175 突入
「あの黒い月を、わしらは物心溶融フィールドと呼んでおる。あの先では、物質と精神の境界がなくなり、融合している。情報精神体であるセカンダリ――悪魔崇拝者・杵崎亨のコピーは、世界全体を、自らの精神で塗り替えようとしておるわけじゃな」
会議室で俺たちの前に立ってそう講釈をしているのは、衣冠束帯を身にまとった白髪の老人である。
陰陽師・
魔導コングロマリット・セイメイ&クロウリーの共同創始者の一人である。
「そんなことして何になるんだ?」
小さく手を上げて、賢晴さんに聞く。
「わからぬ。魑魅魍魎に合理的な思考を期待するだけ無駄というものじゃ」
「魑魅魍魎なのかよ」
「厳密には違う。魑魅魍魎の元は残留した思念じゃが、セカンダリは純然たる情報なのじゃろう? 細菌とウイルスが違うように、魑魅魍魎とセカンダリも違う。仮にも生物である細菌に対し、ウイルスは情報の断片といった方が近い。ウイルスが自己を複写するのは、目的あってのことではなく、たまたまそのような仕組みが埋め込まれているからじゃ」
「セカンダリもそうだっていうのか?」
「だから、わからぬよ。しかしわしには、セカンダリは何らかの精神的な欲求によって、自らを増殖させ、世界を覆い尽くしたいと思うに至ったのではないか。そのように思える」
「セカンダリは、杵崎亨のコピーであることを自覚していた。そのせいで自我のありようが不安定なのかもしれない」
自分とは何か。自分は何のために存在しているのか。そんな哲学的な疑問に囚われた結果、「自分でない」世界を自分へと塗り替えることで問題自体の解消を図った。自分以外が存在しなければ、自分とは何かと問う必要もない。
……理屈としてはそんなもんだと思うのだが、俺にはとてもまともな論理のように思えない。
所詮、肉体を持たない情報だけの存在だということなのかもしれない。
「エドガー・キュレベル。おぬしにやってもらいたいのは、セカンダリの核に《
「ああ。《
俺のステータスに、神級魔法《
「だが、セカンダリの核ってのはどういうものなんだ? どこにある?」
「わからぬ」
「わからないって」
「実際、わからぬものはわからぬ。そもそも、物心溶融フィールドの内部は物質と精神の融合した世界なのじゃ。そこに広さや距離といった概念が当てはめられるものか……。単純に、フィールドの中心に核があるとはいえぬ。そもそも、フィールド内では『中心』のような位置に関する概念が通用せんかもしれぬ」
賢晴さんの言葉に、美凪さんが言った。
「もしそうなら、そもそも『核』というものがない可能性もあるのではないですか?」
「その可能性は低いわ」
と、答えたのは女神様。
「セカンダリが自我を持っている以上は、必ずその核となる部分が存在するはず。そうでなければ、物心溶融フィールドは世界を呑み込みながらまとまりを失い、勝手に消滅することになるでしょう。物質と精神は本来混じりえないものだから、セカンダリの自我がなければすぐに元の状態に戻るはず。もっとも、一度溶融した部分が物質と精神に再分離したところで、元の状態には戻らない。いびつな精神体や不安定な物質が大量に発生して、世界の秩序を大いに乱すでしょうね」
「では、セカンダリに核があるのは不幸中の幸いなのですね」
アルフェシアさんがうなずいて言う。
「核がどこにあるかはわからぬ。じゃが、物心溶融フィールドが物質と精神の融合した世界なら、核へと迫る鍵は場所ではなく精神にあろう。セカンダリの物質化した精神構造の奥深くに入り込み、そこにある核を潰すのじゃ」
「要は、あいつの精神世界にダイブして核を探せってことか」
「うむ。しかし、核へと至る経路は厳重に守られていよう。そこで、同時に突入する美凪とエレミアさん、メルヴィさんの存在が重要となる」
「奴の精神世界に、フィールドに呑み込まれない異物が混入することで、ガードが緩くなるんだったな」
何度聞いても、危険極まりない段取りだ。
俺が少々苦労するだけで済むのなら、彼女たちを置いていきたい。
だが、三人とも既に行くと明言してしまっている。
その他、細かな段取りを打ち合わせ、俺たちはいよいよ決戦の日を迎えることになった。
オアフ島の空軍基地から、スペースクラフトが離陸した。
スペースクラフトは、普通の大型旅客機と同じような外観で、離陸の方法も変わりない。
大気が薄くなった時点で、揚力は魔法によって得ることになる。
窓の外が徐々に藍色に染まっていく。
眼下には、青い地球が広がっていた。
『今、大気圏を離脱しました。地球を周回してから月軌道へと向かいます。』
アナウンスはサンシローの声だった。
このスペースクラフトを操縦しているのはサンシローなのだ。
スペースクラフト内には、重力を吸収するためのエアバッグのついた大きな座席が20ほど並んでいた。
今、座席に座っているのは、俺、エレミア、美凪さんの三人で、俺のそばにはメルヴィが浮いている。
つまり、物心溶融フィールドに突入するメンバーしかここにはいない。
エレミアは俺の隣に座っている。
俺にもたれたそうにしていたが、座席は身体をすっぽり包み込むような形をしているので、しぶしぶ自分の席に座っていた。
美凪さんはその反対側、すこし離れた窓側の席に座っている。
思いつめたような顔で窓の外を睨んでいるので、俺からはちょっと話しかけにくい。
エレミアももちろん話しかけられない。
俺とエレミアに何かあったらしいことは、鋭い美凪さんならお見通しだろう。
メルヴィだけは、たまに美凪さんに話しかけたそうにしているが、美凪さんの方が目を合わせないようにしているようだった。
『みなさん、シートベルトを外してみてください。現在当機は低重力状態にあります。』
と、サンシローが観光ガイドのようなことを言った。
(こいつなりに気を使ってるのか?)
せっかくなのでシートベルトを外す。
身体が座席から浮き上がった。
「わっ……」
と、隣でエレミアが驚いている。
無視を決め込んでいた美凪さんも好奇心に負けたらしく、シートベルトを外す。
「マルクェクトで世界樹を上った時も体験しましたが、あの時はバリアで動けなかったですからね」
美凪さんはそう言って、飛行機の室内をふんわりと飛び回る。
なお、今日の美凪さんの服装はスキニージーンズに白のブラウス。もちろん、溶融フィールドに乗り込む際には用意した装備を身に着けてもらうが。
美凪さんが、意を決したように、こちらへと向かってきた。
そして、エレミアに言う。
「エレミアさん」
「な、何?」
エレミアは、自分が話しかけられるとは思ってなかったらしく、驚いて言った。
「目的は一緒なんです。がんばりましょう」
「え、あ、うん。そうだね。がんばろう」
美凪さんが手を差し出す。
エレミアがおっかなびっくりそれを握る。
そこで、サンシローのアナウンスが入った。
『目標の黒い月より飛行物体が複数出現。形態は、マルクェクトのドラゴンと似ています。』
「ドラゴンだって? 宇宙だぞ」
『エルフエレメンタリストたちもスキル【宇宙順応】によって月面上で活動していました。』
「そういうことか。迎撃できるか?」
『問題なく。』
サンシローの返事とともに、スペースクラフトを何度かの振動が襲った。
事前に積み込んだ、アルフェシアさんお手製の巡航ミサイルを発射したのだろう。
数分してから、サンシローが報告した。
『巡航ミサイル〈ドラゴンスレイヤー〉全弾命中。総数79のドラゴンを撃墜しました。』
「けっこういたんだな」
『まだいますよ。続けて攻撃しますか?』
「ああ、やってくれ」
突入前に、できることはやっておきたいからな。
その後もミサイルでドラゴンを撃墜しつつ、スペースクラフトは月へ向かう。
黒い月が徐々に大きく見えるようになってきた。
月と便宜上呼んでいるが、立体感のない黒い真円である。
俺たちは突入の準備をする。
アルフェシアさんが作ってくれたあれやこれやは、俺とメルヴィは次元収納にしまっている。
エレミアと美凪さんは自分で持てる分だけ持っていく。
エレミアは聖剣〈
美凪さんはアルフェシアさん謹製のブレストプレートを、ブラウスの上につけていた。
エレミアは、これまたアルフェシアさん製の紫色のマントを肩からはおる。
俺は……いつも通りだ。
一見するとただの服と革鎧に見えるだろうが、どれも自作の魔道具で、とんでもない強度と衝撃吸収性を持っている。
もっとも、装備しているだけでMPを膨大に消費するので、実質、俺くらいしか使えない。
俺には聖剣や魔剣はないが、次元収納から電磁徹甲弾を放てる上、他にも山ほど攻撃手段がある。
素手でも攻撃できるし守ることもできる。
「加木さん」
装備のチェックを終えた美凪さんが、俺に近寄って言ってくる。
「戦いが終わったら、お願いしたいことがあります」
「お、おう」
情けなくもちょっとつまってしまった。
美凪さんがくすりと笑う。
「そんなに構えなくて大丈夫です。単なる勝負の申し出です。レジェンダリー・ヒーローズが出たら、ぜひ一緒に対戦しましょう」
「なんだ、そんなことか。もちろん。もっとも、俺でスラムファイターの世界チャンプの相手になるかはわからないけどな」
「レイモンドが、マルクェクトでのスキルを再現した状態で対戦できるようなモードを作ると言ってました。なんでも、アトラゼネクさんが監修するとかで」
「こんな時に何やってんのあの
「ふふっ。ですので、全力のエドガー・キュレベルと戦うこともできるかもしれません」
「その条件じゃ、俺に勝てる奴はいなくなっちゃうよ」
「わたしでも無理ですか?」
「たぶんね」
「じゃあ、わたしが挑戦者ですね」
楽しそうに、美凪さんが笑う。
そこに、エレミアが割って入った。
「待ったあああっ! エドガー君と戦うってんなら、まずはボクを倒してからにしてもらおうか!」
「それもいいですね。稽古をつけてもらった時は散々でしたし」
「あんたら戦いを前にして、終わった後にも戦うって話をしてるわけ? 武闘派ね」
メルヴィが呆れたようにそう言った。
『みなさん、そろそろですよ。』
サンシローの声に我に返る。
スペースクラフトの窓の外には、見渡す限りの漆黒が広がっていた。
黒い月は目前だ。
『接触します。』
サンシローの声とともに、スペースクラフトの奥が黒くなった。
スペースクラフトが黒い月に突入し、突入した部分から、物心溶融フィールドに取り込まれているのだ。
物心溶融フィールドがスペースクラフトを輪切りにしながら迫ってくる。
いちばん近くにいるのは美凪さんだった。
「加木さん! 対戦するからには、勝ったらご褒美をください!」
そう言うのと同時に、美凪さんがフィールドに呑み込まれる。
「あー! ずるい! ボクも!」
今度はエレミアだ。
最愛の人が闇に呑まれていくのを見るのは、無事だとわかっていてもおそろしい。
「行くわよ、エドガー!」
「ああ!」
メルヴィの激励に応じた瞬間、俺とメルヴィを物心溶融フィールドが呑み込んだ。
『……ご武運を。』
サンシローの声が、俺の耳にかろうじて届き――
次の瞬間、俺はわけのわからない世界にいた。
いいところですみませんが、ひとつ告知を。
新連載を始めました。
『鬱乃森椿はつながりたくない』
http://ncode.syosetu.com/n1453ef/
スマホアプリLIMEが普及したことで人間関係の変質したちょっと未来のお話です。
自分としては珍しい現代恋愛モノカテゴリになります。
よろしければ、ぜひ読んでみてください。
『NO FATIGUE』の方は、ラストまで今の更新ペースで問題ないことがほぼ確定しました。
3周年となる9/24あたりにエンディングを迎えられたらなぁと思ってます。
どちらの作品とも、よろしくお願いいたします。
残暑きびしいですが、体調等崩されませんように。
それでは。
天宮暁