エピローグ1 ついに人間やめました
目を開くと、目の前にエレミアの顔があった。
「エドガー君! 無事!?」
俺にしがみつき、エレミアが心配そうに言ってくる。
「ん……ここは?」
俺は周囲を確認する。
巨大な円筒形の空間の中に、いくつもの座席。その周囲はいろんな機材に囲まれていた。
ジャンボジェット機を改造して作ったというスペースクラフト。
もう何年前になるだろうか。物心溶融フィールドへ突入した時に乗っていた機体だ。
俺は、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる銀髪の美少女を見て、思わずつぶやく。
「エレミア……生きてたのか」
俺の言葉に、エレミアががくりと頭を落とす。
「失礼だな! もちろん生きてるよ! あの程度の罠で死んでるようじゃ、とてもエドガー君のお嫁さんは務まらないよ!」
エレミアが、わりと本気で怒ってそう言った。
エレミアの顔は、突入前と比べてとくに変わったようには見えない。
エレミアはダークエルフなので、数年程度の時間では容姿はあまり変わらないはずだ。
「あれからどれくらい経ったんだ?」
おそるおそる俺が聞くと、
「えっ? いや、ボクもさっき目覚めたばかりだからちょっと」
『物心溶融フィールドに突入してからの経過時間をご質問ですか? 突入から4分17秒が経過したところです。』
どこからともなく|(正確には機内のどこかにあるスピーカーから)懐かしい電子音声が聞こえてきた。
だが、なじみのアンドロイドとの再会よりも、そのセリフの方が重大だ。
「4分だって?」
『4分22秒です。』
「いや、そこまで正確じゃなくていいから」
『冗談ですよ。場をなごませるためのアンドロイドジョークです。ロボットっぽいでしょう?』
「おまえの冗談のセンスはおかしい」
俺はため息をついた。
「いや、そんなことより、突入から5分も経ってないってことか。俺たちはどうなっていたんだ?」
『わかりません。あのフィールドに入った途端、私の精神活動は停止したとしか思えません。世界標準時を検索すると、突入から5分ほどが経過していることがわかります。私のローカルな時計は突入時に停止していたようです。』
「じゃあ、サンシローには、わたしたちが突入して、次の瞬間にわたしたちが戻ってきたように見えたということ?」
声に振り返ってみると、そこには美凪さんの姿があった。
(よかった)
エレミアも美凪さんも無事だったようだ。
「わたしもいますよー」
声がした方向に目を向ける。
俺の前の方にある座席の影から、褪せた金髪の大人の女性が顔だけをのぞかせていた。
その顔には見覚えがあるのだが、
「……誰?」
「誰とは失礼ですね! 聖剣〈
「あっ、シエルさんか。そうか、物心溶融フィールドを利用して復活したんですね」
「そういうこと。まったく、君の周りには結構いい男がいるっていうのに、お近づきになれないのがどれほど辛かったことか!」
「……変わってないみたいで安心しましたよ。でも、なんで身体を隠してるんです?」
「よくぞ聞いてくれました! おねーさんは物心溶融フィールドで復活したものの、装備品までは手が回らなかったのだ!」
「えっ、つまり、今シエルさんは」
「うっふっふ。想像した?」
「いえ、下手にからみたくないなと思っただけです。ていうかこのスペースクラフトの中に予備の服や装備があるはずでしょう。さっさと着てください」
「ちぇー」
いたずらっぽく言ってくるシエルさんを受け流す。
と、そこで俺はようやく気づく。
「メルヴィは?」
「いるわよ?」
背後から声をかけられてびっくりした。
「うわっ、気配が全然わからなかった」
「そういえばスキルを全部《
メルヴィが俺の前にふよふよと飛んできてそう言った。
「す、スキルをくべた? どういうことなの、エドガー君?」
エレミアが驚いて聞いてくる。
「ああ、実は……」
俺はエレミア、美凪さん、サンシローにこれまでの経緯を説明する。
果てしない時間、フィールドの中をさまよったこと。
数え切れないほどの年月を費やしたが、最終的にセカンダリの核を発見したこと。
核を灼くのに《
もはや、【不易不労】すら残ってないこと。
俺の話に、エレミアと美凪さんが唖然とする。
「ええっと、つまり、今の加木さんは、ほとんど一般人と変わらないってことですか?」
「レベルは残ってるから、HPやMPは高いままだけどな。スキルに関してはその通りだ」
美凪さんの質問にそう答える。
俺は、安堵のため息をついた。
「よかった……理由はわからないが、フィールド内ですごした時間は幻だったんだな。もうすべてを失ったのかと思った」
「わっ、エドガー君!」
思わずエレミアを抱きしめる。
エレミアは一瞬驚いた後、俺の身体を抱きしめてくれた。
エレミアの体温や息遣いを肌で感じながら、俺は数分もそうしていた。
「あの、わたし、そろそろいたたまれないんですけど」
美凪さんが遠慮がちに言う。
「あっ、悪い」
俺はエレミアから身体を離す。
「わたしも頑張ったんですよ?」
「ああ、美凪さんが無事でよかったよ」
頬をふくらませる美凪さんをそう言ってなだめる。
「それより……なんだ、この感覚は」
俺は頭を押さえてふらついた。
「え、エドガー君!?」
「どうしたの、エドガー!?」
エレミアがふらついた俺を支え、メルヴィが俺の目の前に飛んできて、俺の体調をチェックする。
「なんか……意識がもうろうとしてきて……全身が重くて身動きが取れない。手先にも力が入らない……」
視界が暗い。
なんでかと思ったら、まぶたがいつの間にか閉じていた。
重いまぶたを気力で持ち上げようとするが、そのまま、視界が回復することはなかった。
俺の意識はそこでふつりと途切れていた。
次に目を覚ました時、俺は白い清潔そうな部屋の中にいた。
起き上がってみると、そこは病室だった。
病室にしては広く、ベッドは俺のものしか置かれていない。
その周囲には落ち着いた色合いの木目の家具やソファが置かれている。
窓の外には青空が見えた。
そこで、病室のドアが開く。
「あら、起きたの」
入ってきたのはトーガ風の衣装に身を包んだ背の高い金髪の美女――要するに女神様だった。
「女神様か。ここは一体?」
「戦いの後、あなたは昏睡状態に陥ったのよ。それで、地球に戻ってから病院に担ぎ込まれたってわけ」
「昏睡?」
「そんなに大げさなものじゃなくて、ちょっと深めの睡眠ね。あなたは【不易不労】で、成長眠を除いてはずっと睡眠を取らないで来たでしょう。あなたの身体はそれに慣れていたから、急に眠気に襲われて普通よりも深い眠りに陥ったのよ。わたしは心配ないって言ったんだけど、念のため精密検査をしてもらったわ」
「そうだったのか……」
スペースクラフトで、意識がもうろうとし、強い気だるさを感じたのは、単に「眠くなった」だけだったらしい。
最近はレベルが高くなりすぎて、成長眠の機会すらなかったから、「眠い」ということがどういうことか、ほとんど忘れかけていた。
俺は、女神様に言った。
「ごめん」
「えっ? どうしたの?」
女神様が驚いた顔をする。
「女神様からもらった大切なスキルを燃やしちまった」
「ああ……そんなこと」
女神様がうなずく。
「そんなの、あなたが無事に帰ってきてくれたことに比べたらなんでもないわ。まあ、【不易不労】はワンオフのスキルだから、もう一度あげるということはできないわね」
「そうか……」
そう言われると寂しい気もするな。
「そういえば、結局あれはなんだったんだ? 俺はフィールドの中で何年も荒野を進み続けてたはずなんだが、戻ってみたら時間は5分も経ってなかった」
疑問に思ってたことを、女神様に聞いてみる。
「メルヴィちゃんから詳しく聞いたわ。大変だったようね」
「ああ。俺はともかく、メルヴィにはキツかっただろうな」
メルヴィもメルヴィで、「ご主人様」であるアルフェシアさんを剥落結界から救うために千年以上がんばってたような奴だ。
だから耐えられたのだと思うが、もし一緒にいたのが美凪さんだったら、途中で心が折れていたかもしれない。
「クロノスとカイロス、という言葉を知っているかしら?」
「いや……」
俺は首を振る。
「どちらも時間を表す概念なのだけれど、クロノスの方は客観的な時間を、カイロスは主観的な時間体験のことを指しているの。楽しいことは早くすぎるのに、辛いことはいつまで経っても終わらない気がするでしょう? その、客観的な時間と主観的な時間体験の差を説明しようとして作られた概念ね」
「じゃあ、俺がフィールドで閉じ込められてたのは、カイロスが異様に長い空間だったのか?」
「すこし違うわ。アキレスと亀のパラドクス、という話があってね。足の速いアキレスと、足の遅い亀が追いかけっこをする。ただし、スタート地点は亀の方が前。常識的に考えれば、足の速いアキレスはあっという間に亀に追いつくはず。でも、ある特別な論理を使うと、アキレスは亀に永遠に追いつけないことになる――そういうパラドクスよ」
「それは聞いたことがある。アキレスが亀までの距離の半分を進む間に、亀も少しは進んでる。そこからさらにアキレスが亀までの距離の半分を進む間に亀はまた進んでいる。これをずっと考えていくと、アキレスと亀の距離は徐々に縮まるけど、アキレスが亀に追いつくことは永遠にできない……って、そうか!」
自分で説明していて、ハッとした。
「あの荒野で、核はそんなに遠くないと思ったんだ。事実、少しずつは近づいてた。でも、いつまで経っても核にたどり着くことはできなかった」
「ええ。あなたがアキレス、核が亀だと考えればいいわ」
「でも、俺はアキレスと違って、進む距離が毎回半分になってたわけじゃないぞ? ずっと同じペースで進んでたはずだ」
「あそこは物心溶融フィールドよ。あなたがクロノスだと思っていた時間は、実はカイロスだった。核まで一時間の距離だとして、アキレスと亀で考えれば、最初は30分進んで全体の半分、次は15分進んで残りの半分というように1回あたりの経過時間は毎回2分の1になっていく。でも、その2分の1になった時間が、毎回主観的には2倍に感じるようになっていた」
「荒野をずっと進んでたからな。時間感覚なんて麻痺してた。【不易不労】で俺は疲れることもなかったし。……そういや、途中で時計が壊れたよ。国民栄誉賞の副賞でもらったアウトドア向きの丈夫な奴だったんだけどな」
「精神が物質にまさるあの場所で、厳格なクロノスを刻む時計が、押し付けられるカイロスとの矛盾に耐えられなくなったのでしょうね」
「なるほどな……」
俺は5分の半分を進んでは「少し近づいた」と思い、その残り半分を進んではまた「少し近づいた」と思った。
体感時間が変わらなければおかしいことに気づくはずだが、精神が物質を凌駕するあそこでは、主観的な時間感覚(カイロス)が客観的な時間(クロノス)を塗り替えてしまっていた。俺たちがそう思い込むように、セカンダリが巧妙に誘導したということだ。
「まどろっこしい手を使いやがって。でも、相手が悪かったな。俺には【不易不労】があったし、メルヴィは妖精として人間とはべつの時間感覚を持ってる。今回は本当に、【不易不労】に助けられてるな。最後に燃やしてしまったのがかわいそうなくらいだ」
俺がそう感傷に浸ると、
「さっきも言ったけど、残念ながら【不易不労】の再生産は難しいのよね。その代わりと言ってはなんだけど、あなたにはプレゼントというか……もうそうするしかなかったからそうしちゃったんだけど、まあ、悪いことではないはず……よね」
珍しく、歯切れ悪く女神様が言いよどむ。
「な、何をしたんだよ?」
「いえ、あなたは《
「えっ……けっこうヤバい状態だったのか?」
「そうなのよ。だから、事後承諾で申し訳ないけど、わたしの方であなたのステータスに、かなり大掛かりな干渉をしたわ。さいわい、物心溶融フィールドの崩壊で膨大な神的エネルギーが放出されていたから、それを利用して、ね」
「……なんかイヤな予感がしてきたんだが……」
「わ、悪いことではないわよ! ステータスを見てみて?」
「といっても、俺にはもうスキルがないんじゃ」
「今のあなたなら見えるはずよ」
説明しようとしない女神様に首を傾げつつ、俺は自分のステータスを見ようとしてみる。
すると、
《
エドガー・キュレベル(キュレベル大公家四男・南ミドガルド連邦貴族・南ミドガルド連邦特任大使・冒険者(Sランク)・《
N/A歳
神(アトラゼネク眷属神)
神としての職掌:転移・転生の守護神
レベル N/A
HP N/A
MP N/A
クラス N/A
スキル N/A
》
……ええっと、
「N/Aってなんだ?」
「NonApplicableの略ね。該当事項なしっこと」
「二つ名がまた増えたな」
「あなたがセカンダリを倒した前後の事情は既に世界中に広まっているから」
こともなげに、女神様が言った。
その頬を、つーっと汗が伝っている。
……うん、なんとか目をそらそうと思っていたが、やっぱり聞かないわけにはいかないみたいだな。
「……あの、俺、神になってるみたいなんだけど」
「だ、だって! そうでもしないとあなたの魂が危険だったんだもの!」
「女神様の眷属神っていうのは?」
「神にも位階があるんだけど、一応はマルクェクトの最高神であるわたしの『次』ということよ」
「神としての職掌ってのは何?」
「神にはそれぞれの司る事象を割り当てる必要があるのよ。あなたの場合は、この世界とマルクェクトの間にできた、巨大なワームホールの出入りを管理してもらうことになったわ。他に空いてる職掌がなかったし、両方の世界に詳しいあなたなら適任だと思って」
「ワームホール?」
「そうなのよ! 物心溶融フィールド――あの黒い月があった場所は、そのまま両世界を結ぶワームホールとして残ってしまったの。穴は通常空間から地続きになってるから、たとえばあなたが利用したスペースクラフトみたいな乗り物をちょっとチューンしてやればなんとか通れてしまうのよ! 悪用される前にちゃんと管理体制を作っておかないといけないの! ……あの、怒ってる?」
女神様が、急に上目遣いになって聞いてくる。
「え? 何を?」
「その、勝手に神にしてしまったこと」
「しょうがなかったんだろ? 正直実感がわかないから、怒ればいいのか喜べばいいのかもよくわからん」
俺の言葉に、女神様が目を伏せる。
「……あなたはもう不老不死の存在なの。他の人たちは、あなたを置いて、年老い、やがて死んでいくわ。あなたは魂を危険にさらしてまで世界を守ったのに、わたしがあなたにしたことは、あなたからあなたが守った世界を奪うことだったのかもしれない……」
「なるほどな」
それで、さっきから挙動不審だったのか。
俺は、なるべく明るく聞こえるように言う。
「ちょうどよかったよ」
「えっ?」
「だって、俺の嫁はエレミアだろう? あいつは生粋のダークエルフだから、いつまでも若くて寿命も長い。俺にもエルフの血が少し入ってはいるけど種族としては人間だった。どこまで寄り添えるか不安だったんだ。エレミアは精神的に不安定なところのある奴だから、俺が死んだ後はどうなるのかと心配してたんだ。俺が不老不死なら、エレミアと最後まで一緒にいられる」
「で、でも……」
「そりゃ、悲しいことも多いだろうさ。でも、愛しい人たちと最後までいられると思ったら、悲しい別れまで含めて、俺は受け止められる気がするよ。いや、絶対に受け止めてみせる」
セカンダリに、人間は他人を愛してこそ幸せになれるのだと大見得を切ってしまったからな。
なんとしてでも、他人を愛し、その人生をまるごと受け入れて、幸せになってみせなくては。
女神様が、俺の言葉にきょとんとし、やがて、満面の笑みを浮かべた。
「それでこそ、わたしの自慢の眷属だわ」
「俺、女神様の部下になるの?」
「形式的にはそうだけれど、好きにやってくれてかまわないわ」
「転移・転生の守護神? ってのは何をやれば?」
「こっちの世界からマルクェクトへ、マルクェクトからこっちの世界へと渡る人や、生まれ変わろうとする魂をチェックして、問題のあるものを弾く。当面はそれだけでいいわ。これから先、二つの世界がどうなっていくかはわからないけれど」
「門番みたいなもんか」
「そういうことね。どっちの世界も歪みなく繁栄できるよう、交流のパイプをコントロールしてもらう。どういう人を通し、どういう人を通さないかは、あなたの判断で決めていいわ」
「そんなこと、俺の一存で決めていいのかよ」
「仮にも神なのだから、決定権は絶対的にあなたにあるわ。わたしの眷属神ではあるけれど、お互い神なのだから、職掌については不干渉なの。逆に言えば、任せても問題ないと思ったから眷属神にできたのよ」
「俺は、地上で暮らしていいのか?」
「本当は天上にいるのがいいのだけれど、あなたは元人間だから、あなたが満足するまでは地上にいてくれてかまわないわ。でも、いつかは昇天してわたしの隣にいてほしい」
「……まさか、プロポーズ?」
「そうよ。わたしはいつまでも待つわ。都合のいい女でしょ?」
女神様がくすりと笑う。
その笑顔はたとえようもなく魅力的だった。
次話、明日です。
完結まで残り2話。