https://18908049.at.webry.info/201612/article_2.html#comment汚穢への頽廃その3ー139
弥生艶葉樹(やぶつばき)のやぶの中
ここの、コメント欄に詳しく書いているので、紹介してください、ということでした。
だから、伝言のままに伝えますが。
私とて、大正天皇が、滝山さんにとって、どういう系図でつながるのか、よくわかりません。
石垣純二氏が、需要人物であったのはわかる。
そして、この方は、北白川家、伏見の宮系統だというのは、わかりますが、では、大正天皇の息子になるのか?
ここんとこが、わからない。
それと、滝山さんの母上が、石垣純二氏の娘であるのは、わかるけど、
母上の姉妹のこととなると、ちんぷんかんぷん。
しかも、今回、ここで知りましたが、昭和天皇妃、良子様は、二代目であり、初代良子さまは、暴徒に殺されたとか。
なぜか、徳川15代慶喜が、98歳で富山で亡くなったとか。
点と点が、つながりそうで、すれ違い、すれちがったはずが、先端でむすばれるような、不思議な物語の連続です。
こういうのを、見ると、また、「こんなもの狂人の世迷言だ」という人がたくさん出るだろうなと思います。
でもね、この闇の中から、小さなガラス球を拾いだすような、物語に、もっとも、とまどい「誰か、真実を教えてほしい」と、一番、大きな声で、叫びたいのが滝山さん自身だと私は、思うのです。
「自分が何者なのか!誰か教えてほしい!」
その言葉にヤブツバキ氏が答えて「大正天皇の没年は1975年」などと、答えてくれたそうです。
自分は、そこまでは、知らなかった・・・ということが、あったそうです。
そういうわけで、関心を寄せてくれる人には、このページを教えてほしいと、言われました。
もう、コメントは書かないって・・・
いろんな意味で、無理もないと思います。
私自身も、いろいろがっかりさせましたし・・・
ま、そういうことですので、よろしくお願いします。
クリックよろしく
弥生艶葉樹(やぶつばき)のやぶの中
ここの、コメント欄に詳しく書いているので、紹介してください、ということでした。
だから、伝言のままに伝えますが。
私とて、大正天皇が、滝山さんにとって、どういう系図でつながるのか、よくわかりません。
石垣純二氏が、需要人物であったのはわかる。
そして、この方は、北白川家、伏見の宮系統だというのは、わかりますが、では、大正天皇の息子になるのか?
ここんとこが、わからない。
それと、滝山さんの母上が、石垣純二氏の娘であるのは、わかるけど、
母上の姉妹のこととなると、ちんぷんかんぷん。
しかも、今回、ここで知りましたが、昭和天皇妃、良子様は、二代目であり、初代良子さまは、暴徒に殺されたとか。
なぜか、徳川15代慶喜が、98歳で富山で亡くなったとか。
点と点が、つながりそうで、すれ違い、すれちがったはずが、先端でむすばれるような、不思議な物語の連続です。
こういうのを、見ると、また、「こんなもの狂人の世迷言だ」という人がたくさん出るだろうなと思います。
でもね、この闇の中から、小さなガラス球を拾いだすような、物語に、もっとも、とまどい「誰か、真実を教えてほしい」と、一番、大きな声で、叫びたいのが滝山さん自身だと私は、思うのです。
「自分が何者なのか!誰か教えてほしい!」
その言葉にヤブツバキ氏が答えて「大正天皇の没年は1975年」などと、答えてくれたそうです。
自分は、そこまでは、知らなかった・・・ということが、あったそうです。
そういうわけで、関心を寄せてくれる人には、このページを教えてほしいと、言われました。
もう、コメントは書かないって・・・
いろんな意味で、無理もないと思います。
私自身も、いろいろがっかりさせましたし・・・
ま、そういうことですので、よろしくお願いします。
クリックよろしく
コメント
コメント一覧 (29)
https://ameblo.jp/56565963/entry-12502152709.html
こういうのは、分かるようで分かりにくい。
どうやら、擬似南北朝が、明治維新からずっと
継続して行われているようだ。
そういう抗争は国民には全く知らされていないので、
驚くばかりだが、最近そういう話をよくネットでみるようになった。
時代が変化しつつあるということだろう。
孝明天皇の子孫がどうの、という話をチラホラ見るが、
帝王教育を受けていない者には無理と、と私は思う。
適材がいないし、制度がもう古い、ということになりそうだ。
分からないけどね。
日本人を減少させ、日本の国力を下げ、
こたびのコロナ騒ぎでいろいろと噂されている。
そういうことから、日本の庶民からは支持されにくい
としか言えないし、だからと言って、どなたか格別に良い方が
いるというわけでもなし。
制度疲労なのではないのだろうか。残念ながら。
売国勢力しかいないわけだし。
そのブログ記事をかなり読み込みました。広島の地上起爆については、もっとも辻褄が合う結論が、私もそれでありました。また、そこまでの確信に至るまでには、数年間の歳月が必要でした。その真相だけは、信じたくなかったからです。
私は思っている。
大きな絵図のなかでは、大差ない。
(宇宙人的な視点からすると、どちらでも
それほど変わりがない。)
昭和天皇は、「宇宙人たち」からすると、「駒」でしかないから、
多少の判断や意思決定ができても、
大きくは動けなかったのだろう。
天皇制とは、そういうもの。
過度な期待はそもそもできない。
誰だよ、明治維新の時に、天皇を神だとか、
王政復古とか馬鹿なことを言ったのは。
天皇というのは、お気の毒な存在で、
「鬼が・・・ヨヨヨヨヨ(涙)」
としょっちゅうお泣きになる囲われの鳥に
すぎなかったんだよ・・・。お可哀想に。
どーしたの?
神戸だいすきさん
ご存知ですか?
私が調べた限りでは、賀茂氏は最初に伊豆半島に来ていました。半島の先端には、今でも賀茂郡と下賀茂郡があります。
中伊豆には田方平野があり、そこでは稲作が行われました。そこを走る伊豆箱根鉄道駅には、田京駅、伊豆長岡駅があり、そのすぐ近くには、葛城山のロープーウエイもあります。
賀茂氏は、伊豆を支配した後、京の都へ移住をし、藤原氏を陰で支える祭祀を司る一族なりました。
彼らが、下賀茂神社と上賀茂神社を創建しました。その葵まつりは、斎王の制度が完成した証の祭りです。
上賀茂も下賀茂もヤタガラスですね
>加茂氏ののことは、わからないけど、古代の重要な氏族だと思います。祭祀か・・・
はい、そのとおりです。
祭祀係りとして藤原氏の陰に隠れましたが、相当の力を持っていたと氏族だと思われます。その証が、お妃候補の娘を、前もって賀茂氏の娘にしてから、帝の妻にするという斎王の制度です。
>葵まつりの行列は、
斎王代(後述)をはじめとする女人列、これら平安時代の衣装を身にまとった人々が牛車とともに京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社まで約8kmの道のりを行列する路頭の儀(ろとうのぎ)が行われる。
>下鴨神社と上賀茂神社においては、実際の勅使である掌典職の掌典が祭文を奏上する社頭の儀(しゃとうのぎ)がとり行われる。
日孫(カモ)、混血、ということだろう。
藤原は神官の傍流だと言われる。
これは一説によると、ということだから、
気にしないで。
で、古代ユダヤの流れなんだ・・・
スコットランド協会は16年に友好関係を記念した「長崎タータン」を作り、正式登録後、長崎市に寄贈した。
昨日(代休)スコットランド(ラグビー)、長崎(グラバー邸)・・
調べ始めたのですが、急に友人の相談相手になって・・・一時休止。
また後でご報告させてください。
柴さんの
>中伊豆には田方平野があり
このあたりは興味深い古墳があります。
皆さま、ありがとうございます。
神戸だいすきさん
>古代ユダヤの流れなんだ・・・
(ニホンゴ)言語の成り立ちに南北イスラエルの痕跡があるらしいです。
コレコレここが鍵ですよね🌀
神戸だいすきさんの>>15へ返答は保留にさせてください。
(島国ですし、天変地異を加味すると、そう簡単には。)
趣味でノンビリ探究中、ただ、辿っていると奇妙な話題も目にします。
例えば
世界から有害物質を引き受けて地位とマネーをもらってる?
悪側の渡来系と名門が
大陸、半島で悪事やらかして(人食いも)
追われて日本に逃げてきて復讐中?
「世界連邦」ネタにアジア支配を目論む?
戦争屋に担がれてるだけなのに
柴さんの投稿内容と接点が生じたり・・・するようですが
そっち系の情報は纏める対象外なので、参画し難い話題です。
>日本列島から出て列島に戻ったのか、イスラエルから東に向かったのかなのよね 。
私の調べた限りでは、秦氏たちは、母国へのお里帰りです。ですから、日ユ同祖論は誤りです。それが、現在、盛んに吹聴されること自体が実に怪しいのです。
ですから、その秦氏たちが、どちら側につくかで、日本の未来は決まります。秦氏である日本陸軍は、偽ユダヤであるABCD包囲網の欧米対して、本気で壮絶なる戦を行いました。負けを覚悟で最後まで戦いました。ですから、その闘争心に恐れをなした米国は、広島と長崎で地上起爆をさせ、戦争を早期に終わらせました。大東亜戦争とは、本ユダヤと偽ユダヤの戦いだったと思われます。
今更、戦国大名もないもんだわ。
だいたい、四国で「名門の名前」を名乗るのは、「背乗り」だし。
それは、よく分かりますよ。
私の父方祖母は、最後の土佐藩士の次女でした。彼女は35歳くらいで他界したので、私はお会いできませんでした。
我が家のお仏壇の引き出しには、その30歳ぐらいの、写真館で撮影されたポートレイト写真があります。祖母は、きりっとして気丈そうな美人顔です。私は、その自分の血筋を常に誇りにしています。
四国の大橋眞先生は、お顔の風貌から、秦氏の末裔ではないかと思います。
私はその辺りのことは全く無知なので分かりませんが、
別のところで神戸だいすき様が、顔が気に入りませんと
有りましたので、その件について私の意見を少し。
確かに都会(神戸)の人から見たら、大橋先生の風貌は微妙に感じるかも知れません(失礼を承知で敢えて言わせてもらってます)
ですが、ああいう感じのお顔は徳島では大変よく見かけるのです。普通に農家やってる人とか、そこら中に似た感じの人がいます。
そして、年齢からによるものもあると思います。
そう言う私も、最初にあの動画に出会った時、一瞬
あれ?こんなショボい(本当に失礼ですみません)
爺ちゃんで大丈夫かな?と思いましたが、
喋り始めたら全くそんな事は気にならなくなりました。
昔の私の学生時代の先生の講義を聞いている感覚になり、真面目で誠実なお人柄がうかがえました。
なので、神戸だいすき様や、通りすがり2様の大橋先生に対するコメントがかなり否定的だったので、残念に思っていました。
私は大橋先生は、もっと色々知ってはいても抹殺されない程度に上手く現在の出来事を解説しているのでは無いかと思っています。
だから、聴く人によっては、根本が間違っていると受け取れたりするのではないかと考えます。
全くの素人のおばちゃんの考えなので、
もしかしたらトンチンカンな考えかも知れませんが、
今現在の私の正直な気持ちです。
そこがね!
私には、ふたつにとれる。
陰謀の主を知っているから、当たり障りなく話しているのか
攪乱情報を意図的に流しているのか
どっちとも見れます。
でも、一番感じることは、年齢的に全共闘世代ン見えるから、基本「何でも反対」の癖がある。
大橋眞先生は、私と同じ68歳ですから、私の大学時代の体験では、全共闘世ではありません。
滝山さん、また気が向いたら、遊びに来るといいよ。
全部意見が合うということもないけど、
そんなことはどうでもいい。
いろいろと話す、情報などを交換する、ということは
基本的に良いことだと思う。
日本人のルーツ一つじゃないですよね。
昔、日本人のルーツとしてバイカル湖あたりから、日本に渡ってきた説も読みました。
弥生時代は渡来人の時代だとか。
京都は国際都市だった。
縄文の時代を美しく深く表現した作家三島由紀夫の一文、また読みたいと思うのですが、もう見つからない。
大橋眞先生を、よく分析されていますね。
驚きました、です。笑
あなたのレベルは、相当なものですよ。