は高貴で白百合のような女の子であったわけではないんだけどさ、タピオカを飲んだり、スタバに行ったりすることに幸せを感じてるような女の子でもいいじゃん別に、ぼくはかわいいと思うよ」って言い返したんだよ。そしたら彼と喧嘩しちゃってさあ、彼のこと殺しちゃったんだよね

 

殺してからわかったんだけどさあ、彼はぼくのなかの「理性」の担当だったみたいでさあ、「理性」を失ったぼくは、その子のことを食べちゃったんだよね、あ、もちろん味付けは塩胡椒でシンプルにしたよ、その子の味を生かしたいからね。どんな味だったかって?「彼」の予想通りだよ、カジキマグロっていうよりはサンマだったかなあ、秋刀魚の旬は一瞬だけど、ぼくの中にその子は一生残り続けるんだ。ぼくの胃の中にはいったその子はやがて、ぼくの身体を構成するようになってさ、ぼくとその子は一生をともにするんだ、素敵でしょ。

 

あ、もうそろそろ夕飯だ、帰らなきゃ。今日の夕飯?秋刀魚に決まってるでしょ、毎日それで飽きないのかって?飽きないよ、一生愛し続ける。