というのも、感染者数が「減らない」、あるいは、「増える」ということが起こるのは、政策の方向性のほか、「地域住民の協力が思うようには得られなかった」という背景もあると思う。「政策がどこまで効くか」というのは、「どれくらい協力してくれるか」によって大きく左右されるのだ。
つまり、首都圏で減らないのは首都圏で暮らす方々の暮らしの中で、思った通りには感染に至り得る接触を防ぐことが達成できなかった、ということである。と言っても「自粛警察」を発動して、他者を責め立てたほうが良い、と言っているのではない。この感染症は皆で協力しないと防げないことは自明なのである。
香港やシンガポールのようなアジア地域や欧州連合に属する諸外国では「連帯」が呼び掛けられ、他者を褒めたたえながら、手を取り合って流行の制御をしようとする動きも見られてきた。
「一億総評論家」的に物事を斜に見るのではなく、この流行を制御するのは自身らであるという「当事者意識」を持った対応が実は極めて重要な役割を果たすのである。しかし、現状は「当事者意識」よりも、主権者である私たち1人1人が他者に頼りすぎた構造になってしまっていると考えている。
例えば、私たちの意識の中で、感染者数が思うように減らないことについて、すべて首相や首長などの責任だと思っていないだろうか。また、その状況が変わらないといけないことについて、専門家に任せるべきというような依頼心が強くはないだろうか。
ではなぜ、そのような状態になっているかというと、1つには政治家や行政の「発信」不足とメッセージの不達があると考えている。
「自粛を要請する」形での緊急事態宣言の成功は、主体が市民にある、ということが前提である。政治家のメッセージが国民に届き、要請への協力が十分に得られれば得られるほど新たな伝播は少なく済むし、そうでなければ感染者数は思うようには減らない、ということはこれまでにも述べた通りだ。
いまの自粛が何のためにあるのか、具体的に誰にどうして欲しいのか、延長や解除をどう考えていて未来をどう見通しているのか、目標やゴール地点は何であって、だから何をするのかなど、伝えるべきは山ほどある。それを首相が飽きられてしまうくらいに語り尽くさないで、皆にどうしろと言うのだろう。
今までの宣言時や延長時の会見では到底不足している。私は1年前から政策を決定する政治家と国民のコミュニケーションの問題、つまり政治家の発信の仕方に対する懸念を伝えてきたが、抜本的な改善へ導けてないことを申し訳なく思っている。残念なのは、それどころか逆影響を起こすことに“熱心”であることだ。細部を振り返ることは有益でないので控えるが、「声が届かない理由」というのをしっかり見つめた上で次の戦略を立てないといけない。