同じ“轍”を踏まないために、まずは2度の緊急事態宣言で見えてきたことを振り返りたい。1度目の緊急事態宣言では、強くステイホームが呼びかけられ、一時的にせよ全都道府県が対象となった。官邸オリジナルの判断に基づく学校閉鎖も継続中であった。また、4月から5月は映画館や百貨店などの営業自粛が要請された。
一方、今年1月8日に発出された2度目の緊急事態宣言では、飲食店に対策を限定はしなかったものの、リモートワークの実施要請などが目立った。他にもイベント開催の制限などが呼びかけられ、間接的な影響として航空機を含む公共交通を利用した移動などが緊急時の対応になった。
実は1度目に比べて2度目は対策を組み合わせながら一定の経済活動を維持している。この組み合わせでウイルスの伝播しやすい冬季にもかかわらず感染者が数千から数百に減ったことは本当に喜ばしいことである。
一方で、直近の感染状況を見れば新規感染が家庭や施設、その他のそれぞれの場で引き続き発生している訳であり、それが極端には減っていない、というのもまた現実である。
感染者数を思うように減らせていない理由はもちろん複合的だ。上記で述べたように、流行対策の「政策の大きな方向性」によるものもあるだろう。しかし、今回は最も日本に欠けてきたものを理解するために、「政府の責任とばかり思ってはいけない」ということを敢えて最初に主張しておきたい。
誤解がないように強調しておきたいのだが、この流行の影響で減収になったり、厳しい生活を強いられていたりする方が多い中、痛みを受けている皆さんがいることを私は科学者の一人としてとてもつらい思いで直視している。
1つ1つ、誰も望んでいなかった過去や未来の姿を心を刺しつつ噛みしめており、もっと専門知や様々な対策を結集して別のストーリーにできなかったのかと苦い思いばかりを背負い続けて毎日を送っている。そうだとしても、この話は伝えておかなければならない。