表題の旧流路蛇行部を観て来ました。
この場所(流路内側)は熊谷市といっても行田市に囲まれ、熊谷市の飛地みたいな場所です。
この蛇行した旧流路が過去に本流であった頃、この流路が村界になっていた事で、現在においてもそのまま区分されているようです。
先ずは上記地図
下流端部の現地画像
続いて、蛇行部中央部分
上流方向
下流方向
旧流路はかなりの幅員があり、道路中央部に水路として残されています。
此処は旧流路跡が明確に判りますが、当時の痕跡は窺えません。
この後、天気が良いので荒川の土手を歩いてみました。
菜の花が一面に敷き詰めた様に咲いていました。
昭和22年9月に発生したカスリーン台風による欠壊場所を示す案内板
案内板にも掲載されていましたが、国土地理院の空撮画像にも、決壊後の溜水が写っていました。
以降は、おまけ的な内容ですが、、、
荒川の瀬替えについて更に詳細を得たく、貼付画像の本を借りて見てみました。
ネット検索していた際に荒川の瀬替えについて記されている「荒川総合調査報告書」というタイトルに惹かれ目を通したものの、、、
「人文」と表している通り、本書は述部書であって過去の文献を参考にした記述者の憶測や見解が主体の内容であり、根拠・裏付けが不明瞭では、、、と残念に思いました。
私より奇才の学識者?が書かれているのに否定的な内容ですみません。
ペコリ
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