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2016年06月11日 23:47
> 朝日が主張してたのは、20万人をシステマティックに強制連行する命令の結果としての強制連行。 朝日新聞の記事には、このようなことを述べたのはないとおもいます。 あれば、ご指摘ください。
2016年06月11日 23:32
>> これらを、ひとつの出来事と誤解すると、「強制連行された」と「売られた」ということで、矛盾します。 > と、いうより関係無い話を持って来て議論を混乱させている 金額順さんは、「親に売られた」とも「拉致された」とも言って、矛盾しているという人が多いのでので、これらは別の時に起きたことで、矛盾しないことを指摘しただけです。
2016年06月11日 15:22
> 十四歳の時に四十円でキーセンに売られた 14才では、キーセンになれません。 17才でも妓生になれないので、養父に連れられて、中国へ行ったそうです。
2016年06月11日 15:11
> 上の記事も、植村さんの記事なんだろうか。 金額順さんが17才のとき、北京で拉致されたというのは、サラ・ソー教授の本にある記述で、「だまされて、中国南部の慰安所に連れて行かれた」というのは、植村氏の記事です。 私は、「兵士達は二人の少女をトラックの乗せ」を強制連行と理解したのですが、これは、「騙して、トラックに乗せた」のかもしれません。ただし、「だまして、連れていく」は「拉致」です。 それから、金額順さんは、14才のときに実母から養父に売られています。 これらを、ひとつの出来事と誤解すると、「強制連行された」と「売られた」ということで、矛盾します。
2016年06月11日 14:53
> 当然、私は判決文を読んでる。 それは、知りませんでした。 > 名誉毀損に該当するのなら、なんで、名誉毀損を訴えた裁判で負けたのか。 もう一度、判決文を読んでください。
2016年06月11日 14:30
> 日本軍の業務日誌等に該当する活動が読み取れるはずですよ。「らしい」と書くのは、まだ読み取れていないからでしょう。 拉致が事実であったとしても、これは日本軍部隊が独自におこなったことですから、公式記録には記載されていないと思います。さらに、日本軍のほとんどの記録は、ポツダム宣言の受諾から連合軍の駐留が始まるまでの間に、燃やされてしまいました。
2016年06月11日 02:46
> T.M.さん、断言しないのは憶測だからなのでしょうか。他人がこういう表現をするとねちっこく絡みますが、自分はOKなんですね。 これは私の意見ではありません。 金額順さんが日本軍の慰安婦になった経過の説明はいろいろあって、どれが本当かわからないので、サラ・ソー教授は、金額順さんに会って、いろいろ質問をして、一応の結論としたことです。そこで、サラ・ソー教授もこの結論が正しいと断定はしていません。 正しいと思われるのは、金額順さんが「仕事」をさせられたのは、正規の慰安所でなくて、現地の部隊がかってに作った慰安所であったことです。これは、金額順さんの一貫した慰安所の記述から読み取れます。 このような、現地の部隊がかってに作った慰安所のために、日本軍部隊が慰安婦を拉致してきたと書いてある資料は、いくつかあります。
2016年06月11日 02:03
> 何でさらわれて来た者に親の承諾書や戸籍謄本がついてくるのか。 戸籍謄本がついて来たら、何で、規則違反である17才未満の少女が慰安婦ににされたのですか?
2016年06月11日 01:57
> <米軍調書:朝鮮人慰安婦は志願したか親に売られた者だった> 6月10日 http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/117000c この記事をご紹介くださり、ありがとうございます。 > 「太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は”志願したか親に売られた者だった。 慰安婦問題を否定している人たちは、しばしばテキサス親父殿が発見したいう米軍の資料を引用しています。その資料に記載されている慰安婦達は、「シンガポールで良い仕事があるとだまされた」と書いてあります。 サラ・ソー教授による、元慰安婦たちの聞き取り調査によると、「慰安婦の募集を行ったのは、民間の朝鮮人業者(64)、民間の日本人業者(35)、警官(45)、兵士もしくは軍属(45)、地方行政区の長(17)、教師(4)、親類縁者(2)である」となっています。 様々な募集形態の割合は、よくわかっていません。 > 日本の内地もまだ貧困が残る時代であった事や売春が合法であった事は無視し 公娼制度があったということは、公娼を利用するお金はあったということです。 > 朝日新聞の慰安婦記事は「誤報でなく捏造」で、企画したのは植村氏でなく、上司の大阪社会部デスクの鈴木規雄(故人)と池田信夫氏は解説している。 池田先生が、どれほどデタラメなことを書くかは、別の所で指摘しました。それでは、産経新聞や読売新聞の誤報も、朝日新聞による捏造でしょうか?
2016年06月10日 17:57
日本軍の慰安婦を問題とした韓国の挺対協は、朝鮮戦争時の慰安婦に関して韓国政府を告訴しましたが、今度はベトナムにおける韓国の軍人が利用した慰安婦などの問題に取り組むそうです。 みなさんも、挺対協を応援しましょう。
2016年06月10日 17:44
> この証言は、植村たちが誘導した疑惑もあります。 植村氏の記事では、「女性 (金額順さん)の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は、「春子」(仮名)と日本名をつけられた。一歳年上の女性が日本語を話しし、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日、三、四人の相手をさせられたという」となっています。 植村氏は、「強制連行」されたとは、書いていません。
2016年06月10日 17:36
> 吉見が名誉毀損だと訴えて、判決では、名誉毀損に該当するとなっていたなら、吉見は裁判に勝ってる筈ではなかろうか。 判決文を読んでください。
2016年06月10日 17:33
> サラ・ソー当たりの学者も、その辺がわかっていないと思う。義父といっても検番なら、将来は売るのが目的なのは見え見え。 義父が金額順さんを買ったのは、将来は売るのが目的であったのは、サラ・ソー教授にも分かっているはずです。慰安婦にするためなら、妓生学校に3年間も通わせません。妓生として高く売るか働かせるつもりだったのを、日本軍部隊にさらわれてしまったようです。
2016年06月10日 17:26
> 韓国で誤解が広がった これは、逆です。朝鮮で、『女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』ということが、戦中・戦後も信じられていたのを、植村氏が輸入したのです。
2016年06月10日 17:12
> 日本軍の強制連行です 朝日新聞が認めたのは、「吉田清治の済州島における慰安婦狩り」と「挺身隊と慰安婦の混同」の誤りです。「日本軍(部隊)の強制連行」は、各戦地でありましたから、朝日新聞は「事実はなかった」と謝罪したということはありません。
2016年06月10日 17:05
> そもそもTM氏は、朝鮮半島じゃ強制連行はなかったと言ってた筈だが。ぶれぶれにぶれとるぞ。 朝鮮では慰安婦の強制連行があったという信頼できる資料は、私の知る限り、ないといっているだけです。 それから、植村氏の記事は、「誤報で」あって、「捏造」ではないと思っています。
2016年06月10日 16:57
> TM氏が、ヒックスが誰にあったか会わぬか頑張っているが、あまり関係ない。 私は、ヒックスの本やクマラスワミ報告書が信頼できるとはおもっていません。ただ、池田先生がデタラメなことを書いていることを指摘するために、一番分かりやすい例をあげただけです。
2016年06月10日 16:50
> サラ・ソウ教授の話にしても、西岡氏とは異なる見解がある事を示しても意味はなく、西岡氏が依拠した情報について論じる必要があります。「事後的に」主張が正しかったかどうかではなく、「その時点」で正しいと信じる情報があったかどうか、がポイントです。 植村氏の記事が捏造でないことは、植村氏が依拠した情報について論じる必要があります。「事後的に」主張が正しかったかどうかではなく、「その時点」で正しいと信じる情報があったかどうか、がポイントです。 サラ・ソウ教授の本には、挺身隊に志願すると慰安婦にされるということが、朝鮮では、戦争中も戦後においても広く信じられていたということが、50ページほどにわたり、詳しく説明されています。 この説は、日本でも千田夏光氏なども受け継いでいました、さらに、産経新聞や読売新聞も、そうした記事を掲載しました。 結論としては、植村氏の記事を捏造と呼ぶのは誤りであるが、西岡氏がそう信じた理由もあったということですか?西岡氏は、現在はどういっておられますか? 現在、広く出回っているのは、「植村氏捏造記者」という意見です。これはどうおもわれますか? この記事では、植村氏のことを「人間ではない」とまでいっています
2016年06月10日 16:29
> 池田信夫氏が信頼出来ない(と、僕も思いますが)ことや、彼がHicks 本もクマラスワミ報告書も読んでいない(と、いうより恣意的な解釈じゃないかな?)ことと、植村氏サイドの主張は関係のない話です。 池田先生は、「素人の私たちよりは、当時NHKにいたわけだし、真実に近いところにいるはず」として、次の記事が紹介されていました。 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51917636.html この記事の中身は、池田先生の書かれた本の目次です。私は、この本を読んでいませんが、池田先生のブログは時々読んでいますので、「植村記者の偽スクープ 」とか『「キーセン」が「連行」に化けた 』という目次の表題と同じ内容と思われる彼のブログ記事もよみました。 また、「ノビーは信用ならぬというかもしれないけれど」ともありましたので、池田先生がどの程度でデタラメなことを書くかという例をあげただけです。
2016年06月10日 16:07
> 金額順ではなく、元慰安婦を名乗っていた金学順の間違いではありませんか? 「植村氏の記事にある金額順さんの証言にある嘘をご指摘ください」は。「元慰安婦として名乗りでた金額順さんの、植村氏の記事にある証言における嘘をご指摘ください」がより正確な表現です。 元のコメントに、「被害者(金額順さん)と主張する人間の一方的言い分を、何の検証もせずにひたすら広め続け、その言い分に対する疑惑についても一切目を向けず、無視し、検証すらしなかった。そしてその主張のほとんどが嘘だと判った後でも、何の反省も無く」とありますので、コメント主は、当然、「植村氏の記事にある金額順さんの証言にある嘘」を知っていると思いました。
2016年06月10日 08:58
できましたら、カリホルニア州立大学のサラ・ソー教授の ”The Comfort Women” という本を読んでください。 ソー教授は朝鮮の慰安婦問題についての研究における第一人者でしょう。植村氏による、「捏造」でなくて「誤報」の根拠がよくわかります。
2016年06月10日 08:51
もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 養父には、14才の時に売られたようです。
2016年06月10日 08:50
> このときは、裁判所が名誉毀損にあたらぬとして請求棄却しちまったものだから 判決では、名誉毀損に該当するとしています。
2016年06月10日 08:36
金額順さんが連れていかれたのは、日本軍の正式な慰安所でなくて、現地の部隊が勝手に作った慰安所のようです。そこで、金額順さんには、給金は払われなかったそうです。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、金額順さんが、「強制連行」により慰安婦にされたいきさつを下記のように書いています。ただし、金額順さんが過去の不幸な出来事を忘れようとしていて、彼女の他の話と食い違いあることを、ソウ教授は認めています。 *** (127 - 130頁) もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 翌日になると、兵士達が自家製の2つの木製のベッドを持ち込みました。ひとつは彼女のため、もうひとつは別の少女のためでした。そのレンガ造りの家は、中国人が逃げ出し後、慰安所にされたもので、既に5人の朝鮮人女性がいました。一応、自分達で料理をしましたが、日本兵にご飯を頼むとご飯とスープ(味噌汁?)を持ってい来てくれました。そして、兵士達は、ビスケットのような菓子をときどきこっそりと持ってきてくれました。
2016年06月10日 08:31
「女子挺身隊」の名で戦場に連行され」たとは、読売新聞も書いていましたし、さらに、産経新聞となると、「連行」が「強制連行」になりました。 それから、台湾政府の立場は、看護婦や給仕の名目で「志願」させられ、現地に着いたら慰安婦にされた女性たちがいたという立場で、これは、教科書にも書いてあるので、ほとんどの台湾人は知っているそうです。
2016年06月10日 08:23
植村氏は、金額順さんが、「17歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」と書いていますが。「強制連行」されたとは書いていません。 まず。彼女は14才のとき、彼女を妓生にしようとする養父に売られたようです。 「金額順さんが17才のときに、養父に北京に連れていかれ、そこで日本軍部隊に拉致されたというのが本当らしい」と、サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授は書いています。
2016年06月10日 08:10
> 日本軍の強制連行です 日本軍部隊による強制連行でしたら、インドネシア、フィリピン、中国などにおける例がたくさんあります。 「挺身隊として強制連行」という記事なら、産経のものがあります 植村氏が書いた記事で、「強制連行」というものがありましたら、ご指摘ください。
2016年06月10日 07:53
> 植村氏の記事には慰安婦と挺身隊の混同等の重大な誤りがあった事を朝日新聞は認めています これは、被害者と主張する人間の一方的言い分」とは関係ありません。
2016年06月10日 07:51
翌日になると、兵士達が自家製の2つの木製のベッドを持ち込みました。ひとつは彼女のため、もうひとつは別の少女のためでした。そのレンガ造りの家は、中国人が逃げ出し後、慰安所にされたもので、既に5人の朝鮮人女性がいました。一応、自分達で料理をしましたが、日本兵にご飯を頼むとご飯とスープ(味噌汁?)を持ってい来てくれました。そして、兵士達は、ビスケットのような菓子をときどきこっそりと持ってきてくれました。 業者が調達した慰安婦達は給金をもらっていましたが、彼女は給金はもらえませんでした。(彼女ともう一人の少女は、兵士達がさらってきた員数外の慰安婦だったようです。) 日本兵には荒っぽい男も優しい男もいました。いやらしい行為を要求する兵士に抵抗すると、こっぴどく殴られることもありました。 そのうちに、より戦場に近い慰安所に移動し、惨めな生活になりました。そして、朝鮮人の行商人が彼女の部屋に忍び込んできたときに、彼に懇願して脱走しました。 *** つまり、サラ・ソウ教授が金額順さんに会って得た話から得た情報によると、彼女は、親には売られ、日本軍兵士たちに強制連行されたということです。
2016年06月10日 07:47
> キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。 まず、金額順さんは、14才のとき、養父に売られたようです。養父は、彼女を妓生にしようと考えていたので、妓生の訓練をうけました。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、金額順さんが、「強制連行」により慰安婦にされたいきさつを下記のように書いています。この本は、韓国に都合の悪いことも、日本に都合の悪いことも、事実を書くという態度ですので信頼できるとおもいます。ただし、金額順さんが過去の不幸な出来事を忘れようとしていて、彼女の他の話と食い違いあることを、ソウ教授は認めています。 *** (127 - 130頁) もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 (つづく)
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2016年06月11日 23:47
> 朝日が主張してたのは、20万人をシステマティックに強制連行する命令の結果としての強制連行。 朝日新聞の記事には、このようなことを述べたのはないとおもいます。 あれば、ご指摘ください。
2016年06月11日 23:32
>> これらを、ひとつの出来事と誤解すると、「強制連行された」と「売られた」ということで、矛盾します。 > と、いうより関係無い話を持って来て議論を混乱させている 金額順さんは、「親に売られた」とも「拉致された」とも言って、矛盾しているという人が多いのでので、これらは別の時に起きたことで、矛盾しないことを指摘しただけです。
2016年06月11日 15:22
> 十四歳の時に四十円でキーセンに売られた 14才では、キーセンになれません。 17才でも妓生になれないので、養父に連れられて、中国へ行ったそうです。
2016年06月11日 15:11
> 上の記事も、植村さんの記事なんだろうか。 金額順さんが17才のとき、北京で拉致されたというのは、サラ・ソー教授の本にある記述で、「だまされて、中国南部の慰安所に連れて行かれた」というのは、植村氏の記事です。 私は、「兵士達は二人の少女をトラックの乗せ」を強制連行と理解したのですが、これは、「騙して、トラックに乗せた」のかもしれません。ただし、「だまして、連れていく」は「拉致」です。 それから、金額順さんは、14才のときに実母から養父に売られています。 これらを、ひとつの出来事と誤解すると、「強制連行された」と「売られた」ということで、矛盾します。
2016年06月11日 14:53
> 当然、私は判決文を読んでる。 それは、知りませんでした。 > 名誉毀損に該当するのなら、なんで、名誉毀損を訴えた裁判で負けたのか。 もう一度、判決文を読んでください。
2016年06月11日 14:30
> 日本軍の業務日誌等に該当する活動が読み取れるはずですよ。「らしい」と書くのは、まだ読み取れていないからでしょう。 拉致が事実であったとしても、これは日本軍部隊が独自におこなったことですから、公式記録には記載されていないと思います。さらに、日本軍のほとんどの記録は、ポツダム宣言の受諾から連合軍の駐留が始まるまでの間に、燃やされてしまいました。
2016年06月11日 02:46
> T.M.さん、断言しないのは憶測だからなのでしょうか。他人がこういう表現をするとねちっこく絡みますが、自分はOKなんですね。 これは私の意見ではありません。 金額順さんが日本軍の慰安婦になった経過の説明はいろいろあって、どれが本当かわからないので、サラ・ソー教授は、金額順さんに会って、いろいろ質問をして、一応の結論としたことです。そこで、サラ・ソー教授もこの結論が正しいと断定はしていません。 正しいと思われるのは、金額順さんが「仕事」をさせられたのは、正規の慰安所でなくて、現地の部隊がかってに作った慰安所であったことです。これは、金額順さんの一貫した慰安所の記述から読み取れます。 このような、現地の部隊がかってに作った慰安所のために、日本軍部隊が慰安婦を拉致してきたと書いてある資料は、いくつかあります。
2016年06月11日 02:03
> 何でさらわれて来た者に親の承諾書や戸籍謄本がついてくるのか。 戸籍謄本がついて来たら、何で、規則違反である17才未満の少女が慰安婦ににされたのですか?
2016年06月11日 01:57
> <米軍調書:朝鮮人慰安婦は志願したか親に売られた者だった> 6月10日 http://mainichi.jp/articles/20160610/k00/00m/010/117000c この記事をご紹介くださり、ありがとうございます。 > 「太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は”志願したか親に売られた者だった。 慰安婦問題を否定している人たちは、しばしばテキサス親父殿が発見したいう米軍の資料を引用しています。その資料に記載されている慰安婦達は、「シンガポールで良い仕事があるとだまされた」と書いてあります。 サラ・ソー教授による、元慰安婦たちの聞き取り調査によると、「慰安婦の募集を行ったのは、民間の朝鮮人業者(64)、民間の日本人業者(35)、警官(45)、兵士もしくは軍属(45)、地方行政区の長(17)、教師(4)、親類縁者(2)である」となっています。 様々な募集形態の割合は、よくわかっていません。 > 日本の内地もまだ貧困が残る時代であった事や売春が合法であった事は無視し 公娼制度があったということは、公娼を利用するお金はあったということです。 > 朝日新聞の慰安婦記事は「誤報でなく捏造」で、企画したのは植村氏でなく、上司の大阪社会部デスクの鈴木規雄(故人)と池田信夫氏は解説している。 池田先生が、どれほどデタラメなことを書くかは、別の所で指摘しました。それでは、産経新聞や読売新聞の誤報も、朝日新聞による捏造でしょうか?
2016年06月10日 17:57
日本軍の慰安婦を問題とした韓国の挺対協は、朝鮮戦争時の慰安婦に関して韓国政府を告訴しましたが、今度はベトナムにおける韓国の軍人が利用した慰安婦などの問題に取り組むそうです。 みなさんも、挺対協を応援しましょう。
2016年06月10日 17:44
> この証言は、植村たちが誘導した疑惑もあります。 植村氏の記事では、「女性 (金額順さん)の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は、「春子」(仮名)と日本名をつけられた。一歳年上の女性が日本語を話しし、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日、三、四人の相手をさせられたという」となっています。 植村氏は、「強制連行」されたとは、書いていません。
2016年06月10日 17:36
> 吉見が名誉毀損だと訴えて、判決では、名誉毀損に該当するとなっていたなら、吉見は裁判に勝ってる筈ではなかろうか。 判決文を読んでください。
2016年06月10日 17:33
> サラ・ソー当たりの学者も、その辺がわかっていないと思う。義父といっても検番なら、将来は売るのが目的なのは見え見え。 義父が金額順さんを買ったのは、将来は売るのが目的であったのは、サラ・ソー教授にも分かっているはずです。慰安婦にするためなら、妓生学校に3年間も通わせません。妓生として高く売るか働かせるつもりだったのを、日本軍部隊にさらわれてしまったようです。
2016年06月10日 17:26
> 韓国で誤解が広がった これは、逆です。朝鮮で、『女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』ということが、戦中・戦後も信じられていたのを、植村氏が輸入したのです。
2016年06月10日 17:12
> 日本軍の強制連行です 朝日新聞が認めたのは、「吉田清治の済州島における慰安婦狩り」と「挺身隊と慰安婦の混同」の誤りです。「日本軍(部隊)の強制連行」は、各戦地でありましたから、朝日新聞は「事実はなかった」と謝罪したということはありません。
2016年06月10日 17:05
> そもそもTM氏は、朝鮮半島じゃ強制連行はなかったと言ってた筈だが。ぶれぶれにぶれとるぞ。 朝鮮では慰安婦の強制連行があったという信頼できる資料は、私の知る限り、ないといっているだけです。 それから、植村氏の記事は、「誤報で」あって、「捏造」ではないと思っています。
2016年06月10日 16:57
> TM氏が、ヒックスが誰にあったか会わぬか頑張っているが、あまり関係ない。 私は、ヒックスの本やクマラスワミ報告書が信頼できるとはおもっていません。ただ、池田先生がデタラメなことを書いていることを指摘するために、一番分かりやすい例をあげただけです。
2016年06月10日 16:50
> サラ・ソウ教授の話にしても、西岡氏とは異なる見解がある事を示しても意味はなく、西岡氏が依拠した情報について論じる必要があります。「事後的に」主張が正しかったかどうかではなく、「その時点」で正しいと信じる情報があったかどうか、がポイントです。 植村氏の記事が捏造でないことは、植村氏が依拠した情報について論じる必要があります。「事後的に」主張が正しかったかどうかではなく、「その時点」で正しいと信じる情報があったかどうか、がポイントです。 サラ・ソウ教授の本には、挺身隊に志願すると慰安婦にされるということが、朝鮮では、戦争中も戦後においても広く信じられていたということが、50ページほどにわたり、詳しく説明されています。 この説は、日本でも千田夏光氏なども受け継いでいました、さらに、産経新聞や読売新聞も、そうした記事を掲載しました。 結論としては、植村氏の記事を捏造と呼ぶのは誤りであるが、西岡氏がそう信じた理由もあったということですか?西岡氏は、現在はどういっておられますか? 現在、広く出回っているのは、「植村氏捏造記者」という意見です。これはどうおもわれますか? この記事では、植村氏のことを「人間ではない」とまでいっています
2016年06月10日 16:29
> 池田信夫氏が信頼出来ない(と、僕も思いますが)ことや、彼がHicks 本もクマラスワミ報告書も読んでいない(と、いうより恣意的な解釈じゃないかな?)ことと、植村氏サイドの主張は関係のない話です。 池田先生は、「素人の私たちよりは、当時NHKにいたわけだし、真実に近いところにいるはず」として、次の記事が紹介されていました。 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51917636.html この記事の中身は、池田先生の書かれた本の目次です。私は、この本を読んでいませんが、池田先生のブログは時々読んでいますので、「植村記者の偽スクープ 」とか『「キーセン」が「連行」に化けた 』という目次の表題と同じ内容と思われる彼のブログ記事もよみました。 また、「ノビーは信用ならぬというかもしれないけれど」ともありましたので、池田先生がどの程度でデタラメなことを書くかという例をあげただけです。
2016年06月10日 16:07
> 金額順ではなく、元慰安婦を名乗っていた金学順の間違いではありませんか? 「植村氏の記事にある金額順さんの証言にある嘘をご指摘ください」は。「元慰安婦として名乗りでた金額順さんの、植村氏の記事にある証言における嘘をご指摘ください」がより正確な表現です。 元のコメントに、「被害者(金額順さん)と主張する人間の一方的言い分を、何の検証もせずにひたすら広め続け、その言い分に対する疑惑についても一切目を向けず、無視し、検証すらしなかった。そしてその主張のほとんどが嘘だと判った後でも、何の反省も無く」とありますので、コメント主は、当然、「植村氏の記事にある金額順さんの証言にある嘘」を知っていると思いました。
2016年06月10日 08:58
できましたら、カリホルニア州立大学のサラ・ソー教授の ”The Comfort Women” という本を読んでください。 ソー教授は朝鮮の慰安婦問題についての研究における第一人者でしょう。植村氏による、「捏造」でなくて「誤報」の根拠がよくわかります。
2016年06月10日 08:51
もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 養父には、14才の時に売られたようです。
2016年06月10日 08:50
> このときは、裁判所が名誉毀損にあたらぬとして請求棄却しちまったものだから 判決では、名誉毀損に該当するとしています。
2016年06月10日 08:36
金額順さんが連れていかれたのは、日本軍の正式な慰安所でなくて、現地の部隊が勝手に作った慰安所のようです。そこで、金額順さんには、給金は払われなかったそうです。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、金額順さんが、「強制連行」により慰安婦にされたいきさつを下記のように書いています。ただし、金額順さんが過去の不幸な出来事を忘れようとしていて、彼女の他の話と食い違いあることを、ソウ教授は認めています。 *** (127 - 130頁) もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 翌日になると、兵士達が自家製の2つの木製のベッドを持ち込みました。ひとつは彼女のため、もうひとつは別の少女のためでした。そのレンガ造りの家は、中国人が逃げ出し後、慰安所にされたもので、既に5人の朝鮮人女性がいました。一応、自分達で料理をしましたが、日本兵にご飯を頼むとご飯とスープ(味噌汁?)を持ってい来てくれました。そして、兵士達は、ビスケットのような菓子をときどきこっそりと持ってきてくれました。
2016年06月10日 08:31
「女子挺身隊」の名で戦場に連行され」たとは、読売新聞も書いていましたし、さらに、産経新聞となると、「連行」が「強制連行」になりました。 それから、台湾政府の立場は、看護婦や給仕の名目で「志願」させられ、現地に着いたら慰安婦にされた女性たちがいたという立場で、これは、教科書にも書いてあるので、ほとんどの台湾人は知っているそうです。
2016年06月10日 08:23
植村氏は、金額順さんが、「17歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」と書いていますが。「強制連行」されたとは書いていません。 まず。彼女は14才のとき、彼女を妓生にしようとする養父に売られたようです。 「金額順さんが17才のときに、養父に北京に連れていかれ、そこで日本軍部隊に拉致されたというのが本当らしい」と、サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授は書いています。
2016年06月10日 08:10
> 日本軍の強制連行です 日本軍部隊による強制連行でしたら、インドネシア、フィリピン、中国などにおける例がたくさんあります。 「挺身隊として強制連行」という記事なら、産経のものがあります 植村氏が書いた記事で、「強制連行」というものがありましたら、ご指摘ください。
2016年06月10日 07:53
> 植村氏の記事には慰安婦と挺身隊の混同等の重大な誤りがあった事を朝日新聞は認めています これは、被害者と主張する人間の一方的言い分」とは関係ありません。
2016年06月10日 07:51
翌日になると、兵士達が自家製の2つの木製のベッドを持ち込みました。ひとつは彼女のため、もうひとつは別の少女のためでした。そのレンガ造りの家は、中国人が逃げ出し後、慰安所にされたもので、既に5人の朝鮮人女性がいました。一応、自分達で料理をしましたが、日本兵にご飯を頼むとご飯とスープ(味噌汁?)を持ってい来てくれました。そして、兵士達は、ビスケットのような菓子をときどきこっそりと持ってきてくれました。 業者が調達した慰安婦達は給金をもらっていましたが、彼女は給金はもらえませんでした。(彼女ともう一人の少女は、兵士達がさらってきた員数外の慰安婦だったようです。) 日本兵には荒っぽい男も優しい男もいました。いやらしい行為を要求する兵士に抵抗すると、こっぴどく殴られることもありました。 そのうちに、より戦場に近い慰安所に移動し、惨めな生活になりました。そして、朝鮮人の行商人が彼女の部屋に忍び込んできたときに、彼に懇願して脱走しました。 *** つまり、サラ・ソウ教授が金額順さんに会って得た話から得た情報によると、彼女は、親には売られ、日本軍兵士たちに強制連行されたということです。
2016年06月10日 07:47
> キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。 まず、金額順さんは、14才のとき、養父に売られたようです。養父は、彼女を妓生にしようと考えていたので、妓生の訓練をうけました。 サンフランシスコ州立大学のサラ・ソウ教授の「The Comfort Women」という本には、金額順さんが、「強制連行」により慰安婦にされたいきさつを下記のように書いています。この本は、韓国に都合の悪いことも、日本に都合の悪いことも、事実を書くという態度ですので信頼できるとおもいます。ただし、金額順さんが過去の不幸な出来事を忘れようとしていて、彼女の他の話と食い違いあることを、ソウ教授は認めています。 *** (127 - 130頁) もう一人の少女とともに義父に連れられて北京に着きました。そして、日本兵に出会ったら、将校が義父に朝鮮から来たかと訊き、スパイの疑いで義父を連行しました。兵士達は二人の少女をトラックの乗せ、将校が帰ってくると、トラックは走り出しました。そして、ときには、銃弾を避けるためにトラックの下に隠れ、翌日の夕刻に、ある家に着きました。夕方遅くになると将校が彼女の上にかぶさり、夜中に再び彼女を強姦しました。 (つづく)