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うわあ、こりゃキッツいわあ、とは、思わず口をついて転がり出たひとこと。脳内はダウンタウンの浜ちゃんのあの声で、と付け加えればさらにニュアンスは正確になるかも。
眼前のモニター画面では、テレビの討論番組の映像ファイル、少し前に一瞬だけ流行った「ちょい悪オヤジ」風のいかついオッサンが顔面紅潮、ガラ悪くすごんでいました。
いきなりいったい何のことやら、という向きもおありでしょう。ごもっとも。なので、まずは、とあるニュースから概略を。
日本で活動している韓国の映画監督、崔洋一さん(61)が、NHKの討論番組で、韓国併合を肯定するなら歴史を語る資格はない、と別の発言者を批判して波紋を呼んでいる。番組は、未来志向の趣旨だったようだが、逆に日韓両国の溝の深さを浮き彫りにした。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-73583/1.htm
8.15をめがけて毎年、メディアの舞台の風物詩と化している「敗戦」記念日関連プロモーションの一環、NHKが仕掛けた『ともに語ろう、日韓の未来』と題された討論番組。8月14日に3時間近くにわたって放映された中でのできごとです。『月はどっちに出ている』などで知られる映画監督の崔洋一が、参加者の一般市民のひとりに対して前述のような発言をして、それがネットを介して案外な波紋を呼んだ、というのがおよその顛末。
「きっかけは、「アニオタ保守本流」というブログを書いているウェブデザイナーの古屋さん(27)が、自説を展開したことだった。(…)日本側の一般市民として選ばれた古屋さんは、韓国と日本は、同じ大日本帝国の一員だったとして、一緒に英米と戦った戦友だと主張した。韓国併合のときは、韓国人を虐殺したわけではなく、帝国主義の時代でやむを得ずにやっただけだともした。
これに対し、崔洋一さんは、そうしたイデオロギーが日本を支配していたのは認めたものの、そのために韓国併合があったというのは、とんでもない史観だと指弾。そして、顔を紅潮させながら、次のように語気を強めたのだ。
「36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方は、基本的に歴史を語る資格がない!」
この発言自体についての感想は、本誌読者ならずとも「ああ、またか」という程度のものでしょう。正直、あたしもそうでした。この手のもの言いは、別に在日に限らず、こういうサヨク/リベラル系人士にゃ標準で実装、珍しいものでもない。特に朝生だの何だの、エンターテインメント系「討論」番組が幅をきかせるようになって久しい昨今、これくらいの「妄言」でびっくりしてちゃ、メディアリテラシーが疑われる、てなもんです。
崔洋一さんの主張について、ネット上では、理解を示す声もあったものの、異論も噴出している。2ちゃんねるでは、スレッドが乱立する祭り状態になっており、「映画監督が言論封殺しようとするとはw」「なら討論番組に出るな」「自分自身の首を絞める事になる発言」といった書き込みが相次いでいる。NHKの広報局によると、番組への電話やメールは、2010年8月16日夕までに約1800件にも達しているという。
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繰り返しますが、できごとそのものはそう大したものでもない。なのに、この一件がそれなりに反響を呼び、案外に波紋が広がったのはなぜか。
先に触れたように、件の番組映像はあっという間にweb上から削除されたのですが、それ以前の段階で眺めていて、ひっかかったことがありました。
崔洋一のそのあまりに居丈高な「感じ」――これです。テレビの、ナマ放送ではなく収録とは言えNHKの討論番組で、しかも一般の人も交えた中で、いきなりこのように激昂し、威圧的かつ一方的に自分の主張を暑苦しく怒鳴りまくる、そんな態度を平然とあたりまえのようにとってしまう生身のありようっていまどきなんなんだろう、ってことです。
オレの言うことは当然何の抵抗もなく大方に受け入れられ賞賛されるだろう、という確信にあぐらをかいた態度、物腰、身振りといった明確に意識されにくい領域からの違和感。おそらく、なのですが、発言そのものや「紛糾した」と語られていった絵ヅラからの直接的な情報などよりも、実はそういう眼に見えない部分こそが今回、web環境も含めての反応を予想外に引き出したんじゃないでしょうか。
とは言え、この「感じ」はうまくコトバにするのが難しい。たとえば、そう、仮に「ホーム感」とでも言っておきましょうか。
ほら、サッカーなどで言うホーム/アウェイのあの「ホーム」。つまり、ここは自分の本拠地であり、陣地であり、ムラであり、だからまわりは味方ばかりのはず、という安心感とそこに根ざした横着とが複合した「上から目線」。本来、それなりに価値中立的であるはずのマスメディアの、しかも討論番組という枠組みならばなおのこと、タテマエとしての「中立」は一応演じられようとしているはずの場で、ここまで無防備スッポンポンな「ホーム感」全開でいられるのは、はてさて、どうして? というあたりが、発言自体の陳腐さや絵ヅラの凡庸さとはまた別に、いまどきのweb環境とマスメディアとの二重性に涵養された新たなメディアリテラシーを備えた最大公約数の「観客」の感覚にとっては、意識せざるところで案外ツボにはまる、ほっとけない違和感だったようなのです。
思えば、この崔洋一に限らず近年、テレビの報道番組や討論番組にそれなりの確率でツラをさらすこういう公認在日/半島系文化人タレントの類――すでに「在日」であることを隠さず、名前や属性で前面に出しつつ、それをも「キャラ」としてメディアの舞台で計算ずくに世渡りする人士、ということですが、そんな彼ら彼女らは申し合わせたようにこういう「ホーム感」を臆面もなくたたえるようになってきています。
このニッポン社会では自分はマイノリティ、ゆえに理不尽なサベツを受けていて、民族のアイデンティティも保てず、といって確かな居場所も見い出せないデラシネの自分、といった文脈で少し前までは説明されていた、かつては確かにあったはずの緊張感や焦燥感、葛藤の類はいまや背後に退き、あるのは「在日」という属性がすでに何かの免罪符であるかのような環境に安住してしまったゆるい横着さだけ。ったく、どこがマイノリティだよ、その茶の間でくつろぐ団塊オヤジのごとき「ホーム感」、というわけで、冒頭のあたしの、キッツいわあ、という悪態もまた、そんな違和感を前提にして思わず口をついて出てきたものだったと思し召せ。
そんなの当たり前だ、今やニッポンのマスコミも芸能界も、もしかしたら政界も彼ら在日/半島系に乗っ取られているんだから――そう律儀に正面から「反論」する向きもおありでしょう。だからあいつらは工作員なんだ、背後に何か陰謀が隠れているんだ、と。
「工作員」――なるほど、わからないでもない。でも、そう言うことで隠蔽されてしまう部分が実は大事なんだよな、と思ったりもするのですが、でも、いいやオーライ、ここはわかりやすくするためにひとまずそのもの言いを採用しましょう。彼らがどこまで自覚的であったかどうかとは別に、まずは構造として、そしてその構造の中での彼らの立ち居振る舞いの軌跡をたどって静かに解釈してゆく限りにおいて、なるほど彼らは北朝鮮の、韓国の、ざっくり言って「半島」の工作員であった、と。
敢えてこう言う背後には、サブカルチュアと戦後左翼/リベラル思想、という未だほぐされ切れぬ大テーマが背景にデン、と控えているのを意識するからです。映画にロックにフォークにマンガに芝居に……何でもいいですが、とにかくそういう雑多なコンテンツたちが、どういう具合に左翼/リベラル系の思想に、在日/半島系人士の政治力学に、ある時期以降、同時代の気分経由で浸食されていったのか、そして何よりその過程がどのように「あらかじめ見えない、語られない領域」として意識されないようになっていったのか、というのが〈いま・ここ〉で今後のために引き出しておくべき教訓、課題であります。
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「工作員」というなら、崔洋一どころか、そんな留保つきの比喩でなく、もっと露骨にミもフタもない説得力を持たせてくれるキャラもすでにいます。
たとえば、李鳳宇。この春に会社更生法適用を申請、事実上倒産した独立系映画制作プロダクション、シネカノンの代表。何より、この崔洋一をバックアップし、後には日本映画監督協会の理事長にまで押し上げた陰の立役者。朝鮮大学校卒業後、ソルボンヌ大学で映画を学んだ、という脂っこいことこの上ない触れ込みの経歴を持つ御仁ですが、同時に「韓流」ブームを主導した仕掛け人のひとりとしても知られていて、それらにまつわって朝鮮総連から仕掛けの打診があったことすら、著書その他で平然とほのめかしています。
彼のシネカノン設立が1989年。90年代に入ると明確に「半島」を意識した動きを始めます。そして93年に梁石日原作、崔洋一監督で『月はどっちに出ている』を制作、映画賞を総なめに。井筒和幸監督(ああ、これも在日/半島系文化人と目されているひとりでしたか)にもある時期から支援を惜しまず「パッチギ!」のシリーズなどを制作、2000年に韓国映画の「シュリ」の輸入を手がけて商業的に成功、2007年に『フラガール』(あ、これはマジに傑作でしたが)と、かねて沈滞久しいニッポンの映画業界に固有名詞と共に派手な話題を提供し続けましたが、今年春、47億円あまりの負債を抱えてあえなく倒産。この経緯も報道その他で毀誉褒貶含め、さまざまに語られています。
これら「工作員」と目されてしまう在日/半島系人士にまつわる違和感をほぐしてゆこうとする時に、少しは役立つかも知れない補助線を、ひとつ引いておきましょう。
20年ほど前、あたし自身、こんなことを書いていました。
「いまだ艶も翳りもあるモノホンの想像力を宿せるかもしれない最後の培養基が、この国にもある。言おうか。「被差別」と「在日」だ。」
――拙稿「ランボーのいない資本主義」『別冊宝島100 映画の見方が変わる本』
時あたかもバブルへ向かう時期、ニッポン映画が軽薄短小の「トレンド」に圧倒されつつある状況での、〈リアル〉の復権への処方箋のつもり、でした。でも残念ながら、これをその後、律儀に実行したのは結局やつらの側だった、ということを今、ニッポン人として深くかみしめなければなりません。言葉本来の意味での「反省」と共に。
歴史観にも身体が介在する。生身のたたずまいを前提にして初めて、〈リアル〉な「歴史」が合焦する。だとすれば、その身体の領域を変数として歴史を考えようとする態度もまた、知性の誠実さにとっては欠かせないものになる。同じように、ゼニカネもまた〈リアル〉であること、生身の裏打ちなきゼニカネは、力なき自由、武力行使の担保なき国家と同じくらい無意味で滑稽なものであることもまた、明日に役立つささやかな教訓になる。
崔洋一に限らず、ある時期以降、主として映画などサブカルチュアを足場に在日の〈リアル〉を提示するようになってきた一群は、同じ在日/半島系人士の中での世代差と、そこにはらまれている身体のあり方の違いについて敏感だったようです。一方、われらニッポン人は「豊かさ」が日常化してゆく中、おのが生身の身体性を減衰させてゆきました。
たとえば暴力と性、生身のニンゲンのカラダに根源的にまつわってくる領域について、われらニッポン人は「豊かさ」の中、それらを衰えさせてゆく過程を放置し、それをよしとさえして今日まで生きてきました。「おたく」のこと、「草食男子」のこと、父性の衰退とフェミファシズムの進展、家庭の崩壊、ゆとり教育と呼ばれる次代を担う子どもたちへの教育責任の放棄……いずれそれらの世相、世のうつろいぶりはなべて「戦後」の「豊かさ」のなれの果てに現出した現在であり、その中にある者にとって抗えないものでもありました。だが、それが結果として、彼らの「工作」をここまでうっかりと進展させる培養基になっていた、そのアイロニーはかなり心萎えるものです。
〈リアル〉とは――少なくとも彼ら在日/半島系人士の世界観、生活感覚を介していま、この時点でもっともらしく、かつ実に確信ありげに表象される〈リアル〉とは実にそのようなものである、そのことをまずはっきり認識し、補助線としておきましょう。
ならばそのような〈リアル〉が、しかし在日であること、何らかの負の属性を担った存在であるという自覚のもとにうっかりと増幅され、その過程で何かある種の正義感さえまつわらせてゆく、その微細な同時代にはらまれているメカニズムについて、さて、われわれはどこまで自覚的であり得るのか、というのが次に問題になってきます。
いわゆるマスコミ、表のメディアの舞台は90年代からこっち、すでに彼ら在日/半島系人士のホームグラウンドになってしまっているらしい。少なくとも、それらの場に顔を出す彼ら彼女らにとっては、ことさらに緊張感など持たずともよい、その限りで居心地の良い茶の間の如き場所になっているらしい。それはさらに以前ならば大学などに胚胎していた「自由」という夢の見果てぬ持ち越し分、若気の至りな青春の利子であり、敢えて同情的に言えば彼ら自身が確保しようと努めてきたかけがえのない「居場所」のひとつだったのかも知れません。その切実さ、健気さはそれ自体として認めてもいい。
しかし、彼らにとってその「ホーム」と化しているらしいメディアの舞台に野放しにされている彼らの身振りは、すでに向かう先を見失ったまま、いまやただいたずらに見世物と化しています。そのことにあまり気づいていない彼らのあり方も含めてそれはそれですが、しかしわれわれにとっての痛恨は、たとえ見世物として笑われるだけになっていようが、現実に彼らの側にある種の「権力」は確実に移行しつつあるかも知れない、という眼前の事実です。荒れ狂い、感情むき出しに理屈の通らぬ野卑な身振りを演じ続ける彼らに対して、こちらも正しくそれを受け止めて正面から罵倒し、軽蔑し、嘲笑し、時に同じく集団として荒れ狂って対峙してやるだけの身体を、生身の感覚を、たとえ意に染まぬとも心励まし再起動を試みなければ、この閉塞状況はこの先、乗り越えられないでしょう。
そう考えれば、崔洋一がビートたけしを擁して『血と骨』という、在日一世のミもフタもない身体的あり方に焦点をあてたような作品を映画化してみせたのも理解できる。彼らの〈リアル〉は今や、ニッポンの日常から明確に異物であり、排除のモメントを引き出すものであり、同じ社会に生きる者として通底させる何ものかも薄れてしまった、単に見世物としての異形でしかなくなっています。彼らが体現してきた生身の「濃さ」は、ある部分彼らの親の世代、在日一世たちとの関係の中でつくられてきたもの、という部分があるらしい。そしてその程度に、このニッポンの「豊かさ」の中で彼らもまた、在日二世になっていったということを、こちらから裏返しに思い知らせる必要がある、ということです。
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そういう意味で今回、崔洋一に噛みつかれたのが28歳のウエブデザイナー、ネット上でも「アニオタ保守本流」を標榜して案外広く活動している御仁だったのは、象徴的かも知れません。
崔洋一の眼からは、彼の表明した思想や歴史観以前に、まず生身のあり方、世代的にたたずまい的に身体なき口先だけの「ネトウヨ」の典型のように見えたでしょう。だから一気に沸点があがった、と。その程度に思想や歴史観にもまた、世代や生活背景、生身の変数にしっかりとしがらんでいることを、彼の生身が期せずして教えてくれた。
「植民地支配を肯定するような考え方(の人間)には歴史を語る資格がない」と言いはなった、そこで問題なのは「考え方」そのものでなく、むしろそのような考え方を宿す生身も含めた「資格」の中身というのが、実は本当にほぐしてゆかねばならないポイントだったようです。表層の歴史観などよりもなお深くくぐもった、それを支える生身のあり方がすでに違うこと、それが事態の本質だったのではないか、と。
その後、噛みつかれた側の古屋氏も自身のブログその他で、この顛末について現場の様子も含めて言及、それらにもフォロワーがついて、今回のこの事態は立体的に、いまどきの情報環境の中で「わかられて」ゆきました。61歳の崔洋一と、28歳の古屋経衛。世代間格差としてはまさに親子、父と子。それが歴史観を間にメディアの舞台で出会い頭に衝突した。在日だ歴史観だ、といった要素に眼くらまされて、その背後にあるこういうズレがきっとうっかり本質に触れているかも知れないことにも、われわれは敏感であるべきです。
かつてあった父性の痕跡が、今や崔洋一のような在日/半島系団塊オヤジのあり方にしか揺曳できなくなっている悲喜劇。いや、アイロニーとここもまた二重の皮肉を込めて言っておいてもいいですが、いずれにせよ、メディアの舞台が介在したところで上演されてゆく水準での〈リアル〉は、われわれの好むと好まざるとに関わらず、今や彼らの側に首根っこおさえられる形になっているようです。